徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

百貫の港とハーンの長崎行

2023-07-14 18:23:08 | 文芸
 今日、玉名に行った帰り道は海沿いの国道501号線を帰ることにした。この道の愉しみの一つが、百貫港灯台の近くに車を停め、ボンヤリと海を眺めながらひと時を過ごすことだ。晴れた日には有明海の向こうに雲仙がきれいに見えるのだが今日はあいにく霞んでいて見えなかった。この景色を眺めているといつも必ず思い出すのが、ここから船で長崎を目指したラフカディオ・ハーンのことである。明治26年(1893)の7月、ハーンは百貫港から小舟で出港、沖合で蒸気船に乗り換えて長崎へ向かうつもりだったが、この蒸気船がなかなか来ない。7月下旬の舟上は相当暑かったに違いない。散々待たされてやっとの思いで長崎に渡った。ところが長崎のあまりの暑さにほうほうの体で帰ってくる羽目になる。しかしこの後、三角港で「夏の日の夢(THE DREAM OF A SUMMER DAY)」を見ることになるのである。この時の経緯を友人の東京帝大教授バジル・ホール・チェンバレン宛の手紙で次のように書き送っている。

 七月二〇日の早朝、私は、一人、熊本を出発し、百貫(ひゃっかん)経由で長崎へ向かうつもりでした。熊本から百貫までは人力車で一時間半あまりの距離でした。百貫は水田の中の、くすんだ小さな村です。土地の人たちは淳朴で善良です。そこで、漢文を勉強している生徒の一人に会いました。そこからは、小舟で蒸気船に向かいます。この舟の舳先へさきは壊れていました。コールリッジの詩にあるような静かな海をゆらりゆらりと四里ばかり進んで行きました。それは退屈でした。そして、停泊して一時間以上も待たされましたが、海面をじっと見ていると、さざ波が繰り返し/\押し寄せて来るので、まるで反対方向に引っ張られて動いているような、奇妙な錯覚を覚えました。他には見るものとてありません。ついに、私は、はるか水平線上にコンマを逆さまにしたような船影を見つけました。それが近づいて来ます。ついに、ボーッという汽笛を聞いたときは、嬉しくなりました。けれどそれは別の船でした。先の小舟に乗ったまま、さらに一時間も待たされたあげく、やっと目当ての船が現れたのです。


百貫港灯台