徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

老ドクターと思い出の歌

2023-07-29 21:42:26 | 友人・知人
 今頃の季節になると決まって思い出すのは53年前の7月下旬、ブリヂストンに転職し横浜市戸塚の横浜工場へ半年の新人研修に行った時のこと。多くの方々にお世話になったが、なかでも横浜工場診療所の所長を務めておられた酒井先生には、僕が人事労務に配置されて仕事のつながりがあったこともあって、永年にわたってお世話になった。先生が亡くなられて8年経つが、先生のことを思い出すと必ず頭に浮かぶ歌がある。

 僕が東京本社に勤務していた80年代後半、先生のところへ仕事でお伺いすると必ず、終業後は横浜の街へ繰り出すのがお決まりだった。ある時、何軒か回った後、カラオケバーに行った。そこで先生は病院に出入りしている製薬会社のプロパーさんを呼び出した。呼び出したわけはその若い男性プロパーさんはプロ並みに歌が上手い人で、先生は僕にそれを聞かせたかったのかもしれない。特に松田聖子の「赤いスイートピー」や「SWEET MEMORIES」などは絶品だった。松田聖子は、実は僕の先輩社員に久留米出身で、かつて松田聖子のお父さんと同じ職場で働いていたという人がいて、彼女がデビューする時、応援を頼まれたりしていたので余計心に残った。

 僕が会社を早期退職した後も先生は相変わらず横浜工場の産業医を務めておられたが、年賀状のやり取りだけはずっと続いていた。亡くなられる数年前から、戦時中、熊本城二の丸にあった西部第十六部隊時代の思い出をしきりに懐かしがられた。そんな時、熊本城本丸御殿で行われた春の宴で舞踊団花童が踊った「小坪いかとり歌」が妙に心に残った。この歌について調べてみると、先生が亡くなられるまで住まわれた逗子市の小坪漁港で歌い継がれている古い歌であることがわかった。以来この歌も先生の思い出の歌となった。今夜は下の2曲を聞きながら先生を偲びたい。