徒然なか話

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熊本の風景今昔 ~厩橋(うまやばし)~

2024-01-17 19:07:20 | 歴史
 かつて熊本城の内堀として、また物流の大動脈として城下の経済や生活を支えた坪井川。この坪井川には多くの橋が架けられていますが、中でも今日最も渡る人や車が多い橋の一つが厩橋(うまやばし)ではないかと思います。熊本藩主の住まい「御花畑屋敷」の馬場や厩(馬小屋)の目の前にあったためこう呼ばれるようになりました。
 下の2枚の写真の間には150年の時の隔たりがありますが、時代の流れを感じさせます。


明治初期に冨重利平が撮影した厩橋


現在の厩橋


 この絵図は熊本大学付属図書館が寄託された永青文庫資料のうちの一つで、明治時代初期に赤星閑意によって描かれた「熊本城東面図」。東側上空からの鳥瞰図となっている。流れている川は、江戸時代に内堀としても使われていた坪井川。二つの橋が架かっているが、左側が厩橋(うまやばし)で手前の廓状になったところに厩(馬小屋)があったのでこの名が付いた。現在の厩橋と位置は変わらないので厩のところに現在の熊本市役所が建っていることになる。従ってその外側の広い道が今の電車通り。厩橋を渡ったところが須戸口門で、竹の丸へ通じている。右側の橋は藪ノ内橋(やぶのうちばし)で現在高橋公園の谷干城像があるあたりに架かっていた。川が右に曲がった奥に見える橋が下馬橋(げばばし)で、現在の行幸橋とほぼ同じところにあった。その左側に見えるのが広大な藩主の御花畑屋敷である。川の左岸には船着場があり、水運による物流が盛んに行われていた。天守閣の後ろにそびえる最も高い山が金峰山である。

   ▼厩橋で踊る(2015.2.1 熊本城稲荷神社初午大祭 舞踊団花童)