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ハーン訳「銚子大漁節」のナゾ(2)

2024-01-29 22:53:15 | 音楽芸能
 昨年5月29日のブログに「ハーン訳『銚子大漁節』のナゾ」という記事を書いた。これは以前から疑問に思っていたラフカディオ・ハーン著「日本の古い歌(Old Japanese Songs)」の中に紹介された「銚子大漁節」に関するものだった。ハーンは銚子を訪れた形跡はないというのにどうやって「銚子大漁節」を採集したのだろうかという疑問だった。問い合わせた銚子市観光商工課の文化財担当者からの返事には、「ハーンが銚子に滞在した記録はない」というハーンの孫・小泉時氏の談話が残っているので間違いない。それではどうやって採集したかというと、明治33年にハーンが「日本の古い歌」に載せた大漁節は「十とせ」を欠いており、その2年前、明治31年に出版された大和田健樹著「日本歌謡類聚」に収録された大漁節も「十とせ」を欠いていることから、ハーンは「日本歌謡類聚」をもとに翻訳したのではないか、とのことだった。
 その後、この「日本の古い歌」を何度か読み込んだが、ハーンは日本の古い歌に見られる「数え唄」のパターンに興味を抱き、「一つとせ一番船へ積み込んで」や「二つとせ二葉の冲から外川まで」といった「数と最初のフレーズとの符合」を、手毬歌なども紹介しながら指摘している。
 つまりこういう日本の歌の作り方に興味があったのであって、銚子という土地そのものに興味を抱いたわけではなかったのではないか。だからあえて「漁師の歌(SONG OF FISHERMAN)」というタイトルにしたのではないか。したがってフィールドワークをする必要もなく、「日本の古い歌」を翻訳した松江以来の愛弟子・大谷正信あたりに資料を集めさせたのではないかと思われる。
 蛇足だが「銚子大漁節」が作られたのは鰯の異常な大漁の元治元年(1864)とわかっているので、ハーンが「日本の古い歌」を著した明治33年まで36年しか経っていない。それほど古い歌ではない。



10番の歌詞が欠けているハーンの英訳詩