徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

文人たちが見た 「藤崎八旛宮秋季大祭」 

2013-09-16 19:50:10 | 歴史
 今日は藤崎八旛宮秋季大祭。この祭としては久しぶりに快晴に恵まれたような気がする。この祭のもととなった放生会(ほうじょうえ)は1000年以上、呼び物の飾り馬奉納も400年以上の歴史を持つ。この祭に触れた文人たちが書き残した記述から興味深い歴史が見えてくる。

■ラフカディオ・ハーン
 1.明治25年(1892)11月24日付、西田千太郎宛ての手紙の中で
   藤崎八旛宮秋季大祭(放生会)「朝鮮亡シタリ。エヽコロ亡シタリ――」という掛け声。

 2.明治26年9月23日付け、チェンバレン宛ての手紙の中で
   藤崎八旛宮の秋季大祭。「それは気違いじみた大祭で、おかしな飾りをつけた馬をひきまわし、
   ボシタリ!ボシタリ!と叫ぶ。これは朝鮮出兵前に加藤清正が八旛様に唱えて以来の記念
   すべき掛け声だとのこと。」

■種田山頭火
 「行乞記」 昭和5年9月15日、人吉の宮川屋に滞在中の記述の中で
 「熊本は今日が藤崎宮の御神幸だ、飾馬のボシタイ/\の声が聞えるやうな気がする、
  何といつても熊本は第二の故郷、なつかしいことにかはりはない。」




北川愛菜が100mと200mを制す! ~ 熊本県高校新人陸上 ~

2013-09-15 17:25:37 | スポーツ一般
 熊本県高校新人陸上(全九州高校陸上競技対校選手権熊本県予選)は熊本県民総合運動公園陸上競技場で最終日が行われた。僕が注目していた野林祐実(九州学院3年)の後継者争いは、100m、200mいずれも北川愛菜(熊本学園大付1年)が制した。有力な対抗馬である福嶋美幸(九州学院2年)は体調が万全ではなかったようで、来シーズンの巻き返しを期待したい。


200m予選から対決した北川愛菜(右端)と福嶋美幸(左端)




あっちも祭りだ! こっちも祭りだ! ワッショイ! ワッショイ!

2013-09-14 23:53:29 | イベント
 今日は藤崎八旛宮例大祭の「飾馬飾卸(かざりうまかざりおろし)」。市内のあちこちから、ラッパや鉦、太鼓そして勢子たちの威勢のいい掛け声が聞こえ、町は一気にお祭りムードに。明後日は呼び物の御神幸。天気は大丈夫かな。
 一方、熊本城本丸御殿の「秋夜の宴」は今夜が二夜目。こちらでもお祭りにちなんだ演し物が繰り広げられ、いやが上にもお祭りムードを盛り上げた。


野林祐実のいない高校陸上

2013-09-13 17:44:34 | スポーツ一般
 今日から九州高校新人陸上熊本県大会が始まった。この大会は1・2年生の大会なので当然だが、スタートリストの中に野林祐実(九州学院)の名前はない。この3年間、彼女をウォッチし続けてきた僕は言いようのない寂しさを感じてしまう。あとに続くべき選手たちもまだまだ彼女との力の差は大きい。だからこそ今まで以上に声援を送らなければ・・・
 その野林祐実は、高校最後のビッグイベント、東京国体がもうすぐやってくる。彼女が一躍全国区の選手となった千葉国体での優勝から3年。高校での競技生活の集大成となるようなレースを期待したい。そして今後の進路はわからないが、3年後のリオ・デジャネイロ、7年後の東京オリンピックを目指してほしいと願っている。

▼ポスト野林を競うであろう福嶋美幸(九州学院2年)と北川愛菜(熊本学園大付1年)

くまもとは 秋のまつりが 目白押し!

2013-09-12 20:15:13 | イベント
 熊本は秋祭りシーズン!既に先週から始まった「秋のくまもとお城まつり」は、「西南戦争遺跡・田原坂国史跡指定記念」として例年以上に充実したプログラムが組まれている。(下表参照)
 また、この他にも秋の熊本の風物詩である「藤崎八旛宮秋季例大祭」や「第10回熊本暮らし人祭り みずあかり」など多くのイベントが控えており、まさにお祭りモードに入る。

▼表をクリックすると大きなサイズが開きます

「連続テレビ小説=朝ドラ」のお初は・・・

2013-09-11 13:46:51 | テレビ
 NHK朝の連続テレビ小説、いわゆる朝ドラのヒロインが「あまちゃん」の能年玲奈から次回作「ごちそうさん」の杏へバトンタッチ、なんていうニュースが流れていたが、朝ドラの歴代作品では「あまちゃん」が第88作目、「ごちそうさん」が第89作目だそうである。そこで第1作目は何かというと昭和36年(1961)の「娘と私」なのだが、ちょうど僕の高校入学と同時に始まった想い出深いドラマで、主人公を演じた北沢彪さんの味のあるナレーションを今でもよく憶えている。
 しかし、「連続テレビ小説」と銘打ったドラマは「娘と私」よりも3ヵ月前、昭和36年の正月に3夜連続で放送された「伊豆の踊子」が最初だそうだ。映像とナレーションを組み合わせた「テレビ小説」のスタイルは、このドラマが原型になったといわれる。踊子を演じたのは小林千登勢さん(当時23歳)。馬渕晴子さん、冨士眞奈美さんとともに「NHK三人娘」と呼ばれたテレビ草創期のスター女優だった。
 さらにさかのぼること3年、NHKの月~金の夕方、15分の枠で放送されていた連続ドラマが「バス通り裏」だ。ちょうど各家庭にテレビが入ってきた時期で、熊本のテレビ放送はまだNHKだけであり、この番組を見るのは日課になっていた。十朱幸代や岩下志麻などの人気女優を輩出したこのドラマこそ、連続ドラマの起源と言えるのかもしれない。
※写真は小林千登勢さん(2003年没)

伊予万歳 と 万歳の歴史

2013-09-10 12:06:29 | 音楽芸能
 「万歳(まんざい)」というのは新年の寿ぎ(ことほぎ)の芸として平安時代には既に成立していたと言われる日本の伝統芸能である。祝言を述べ舞を舞ったが、家々を訪れる「門付芸(かどづけげい)」として発展、江戸時代には最も盛んに行われた。今日の「漫才」の源流でもある。
 「伊予万歳」は江戸時代前期、四国松山藩主となった松平定行(徳川家康の甥)が「尾張万歳」を招いたのがきっかけで松山藩の芸能として定着したといわれる。僕も含め多くの人が「三河万歳」なら見たことは無くても名前は知っていると思うが、これは江戸時代、徳川幕府が徳川家の出身地である三河国の芸能「三河万歳」を手厚く保護した名残りである。信長・秀吉ゆかりの「尾張万歳」と家康ゆかりの「三河万歳」は互いに張り合っていたらしいが、いずれも京の都から伝わって来たもので、さらに全国に広まっていったといわれる。
 この映像は、「伊予万歳」で唄われる楽曲のうち、江戸時代後期に生まれたという「松山名所づくし」に、中村花誠さんが新しい解釈で振り付けたもの。江戸時代の門付芸にはこんな感じの芸もあったのかもしれない。


 振付 中村花誠
 立方 今村明音・後藤未和・小堀ゆりあ


日本中が涙した聖火リレー

2013-09-09 16:17:30 | スポーツ一般
 56年ぶりに東京へオリンピックが帰ってくると言っても、前回の東京オリンピックを憶えている日本人は昭和30年代前半以前の生まれだから、もうだいぶ少なくなっているだろう。そんな東京オリンピックを知っている世代の多くが生で見ることができたのが「聖火リレー」。わが町を駆け抜ける「聖火リレー」を見て感動した人は多いはずだ。
 市川崑監督の映画「東京オリンピック」にはそんな感動的な「聖火リレー」のシーンが登場する。これらのシーンには映画用に撮影し直されたシーンも含まれるのだが、そんなことはわかっていてもやっぱり感動してしまう。
 さて、2020年の東京オリンピックではどんな「聖火リレー」のシーンを見ることができるだろうか。


オリンピックの故郷、ギリシャのオリンピアで採火された聖火が・・・


19年前、原爆が投下された広島の原爆ドーム前、広島平和記念公園に到着。


急峻な山道を登り


古い町並みを駆け抜け


霊峰富士を仰ぎつつ聖火は一路東京へ。このシーンで多くの日本人が号泣・・・


そして遂に東京国立競技場の聖火台に火が灯る

東京オリンピック 再び・・・

2013-09-08 15:57:59 | スポーツ一般
 熱望していたわけではないが、昨夜はまんじりともせず明け方の結果を待った。そしてロゲIOC会長の「TOKYO!」のひと言を聞いた瞬間、自然とガッツポーズをしていた。それにしても、わが生涯に東京オリンピックが二度も巡ってくるとは(7年後まで生きていればの話だが…)。
 前回の1964年は、僕は東京で学生生活の1年目。水泳競技会場となった代々木体育館や千駄ヶ谷の東京体育館のスタッフをやったり、各国選手の練習を見学したり、競技を観戦したりして、まさにオリンピック騒動の渦中にいた。大会期間中は多くの外国の選手や役員、観戦にやって来た旅行者などと接する機会があったが、概して外国の人々の日本人を観る眼は暖かく優しかった。考えてみれば廃墟と化した東京が、終戦からまだ20年も経たないうちにオリンピックをやろうというのだから、それは応援しようという気にもなったのだろう。オリンピックの成功は明らかに当時の日本人の自信となった。経済的や物質的な面での意義も大きかったのはもちろんだが、僕は最大の成果は精神的なものだったのではないかと思う。
 今度の2020年はおそらく僕はテレビ観戦だけになるだろうが、はたして日本人にとってどんな意義を持つ大会になるのだろうか。

指揮者・小山卯三郎 ~ こころをつなぐタクト ~

2013-09-06 18:20:50 | テレビ
 毎年秋、TKU(テレビ熊本)が放送するドキュメンタリードラマ「郷土の偉人シリーズ」は、今年は指揮者の小山卯三郎さんの生涯を描く。
 小山卯三郎さんは明治36年(1903)玉名村両迫間(現玉名市)生まれ。陸軍軍楽隊などで活躍した後、ブリヂストン吹奏楽団久留米の指揮者として、同楽団を日本でもトップクラスの吹奏楽団に育て上げた。また、故郷の玉名女子高等学校吹奏楽部の育成にも尽力し、今日、高校吹奏楽界でも有数の実力校に押し上げる等、日本の吹奏楽の発展に貢献した。

▼放送
 放送日時:10月27日(日)16:05~17:20
 出演者:西村和彦、田中要次、原幹恵、中村靖日、高橋沙良、中原丈雄ほか
 ネット局:テレビ西日本、サガテレビ、テレビ長崎、テレビ大分、テレビ宮崎、鹿児島テレビ放送

▼トリヴィア
 昭和40年(1965)の東宝映画「戦場に流れる歌」(監督:松山善三 音楽:團伊玖磨)は、團伊玖磨のエッセイ「陸軍と楽隊始末記」の映画化で、この映画で加山雄三が扮する軍楽隊長小沼中尉のモデルは小山卯三郎の若き日の姿と言われている。

▼兄妹楽団の共演
 今年の5月31日、玉名市民会館で行われた「玉名チャリティコンサート2013」において、小山卯三郎に育てられた二つの楽団の共演が初めて実現した。特にオープニングで演奏された「友愛のファンファーレと聖歌」では、センターステージにブリヂストン、サイドステージに玉名女子高のバンダが入り、素晴らしいサラウンド効果を発揮した。

ブリヂストン吹奏楽団久留米


玉名女子高校吹奏楽部

「勧進帳」よもやま話

2013-09-05 13:18:41 | 音楽芸能
 先日の火の君文化ホールにおける「誠会 おさらい会」で、20分以上にも及ぶ「素囃子 勧進帳」を聞きながら、とりとめのないことを考えていた。

 「勧進帳」というのは、能「安宅」を元にした歌舞伎の演目。歌舞伎十八番の中でも最も親しまれている演目と言えるだろう。あらすじは、源義経一行が源頼朝の追及を逃れ、山伏姿に身をやつして奥州への逃避行の途中、加賀国の「安宅」の関を通過しようとして関守の富樫との間で繰り広げる攻防を描いたもの。中でも武蔵坊弁慶が富樫に迫られて白紙の勧進帳を読み上げる場面が有名だ。

 今年2月に亡くなった十二代目市川團十郎(成田屋)のお家芸でもあるが、僕はテレビで能「安宅」や歌舞伎「勧進帳」を観るよりずっと前にこの物語に接したのは黒澤明監督の映画「虎の尾を踏む男達」だった。弁慶役の大河内傳次郎、森雅之、志村喬らの山伏、富樫の藤田進、そして映画版で創造されたキャラクター、強力の榎本健一など、名優たちが織りなすサスペンス劇は今でも忘れられない。終戦の昭和20年(1945)にこんな映画が製作されたというのも驚きだ。またこの映画の撮影中には進駐軍関係者の見学が多かったらしく、ある時、そんな米軍関係者の中に黒澤監督が敬愛してやまないジョン・フォード監督が含まれていたらしいが、肝心の黒澤監督は俯瞰撮影のためクレーンの上にいて気づかなかったというエピソードも残されている。ちなみに僕が映画少年として目覚めた映画は小学2年の時(昭和28年)に観たジョン・フォード監督の「三人の名付親(1948)」である。

 そんなことを考えながら「素囃子 勧進帳」を聞いていたら、あっという間に演奏時間が過ぎ幕が下りてきた。


肥後の殿様 考(その2)

2013-09-04 15:24:44 | 歴史
1-2 熊本藩支庁(お茶屋)
 高校時代に認識していた熊本藩のお茶屋は鶴崎の町中の料亭丸一の場所というのが定説だったが、2001年高校改修の折、遺構が発見されお茶屋跡であることが判明。清正公はここに支城を建設しようとしたが果たせなかったようである。
 行政的には鶴崎番代(熊本領豊後の総責任者-1年交代)根取(総務)横目(監察)物書き(書記)を置き、農村支配、年貢の担当として郡代(郡奉行)を置く。本来熊本藩では「五ケ町」制と言って熊本、八代、高瀬、川尻、高橋のみが町として認められていたが、後年鶴崎が交易により発展したことにより「准町」とし公認された。
 鶴崎は熊本藩にとって川尻と並ぶ海の玄関口であり、有事発生の時は防衛の任につき平時は参勤交代の乗船や藩のための航海をする船手が配属されていた。造船所、港湾設備が充実しており発展をとげた。
 参勤街道としては豊前街道もあったが、北九州から海路を行くため船団は鶴崎より出ていた。鶴崎繁栄の要素でもあった。
 後年、勝海舟も坂本竜馬とともに四国より、佐賀関に上陸し鶴崎のお茶屋に泊まり、熊本経由にて長崎に行った。
大御代は ゆたかなりけり 旅枕
    一夜の夢を 千代の鶴さき
               文久4年2月   勝海舟

1-3 雲鶴山法心寺


 高校の隣に法心寺という寺があり、当時宗教の相違によりあまり関心なかったが、この寺が清正公(法華経を信仰されていた)が建立したと今、判明。(清正公の鎧、遺品が保存されている)今にして思えば全く近接地に寺があるというのもうなずけるものである。その寺では今も二十三夜祭りという(7月23日)慶長16年清正公の命日に追善供養の法要として干灯明祭りが施行されている。その日は鶴崎の町を通行止めにし、夜店等出店し賑わいを見せる。その境内には清正公が杖を逆さに立て芽吹いたという銀杏の大木(左写真)がある。熊本城との関連を伺わせる。訪問した日にもたくさんの信者がお参りに来ており信仰の強さを感じる。今も清正公の遺徳を十分感じさせられる。

▼本堂前の提灯と清正公像
 


1-4 剣八幡
 宇佐八幡宮の所有の七鉾のうち三鉾が亡失し、神慮によりお告げあり。三鉾は鶴崎の地に鎮座するお告げあり、のちに1645年に楠の大古樹から3本の神剣が見つかり、これを聞いた領主の細川光尚公が細川藩の藩費を使って社殿を造営、これを奉ったことが創始となる。この社の春季大祭は喧嘩祭りと呼ばれ、山車同士が激しくぶつかり合う勇壮な祭りである。

≪熊本藩船鶴崎入港絵馬≫
 この絵馬には、御座船(藩主の専用船)を中心に編成された参勤交代の舶団が鶴崎港に入港する様子として書かれている。この御座船の波奈之丸の模型であるが絢爛な様が現在熊本城の天守閣に設置されている。

≪鶴崎の3大祭り≫
 4月 剣八幡春大祭(喧嘩祭り)
 7月 二十三夜祭り(加藤清正公命日干灯明)
 8月 国選択無形文化財本場鶴崎踊り大会
    大友宗麟の勘気をいさめるため京の舞妓を招いて踊った優雅で上品な踊り猿丸太夫、左衛門二つの舞から構成。
 3大祭りのうち2つが熊本藩に関係したもので市民の中に肥後藩に対する思いが今も連綿と続いている。

肥後の殿様 考(その1)

2013-09-03 19:17:30 | 歴史
 花童の公演の都度、大分市から観に来ていただく“K”さんから、かつて肥後の飛び地であった大分市鶴崎や肥後の殿様への想いを綴った文章をお寄せいただいた。長文にわたるので2回に分けてご紹介したい。

 花童の舞踊を拝見して邦楽と邦舞の素晴らしさに感動を覚えるとともに、その環境も知りたく熊本の人、物、地理について非常に興味が湧き、浅学非才ながら調査、創文を行うことを志した。プログ「徒然なか話」をきっかけに、今にして知りえたことに感謝して考察したい。



 肥後細川の殿様が参勤交代する絵巻物を背景に、本條流家元である本條秀太郎先生が作詞・作曲しその直門本條秀美先生が唄う肥後の権勢が伝わる絵およぴロマン漂う音曲について改めて鶴崎と肥後との関連を確認する。
 その絵巻物が我が故郷大分市鶴崎に存在する剣八幡(右写真:細川光尚公造営)の所蔵するものであること。
1-1 鶴崎が肥後の飛び地であったこと。
 清正公が家康より関ケ原合戦の褒美として加増された分(小西行長の改易に伴い所領であった肥後南部を賜るが)相良藩の所領と、天領である天草を除外とし、瀬戸内海に面した海上交通の要所になるであろう鶴崎の重要性を認識して、豊後の地(2万3千石)があたえられた。その飛び地は久住、今市、野津原、鶴崎、佐賀関にわたりその遺構が処々に現在でも残っている。
  丸山八幡宮  - 野津原町 清正公創建
  今市宿の石畳 - 参勤交代の肥後街道
  潮音山教尊寺 - 佐賀関 細川光尚公の協力による
  早吸日女神社 - 佐賀関 清正公の再建
 大野川、乙津川の治水工事を行い、港(堀川)を作って船着き場とした。また町割りを行い近世まで船頭町、鉄砲町、御加子町、城町、判出の名称が残っていた。
 立地にも恵まれていたため人が集まり多くの物資が交易され、職種も造り酒屋、質屋、宿屋等多様であり、軒数も多く城下町の様相を呈していた。
 瀬戸内海を往来する船の発着でにぎわい鶴崎の町は海陸交通の大事な拠点となった。
(次回につづく)

“花童”が演奏する素囃子はいかが!(その3)

2013-09-02 17:59:04 | 音楽芸能
 昨日ご紹介した「五郎時宗」と同じく、江戸時代後期に活躍した長唄中興の祖と言われる10世杵屋六左衛門の作曲による「末広狩(すえひろがり)」と「外記猿(げきざる)」。
 「末広狩」は狂言の演目を長唄にしたもの。大名に「末広がり=扇」を買いに行かされた太郎冠者の珍妙な顛末が、長唄では女性とその従者に置き換えられている。
 「外記猿」は正式名は「外記節 猿」。「外記節」とは薩摩藩島津家のお抱え浄瑠璃師だった薩摩外記が始めた浄瑠璃の一流派。古くから、猿は馬や牛の守り神とされ、武家屋敷には病厄払いのためよく大道芸の猿回しが呼ばれたという。そんな情景を唄った「外記節」を長唄にしたもの。

 ▼末広狩(写真をクリックして動画再生)         ▼外記猿(写真をクリックして動画再生)
 

「末広狩」
 小鼓 上村文乃
 大鼓 後藤未和
 太鼓 高田真由

「外記猿」
 小鼓 中村花誠
 小鼓 今井冽
 大鼓 今村孝明
 太鼓 上村文乃