徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

渋谷ノート

2019-05-16 11:26:16 | 
 東京渋谷区の岸記念体育会館が老朽化により取り壊されるという。僕が大学に入った1964年、つまり東京オリンピックの年に出来たから55年の歴史に幕を下ろすわけだ。学生時代、ここで行われていた日本水泳連盟学生委員会の会議に出席したこともある。当時委員長だった「フジヤマのトビウオ」こと古橋広之進さんに初めてお会いしたのもここだった。懐かしいスポットがまた一つ消える。岸記念体育会館といえば、その名を冠する岸清一さんは、現在放送中の大河ドラマ「いだてん」にも登場している。
 学生時代、渋谷は通学の乗換駅でもあり、一つの拠点にしていた。暮には東横百貨店(現在の東急百貨店東横店)の配送センターでアルバイトもした。近くの児童会館で昼飯を食べるのがおきまりとなっていたが、その児童会館も今はないらしい。渋谷駅のハチ公前は当時も待ち合わせのスポットとして有名だったが、今や世界的観光スポットとなったスクランブル交差点はまだなかった。スクランブル化したのは1973年か1974年だったと思う。余談だが、その5年ほど前に熊本市の子飼交差点が日本で初めてスクランブル化している。よく映画を見に行った渋谷パンテオンも今はない。東横線のホームから公開中の映画の立看板を見るのが楽しみだったがそのホームも地下に潜ったらしい。仲間とたむろした道玄坂周辺の喫茶店や食堂もほとんどなくなっているだろう。令和の時代になり、昭和はまた一つ遠くなりにけりである。


岸記念体育会館


渋谷東急文化会館の映画館「渋谷パンテオン」

山鹿三番叟 ~「第二回山鹿をどり」より~

2019-05-14 16:35:13 | 音楽芸能
 昨年の「第一回山鹿をどり」で初披露された「俚奏楽 山鹿三番叟」ですが、昨年はこの曲の直後に「舌出し三番叟」が演奏されたこともあり、やや印象が弱かった覚えがあります。しかし、今回じっくり聴きなおしてみますと、随所に本條秀太郎さんの細やかな心配りが感じられ、素晴らしい曲をプレゼントしていただいたことをあらためて実感しました。山鹿で永く唄い継がれることを願っています。


超満員となった八千代座


作詞・作曲:本條秀太郎
   作調:中村寿誠・中村花誠
  笛作調:藤舎元生
   振付:藤間珠寿恵
【立方】  藤間誠申・はつ喜月若・花童きみか・花童じゅの・麻生朱里
【地方】
  三味線:本條秀太郎・本條秀五郎・本條秀慈郎・本條秀英二
    唄:杵屋六花登・松永鉄文那・松永鉄文智・杵屋弥栄葉
    笛:福原洋音
   小鼓:鬼塚美由紀・花童ゆうあ・花童すず・藤田敬悟・荒木隆幸・山部拓斗
   大鼓:森香代子・竹田奈津子・木村葵・福原千鶴
   太鼓:望月美嘉・花童ここね

山鹿湯籠踊り ~「第二回山鹿をどり」より~

2019-05-13 16:12:26 | 音楽芸能
 昨日の「第二回山鹿をどり」の中から「俚奏楽 山鹿湯籠踊り」を取り上げてみました。これは山鹿に伝わる五つの古い民謡を本條秀太郎さんが、新しい感覚で俚奏楽として編曲、構成したものです。出端(でたげなたん)に始まり、「いらんせ」、「古調よへほ節」、「山鹿ねんねこ節」、「山鹿盆踊り」、「よへほ節」、そして入端で締めくくられます。本條秀太郎さんの演奏による「俚奏楽 山鹿湯籠踊り」はCD音源では何度も聴いていますがナマで聴くのは初めて。特に、今日、山鹿灯籠踊りでお馴染みとなった「よへほ節」の源流である「古調よへほ節」は、いかにもお座敷で唄われていた時代の雰囲気そのままの味わいがあり、山鹿の文化裏面史を見ているような感覚を覚えました。
 惜しむらくは、「山鹿ねんねこ節」の場面で、花道を照らすライトが真正面から当たって撮影を中断、その部分をカットせざるを得なかったのが残念です。




唄・三味線 本條秀太郎     踊り はつ喜流月若
  三味線 本條秀五郎        はつ喜流月乃
  三味線 本條秀慈郎        花童ゆりあ
  三味線 本條秀英二

「秩父山中 花のあとさき 最終章」ありがとう!

2019-05-11 20:39:03 | 音楽芸能
 10数年前に初めて見て以来、逃さずフォローし続けてきた「秩父山中 花のあとさき」シリーズの最終章が今日、BSプレミアムで放送された。ムツばあちゃんを始め、このドキュメンタリーに登場した多くの方が既に鬼籍に入られ、集落に住む人もいなくなった。だがムツばあちゃんの心は引き継がれ、花園となって今日も生き続けている。深い感動がよみがえった。人間とは?日本人とは?そんなことをあらためて考えさせられた。
 なぜか、アンドレ・ギャニオンの「ありがとう」のメロディが頭の中に聞こえてきた。




とつけむにゃあ!(その2)

2019-05-09 20:36:18 | 熊本
 玉名の妹の家へ行ったついでに、近くの金栗四三さんの旧居(池部家)を覗いてきた。昨年秋に前を通った時にはまだ見学できるようにはなっていなかったが、今ではすっかり観光スポット化している。案内ボランティアの方の話では連休中は賑わったらしい。もらったパンフレットの中にも「とつけむにゃあ」の文字が。
 大河ドラマ「いだてん」の中で度々使われる言葉「とつけむにゃあ」については、このブログの2月3日の記事に「篤敬(とっけい)もない」から来ているのではと書き込んだ。その後、これを確かめるべく、いろんな古い文献を読んでみたが、まだ納得できるような記述は見出せていない。しかし、2月3日の記事に書いたように「論語」に出て来る孔子の言葉「言忠信(げんちゅうしん)行篤敬(こうとっけい)」の他に、聖徳太子の十七条憲法の第二条に「篤敬三宝」(三宝すなわち仏・法・僧を篤く敬うべし)という言葉があり、戦前の文献にはこの言葉の引用が数多く見えることから、かつては「篤敬」という言葉は日本人に広く使われていたと考えられる。
 ちなみに、今日熊本などで言う「とつけむにゃあ」は「とんでもない」とか「途方もない」とかいうニュアンスだが、熊本には「とほむにゃあ」という言葉もあり、「とつけむにゃあ」という言い方はもともと「常識はずれ」というような否定的なニュアンスがあったのではないかと考えられる。


  ▼2月3日の記事「とつけむにゃあ!」


金栗四三・スヤ夫妻が永年暮らした池部家


四三とスヤの想いが込められた記念碑と夫妻のお墓

定家葛(テイカカズラ)の命運

2019-05-07 13:29:13 | 歴史
 今年も新坂の山側法面に、テイカカズラがその名の由来となったスキャンダラスな愛欲物語とは似つかわしくない可憐な白い花を咲かせ、甘い香りを漂わせている。この法面の上の家には、一時期、僕の同級生の兄上が一人住まいしていたが、家も解けたのか、いつからか姿を見なくなった。京町台は今やマンションが乱立し、かつて見られた樹木や植物がどんどん姿を消していく。このテイカカズラもいつまで見られるだろうか。



▼定家葛の名前の由来
 平安時代末期、式子内親王(しょくしないしんのう)を愛した藤原定家(ふじわらのていか)が、死後も彼女を忘れられず、ついにテイカカズラに生まれ変わって彼女の墓にからみついたという伝説に基づく能「定家」から付けられたという。


♪くまもと大邦楽祭 2019

2019-05-06 22:15:36 | 音楽芸能
 「くまもと大邦楽祭2019」が下記のとおり開催されます。
 邦楽祭のメインとなるのは「長谷検校記念 ~第25回くまもと全国邦楽コンクール~」です。

 このコンクールは、熊本市鍛冶屋町に生まれ、九州系地歌を全国に普及させた地歌三弦の名手・長谷幸輝(ながたにゆきてる)を記念して平成5年から始まったもので、邦楽界の第一線で活躍する若手邦楽演奏家の登竜門となっている極めてレベルの高いコンクールです。

 ◆日 時:2019年6月2日(日)10:00~
 ◆会 場:市民会館シアーズホーム夢ホール(熊本市民会館)


くまもと邦楽祭2017より


◆第25回くまもと全国邦楽コンクール

鶴岡市の伝統芸能と熊本

2019-05-05 22:13:28 | 日本文化
 ブログを通じて交流させていただいている「無題・休題-ハバネロ風味-」さんに山形県鶴岡市の伝統芸能が紹介されていました。今回紹介されていたのは鶴岡市山五十川地区に伝わる「山戸能(やまとのう)」と「山五十川歌舞伎(やまいらがわかぶき)」。「山戸能」の起源はなんと平安時代前期の貞観年間にさかのぼるといいます。観阿弥・世阿弥によって能が大成される500年以上も前のことです。一方の「山五十川歌舞伎」は江戸時代中期、宝永年間に始まったそうです。この二つの芸能は一緒に演じられる神事芸能で山形県指定無形民俗文化財となっています。
 鶴岡と言えば、加藤忠広公が寛永9年(1632)に改易となり、配流先となった地で熊本にもゆかりの地です。同じ鶴岡市の黒川地区に伝わる黒川能(国指定重要無形民俗文化財)は、2011年(平成23年)に清正公生誕450年・没後400年記念行事の一環として熊本へ招かれ、加藤神社境内で上演されました。またいつか再演されることを期待しています。


山戸能「船弁慶」

今年の高校総文祭パレードは…

2019-05-04 22:39:40 | イベント
 一年が経つのは早い。今月末にはもう県高校総体および総文祭が迫っている。毎年楽しみにしているのが熊本市の中心街を練り歩く高校総文祭パレードだ。今年は5月30日(木)に行われることが決まっているが、昨年はアメリカ遠征のため不参加だった玉名女子高吹奏楽部も参加することになっており、全国トップレベルのサウンドを間近で聴くことができる。ホールやスタジアムなどで聴く音とはまた違う迫力を楽しみにしている。






Oldies but Goodies 1964

2019-05-03 20:46:56 | 音楽芸能
 先日、このブログに11年前に投稿した記事にアクセスがあった。カナダの女性歌手、ゲイル・ガーネットが歌って1964年の大ヒットとなった「We'll Sing In The Sunshine」についての記事だった。投稿したこともすっかり忘れていたので、今また注目していただいたことがありがたかった。動画を再生しながら、この、僕が大学1年で東京オリンピックがあった年のことが懐かしく思い出された。当時、他にはどんな曲を好んで聴いていたのだろうと考えてみた。この年、ビートルズが日本の音楽界に登場した。最初の頃、気になる存在ではあったがハマるということはなかった。それより魅力的な音楽がたくさんあった。そんな中から、今日は、ゲイル・ガーネットの歌も含め、3曲選んでみた。

     ▼ゲイル・ガーネット「We'll Sing In The Sunshine」


     ▼マーサ&ザ・バンデラス「Dancing In The Street」


     ▼ミーナ「砂に消えた涙(Un buco nella sabbia)」

令和二日目

2019-05-02 22:27:21 | 熊本
 どんよりとした令和一日目とは打って変わって、今日は初夏の日差しが戻り、行楽地はどこも観光客でいっぱいだったようだ。ここ熊本城もいつにも増して多くの観光客で賑わっていた。二の丸広場や城彩苑ではいろんなイベントも開かれており、皆さんそれぞれに熊本の旅を楽しんでおられたようだ。耳をそばだてて会話を聞いていると、テレビなどで見た熊本城の石垣の崩落を実際ナマで見ると、その被害の甚大さにショックを受けたという話が印象に残った。


熊本城二の丸広場から天守閣を望む


熊本城新緑祭(熊本城二の丸広場)


坪井川園遊会(桜の馬場城彩苑)

令和元年五月一日

2019-05-01 23:08:47 | 日本文化
 毎月一日はわが家の氏神である藤崎八旛宮へお詣りに行くのだが、今日から令和元年ということで、午前中に藤崎八旛宮、午後に加藤神社へと二社詣りをした。藤崎宮の方は予想したほど参拝者は多くなかった。ところが、加藤神社の方は元旦を思わせるほどの混雑ぶり。参拝者の列と御朱印をもらう列とでごった返していた。この差はどこから来るかというと、加藤神社は熊本城天守閣復旧状況見物のコースともなっているため、ゴールデンウィークの観光客と令和元年参拝者とが合わさって賑わったようだ。下世話だが、日本全国でのお代替わりの経済効果たるや凄まじいものがあるに違いない。


藤崎八旛宮


加藤神社