徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

山形愛羽、国体も2冠達成!

2023-10-14 20:56:29 | スポーツ一般
 かごしま国体陸上は今日が2日目。熊本の山形愛羽選手(熊本中央高)が期待通りの快走を見せ、見事インターハイに続いて2冠を達成した。
 100mは予選・準決勝とも1位のタイムで決勝進出。決勝は彼女が狙っていた11秒4台にはわずかに届かなかったが、大会新記録の11秒50でまず制覇。ここまで既に3本走った彼女の体力消耗を心配したが、4本目の300m決勝は疲れを全く感じさせないタフな走りで他を圧倒した。しかもこれは高校記録。これまで何度か彼女の走りを競技場で見ているが、今日のレースの映像を見ながらあらためてその総合的な運動能力の高さを見せつけられた気がする。


300mの高校記録を示すボードの前での撮影を促される山形選手

   ▼少年A女子100m準決勝および決勝
決勝RESULT

   ▼少年A女子300m決勝

かごしま国体陸上が始まる!

2023-10-13 22:39:57 | スポーツ一般
 今日から「かごしま国体」の陸上競技が始まった。今日は早くも成年の男女100㍍などが行われ、男子では多田修平や山縣亮太、女子では兒玉芽生の復活が印象的だった。来年に迫ったパリ五輪に向けて良いステップになったと思われる。
 熊本期待の女子短距離、山形愛羽(熊本中央高)は、夏のインターハイ100㍍・200㍍の2冠に続き、今大会では女子少年Aの部で300㍍と100㍍の2冠に挑む。今日は300㍍の予選が行われ、難なく全体1位の記録で決勝へ進出した。明日は300㍍の決勝とともに100㍍の予選・準決・決勝も行われるので体力的な面が心配だ。
 なお、300㍍は国際大会では行われないが、400㍍走者を育成するための戦略的種目として国体で実施されているもの。

新堀のみなと

2023-10-12 21:43:54 | 歴史


 今日、千葉城町から磐根橋のたもとまで歩いて来た時、ふと思いついて下の県道への曲がりくねった坂道を降り始めた。途中で県道の向こう側に錦坂と暗渠化された坪井川の旧流路が見えたのでしばらく眺めていた。明治時代の一時期、ここが港だったなんて気づく人はまず居るまい。
 父の教員仲間だったI先生が師範学生時代の昭和10年にまとめた京町についての研究レポートがある。各種文献や地区の長老の話などをまとめたものであるが、その中にこんな記述がある。

――商業都市としての京町の本通りには遊郭が生じて、今の加藤神社(新堀)の所は坪井川の河江の港として、天草、島原よりの薪船等が、百貫の港のようにどんどん港付し、一つの港町として栄えたのである。ゆえに港町にふさわしい遊郭ができるのももっともである。――

 明治7年に錦山神社(後の加藤神社)が城内から新堀に遷座した時、下を流れる坪井川の舟客が錦山神社に登るために付けられたのが錦坂なのであるが、ほぼ同時に京町・新堀に公許の遊郭が開設され、京町・新堀は「聖と俗」混淆の町と化したのである。しかし明治10年に起きた西南戦争の兵火によって錦山神社は社殿を焼失、京町遊郭も焼失して再建を断念した。舟客が陸続と舟付けした新堀の港もわずか3年余という短い繁栄に終ったのである。
※右の写真は坪井川園遊会での舟運の再現イベント

藤田嗣治(レオナール・フジタ)の少年時代

2023-10-11 20:23:02 | 美術

「ここに藤田嗣治画伯 少年期を送る 明治27年~31年」

 久しぶりに出町・稗田町・池田町界隈を散歩した。稗田町の藤田嗣治画伯旧居跡はいつも必ず通過ポイントにしている。藤田画伯について書かれたネット記事などを読むと、よく画伯が熊本にいたのは「明治27年~31年」と書かれているのを見かける。おそらくこの石碑に「明治27年~31年」と刻まれているのを見てそう理解されているのだろう。実際には画伯は陸軍軍医だった父親の熊本鎮台赴任の明治21年(1888)に帯同し、明治32年(1898)までの10年間を熊本で過ごしているそうだ。「明治27年~31年」というのは石碑が建てられた場所にあった旧居に住んだ期間のことだ。
 画伯が熊本県師範学校附属小学校に入学したのは明治26年(1893)だが、ちょうどこの年に師範学校が藪ノ内から京町に移転したのに伴い附属小学校も京町に移転した。稗田町に転居したのは幼かった画伯の通学を考えてのことだったかもしれない。稗田町の家からは学校まで子供の足でも10分くらいで行ける。
 その熊本県師範学校附属小学校はその後変遷を重ね、現在は熊本大学教育学部附属小学校となった。藤田画伯は僕の大先輩にあたる。13年前、随分前から聞いていた附属小学校の校長室に飾られた藤田画伯の作品を一度見てみたいと思い、かつてこの学校にも勤めていた母を伴って校長室を訪ねたことがある。学校創立135年を記念して、大金を投じて修復を行なったという。1点は「ライオンのいる構図」の中の「男の像」(下の絵)で昭和3年(1928)の作。トレーシングペーパーに鉛筆で描きこまれている。もう1点は墨で描いた「女性像」(右上の絵)で昭和4年(1929)の作。なぜここにあるかというと、昭和4年(1929)9月、画伯は17年ぶりにパリから当時の妻ユキ(リュシー・バドゥー)を伴って帰国する。そして東京、大阪、福岡で個展を開いたが、福岡の会場に附属小学校の関係者が画伯を訪問。熊本に強い望郷の念を抱いていた画伯はその場で作品2点を母校に寄贈することにしたというわけだ。「女性像」の左上隅には
「為 記念 報恩 或寄贈 昭和四年十一月二十七日(誕生日)
 熊本縣第一師範学校附属小学校 小学校卒業生 藤田嗣治」
と書き込まれている。


赤い点線で囲った部分の下書きが附属小学校校長室に飾られている。

Heal The World ~Make a better place~

2023-10-09 21:26:36 | 音楽芸能
 先週土曜日に放送されたNHKBS1の「街角ピアノ スペシャル 角野隼斗 ニューヨークを行く」はなかなか感動的な番組だった。
 YouTuber「かてぃん」としても知られる気鋭のピアニスト・角野隼斗さんがニューヨークの路上ライブやジャズのセッションに初挑戦していた。中でも印象的だったのは、「9・11同時多発テロ」の現場であるワールドトレードセンター駅「オキュラス」コンコースの駅ピアノでは平和への祈りを込めてマイケル・ジャクソンの「Heal The World」の演奏を披露、駅に居合わせた大勢の人々から盛んな拍手が送られていた。
 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻は終わりが見えず、イスラエルとハマスは戦争状態、アルメニアとアゼルバイジャンもいまだ紛争が続くなど、世界の平和が脅かされ、毎日子供を含む大勢の命が失われている。MJがこの曲に込めた「Heal The World」や「Make a better place」が実現することを願うばかりである。


福連木の子守歌/五木の子守歌

2023-10-08 21:25:52 | 音楽芸能
 YouTubeマイチャンネルの「2023年1~9月動画視聴ベスト10」に「五木の子守唄」が初めてランクインしましたので、この唄についてあらためてご紹介します。

 父が天草の大矢野島(現在の上天草市)上村小学校に赴任した昭和10年頃、天草は大小100余りの島々に20数万人の人が暮らす貧しい地方でした。父の備忘録には、40名ほどのクラスの4分の3が、弁当に「かんちょ(上天草の言葉でさつま芋のこと)」を持ってきていたと記されています。当時はまだ「からゆきさん」の風習も残っていたほどで、家が貧しいために「口減らし」として八代や人吉方面などに子守奉公に出された少女たちも多かったといいます。天草下島の福連木(ふくれぎ)から子守奉公に行った少女たちが自らの不幸な境遇を子供に歌って聴かせ、自らをも慰めるため歌った「福連木の子守唄」がもとになって「五木の子守唄」ができたという説もあります。昭和28年(1953)に「五木の子守唄」がレコード化されたことによって全国的に有名となりましたが、「福連木の子守唄」は熊本県内ですらまだあまり知られていません。なお、福連木は天草下島を本渡から下田方面へ山越えする途中にある山村のことです。


桜の馬場城彩苑 ~花魁道中~

2023-10-07 21:38:14 | イベント
 今日からの3連休で熊本は本格的な秋のまつりが各地で始まり、熊本城・桜の馬場城彩苑では呼び物の「花魁道中」が行われた。前回に続き、一般公募で選ばれた花魁3名とそれぞれに付く妓夫太郎たちだけの縮小規模の花魁道中。今回からフル企画に戻るかと期待していたのでちょっと残念。前回同様、歌舞伎「助六由縁江戸桜」をモチーフとした演出で行われた。
 実際に熊本で「花魁道中」が行われたのは昭和10年3月から5月にかけて開催された「新興熊本大博覧会」の際、二本木遊郭で行われた記録が残っており、これが熊本最後の花魁道中だったのではないかという。

▼外八文字三様






2023年1~9月動画視聴ベスト10

2023-10-06 19:18:05 | 音楽芸能
 今年も4分の3が過ぎましたが、YouTubeマイチャンネルの「2023年1~9月動画視聴ベスト10」は次のとおりでした。
 今回のトピックスは「五木の子守唄」の初のベスト10入りでしょうか。熊本県五木村の民謡であるこの唄は「日本一悲しい唄」といわれ、再生回数が急激に伸びることはありませんが根強い人気があるようです。映像は12年前のもので可愛らしい踊りを見せている子たちも今年高校を卒業したか高校3年生になっています。

 サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。

1.伊勢音頭(26,051回)


2.おてもやん(23,151回)


3.幸若舞「敦盛」(19,225回)


4.南部俵積み唄(17,075回)


5.熊本民謡おてもやん(13,873回)


6.ひえつき節(13,771回)


7.かっぽれ(12,409回)


8.五木の子守唄(8,773回)


9.正調 田原坂(8,271回)


10.こわらべ ~ 京ものがたり ~(7,474回)

少女と地蔵尊

2023-10-05 22:47:23 | 
 今日、日中は秋らしいやわらかい日差しだったので2時頃から散歩に出かけた。新坂を下り、中坂との合流点から中坂を上って熊本城二の丸広場へ向かった。中坂を上り始めると10㍍くらい先をランドセルを背負った女の子が歩いていた。壺川小学校の3年生くらいと思われた。しばらく歩いていたが春木坂との分岐点あたりまで行った時、突然、反対側の専念寺の山門めがけて走り出した。何ごとかと思って近づいていくと山門脇の地蔵尊の前で土下座をしてお詣りし始めた。じっと手を合わせてお詣りする姿を僕はしばらく立ち止まって眺めていた。お詣りを終えて僕の方に歩いて来たので、「今日はもう学校終わったの?」と声を掛けた。こっくりうなづいた。「給食は食べたの?」とたずねると、またこっくりうなづいた。「今日は早く終わったんだね」というと「今日は学童だから」と答えた。学校は給食までで終わって、後は学童保育だったのかな、と勝手に想像した。「じゃあね」と言ってそこで別れたが、今どきお地蔵さんに土下座でお詣りなんて大人でも見たことがない。いったいどんな家庭の子なんだろうと思いながら歩いていた。


専念寺の地蔵尊

最近のテレビ番組から

2023-10-04 23:18:38 | テレビ
▼通潤橋
 先月23日、BSプレミアム「よみがえる新日本紀行」では「水のわたる橋 〜熊本県矢部町〜」を放送した。通潤橋(現山都町)の国宝指定にタイミングを合わせたものと思われるが、昭和49年放送の「新日本紀行」に、50年近く経った現在の状況を加えた内容だった。
 僕が仕事で矢部町や清和村や蘇陽町へ行っていたのは昭和43年頃だったが、必ず通潤橋でひと休みしていたものだ。昭和49年の放送は記憶にないが、画面を見ながら当時の通潤橋周辺の様子を懐かしく思い出していた。
 今から169年前、水源に乏しい白糸台地へ水を送るために石造りの水路橋を企画した惣庄屋の布田保之助や橋を築いた橋本勘五郎と石工集団には敬意を表するばかりだ。通潤橋が貴重な歴史的建造物として、そして現役の用水路として活用され、全国から観光客を集め続けることを願っている。



▼ジャズバンド
 昨夜放送された「芸能人格付けチェック」(テレ朝系)は面白かった。中でもジャズバンドの聴き分けチェックは芸能人たちの根拠のない自信にはあきれた。僕はBFJO(高砂高校)が大好きでYouTubeで数十本の動画を見ているので彼らのサウンドはすぐ分かった。プロのバンド「アロージャズオーケストラ」の演奏はさすがで、ヴォーカリストが歌い出しやすい優しい、文字通りイントロダクションが素晴しい。一方のBFJOはやはり音を立たせたいという若さが感じられた。すぐに聴き分けた松下奈緒さんはさすがだ。



BFJOの「Get In Line」

熊本の地下水量「琵琶湖の水の3.2倍!」

2023-10-03 19:10:16 | ニュース
 今日の熊日電子版で「熊本地域の地下水量は琵琶湖(滋賀県)の貯水量の約3.2倍に当たる」という記事が目についた。最新技術で推計したところ、従来の推計を大幅に上回り、約871億トンの地下水があるという。このうち約100億トンが、地下水に利用している地表に近い帯水層に貯留していて、残る約771億トンは深部の帯水層に存在するという。
 僕は彦根勤務時代、仕事で琵琶湖を何周もし、その広大さを実感していたので、その琵琶湖貯水量の3倍以上の地下水が熊本地域の下に蓄えられていると聞いて驚くばかりだ。
 熊本の地下水について、昨年4月熊本市で行われた「第4回アジア・太平洋水サミット」で、オンラインで参加された天皇陛下は記念講演の中で
「熊本市周辺は阿蘇山の噴火に伴う火砕流が降り積もってできた台地の上に立地しており、火砕流堆積物は水を通しやすいことなどから降った雨が良質な地下水となり、人口74万の熊本市のすべての飲料水を賄っています。人口70万を超える都市においてこのようなことを実現している例は世界でも稀です。」
と話された。
 こうした豊富で良質な地下水の恩恵は、ASO‐1からASO‐4までの大火砕流噴火によってできた地層はすきまに富み、水が浸透しやすい特徴を持っていて、100m以上の厚さで広く分布しているという。
 加えて約430年前、肥後に入国した加藤清正公が手掛けた多くの土木工事、治水・利水工事によって白川中流域(大津町・菊陽町など)に堰や用水路を築き大規模な水田開発が行われた。その後、代々の細川家にも受け継がれたが、白川中流域の水田は「ザル田」と呼ばれる水が浸透しやすい土壌で、大量の水が地下に浸透し、ますます地下水が豊富になったといわれる。
 しかし今、大量の水を使う半導体関連企業の集積による影響が懸念されている。年間に採取する地下水以上の量を涵養して行く必要があるという。


阿蘇の伏流水が湧出する水前寺成趣園(熊本市中央区水前寺公園・古今伝授之間)


水郷水前寺・江津湖湧水群の中に位置する成趣園は文化の発信基地でもある。


阿蘇の伏流水を集めて流れる加勢川の清流


「ASO-4」の第一帯水層の下に「ASO-1~3」の第二帯水層(ブラタモリ水の国熊本編より)


日本最大の湖「琵琶湖」(滋賀県高島市・白髭神社)

実りの秋

2023-10-02 21:21:14 | 季節
 今年も実りの秋を実感したくて七城町や菊鹿町の田園風景を見て回った。菊池川中流域に広がる田圃は黄金色に染まって壮観だ。コースの最後はやはり菊鹿町の「番所の棚田」まで足を延ばした。途中、好きなスポット「上内田神社」周辺の風景を見ようと畦道に車を停めた。2年前、同じ場所で高齢の農夫のおじさんと出会い、世間話をしたことを思い出した。当時84歳とおっしゃっていたので現在は86歳のはず。まだお元気に農作業をしておられるだろうか。
 最終目的地の「番所の棚田」は彼岸花が盛りを過ぎていたこともあって、毎年見ている目には随分寂しい風景に見えた。今年もまた休耕田が増えたようだ。農家の高齢化や後継者不足の厳しい現実と棚田というハードな耕作環境を聞いているのでやむを得ないとは思うが、14年前初めて訪れた時、この世のものとは思えないほど美しかった黄金と真紅の鮮やかなコントラストの棚田が鮮明に思い出され、年々、美観が衰えていくのが残念でならない。


上内田神社(山鹿市菊鹿町上内田)の鎮守の杜


今年の「番所の棚田」(山鹿市菊鹿町矢谷)

栗御こわとサイコドン

2023-10-01 21:47:28 | 音楽芸能
 10月朔日。わが家は朔日は原則として赤飯を炊く。今日は秋の味覚である栗を炊き込んだ栗御こわ。
 栗を味わいながら、やっと秋らしい気候になるのかななどと考えていると、ふと明治・大正期に流行った「さいこどん節」に、栗を歌った一節があったことを思い出した。


「はやり歌さいこどんどん 新板」(明治19年発行)より

〽人はみめよりナア 心ににしき
 栗は見かけに よらぬあぢ
 ズイトコキャ エカイデモ かまことない
 サイコドン サイコドン サイコドンドン
 ササ サイコドンドン

 つまり、栗は見かけは悪いが味の良さは格別。人も見た目ではなく内面で評価しなくてはいけないと唄う。しかし、別の意味もあるようだ。お座敷唄は決して品のいい唄ばかりではなく、艶歌も多かったのである。


   ▼「さいこどん節」の熊本バージョン「肥後の俵積出し唄」