徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

2024年に行くべき場所 “山口市”と藤野さん

2024-01-12 14:32:12 | 日本文化
 ニューヨーク・タイムズが世界の旅行先で「今年行くべき52か所」を発表し、「山口市」が3番目に選ばれたというニュースには驚いた。今から46年前、お隣りの防府市に住み、山口市にも行くことが多かった元山口県民としては、どういう基準で選ばれたのかわからないので、選者は山口市の良さを本当にわかっているのだろうかと少々疑問は残りつつも、とても喜ばしいニュースであることに変わりはない。
 そんなことを思っているとふと山口市在住の藤野さんのことを思い出した。藤野さんとは、コロナが蔓延する前、熊本の城彩苑わくわく座で毎月行われていた舞踊団花童の公演に、毎回山口市から日帰りで観に来られていた方である。僕のブログをご覧いただいていたこともあり、会場で初めてお会いして親しくなり、いつも一緒に公演を観ていた。
 急に藤野さんのお声を聴きたくなり電話をかけてみた。一時体調がすぐれないとおっしゃっていたこともあったが、とてもお元気そうなお声で安心した。しばらくのご無沙汰を詫びた後、「今年行くべき52か所」に山口市が選ばれたことについて感想をお聴きしてみた。藤野さんも同じく驚かれたそうだ。と同時に、今回のニュースではたして観光振興になるのだろうかといぶかしげな様子。昨年選ばれた盛岡市は観光客数がなんと8倍にもなったそうですよと伝えると、ちょっと信じられないというご様子だった。ただ、残念な情報として藤野さんのお宅からも見えるという観光スポットの国宝瑠璃光寺五重塔は屋根葺き替え工事が行われていてシートに覆われているそうだ。工事は2026年まで続くという。たしかに瑠璃光寺は人気スポットではあるが、西の京と謳われた歴史豊かな山口市は他にも観るべきところはたくさんある。きっと今までにないほどの観光客が訪れるだろう。


城彩苑わくわく座「舞踊団花童公演」の「お楽しみ抽選会」で当選した藤野さん(2018.12.24)

八代亜紀さんを悼む

2024-01-10 23:16:36 | 音楽芸能
 歌手の八代亜紀さんが昨年末に亡くなっていたというニュースは彼女の地元である熊本県民および八代市民には衝撃的だった。僕の妻なども年齢的に近いこともありかなりショックを受けたようだ。八代さんは歌手としてだけでなく、画家として、また地震や豪雨災害などの被災者に積極的な支援活動を行ってきた方として広く知られており、あらためてその存在の大きさを認識させられる。
 彼女の歌で最も好きな歌は「舟唄」だったが、訃報を聞いた時、最初に浮かんだのはなぜか「男はつらいよ」だった。渥美清の歌としておなじみの映画「男はつらいよ」の主題歌を彼女が歌ったのは山田洋次監督「男はつらいよ」シリーズ49作目「男はつらいよ~寅次郎 ハイビスカスの花・特別編」だった。この映画は平成9年(1997)に製作されたが、その前年に寅さんを長年演じた渥美清さんが亡くなっており、この特別編製作にあたって山田洋次監督はあえて主題歌を八代さんにオファーされたと聞いている。映画自体はその17年前に公開された第25作のリマスター版に新しい場面をいくつか追加したものだった。僕がこの映画の特に印象深いのが、新しく追加された場面で、成人した満男(吉岡秀隆)がセールスの仕事の旅先、駅のホーム(東海道線 国府津駅)で缶ビールを飲みながら「会いたいなあ、伯父さんに」と思っていると、線路を挟んだ反対側のホームに旅姿の寅さんの姿が見え、電車越しに手を上げるというCG合成の渥美清がよみがえるシーンだ。僕は個人的にこの国府津駅に思い出があるので特に印象深かったのだろう。そして八代さんの主題歌。渥美節とはまた一味違う八代さん独特の節回しが印象的だった。

謹んで八代亜紀様のご冥福を心からお祈り申しあげます 安らかにお眠りください 合掌


見どころ聴きどころ ~花見踊り~

2024-01-09 21:00:28 | 音楽芸能
 今月28日(日)熊本市の国際交流会館で行われる「第57回熊本県邦楽協会演奏会」でトリを飾るのは「蓑里会・うらら会・花と誠の会」共演による「花見踊り」です。杵屋五司郎先生や杵屋六花登先生を始めとするそうそうたる地方の先生方の演奏に舞踊団花童が舞う舞台は見ものです。
 「花見踊り」とは正式名称は「長唄 元禄花見踊」といい、花見の名所で知られる上野の山の華やかな花見風景を描いた長唄です。作られたのは明治時代に入ってからですが、上野が桜の名所となったのは、三代将軍徳川家光の頃で、元禄時代(1688-1704)には、数ある江戸名所の中でも随一の人気を誇るスポットになっていたそうです。
 元禄時代といえば、近松門左衛門、井原西鶴、松尾芭蕉といった文化人を生んだ「元禄文化」の花が一挙に開いた時代。この「元禄花見踊」にもそんな豪華絢爛な時代の空気がよく表現されています。ちなみに元禄時代の肥後熊本藩は第三代藩主細川綱利の時代で、赤穂浪士の討ち入りもこの時代です。


どんどや

2024-01-08 19:14:44 | 日本文化
 今日はわが町壺川校区の正月恒例「どんどや」が京陵中学校のグラウンドで行われた。今年で51回目だそうである。消防団の皆さんが青竹で組み上げた櫓の前で、加藤神社宮司による神事の後、櫓に火が入るとたちまち紅蓮の炎が駆け昇る。門松や注連飾りが燃える炎とともにお迎えした歳神が真っ青な空へと還って行く。毎年繰り返される感動の瞬間だ。

 

【どんどやの由来】
 どんどやの歴史は古く、今から約1000年前(平安時代)の記録に、三毬杖(さぎちょう)、左義長として知られ、これは宮中に於ける正月の年中行事で、三本の竹や木を組んで三脚にし、その上で、かがり火のように火を燃やした。
 後年、宮中では正月十五日に清涼殿の東庭で天皇の吉書を焼き、それに扇子や短冊などを添えて焼いたが、その間、童が棒を振ったり、大鼓、鉦鼓を打って歌い囃して舞った。
 また、この火祭りの行事は、日本中の極めて広い村や部落でも行われ、その呼び名も所によって、ドンド焼、サギチョウ等と様々であるが、人々はこの火を神聖視し、大きな力をみとめて次のような風習が信じられてきた。
1.年の初めに迎えた“年の神”を門松や注連飾りを燃やして、天へ送り返す。
2.この火で暖まると、子供達は益々元気に、老人は益々若返る。
3.この火に書初めを燃やし、その燃えさしが天高く揚がると手の上がるしるしとして喜んだ。
4.この火で餅や団子を焼いて食べると年中病気しない。
以上
 今年で壺川校区の「どんどや大会」は51回目になりますが、この日本古来の伝承的火祭りの行事を末永く、子供達に伝え、青少年が心身共に健全に育成され、豊かな人間になることを願っております。
(壷川校区どんどや実行委員会)
童謡「左義長(さぎちょう)」北原白秋(赤い鳥 大正14年1月号)
(※歌詞は13番まであります)

「光る君へ」を見ながら

2024-01-07 21:58:05 | ドラマ
 今日から始まった今年の大河ドラマ「光る君へ」を見たが、登場人物が多く、しかも藤原だらけなので、まずは人物を識別するのに精一杯といったところ。
 それはさておき、見ながら思ったのは、この時代に肥後国司として赴任した人の中にもドラマの登場人物ゆかりの人がいる。まずは清原元輔(きよはらのもとすけ)。「枕草子」でおなじみ清少納言の父である。清少納言は一条天皇の中宮・藤原定子に仕えた。元輔は肥後や周防などの国司を務めて都を離れていた期間が長いのでドラマには登場しないだろう。もう一人は藤原保昌(ふじわらのやすまさ)。この人は武勇に秀で、道長四天王とも称されているので登場してもおかしくない。また和泉式部への恋を成就するため、紫宸殿の紅梅を手折って北面武士に射かけられるという武勇伝も残っている。まだ登場人物リストにはあがっていないが、そのうち登場する可能性がある。

名店と女将

2024-01-06 22:50:24 | 歴史
 3年ほど前、フォローさせていただいているブログ「水前寺古文書の会」さんの「明治42年頃の熊本の遊びどころ」という記事の「料理屋 附 待合」の部には、当時の人気店が23店舗ほど紹介されていて、その中になんと、今のわが家の隣りに「一休」という料理屋があったことに驚いたことを書いたことがある。
▼「水前寺古文書の会」さんの記事内容 
 一 休  京町2丁目132番地 電話158番 女将 森しげ子
 開業日猶浅しと雖も、眺望の絶佳なると、土地の閑静なると、包丁の美なるとを以て次第に盛名を博せり。地は京町の高台に在るを以て望界甚だ広く、居ながらにして遠くはあその噴火より近くは竜田の翠色坪井の万甕を眸裏に収め、眺望の佳なる此の楼に及ぶものなし。女将は西券でならした芸娼お繁といふ女宰相なり。得意料理は木の芽田楽。

 わが家の旧番地は「京町2丁目131番地」。つまりお隣さんというわけだ。この料理屋のことをくわしく知りたいと思い、いろいろ手を尽して調べたのだが、いかんせん115年も前のこと。知っている人はもちろん、書かれた史料も見つからない。47年前に他界した祖母は何か聞いていたかもしれないが、つれあいを亡くした祖母が小学生の父と叔父を連れて今の家に越してきたのは大正時代の終わり頃。料理屋のあとにはYさんという地主さんが既に「八景園」という茶店を出していたらしい。
 この料理屋「一休」の女将は西券でならした芸娼お繁とあるが、西券というのは二本木遊郭内にあった西券番のことで、「明治42年頃の熊本の遊びどころ」の中に次のように紹介されている。

 この券番は芸妓の線香所又は集会所といふを当れりとす。即ち芸妓一同の申し合せを以て組織せるものにして、別に営業主なるものなし、此券番に於て寧ろ芸妓が主にして券番は従たるなり。同券は前にも記せる如く、歴史の古きと、名妓と美姫とに富むを以て毎夜箱切れの有様なりといふ。

 つまり、芸妓たちが主体的に運営していた券番で、才色兼備の芸妓が多かったようでお繁もその中の一人だったのだろう。


松囃子と和泉式部

2024-01-05 23:22:31 | 古典芸能
 今日やっとわが家の氏神様である藤崎宮に初詣をした。この日にしたのは正月恒例の松囃子が行われるからでもある。わが家族の息災を願うとともに能登半島地震や航空機事故の犠牲者の鎮魂の想いも込めて参拝した。
 能楽殿での松囃子で喜多流狩野家四代の祐一さんが舞囃子「東北(とうぼく)」を舞った。松囃子は神事だからアナウンスもないしパンフレットみたいなものもないので本当に「東北」だったかどうか定かではない。ただ地謡に「和泉式部」というフレーズが何度か出てきたので「東北」だったのだろう。見ながらふと今年の大河ドラマ「光る君へ」のことを思い出した。和泉式部は主役の一人藤原道長の娘彰子に仕えていたのでドラマに登場してもおかしくない。しかしいまだに登場人物の中に和泉式部の名はない。エピソードの多い人物だから話がややこしくなるのであえて登場させないのか、あるいはどこかで効果的に登場させるのか、展開に注目だ。


藤崎八旛宮


能楽殿での松囃子


狩野祐一さんが舞う「東北?」

梅の蕾

2024-01-04 20:41:18 | 
 母を病院に見舞った後、久しぶりに二の丸周辺を散歩した。護国神社の前にさしかかり、鳥居の前で一礼して通り過ぎようとしたが、せっかく通りかかったのだから参拝して行こうと思い直した。実は今年はまだわが家の氏神である藤崎宮も地元の加藤神社にも初詣をしていないことが引っ掛かっていたからだ。どうせ後日お詣りするのだから順番は気にしないことにした。
 お詣りを済ませて境内の早咲きの梅の木を見上げると紅梅の蕾がだいぶ膨らんでいた。春はもうすぐそこまでやって来ていることを実感する。

   年こゝにあらたなる梅の蕾哉(正岡子規)






三が日の最終日は雨

2024-01-03 19:24:28 | 
 年が明けたとたん、大地震や大事故のニュースで正月気分はどこかへ吹っ飛んでしまった。今日も入院している母を見舞いに行くつもりだったが、妹夫婦が替わって行くことになった。それじゃ、ということで桜の馬場城彩苑でやっている「熊本城坪井川園遊会~新春の宴~」が今日最終日だったので見に行った。
 雨の中、城彩苑は大勢の観光客で賑わっていた。今日出演の舞踊団花童は4曲踊ったが出演者は花童あかりと花童はるかの二人だけ。終演後、主宰者の中村花誠先生に新年のご挨拶に行くと「メンバーがみんなインフルエンザにかかって…」とおっしゃっていた。学校ではインフルエンザが流行っていると、かかりつけ医から聞いてはいたが、こんなところにも影響が出ているとは。さりながら、1時間弱の舞台を二人だけでもたせた成長著しさに感心した。




2023 年間動画視聴ベスト10

2024-01-02 12:00:01 | 音楽芸能
 2023年のYouTubeマイチャンネル総視聴回数は 528,993回でした。
 ご視聴いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。
 そして1年間に視聴された動画のベスト10 は次のとおりとなりました。
 2021、2022と連続してトップを占めた「幸若舞 敦盛」に替わり、「伊勢音頭」が再び勢いを盛り返しました。
 「伊勢音頭」は各種文献にも、その発生、発展や伝播の歴史などから民謡の代表曲の一つとされていますので当然の結果ともいえると思います。

 サムネイル画像をクリックしていただきますと動画を視聴いただけます。

1.伊勢音頭(38,492回)


2.おてもやん(29,951回)


3.南部俵積み唄(23,857回)


4.幸若舞「敦盛」(23,793回)


5.ひえつき節(18,151回)


6.熊本民謡おてもやん(17,888回)


7.かっぽれ(15,785回)


8.五木の子守唄(11,238回)


9.正調 田原坂(11,001回)


10.こわらべ ~ 江津湖音頭 ~(9,513回)

新年のご挨拶

2024-01-01 16:23:11 | 
 あけましておめでとうございます
 本年もどうぞよろしくお願いいたします

 年末に入院した母を見舞うことがメインの三ヶ日になりそうで、初詣はもうちょっと先になると思われます。


湧くからに 流るるからに 春の水(夏目漱石 明治31年)

水前寺成趣園を訪れた漱石が、阿蘇の伏流水である清水がこんこんと湧き出て流れて行くさまを詠んだ句です。漱石もきっとこんな風景を眺めたことでしょう。