“何から読もうと さまよっていた時に
ポール・オースターが 映画「スモーク」の脚本を書いていることを知った。”
1995年秋
「ガーデンシネマ1で 『スモーク』をみる。帰り、須賀敦子買う。」
コンパクトダイアリーには そんなふうに書き込んであった。
20年後の レンタル再生。
あれ?こんなに面白い作品だったっけ。だいぶ違う感想となった。
だいたいにおいて20年前は たしかウィリアム・ハートが気になって見に行ったのだ。
ハーヴェイ・カイテルなんて知らなかったし。。。
最近気になった言葉、アホになれんやつがほんまのアホや を
どうしてだか伴走のように思い描きながら再生した。
関西の人も背負ってるものが大きくて大変なんだなあと
改めて考え込んで(←そこまで(?_?))いたので。
それぞれの地に アホになる日々 は あって、
それが ブルックリン界隈では どんなふうにあらわれているのかなあ、なんて
余計なお世話的な見方をしていった。
「スモーク」の登場人物もそれぞれに持ったり持たされたりしているものがあり、
その先どう収めるのか収まらないのか
ほとんどが悩み事のはずなのに おとぎ話のように感じるのはなぜなんだろうと思いながら見た。