雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話-49

2007-04-09 06:01:53 | カワサキ単車の昔話
もう何年もBMWに乗っている。私の唯一の贅沢みたいなものである。

BMに乗ったきっかけは、浜脇さんがBMWジャパンの社長になって、何人かの人がカワサキから異動した。
その中の一人に中田譲君という仙台時代一緒に仕事をしたのがいて、彼に薦められたのが直接の動機である。

そんなことで、その後ずっと乗り続けているのだが、昨年明石のBMWのショールームに遊びに行ったときに、浜脇洋二さんの書かれた「45歳までにあなたもトップになれる」と題した本を頂いた。

もう引退した身で今さらトップにも興味がなくそのままにしていたが、つい先日Z1会のコンペに浜脇さんが参加されることになって思い出して読んでみた。


浜脇さんは私より3~4年先輩で、私の入社当時は本社の経営企画におられた。
その頃はまだ本社も明石にいて、事務所の同じ階にいたこともありよく知っている。

碁が強かったし、話が面白かった。とにかくスケールが大きかった。
この本の物語はこの頃のことから始まっている。

当時の川崎航空機は明石工場がもともと航空機のエンジン製作をしていたことから、エンジンの活用が柱で井関への農発エンジンや、マツダなどへのミッション供給など、その中の一つにメイハツ工業へのバイクエンジンの供給もあったのである。

戦後の復興期で近代化が着々と進みバイクの需要もうなぎのぼりの時期だった。

日本のモータリーゼーションの到来を予見して「カワサキのエンブレムをつけたクルマを走らせたい」という夢。

そのクルマとは、二輪ではなく四輪だったのである
私が入社した昭和32年(1957)ごろの話である。

確かに、岐阜工場を巻き込んでの四輪製造の話はあった。

カワサキのZ旗であるという意味をこめて「KZプロジェクト」と名づけられたプロジェクトであったが、
事業化の検討に入った頃に三菱500やマツダ360の販売開始があった。
この出遅れが致命的で昭和34年(1959)にこのプロジェクトは中止が決定するのである。

この乗用車プロジェクトで、下から旗を振ったのが浜脇さんであったことはこの本ではじめて知った。

浜脇さんは、その後本社の調査課でブラジル市場などの調査を担当したが事業としては実現せず、アメリカでのモーターサイクル事業展開に三度目の夢を託すのである。

その頃からは私の記憶にも鮮明に残っている
本当に昔話であるが、何事も最初に井戸を掘るときの話は面白いのである。
昔を一緒に楽しんでみたい。


つい先日、こんな浜さんと久しぶりに会っていろんな話ができ、ゴルフを楽しめたのは良かったと思っている。



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