雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

カワサキ単車の昔話-53

2007-04-17 05:59:14 | カワサキ単車の昔話
何事もいいことばかりがずっと続くことはないのである。
企業の経営環境もいつどう変るか解らない。

あれだけ好調に業績を伸ばしたアメリカ市場であったが、
1973年のオイルショックで需要そのものが大きく後退した上に、為替の変動相場制への移行で円高の荒波が押し寄せたのである。

固定相場時代の1ドル360円から、300円を割ることがたびたびとなり、77年には240円、その後一時170円台になったりした。

為替変動の事業に与える影響の凄まじさは、直接責任を持った立場で経験した人でないと幾ら口で説明しても解らないと思う。

丁度その頃、私は販社から76年に企画に戻ったのだが、為替が大変で事業部長などKMCとの値上げ交渉に明け暮れていたのは知っていたが、その痛みは本当のところ、そんなに解らなかった。


後に企画を担当したときに200円を割る円高に直面したが、その時は身に沁みてその怖さが解った。
当時のカワサキのレベルでも1円の変動で8億円ぐらいの利益変動になるのだから、10円で80億、50円も変動したときがあったが実に400億円の利益が減少するのである。


70年代の為替は360円から100円以上の変動であったので少々の経費対策などではどうにもならなかったのはよく解った。

事業部としてはアメリカ一辺倒から、ヨーロッパと共にCKD市場の東南アジア対策として市場開発室を新たに組織しその対策を開始したのが丁度この頃77年のことであった。


65年ごろからアメリカ市場開拓を開始し、
部品会社の設立、現地直販会社KMCの設立から更にリンカーン工場の建設、
A1,H1、Z1とカワサキの二輪事業の基礎を築いた素晴らしい発展の時代であった。
ジェットスキーもこの時期に販売が開始されている。

丁度この時期12年間アメリカで活躍された浜脇洋二さんは、後半の経営環境の激変の中で、勇躍凱旋というわけにはいかなかったのだが、
この時期の業容の拡大がカワサキの単車事業のその後の基盤になったことは間違いないと思う。


特に75年からの10年間は激変の時代で、中長期計画の検討が頻繁に行われ、私も企画部門にいた期間もあり、幾つもの計画の策定に従事した思い出多い懐かしい時代であった。


浜脇洋二さんの書かれた「45歳までにあなたもトップになれる」を参照しながらシリーズでこの時代のことに触れたが、一応ここで区切りとしたい。
昨日、ご本人からメールを頂いた。先日ゴルフでお会いできたし、何かのご縁があったのだと思う。
会社の仕事では特にご一緒する機会もなかったのだが、私は個人的に、浜脇さんのファンなので今後ともご指導を頂きたいと思っている。


コメント
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