雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

ジェットスキー開発物語

2007-04-18 06:14:54 | ジェットスキー&KAZE
ジェットスキーはカワサキが商標登録した商品名である。

この商品は現在はモーターサイクルと一緒の所管になっているが、
単車と発動機とが別事業部であった時代は、発動機の商品として開発され販売をアメリカのKMCが担当をするという時代が永く続いた。

手元に、1988年10月に当初開発を手がけられた田中秋夫さんが纏められた「ジェットスキー物語」がある。

その冊子から、開発の経緯を簡単にご紹介したい。

田中さんが、谷本君とアメリカに市場調査に出張された1068年5月、ミシガン湖でSEA DOOのジェットボートを見たときに開発の着想がスタートしている。

当時、スノーモービルのエンジンを開発中で、そのエンジンを改造してジェットボートが造れないかという発想であったようである。

1970年4月に研究が開始され、エンジンは何とかなったが,舟艇の形状でいろいろ苦労していた矢先、KMCのR&Dの斉藤君のところにアメリカ人のジェイコブソンがジェットボートのコンセプトの提案があった。

1971年6月のことである。
そして彼とコンビを組むことでジェットスキーの開発は本格的に進んでゆくのである。

ジェイコブソンの原案は独特のものであったが、当初目論んだ要求特性の大半を満たせるものであったようである。

設計試作には、後単車の工場長や建機も担当した藤浦さんなどが加わって、KMCのR&Dでジェイコブソンと協力して続けられ71年の11月に試作1号艇が完成している。

アメリカでのテストを続けた後、最後の商品化業務は国内で行うこととしテストを続けたのち、72年10月に待望の量産試作艇が完成し翌73年2月にジェットスキーという独創的な商品が完成したのである。

5月からは明石で生産されたジェットスキーがアメリカに向けて出荷が始まっている。

その後、75年にはアメリカのリンカーン工場の稼動で、アメリカ生産が開始された。
その後アメリカでのみ7000台/年の安定した販売賀続いたが、80年ごろからは国内でも逆輸入での販売が極僅かではあったが始まった。

急激に販売が伸びだしたのは、エンジンを440,550ccにボアアップした83年ごろからであり、一挙に20000台を越える販売となり経営を支える主力商品に成長したのである。


私も知らなかったが、1988年に全国発明表彰が行われ、ジェットスキーが通産大臣発明賞を受けている。

発売後、15年目の受賞であり、丁度その頃から日本のマリンスポーツレジャーが本格的に始まったと言えるのだろう。

今は、ヤマハさんの参入もありレース活動なども定着して、日本のマリーン文化の一翼を担っている。
まだまだ若い商品と思っていたが、開発当初からみるともう40年近くにもなるのである。




昨日、川重相信会のパソコン同好会のメンバーにブログの解説を頼まれて、出席した。そのメンバーの中に私と同期で、ジェットスキーの開発当初から色濃く関係した藤川哲三君もいた。

440,550ccにボアアップした開発は彼が直接手がけたそうである。
以前にこのブログでも触れたことのある、日本のジェットスキー界の有名人、福井昇君は藤川君の下にいたのを同期のよしみで単車に貰い受けに行きOKしてくれたのも藤川君である。

ちなみに,この件では当時発動機の企画室長だった柏木茂さんに「闇取引をしやがって」と怒られた。覚えておられるだろうか。その柏木さんも昨日のパソコン同好会に出席されていた。

このジェットスキー物語についても帰りに車の中で話に出た。冒頭の田中さんと谷本君の話も覚えていた。

昨日の今日だから、多分この項はお二人ともお読みになると思ったので、パソコン同好会以降は今朝書き足して発信する。

昨日お話したように、これにコメントするのは簡単です。
コメント (2)
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