雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

写真の貼り付け練習

2008-02-13 15:27:42 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram
ジーン景虎さんのブログに、

同じgooなのにどうすればこんなに上手く写真の貼り付けができるのかと、コメントしたら、2度も丁寧な説明のメールを頂きました。
その練習の成果です。




今朝の三木防災公園は1℃の寒さでした。
向こうに見える丹生山は雪で頂上は見えません。





そんな寒い朝でしたが、サッカー場では練習が始まっていました。
ひとめ動きを見ただけで、強いチームと解るような練習風景でした。
名前を聞いたのに忘れてしまいましたが、兵庫県でJFL入りを狙っているチームということでした。



3枚目は、三つあるコートの端から、メインスタンドを眺めたところです。
メインスタンドのコートを入れて、こんなサッカーコートが五つもある贅沢な環境です。
そんな周辺を毎朝、歩いています。


gooに連属して写真の貼り付けが出来ました。
ジーン景虎さん、有難うございました。半日掛かりましたが。




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南大門

2008-02-13 04:52:42 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚
ソウルの南大門が焼失してしまった。

今の韓国には1歳のときから、ソウルには6歳ぐらいから中学1年まで住んでいた。
当時京城といわれたソウルのまちはよく覚えている。

当時は、ハンガン(漢江)より北が中心で南山、北漢山と呼ばれる間に中心地があった。
まちは近代的で非常に綺麗だった。

当時、日本一と言われた神戸の市電よりも、こちらの市電のほうが数段綺麗だし立派だと、子供心に思ったりしていた。

そんな近代的なソウルのまちの中で、南大門はひときわ目立った存在であった。
東大門と並んで有名であったが、南大門のほうが市の中心部に位置していて目立っていたように思う。



そんな少年時代、その頃の明石も神戸もよく覚えている。

本籍の、生まれ故郷の明石は、戦時中の空襲でその殆どが焼失して昔の面影は残っていない。
須磨、明石と並び称された中崎海岸の松林のことなど、話をしても通じる人たちは少なくなった。

いまは、コンクリートで固められ、松林のあたりは市役所との間の幹線道路になっている。

ソウルオリンピックのときに一度だけ韓国を訪れた。
ソウルもいまはハンガンの南も開発されて、昔の空港には今国会議事堂が建って中心になっていた。

みんな変わってしまう中で、昔の面影を今にとどめていた、東大門、南大門。


よく覚えていた故郷の思い出のひとつが、
消失する様をただ茫然とテレビで、眺めていた。

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