OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

Real-Time Management (「企業価値の源泉」より)

2005-06-26 23:33:04 | 本と雑誌
(p132より引用)顧客保持の戦いはイベント駆動型のものであり、迅速で的確な反応が要求される。・・・たとえば、ワイヤレス電話の解約。もしそのワイヤレス電話会社が顧客の意思を変えたいならば、24時間以内にコンタクトをとらなければならない。・・・感化される可能性のある顧客全ての内四分の三が、解約をした後の最初の24時間以内に感化を受けるのである。48時間後以降は、コンタクトしてもほとんど意味がない。・・・多くの企業が好むもう一つの顧客保持のアプローチは、よりきっちりと顧客を企業に縛り付けるために計画されたロイヤルティ・プログラム、もしくは特典プログラムと言われるものである。


 CRM(Customer Relationship Management)の中でのcustomer retention施策についてです。

 前者は、「刺激・反応(stimulation→reaction)型」、後者は、「計画・実行(plan→action)型」です。

 計画・実行型は、従来から結構慣れ親しんだ行動様式で、「PDCA」とか「PDS」といったマネジメント手法としても身近なものです。

 他方、「刺激→反応」というとあまり良いイメージはありませんでした。ある外部からの刺激を受けると何も考えずに短絡的に軽率な行動を起こしてしまう、これではダメ・・・という論調です。
 ただ、アクションまでの間に時間的な余裕がある場合ならともかく、今日のように、何か起こったとき即座の対応がないと後手を踏んで致命的になる場合や、じっくりと計画を立てても環境の変化が速くかつ大きすぎて(計画自体が)すぐに陳腐化してしまうような場合は、「刺激に対して『的確に』反応すること」が重要になります。

 Real-time Managementを目指すかどうかは、この「刺激・反応(stimulation→reaction)型」の行動様式をどれだけ重視するかによるのです。

 引用の最初の例では「刺激」は「解約情報」です。この刺激を受けて電話会社は「反応」し、顧客に対して24時間以内に「コンタクト」するという図式です。

 この例では「解約情報(=刺激)を受けてから24時間以内」という即時性がポイントになります。スタートは「刺激の感知」です。「刺激=解約情報」は、明確にお客様から企業に対して意思表示(解約の申し出)があるわけですから、それをリアルタイムに感知するのは簡単だと思うかもしれません。が、現実はそうでもないのです。
 受付システムの処理がバッチ型になっていると折角の情報がシステム内で一晩寝ることになるかもしれません。また、解約情報が代理店でも受け付けられるのあれば、代理店からの連絡手段がリアルタイム型でないと(電話会社としては)即座には感知できません。

 このようにReal-time Managementを本気で志向するのであれば、関係プロセス全ての見直しとそれを前提に具現化されたリアルタイム志向のIT(Information Technology)基盤整備が必要不可欠になります。
(Real-time Managementを志向したIT基盤の実例としては、NTT DoCoMoのDREAMS(DoCoMo REAl-time Management System)が挙げられます)

 最後に1点、注意ですが、今まで「刺激・反応(stimulation→reaction)型」と「計画・実行(plan→action)型」を対立概念のように書いてきましたが、必ずしもそうではありません。刺激・反応型は、計画・実行型を極めて短いサイクルで回しているという側面もあるのです。
 これもReal-time Management を志向したIT基盤の具体的な実現機能のひとつです。すなわち、関連プロセスをシステム的に密結合にし、その中の情報の流れを高速化させるのです。

企業価値の源泉―グローバル企業に学ぶ競争優位の情報戦略
日本NCR株式会社
翔泳社
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引き際 (「夢を力に」(本田宗一郎)より)

2005-06-24 00:14:40 | 本と雑誌
(p104より引用) 私はずいぶん無鉄砲な生き方をしてきたが、私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そしてその実を結んだ1%の成功が現在の私である。その失敗の陰に、迷惑をかけた人たちのことを、私は決して忘却しないだろう。


 本田氏の人間的な魅力が凝縮した言葉です。
 自分を大事にせよと語る本田氏は、それだけ周りの人を大事に思っていたのだと思います。

(p104より引用) 人生というものは、最後まで行かぬと成功だったか失敗だったかはにわかに断じ難いものである。・・・人間の一生も功と罪とで評価すべきで、私の死んでから受ける評価が、ほんとうの「私の履歴書」であろう。


 少なくとも藤沢武夫氏は、本田氏に最高の評価を贈るでしょう。

 あまりにも格好の良すぎる二人のやりとりですが、あの二人ならさもありなんと思えるのです。

(p174より引用:藤沢武夫氏) 退任が決まった後のある会合で、本田さんと顔を合わせた。ここへ来いよ、と(本田さんに)目で知らされたので、一緒に連れ立った。「まあまあだな」と言われた。「そう、まあまあさ」と答えた。「幸せだったな」と言われた。「本当に幸せでした。心からお礼を言います」と言った私に、「おれも礼を言うよ。良い人生だったな」とのことで引退の話は終りました。


 藤沢氏は、自分の引退が本田氏の引退の引き金になったこと、そして、本田氏が自分がやめると(自分とともに)引退するであろうことに気づかなかったことを本心悔やんでいました。

(「経営に終わりはない」(本田宗一郎)p226より引用) 私は本田宗一郎との二十五年間のつきあいのなかで、たった1回の、そして初めで終わりの過ちをおかしてしまいました。本田は私のことを聞くとすぐ、「二人いっしょだよ、おれもだよ」といったそうなのです。ほんとに恥ずかしい思いをしました。

 

本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
本田 宗一郎
日本経済新聞社


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武士道 (新渡戸 稲造)

2005-06-22 23:08:47 | 本と雑誌

 新渡戸稲造氏については、恥ずかしながら先の5000円札の肖像になるまでは多くを知りませんでした。

 新渡戸氏の代表的著書『武士道』(BUSHIDO THE SOUL of JAPAN)は、日清戦争と日露戦争とのはざま1900年(明治33)に初版が出版され、アメリカでベストセラーになる他、多くの国でも翻訳され広く読まれました。

 新渡戸氏は、日本の古来からの精神的支柱ともいうべき「武士道」の解説をもって、真正面から日本の精神性の高さを論じています。しかしながら、

(p138より引用) 他方、我が国民の欠点短所に対しても武士道が大いに責任あることを承認するのは公平である。


 と、武士道が影響した日本人の行動・学問・精神上の欠点等についてもフェアに開襟しており、このあたりもこの著作が諸外国にても高く評価された一因でしょう。

 その論は英文をもってなされ、その論旨は日本のみならず広く西欧思想への深い造詣をもとに進められています。また、ところどころに顔を出すウィットに氏の博識と批判精神が光ります。

 著作は全17章からなりますが、それぞれの章の締めは意識して次章へのイントロダクションの役割も担わせており、氏のロジカルでもあり律儀とも言える構成力が見て取れます。

 この著作は、当時の西欧社会における日本理解及び日本の後進性に対する反証に大きく寄与しました。これは著作自体の質の高さもさることながら、英文にて深い西欧知識も踏まえての論陣を張った「新渡戸稲造という超一流の進歩的国際人の存在」によるところが極めて大きいのです。

武士道 (岩波文庫 青118-1)
矢内原忠雄訳,新渡戸稲造
岩波書店
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残業を減らしたい

2005-06-21 23:47:03 | ブログ
 昨今の企業は、時短対策に追われています。

 「労働時間の短縮の流れを一層確実なものとし、平成17年度までの間に年間総実労働時間1800時間の達成・定着を図るため、年次有給休暇の取得促進及び所定外労働の削減に重点を置いて取組を進める。」(資料出所:労働時間短縮推進計画 平成13年8月3日閣議決定により最終改定)との政府方針が示されていて、今年度(17年度)が「年間総実労働時間1800時間の達成」の最終リミットとなっているのです。
 とはいえ、実際上はなかなか簡単にはいきません。

 そんな折、京セラが始めた「アメーバ経営」のコラムを読んでいて当たり前のことに今さらながら気がつきました。

 「アメーバ経営」おいては、各アメーバ(6~7人くらいずつの小部門)は「時間当たり採算」という独自の管理会計の指標を競います。
 「時間当たり採算」は、「稼いだお金-使ったお金(経費)=もうけたお金」と「もうけたお金÷使った時間=時間当たり採算」の2式で算出します。つまり、稼ぎを最大限に増やし、経費を最小限に抑え、労働時間を最短にすることで、時間当たり採算は高くなるという構造です。

 「時短」は、単純な「時間短縮」では意味がありません。本質は「能率向上」とセットのはずです。「能率向上」は各ビジネスユニットの「業績の向上」と直接的に結びつきます。この「業績」は各企業で定めた「管理会計制度」に基づき数値化され評価されるわけです。

 しかしながら、多くの企業の管理会計は、P/L、BS、キャッシュフロー等の「単位:金額」が中心です。それらの「金額(や基礎物数)」を引いたり割ったりしていろいろな評価指標を作っていますが、人に係る生産性についてはせいぜい「売上高/人件費」や「一人当たり売上高」等で見ている程度です。

 本気で「時短」に取り組むのであれば、アメーバ経営で採用されているような指標、すなわちストレートに「単位時間における貢献(部門により、それは「売上高」であったり「コスト」であったりします)」で評価すると宣言すればいいのです。極々素直に、「時間」をそのまま「評価指標の分母」に組み込むのです。
(ただ、・・・ひょっとすると、こんなことを今ごろ大仰に言っているのは、私の会社だけでしょうか・・・)


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情報を活かすのは、結局は「人」 (「企業価値の源泉」より)

2005-06-20 23:18:37 | 本と雑誌
(p120より引用)この大手銀行は単に、適切な情報を適切な人物に与えるために必要なインフラを備えているだけではない。その情報に基づいて行動するように従業員を訓練しているのだ。これは、同行が業界のリーダーでいられる一つの重要な要因となっている。


 お客様と直接接触する場では、システムは所詮道具に過ぎません。最終的には道具を十分に使いこなせるかどうか・・・結局は「人」の問題です。(「使いこなす」というのは「能力」の問題でもありますが、むしろ、使ってよりよいパフォーマンスをあげようという「意思」の方が重要です)

 そういう人はどうしたら育つのでしょう。

 ひとつには、その人のもっている前向きの姿勢であり、ひとつには、上司の支援です。

 まずはその人が一所懸命になれるものに取り組めているか、自分の仕事にやりがいを感じているかが最低限の条件です。
 そういう気持ちで取り組んでいれば、上司は、後ろちょっと押してあげる、前の障害物をちょっと取り除いてあげるだけで人は伸びます。やる気とポテンシャルのある人材は、環境さえ追い風になれば、自分でどんどん成長していくものです。

(「夢を力に」(本田宗一郎)p237-238より引用) “惚れて通えば千里も一里”という諺がある。それくらい時間を超越し、自分の好きなものに打ち込めるようになったら、こんな楽しい人生はないんじゃないかな。そうなるには、一人ひとりが、自分の得手不得手を包み隠さず、ハッキリ表明する。石は石でいいんですよ。ダイヤはダイヤでいいんです。そして、監督者は部下の得意なものを早くつかんで、伸ばしてやる、適材適所へ配置してやる。そうなりゃ、石もダイヤもみんなほんとうの宝になるよ。(1962年)


 そういう意味では、最も大事なのは、そして今最も欠けているのは、人材を育てようという「管理者の強い意思」かもしれません。

 人材を「人財」として羽ばたかせることは実は結構大変です。
 適材適所と簡単に言いますが、通常の企業ではそんなに簡単に人の異動ができるものではありません。
 人が動かせないのであれば、仕事を変えるという手もあります。上司が積極的にどんどん新しい仕事をもってきて、これはというメンバに取り組ませるのです。

 待っていてなんとなく良くなるということは、今のご時世、絶対に有り得ません。ともかく動き続けていれば、上司も成長しますし部下も伸びるのです。 

企業価値の源泉―グローバル企業に学ぶ競争優位の情報戦略
日本NCR株式会社
翔泳社
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自己を大事に (「夢を力に」(本田宗一郎)より)

2005-06-19 23:20:07 | 本と雑誌
(p228より引用) 能率とは、プライベートの生活をエンジョイするために時間を酷使することである-と私は考えている。二宮金次郎の像のように、山坂路を歩くというような、二重、三重の苦労を忍んだり、朝は早く、夜はおそく、昼食の時間まで惜しんで、働くために働くことを能率なりとする考え方や、生活を楽しむことを罪悪視する戦時中の超克己主義は、能率の何たるかを解しない人の謬見である。・・・一定の時間の中により多く自己の生活を楽しむためには、働く時間を酷使する他に方法がない。私は自己の体験から、創意発明は天来の奇想によるものではなく、せっぱつまった、苦しまぎれの知恵であると信じているが、能率も生活を楽しむための知恵の結晶である。(1953年)


 「生活を楽しむための能率」「働く時間を酷使する」という言い回しは非常に新鮮に感じます。自分に厳しい表現です。

 仕事のためにプライベートの時間を犠牲にするというのではなく、限られた時間内で仕事をこなすことを求めています。
 本田氏の生活ぶりは「仕事が楽しみ」のように伝えられていますし、また、おそらくそうだったのだろうと思います。が、自分の生活を楽しむことも同じく非常に大切なことだと考えていたようです。
 そして、限られた時間を前提にして、何とかして仕事と生活を両立させるために、とことん時間を使い切る、そういう極限的な能率向上の努力を求めたのです。安易に他方の時間を当てにするのではない分、むしろ厳しい姿勢だと思います。
 戦後、誰も彼もが死に物狂いで復興に邁進していたころの言葉だけに驚きです。高度成長期以前に、高度成長期以降ようやく世の中で広く言われるようになったことを主張していたのです。
 先見の明というよりも、当時すでに素直にそう考えていたのでしょう。

 この本田氏の思いの根底には「自己を大切にするhumanism」が見えます。

(p250より引用)私はいつも、会社のためにばかり働くな、ということを言っている。君達も、おそらく会社のために働いてやろう、などといった、殊勝な心がけで入社したのではないだろう。自分はこうなりたいという希望に燃えて入ってきたんだろうと思う。自分のために働くことが絶対条件だ。一生懸命に働いていることが、同時に会社にプラスとなり、会社をよくする。会社だけよくなって、自分が犠牲になるなんて、そんな昔の軍隊のようなことを私は要求していない。自分のために働くということ、これは自分に忠実である。利己主義だと思うかもしれないけど、そうではない。・・・我われはただ単に、自分だけよければいいと言うのではない。自分をよくするためには人までよくしてやらなければ、自分というものがよくならないのだ、という原則があることを考えて自分をよくしなさいということを申し上げる。(1969年)


 「自分のために働く」ことは「自分に忠実である」ことだと言います。それは利己主義とは否なるものです。
 聖書に言う「汝を愛するように汝の隣人を愛せ」、真の自愛は他愛であり他愛はその実自愛であるという考え方と会い通じるものがあるように思います。

 漱石は「私の個人主義」の中で「自分が個性を尊重できるならば、他人に対してもその個性を認め、尊重することが当然の理である」という趣旨のことを語っています。

 個人主義は利己主義とは全く別のものなのです。

本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
本田 宗一郎
日本経済新聞社
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たいまつは自分で持て(経営に終わりはない (藤沢 武夫)より)

2005-06-18 23:37:51 | 本と雑誌
(p161より引用)“たいまつは自分で持て”と私はしばしばいってきました。これは、人から教わったり、本で読んだ知識ではなく、自分の味わった苦しみから生まれた実感なのです。どんなに苦しくても、たいまつは自分の手で持って進まなければいけない。これが私の根本の思想であり、また、ホンダのモットーともなりました。


 自分たちの力を信じて自責をもって事業に取り組むという強い信念です。この藤沢氏の信念は、技術を信じ人まねを許さない本田氏の信念と完全にシンクロしているのです。

 どんな場合でもこの信念を貫き通した藤沢氏の経営者としての決意のほどは、以下のような言葉にも表れています。

(p112より引用) 私は仕事を片づけるとき、後でそれがガンにならないよう、多少手荒なことがあっても、将来のことを第一にいつも考えていました。この年もそうです。企業には良いことも悪いこともあるのだから、禍を転じて福とする、その橋を見つけ出すことが経営者の仕事なのだと思っています。

 

(p151より引用) 私の経営信条は、すべてシンプルにするということです。シンプルにすれば、経営者も忙しくしないですむ。そのためには、とにかく一度決めたら、それを貫くことです。状況が変わっても、一筋の太い道を迷わずに進むことです。

 

経営に終わりはない (文春文庫)
藤沢 武夫
文藝春秋


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日本の思想 (丸山 真男)

2005-06-17 23:33:59 | 本と雑誌

 久しぶりに硬直化しつつある(硬直化しきった?)頭に刺激を与えようとして丸山真男氏の本を読んで見ました。手にとるのは学生の時以来でしょう。

 あとがきに、

(p181より引用) この書物は見られるように論文体の二つの文章と講演体の二つの文章から成っている。文体を統一しなかったのは、それらが発表されたもとの形式を尊重するためと、後の二つが、あるいは最初からⅠとⅡにはとりつきにくいという感を持たれる読者にイントロダクションともなればという考慮からである。


 とありますが、そこまで分かっているのなら、もう少しⅠ・Ⅱ章を何とかして欲しかったというのが、現役学生からはるかに遠ざかったnot知識人の偽らざる思いです。

 Ⅲ・Ⅳ章の講演体の章については、何とか論旨は理解したつもりになれましたが、Ⅰ・Ⅱ章は全くダメでした。同じところを2・3回読み直しても理解不能。そもそもこの内容のこのレベルの論文を読むには、最低限の常識(基礎知識)と論理的な頭(読解力・理解力)が欠如しているのだと痛感しました。

 Ⅲ章においては、社会と文化の型を「ササラ型」「タコツボ型」といった具体的イメージが湧きやすい2類型に分けて論じています。

 また、Ⅳ章では、

(p157より引用) 政治・経済・文化などいろいろな領域で「先天的」に通用していた権威にたいして、現実的な機能と効用を「問う」近代精神のダイナミックスは、まさに右のような「である」論理・「である」価値から「する」論理・「する」価値への相対的な重心の移動によって生まれたものです。


 というように、こちらもまた「である」と「する」の「2類型の対比」により論理が展開されていきます。これならなんとかまだついていけます。(ついていった気になれます?)

 まあ、ともかく、冒頭のような動機でこの本を読むこと自体、不謹慎極まりないことなのでしょう。

日本の思想 (岩波新書)
丸山 真男
岩波書店
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議事録は一人称で

2005-06-16 00:07:55 | ブログ
 会議や打合せを主催した場合は、必ず「議事録」を残します。
 明確に事務局が決まっている場合は、当然「事務局」が作成し、出席者に意見照会を行ったうえで確定させます。

 重要な案件を決定する打合せの場合は、この議事録確認が非常に重要になります。あとあと議事録しか共通の証跡になりませんし、「関係者への意見照会→確定」というプロセスを経ていると、「このときの趣旨は、そういうことではなかったのだが・・・」と言ったところで後の祭りになります。

 また、打合せの場での発言に関していえば、「自分が訴えたつもりのこと」が「議事録という他人の文」に置き換えられると、時折、あれ?こういう話じゃなかったのに・・・ということがあります。
 往々にして、「他の人が聞いて理解した(つもりの)こと」は他人勝手?な解釈になるものです。この点の補正も、議事録の意見照会の回答時点で行っておかねばなりません。
 意見調整のための打合せは、「議事録の確認」まで息を抜くことはできません。

 打合せで明確に事務局が決まっていない場合は、出席者の誰かが議事録をまとめることになります。

 こういう場合は、(その案件が自分に直接関係がある場合は特に、)自ら議事録の取りまとめを買って出るべきです。
 自分で整理すると、(自分が発言した部分について)前述のような発言趣旨の取り違えは生じません。また、議事内容の取捨選択のイニシアティブもとることができます。

 当然のことながら議事内容を曲げることは絶対厳禁(関係者への意見照会は行うのでそもそも不可能)ですが、議事録のまとめ方ひとつで、もう一回打合せをやったような効果を現出することができるのです。


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今が良くても (「企業価値の源泉」より)

2005-06-15 00:09:17 | 本と雑誌
(p110より引用) 多くの企業は「十分」やっている。・・・なぜ変わる必要があるのだろうか?過去の実績は将来の成功を保証するものではないのだ。自己満足した企業は発展しない。継続的に向上することに全力で取り組むことが、結局成功するための唯一の方法なのだ。変革という仕事に終わりはない。成功する変革とは必然的に、既存のイニシアチブを測定し、収益性のない戦略を放棄し、新しいプロジェクトを試行するという微調整の継続的なプロジェクトになる。またそれこそが、今日の市場にあって、リーダーとしての我々の仕事を面白いものに保ち続けてくれるのだ。


 変革し続けることの重要性については、いろいろな形で言われ続けています。

 元GEのジャック・ウェルチ氏も著書「わが経営」の中で同じようなことを言っています。

(p175より引用) 今日でさえ、こんな馬鹿げた言い方を耳にすることがある。「利益は出ている。いったい何が問題なんだ」場合によっては大いに問題だ。長期的な競争戦略がなければ、その事業が破綻するのは単なる時間の問題にすぎない。


 また、IT企業の日本ユニシス社がイニシアティブをとってまとめた「『価値組』未来企業へのシナリオ(監修:島田 精一)」という本の中にも以下のような記述があります。

(p79より引用) 過去のニーズを捉えたマーケットリーダーといえども継続的にリーダーである保証は何もない。ダーウィンの『進化論』との絡みで引き合いに出されるフレーズに「生き残るのは、強いものでも頭の良いものでもない。変化に対応できるもの」というのがあるが、変化を前提とした企業活動が極めて重要になるといえる。


 安住の中での感覚の麻痺は、よほど意識しないとその罠に陥ってしまうのでしょう。
 よく言われる「ゆでがえる現象」です。

〔ノエル・ティシュ(ミシガン大学経済学者)の話〕
 昔、高校の生物時間に実験したように、カエルを水の入った鍋にいれ、徐々に加熱してゆくと約12分でゆであがり「ゆでがえる(boiled frog)」になります。ところが沸騰したお湯の中にカエルを入れると飛び上がって逃げてしまいます。
 カエルを熱いお湯に入れると、ビックリして飛び跳ねて命が救われるのに、水の状態から入れてその水を温めていくと、カエルはその変化に気付けず、やがてゆであがって命を落としてしまう。


 緩やかな状況の変化は気づきにくいものです。それが望ましい環境下であればなおさらです。しかしながら、その変化を正確に把握しそれに対するアクションを先取りしていくべきとの教訓です。

 ただ、これは難しい。簡単にできるのであればこれほどいろいろな人がいろいろな場で指摘することはないでしょう。

 どうやったら、好調の波の中でほんのわずかな変化の予兆を感じ取ることができるのでしょう。
 これは、まさに最近私が最も気にしているテーマ「『what』の気づき」です。

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自分で読むより人に聞く (「夢を力に」(本田宗一郎)より)

2005-06-14 00:15:27 | 本と雑誌
(p234より引用) 僕は本を読むのが嫌いだ。極端な言い方をすると、本というものには過去のものしか書かれていない。僕は、本を読むとそれらにとらわれてしまって、何だか退歩するような気がして仕方がない。大体、僕の人生は、いわゆる見たり聞いたり試したりで、それを総合して、こうあるべきだということで進んできた。もし分からないことがあって、そのために本を読むんだったら、そのヒマに人に聞くことにしている。五百ページの本を読んでも、必要なのは一ページくらいだ。それを探しだすような非効率なことはしない。(1959年)


 本を読むことの効用をどう考えるかですが・・・。確かに、多くの本の場合、それを読むのに費やす時間とその効用とは釣り合っていないものです。

 何か具体的に知りたいことがあって本を読むのであれば本田氏の言うとおりです。 (百科事典?でもない限りはなかなかピンポイントで必要な情報は得られません(そもそも本田氏が知りたいようなことが百科事典に書いてあるとも思えませんね))

 ただ、本田氏が本を読まないのは、時間と効用のアンバランスの故のみではありません。
 「本には過去のものしか書かれていない」と述べられているように、氏は「過去」は参考にならない、参考にしたくないと考えているのです。

本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
本田 宗一郎
日本経済新聞社
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クモの巣の糸の中 (経営に終わりはない(藤沢 武夫)より)

2005-06-13 00:17:46 | 本と雑誌
(p124より引用) どんな能力を持っている人でも、上役に変な人がいて、その上役だけの評価で判断されると芽が出ないものです。だから、いろいろな方向から見てやることが必要です。人間の生活は、クモの巣のように張りめぐらされた糸のなかにいれば、安定する。こうなっていれば、課長ににらまれようと、係長にきらわれていようと、おれのことは他の人が見てくれているという自信がもてる。安心して仕事をすることができる。


 優しさにあふれた言葉だと思います。人の持ついい面を探し出そう、そしてそれを活かしてやろうという気持ちが伝わってきます。

 現実的には、なかなかここまではできません。私も、長くつきあっているメンバとか同じプロジェクトのメンバとかであれば、ひとり一人の性格や実際上のがんばり、業績等も十分把握しているので、自分なりのフォローやケアをすることもできます。が、正直、それにも限界があります。能力的にもしくは純粋に物理的に十分にケアできない場合、どこまで何ができるか本当に悩ましく思います。

 How To的なアプローチで人を活かす「方法」を論ずること自体が不遜なことなのです。

経営に終わりはない (文春文庫)
藤沢 武夫
文藝春秋
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ことば(単語)の「定義」をキチンと確認

2005-06-12 00:42:22 | ブログ
 「酒は何にしますか?」

 私が以前2年間ほど住んでいた熊本では、「酒」といえば「焼酎」、したがって、居酒屋に行って「お酒は何にしますか?」と聞かれると焼酎の銘柄を答えなくてはなりませんでした。
 しかし、地方によっては「酒」といえば「日本酒」、「お酒は何にしますか?」というのは日本酒の銘柄の問いであることもあります。

 「酒」といっても人によって「日本酒」「ビール」「ウィスキー」「ワイン」「焼酎」等々、様々なものをイメージします。
 ただ、「酒は・・・」といって会話を進めても話がうまくかみ合わないことがあります。

 話をしていてどうも議論がかみ合わないときは、往々にしてこのような「言葉」の定義がずれている場合が多いのです。話しをしている当の本人たちは(自分の定義に寸分も疑念をもっていないので)なかなか気付きません。

 おかしいなと思ったら、確認することが大事です。「あなたが言っている『お酒』って何のこと?」

 「同床異夢」のままが一番まずいのです。


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クリエイション (「夢を力に」(本田宗一郎)より)

2005-06-11 02:07:06 | 本と雑誌
(p236-237より引用)近頃、一流の経済雑誌なんかが、どのくらいの値段でどういうタイプの製品を作ったらいいかアンケートをとったらいいじゃないか、と麗々しく書いている。僕はこれを見てガッカリした。大衆にアンケートをとって聞くことは参考にはなる。たとえば、自分のまいた種がどの程度大衆にうけ入れられているか、または不満があるかといったものなら賛成だ。しかし、本来のものについて、何だかんだとアンケートをとるのはおかしい。なぜなら、ものを作ることの専門家が、なぜシロウトの大衆に聞かなければならないのだろうか。それでは専門家とは言えない。どんなのがいいかを大衆に聞けば、それは古いことになってしまう。シロウトが知っていることなんだから、ニューデザインではなくなる。大衆の意表にでることが、発明、創意、つまりニューデザインだ。それを間違えて新しいものを作るときにアンケートをとるから、たいてい総花式なものになる。他のメーカーの後ばかり追うことになる。つまり職人になっちゃう。(1959年)


 一見、「プロダクトアウト」的な昔流の考え方のようにも見えます。

 しかし、本田氏は消費者の意見を聞くことを全面的に否定しているわけではありません。自分のプロダクトの評価を次なる技術開発に活かすことにはむしろ積極的でした。

 他方、新たなものを作り出すという面では「技術者が引っ張らなくてどうする」という考えです。今流に言えば「開発(R&D)主導」と似ていますが、ちょっと違うようです。
 本田氏は「ものを作ることの専門家」という言い方をしています。この言い方での「専門家」は単なる「研究者」ではなく、最終的な製品・商品にまで仕立て上げる「生産者」をイメージしています。

 「本田氏流の技術者」は、商品と遊離した研究者ではなく、また、単なる製造者でもなく、マーケットに受け入れられるプロダクトを産み出す「創造者(Creator)」なのです。「もの作り」を「製造」ではなく「創造」と考えているようです。

 ところで、数年前、「ものつくり大学」が設立されました。ただ、本田氏のいう「ものを作ることの専門家」と、ものつくり大学で育成をしようとしている人物像とはどうも異なるようです。
 ものつくり大学では、旧来のプロセスを重要視しているようですが、本田氏は「どうやるか」ではなく、「何をやるか」を追い続けたのです。


本田宗一郎夢を力に―私の履歴書 (日経ビジネス人文庫)
本田 宗一郎
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CRMの盲点 (「企業価値の源泉」より)

2005-06-10 00:38:37 | 本と雑誌
(p101より引用) 従来の商品にフォーカスしたダイレクトメール・キャンペーンでは2%の反応率が得られるかもしれない。しかし、もっと重要でありながら一般的に無視されている統計値が、80%の「反感」率である。適切に的が定められていないマーケティングは、実際のところ顧客との関係を損ねてしまうかもしれないのだ。


 ある施策が効果を挙げた場合、そのプラス面ばかりに目がいってしまいます。が、一歩下がって全体を俯瞰し残りの部分についても意識して見ることも重要です。
 表と裏、一部と残り、というように逆方向から見ることにより、新たな課題に気づいたり全体最適に近づいたりすることができます。

(p116より引用)コミュニケーション戦略は顧客との対話である。ひとり言ではない。・・・マーケティングのためのマーケティングは、顧客リレーションシップ戦略ではない。無理に聞かされる聴衆にとっては、なんのためにもならない独白である。顧客とのコンタクトがいつもアップセルやクロスセルの話だったら、それはリレーションシップの構築などではない。顧客に「特別提供」を連打することは、顧客の苛立ちをもたらす可能性の方が高い。


 耳に痛い話ですが、けだし正論です。

 (p124より引用)実用的な情報+ターゲットを絞ったマーケティング・コミュニケーション=より高い獲得率+低コスト+反感率の低下=価値の向上


 データベースマーケティング手法を駆使し精緻に絞り込んだターゲットであったとしても、100発100中はあり得ません。
 勧奨が功を奏して喜ばれるのは多くても数%の顧客に過ぎず、残りの大半の顧客には、満足感以外の何らかの気持ちを残すことになります。

 ここでの盲点は、どんな優れたCRM施策であっても顧客の「反感を生む」可能性があるということです。

 この本は、データウェアハウスシステムで最大手であるNCR社のCEO(当時)の著作なのでデータベースマーケティングの有効性をアピールした内容であることは当然ですが、多種多様な企業における具体的な実例を豊富に示してくれています。このため、データの具体的活用シーンをリアルにイメージすることができます。

企業価値の源泉―グローバル企業に学ぶ競争優位の情報戦略
日本NCR株式会社
翔泳社
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