OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

ダ・ヴィンチ・コード (ダン・ブラウン)

2005-12-31 00:20:10 | 本と雑誌

 最近はこの手の小説はほとんど読まなくなっているのですが、あまりの人気とそれらしいタイトルに惹かれて・・・。かといって買うほどでもないかと思い図書館で予約をして待つこと4ヶ月。今頃になって読んだのですが・・・

 やはりこの本は、キリスト教の歴史への興味と造詣がないと面白みは半減以下になるのでしょう。逆に関心がある読者の立場からみるとワクワクドキドキものなのかもしれません。

 小説を面白く感じるかどうかは全くもって個人的な感性ですから、好き勝手にコメントしても許されるのだと思います。
 その流れで言えば、この本、謎解きという面では極々普通。サスペンスものとしても緊迫感やスピード感がイマイチ。最後の「暗号」に至っては多くの方が拍子抜けしたのではないでしょうか。

 お決まりのように映画化が予定されているとのことですが、どのくらい映像というメディアで変身しているかがお楽しみです。
 同じく「聖杯伝説」をモチーフにした作品としてはハリソン・フォード主演の「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」のインパクトが非常に強いですね。(全くストーリは違いますが) お宝探し系の映画は山とあるので、こんどの映画ではどういう攻め方をするのでしょうか。

 以前から欠点として自覚しているのですが、私はどうも流行ものには疎い方です。この本のおかげで改めてマスマーケティングセンスの欠如を再認識しました。

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起業家精神の芽 (考えあう技術(苅谷剛彦・西研))

2005-12-30 00:36:32 | 本と雑誌

(p54より引用) 財界人とかが日本の教育を批判するとき、今の若者には起業家精神が欠けているなんて指摘する。そのときに、たいてい引き合いに出されるのがアメリカの個人主義の社会ですね。・・・もちろん個人も重要なんだけど、もう少し小さい単位での複数の人間が集団を立ち上げる。起業にしても、たいていは複数の人と企業を興すのであって、個人業ではない。複数の人間がなにかを立ち上げるというときの能力は、必ずしもばらばらな個人をつくりだすためでもない。・・・複数の人たちが集まり、集団を立ち上げようというのは、いわゆる共同体主義とは違う思想ですよね。

 「集団を立ち上げ営む能力」は、「個人主義」でもなければ「共同体(集団)主義」でもないところから発する能力のようです。これは、それら二つの考え方の「中間」にあるというよりも、その二つを包含した「より上位層の考え方」のように思います。

 すなわち「個人主義的な独創性やリーダシップ」と「集団主義的な協調性やチームワーク」との双方を必要条件とする能力なのです。

 こういった能力は、少なくとも「ひとりだけの環境」では決し身につけることはできません。
 「試行錯誤できる集団」の中で身につけるのが一番で、だとするとそのひとつの有力候補は「学校」ということになります。

 ただ、その学校も、

(p88より引用) 個性重視というからには個別の対応が優先されるはずだから、ルール自体を柔軟にすればいいのだけど、ルールの柔軟化ではない。

という状況ですから、様々な個性(のたまご)が他者との関係の中で磨かれる「テストベッド」としての役割を果たすのは、現実的には難しいようです。

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意味づけの説明(考えあう技術 (苅谷剛彦・西研))

2005-12-29 09:48:20 | 本と雑誌

(p51より引用)学校へ行くことの意味というのは、子どもの納得の論理として議論する話なのか、大人の社会が合意として話すことなのかで違うということです。

 ちょっと理屈っぽい言い方になりますが、この場合、少々気になる点があります。「子どもの『納得』の論理」という部分です。

 これには、2通りの意味が考えられます。

 ひとつは、「学校に行くことの意味」を「子ども」の立場でも(「大人」の立場とは別の)独立したissueとして考え、それを子どもにキチンと説明し納得を得るというケースです。
 もうひとつは、「学校に行くことの意味」は、「大人」の立場からだけ議論(大人の社会のみで合意)し、子どもに対しては、ともかく子どもが分かるような別の理屈で納得させるというケースです。

 後者の場合は、「目的と手段の階層構造(手段A →目的B=手段B→目的C・・・:手段Aは目的Bを実現するためにあるが、目的Bはさらに高次の目的Cの手段になる)」とも考えられます。が、「大人の考えが間違いないのだ」とか「どうせ子どもに説明しても分からないだろうから、適当な理由をつければいいのだ」といった考えによるものだとまずいと思います。(さらに、「理由なんかどうでもいい、ともかく行くんだ」といった理屈も何もない強要になってしまうと最悪です)

 この類いのことは、「学校の意味づけ」に限らず、いろいろなケースに当てはまります。たとえば、「企業戦略の意味づけ」についての「経営層」と「社員」の場合とか、「戦争の意味づけ」についての「参謀本部」と「一兵卒」の場合などです。

 「経営層や参謀本部」の意味づけは、それにより直接影響を受ける全ての人にとって、その意味自体が納得されるものでなくてはなりません。その意味を伝える「説明ぶり」が、伝える対象に何とかして分かってもらおうという「工夫」であればそれは(ある種)望ましいことです。
 が、万一にも「真の意味」を隠す強弁であってはなりません。

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考えることの協創 (考えあう技術(苅谷剛彦・西研))

2005-12-27 01:13:31 | 本と雑誌

 社会教育学者と哲学者の「考えることの協創」です。

  内容は「教育」を題材にしています。その内容はともかくとして、バックボーンが異なる人同士の思考の展開(拡大と収斂)の様が読んでいて興味深いものです。

 「学校へ行くこと」の意味づけを憲法に謳われているいくつかの権利との関わりで考えてみるといった「新たな思考の切り口の提示」等はとても参考になります。

 また、以下のような技術論と原則論を峻別するという論理の王道が随所に見られます。

(p90より引用)技術論はいろいろありうるし、やってみてまずければ修正していけばいい。しかし「何のための学校か」「学校が果たすべき役割は何か」ということの原則はハッキリしている必要がある。

 「意味づけ」を明確にして思考を深める実例です。

 ただ、本の内容に関しては、残念ながら社会学的・哲学的素養のない私には、その中味までは理解できませんでした。特に後半部分は私にとっては半ば禅問答のように感じられました。
 社会教育学者と哲学者が共振しながら議論を進めている形はハッキリ見えるのですが・・・私の力不足のために少々消化不良でした。残念です。

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茶の本 (岡倉 覚三)

2005-12-24 00:21:17 | 本と雑誌

 言うまでもなく岡倉覚三(天心)の代表作です。

 解説によると「当時外国にあった著者が、故国恋しさの思いを茶事の物語によせ、英文でニューヨークの1書店から出版したもの」とのこと。
 全体の構成は体系的とは言い難く、それぞれの章の筆も、淡々としているかと思えば第6章(「花」)のようにかなり昂ぶった書きぶりになっているところもあり変化に富んでいます。

 内容は、東洋(日本)文化を西洋社会に理解させたいという想いがひとつの柱となっています。

(p21-23より引用) いつになったら西洋が東洋を了解するであろう、否、了解しようと努めるであろう。・・・新旧両世界の誤解によって、すでに非常な禍をこうむっているのであるから、お互いがよく了解することを助けるために、いささかなりとも貢献するに弁解の必要はない。

 また、他方、以下のような芸術論を開陳しているところもあります。

(p27より引用) 茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である。

 その他、芸術と道教・禅道との関わりを説いたり、

(p44より引用) 芸術においても同一原理の重要なことが暗示の価値によってわかる。何物かを表わさずにおくところに、見る者はその考えを完成する機会を与えられる。かようにして大傑作は人の心を強くひきつけてついには人が実際にその作品の一部分となるように思われる。虚は美的感情の極致までも入って満たせとばかりに人を待っている。

 以下のような挿話で「東洋的な美意識」を具体的に紹介したりしています。

 利休が子の紹安に庭の掃除をさせました。紹安が木の葉ひとつ落ちていないようにきれいに掃き清めたところ、利休は・・・、

(p55より引用) 「ばか者、路地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におり立ち一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を散り敷かせた。利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであった。

 わずか100ページにも満たない著作ですが、不思議な感触の本でした。

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教えることの復権(大村はま・苅谷剛彦/夏子)

2005-12-22 00:19:45 | 本と雑誌

 以前読んだ「知的複眼思考法」の苅谷剛彦氏の関わっている著作ということで手にとりました。

 この本を読むまでは大村はま氏については全く存じ上げなかったのですが、(本書を読んで)自らの信ずる教育方針の実践者としてすばらしい方だと思いました。もちろん私は教育関係の専門家ではありませんので、その教育方法等についての是非を判断する資格はありませんが、少なくとも私にとって共感できる点が数多くありました。

 大村氏の人柄については、この本のあとがきに全て表れているようです。素直に感動できる「あとがき」でした。

 この本に書かれている中で「読書」に関する部分を御紹介します。
 大村氏は中学校の国語教師としてご活躍されたのですが、その大村流「読書生活の指導」の一部です。

(p100より引用) 自分から能動的に読んでいく。ただ受身になって読んで理解するのではなくて、自分の思考をフルに関わらせながら読んでいく、そのための訓練でもあったわけです。
 てびきには、1から20ぐらいの番号をふって、発想を誘う短いことばが書いてあります。

 そして、以下が大村氏作成の「てびきプリント」の例です。

  1. これは問題だ。考えてみなければならない。
  2. これはおもしろいことだ、もっと調べてみたい。
  3. ほんとうに? それでは考えてみなければならない。
  4. そうだったのか、それでは、これはどうなのだろう。
  5. これはおどろいた、どうしてだろう。
  6. そうだとすると、こういうことを考えなければならない。
  7. 前から聞いていたことだけど、やっぱりそうか。考えてみなければいけないことだ。
  8. ほんとにこのとおりだ、どう考えたらいいか。
  9. これは、真剣に考えてみなければならない重大なことだ。
  10. ほんとうに、これはおかしい、へんだ。考え直さないといけないことだ。
  11. これは信じられないことだ。もっと調べてみたい。
  12. そうだ、これはやめなければいけない。では、どうすればいいか。それが問題だ。
  13. こんな一面があるのか、うれしいような気がするが、考えてみなければならない。
  14. この点は、ひとつ、みんなで話し合いたい。
  15. これは、自分への宿題です。これからおおいに調べたり、考えたりしてみます。
  16. こういう本があったら読みたい。

 こういった「てびきプリント」を横において、それを時折確認しながら、生徒は本を読むのです。

(p103より引用) 子どもに向かって、丁寧に読みなさい、詳しく書きなさい、深く話し合いなさいなどといって命令するだけでは、専門家としての教師の仕事ではない。それがちゃんと実現するようなてびきを教師はすべきだと私は思っていますが、てびきというのはそういうことです。それをしないで命令や解説をするだけでは、教えたことにならない。

 安易な「こどもの自主性重視」とは明らかに一線を画す指導法です。
 しかし、これはものすごくエネルギーを要します。生半可な気持ちではできることではありません。大村氏はそれを生涯実践し続けたのですから。

(p145より引用) たとえば、自由題の作文を書かせるといったときに、そこにいる全部の子どものために、それぞれ、これをやったらどうかという腹案を持っていない教師がいたとしたら、怠慢だと思いますよ。腹案を持っている人が、相手をしっかり見ながらヒントを出していくと、詰め込むといった行きすぎは起こらない。

 昨今のビジネス書で言われている「コーチング手法」が表層的に思えてくるコメントです。

 もうひとつ、この本から、私にとって「目から鱗」の気づきをいただきました。

(p104より引用) てびきには、ほとんど同じような内容が違うことばづかいで書いてあったりもしました。それで一度、先生にこれとこれはどう違うんですかって聞いたことがある。そうしたら先生は笑いながら、違わないのよって。でもあなたにはこっちでピンとくるかもしれないけど、こっちのほうがピンとくる人もいるのだから、自分にとって合っているほうでいいのだとおっしゃった。

 「ロジカルシンキング」ではよくMECE(Mutually Exclusive collectively Exhaustive:お互いに重複がなく、全体として漏れがない)ということが呪文のように言われるのですが、(もちろん、その重要性を否定するものではありませんが、)「妄信」は禁物だということです。

 大村はま氏・苅谷剛彦氏・夏子氏、各著者間の「共振」が感じられる本でした。

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〈数学〉を読む (岩波書店編集部)

2005-12-20 00:11:12 | 本と雑誌

 普通にしていると接する機会のない本を探す「ヒント」になるのではと思い手に取りました。数学者10名の方々の書いた「ブックガイド」です。

 それぞれの方々が今までに強い影響を受けた本を紹介しています。学生のころに接した一冊の本が、数学の道に進むきっかけになった方もいます。また、当然のことながら数々の数学の専門書もお勧めとしてあげられています。

 いくらなんでも、さすがにこれから数学の専門書に挑戦しよういう元気は出ませんでしたが、ところどころ興味を引かれた話題がありました。

(p43より引用:ヘルマン・ワイルの「シンメトリー」という本の紹介で) グラナダのアルハンブラ宮殿のモザイク模様をなすタイルの形は、全部で17種類なのですが、それ以上存在しないことが数学的に説明できるのです。これらは「結晶群」という「群」としてみることができます。・・・結晶群とは、平行移動や回転で自分自身と一致する運動を記述する群です。二次元の場合、十七種類しかありませんが、そのすべてがアルハンブラ宮殿のタイルのデザインに使われているのです。

 そのほかには、科学を志す人への心構えの本や、科学者であると同時に文筆家としても一流であったポアンカレや寺田寅彦の著作の紹介もありました。
 まずはそのあたりから、手を出していきますか。

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ヘーゲル・大人のなりかた (西 研)

2005-12-17 18:21:44 | 本と雑誌

 以前、読書に対する辛らつな箴言に興味をひかれショウペンハウエルの著作を読んだのですが、その際、ショウペンハウエルが徹底的に批判していた論敵がヘーゲルでした。

 ヘーゲルは19世紀に活躍したドイツ観念論を代表する哲学者で、近代哲学を完成したともいわれているそうです。

 哲学とは、辞書によると「論理的で合理的な原理にしたがってものごとを考え、究極的な原理に関する『知』を追求する学問」とのことですが、実際、哲学者は途方もないことを考えるものです。

(p18より引用) 『精神の現象学』は、人類の精神と社会制度の歩みを大きくつかまえることによって、現実に起こる様々な事件や進行を、「これは反動だ/これはよい方向だ」と判定するための基準を明確にする、という意味をもっていた。

(p78より引用) 一言でいうなら、『現象学』とは、人類の精神の形成過程を追跡しようとする学問である。・・・〈あらゆる知と社会制度とを人間精神の所産とみなしたうえで、その形成過程を明らかにしようとする学問。そういう学問がつくれるはずだ〉。ヘーゲルの基本的な発想はこういうものだった。
 この学問のためには意識の成長物語のスタイルをとるのがよい、と彼は考えた。・・・意識の成長物語というスタイルで、あらゆる知と社会制度の成り立ちを解明してみせることができるだろう。

 この「意識の成長の過程」を支配する論理がヘーゲルの弁証法思想でした。それにより彼は、「真理の体系」を目指したと言います。
 このあたりは、やはり私にとってはかなり手強い内容でした。

 ただ、さすがに本書はヘーゲルの入門書でもあるので、素人分かりする解説もあります。
 たとえば、自己意識から理性への進展過程において「権利の思想」も形作られたとのくだりです。

(p200より引用) 民族や宗教のちがいにかかわりなく、だれもが「自由な意志をもつ人格」である。このことを相互に認め合って、互いの自由意思を侵さないようにする。「権利」ということがらの根底にあるのは、このような自由な人格の相互尊重である

 ヘーゲルは、「私にとって」だけでなく「相手にとって」「みんなにとって」という視点をもとうと努めたのです。

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失敗から学べ! (板倉 雄一郎)

2005-12-16 00:08:27 | 本と雑誌

 板倉氏の本としては、先に「社長失格」という実体験に基づくノンフィクション作品がありますが、本書は、その失敗(倒産・自己破産)経験から、ベンチャー企業の本質を踏まえた新規事業を起こすにあたっての勘所等を分かりやすく示しています。

 著者には大変失礼ではありますが、最初手に取ったときは流行の起業家の乱造された出版本のひとつかと思っていたのですが、予想外に内容はしっかりしていました。もちろん経営学者や有名コンサルタントの本ではないので、体系的・網羅的ではありませんが、実体験がベースなだけにそれを補って余りある説得力はあると思います。(今では板倉氏も有名コンサルタントかもしれませんが・・・)

 その意味では、起業のためのHow To本というより、もっと広くビジネス一般に当てはまる分かりやすいケーススタディテキストと考えることもできるでしょう。

 たとえば「商品」についての認識のくだりにはこういう記述があります。

(p141から引用) 世界最大のネット書店アマゾンドットコムが提供している商品は、たしかに「本」である。けれども同社にとって本当の「商品」とは「あらゆるジャンルの書籍の中から顧客が目的とする本を検索-発注-決済-発送という手順で24時間以内に届ける」という「時間と作業の利便性の提供」なわけである。本は「売り物」ではあるが、「商品」ではないのだ。

 本質をとらえた解説だと思います。

 特にこの本のメーンテーマである「失敗」については、まず俯瞰的な観点から、ベンチャー企業が生まれ育つ苗床にとって極めて有用なものと位置づけています。

(p185から引用) 数多くの起業家が「チャレンジ」し、その大半は失敗する。けれどもその過程において蓄積された技術や知識や経験は、マーケット全体の成長に役立つ。・・・ベンチャーというのは、個々の失敗がマーケットを育てる、という共通基盤があるからこそ成り立つ。

 また、起業家個人に対しては、「失敗」というキーワードから次のような示唆・アドバイスを記しています。

(p194から引用) ベンチャーの経営においてやってはいけないのは、「失敗すること」ではない。「失敗を認めないこと」なのだ。

(p207から引用) 起業家は常に失敗を意識し、そしてどんな失敗が考えられるのか、失敗でなにが起こり得るのか、それに対してどんな対処法があるのかを想定すべきである。
 それが成功への必要条件なのだ。

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プリンシプルのない日本 (白洲 次郎)

2005-12-15 00:42:32 | 本と雑誌

 先の「組織戦略の考え方」に続いて、この本も私がお世話になっているかたのBlogで紹介されていたので手に取りました。

 それまでは、白洲次郎氏については全く知りませんでした。
 戦後の対米交渉の中心人物として活躍したとのことですが、経済復興推進を企図し通商産業省(現在の経済産業省)設立にも深く関わり、戦前・戦後は実業界にも籍を置く、はたまたその間、日米開戦を予感し農業に従事する・・・と様々な顔を持った剛毅の人だったようです。
 そして、氏が今に名を知らしめているのは、その生涯を貫いた「プリンシプル、つまり原則に忠実である」という強い信念ゆえでした。

(p205より引用) 日本語でいう「筋を通す」というのは、ややこのプリンシプル基準に似ているらしいが、筋を通したとかいってやんや喝采しているのは馬鹿げているとしか考えられない。あたり前のことをしてそれがさも稀少であるように書きたてられるのは、平常行動にプリンシプルがないとの証明としか受取れない。何でもかんでも一つのことを固執しろというのではない。妥協もいいだろうし、また必要なことも往々ある。しかしプリンシプルのない妥協は妥協でなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎないのだと考える。

 彼が対米折衝の前面に出ることとなったのは、吉田茂氏の懇請によるものでした。暴言放言で有名なワンマン的イメージの強い吉田茂氏の慧眼?であり、また柔軟な人材登用術の表れともいえます。

 「プリンシプル」に重きをおく姿勢は普遍的に正しいと思います。
 次の問題は「プリンシプル」自体の正否・適否・是非ということになります。「プリンシプル」に歪みがないかが気になるわけですが、彼の「プリンシプル」の基には、「国民主権」とか「自主独立の心」といったフェアな民主的な思想がありました。

(p211より引用) 新憲法のプリンシプルは立派なものである。・・・政治の機構としては中心がアイマイな、前代未聞の憲法が出来上ったが、これも憲法などにはズブの素人の米国の法律家が集ってデッチ上げたものだから無理もない。しかし、そのプリンシプルは実に立派である。・・・押しつけられようが、そうでなかろうが、いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか。

 憲法改正の現場にも当事者として立ち会った白洲氏の言葉だけにその判断の「フェア」さには重みがあります。

 各論としての「プリンシプル」の例としては以下のような直言があります。
 (朝鮮特需後の経済停滞の打開策として、輸出振興を図る手立てについての白洲氏の言)

(p122より引用) どんなことをやるにしても根本の精神に於て守り通すべきことは、
一、コストが国際水準又は以下になり得る可能性の無い産業は止めること。
二、最も有利で適当な産業(今から始める新産業も含む)に集中すること。

 50年以上前から「選択と集中」が提唱されています。白洲氏の頭の中では、「プリンシプル」に基づく至極当たり前のことだったのでしょう。

  ただ、この本で語られている50年前と基本的な在り様が、全く変化していないことに情けなさを感じます。
 政治については全くの門外漢なのでコメントする資格はありませんが、政治家は世襲され、直言居士は一代限りということでしょうか。

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組織腐敗のメカニズム (組織戦略の考え方(沼上 幹))

2005-12-13 00:25:43 | 本と雑誌

 著者は、組織の腐敗傾向をもたらすメカニズムとして以下の二つをあげています。

 「ルールの複雑怪奇化」

(p179より引用) 組織において、古いルールや手続きなどを廃棄処分にして、新しいルールや手続きを作るという新陳代謝が起こりにくく、古いものはそのまま残り、新しいものがその上に追加的に付け加わっていき、その結果、古い組織ほど複雑怪奇なルールをもってしまう

 「成熟事業部の暇」

(p179より引用) 成熟事業部では皆が仕事に慣れてきているので、仕事遂行能力が余っており、その余った時間で内向きの無用な仕事が次々と生みだされてしまう

 また、組織の腐敗の回復策として、著者は、「既存秩序の徹底破壊」「思い切った若手の人事異動」「暇と忙しさのメリハリ」を提案しています。が、私は、これに「建設的な雑談の推奨」を付け加えたいと思います。

 これは、著者が「高質な雑談」として注目しているものです。

(p208より引用)  実は、会社が優れた意思決定を生みだせるか否かを大いに規定しているのは、社員の間で語られる雑談の質である。・・・外向きの高質な雑談が日頃から行なわれている組織では、戦略審美眼が高まり、トップが目指している全社戦略が何であるのか、事業部長が目指している事業戦略の決定的なポイントがどこにあるのか、といったことを従業員が感じ取る感受性が高くなっている。従業員たちが戦略の本質を鋭く感じ取れるようになっていれば、トップも戦略を従業員たちにストレートに投げかけやすくなる。

 柴田昌治氏の著作「なぜ会社は変われないのか」などで提唱されている「オフサイトミーティング」と同じコンセプトです。
 このミーティングは、「おかしいと思うことをおかしいと言えるようにする」という極めて当たり前のことを実現するのが目的です。その第一歩として,「気楽にまじめな話をする場」をつくることを薦めています。

 社員が何人か集まると、自然に真面目で建設的な雑談の輪ができるようであれば心配はありません。組織の心臓部は健全に動き続けています。

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「意思決定」「決断」&「落としどころ」 (組織戦略の考え方(沼上 幹))

2005-12-11 13:46:56 | 本と雑誌

 「意思決定」「決断」「落としどころ」は、「決める」という点では同じグループですが、その本質は全く別物です。

(p123より引用)  決断は単なる意思決定ではない。「何かを捨てて、何かを取る」・・・等々、大胆で不連続な側面を持った意思決定である。・・・こういった辛く厳しい決定を自分一人の責任で遂行できるというタイプの人が不足している。戦後の「民主主義」的教育を小学校から受けてきた人々は、企業に入っても「独断」を嫌い、周りの多数者が暗黙のうちに考えている「落としどころ」を探ろうとする傾向が強いように思われる。・・・社員の総意を反映した「落としどころ」という答えしか出せず、決断ができない経営者・管理者は不要である。

 「落としどころ」という一見老成したような言い様は、真剣な議論を蔑ろにする安易な逃げ道です。したり顔で使う言葉ではありません。

 さらに著者は、「決断不足の3つの兆候」を示しています。

(ア) フルライン・フルスペック要求

(p132) フルライン・フルスペックの製品企画や全方位全面戦争型の戦略計画などは、何も考えていない、何も決めていない明白な兆候なのである。

(イ) 経営改革検討プロジェクトの乱立

(p133) 経営者自身は、検討委員会を作ることを決めただけであって、会社をどの方向に向けるのかを決めたわけではない。

(ウ) 人材育成プログラムの提案

(p134) 問題は、現在直面している課題の解決には人材の育成が時間的に間に合わない、というところにある。・・・問題解決の時間的な間尺が合っていない提案が出てくるようになれば、思考が足りないことは自明である。

 どれも、ちょっと心当たりがあります。まずいです。

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ボトルネック (組織戦略の考え方(沼上 幹))

2005-12-10 09:52:58 | 本と雑誌

 プロセスに取り組む上で最も重要な能力は、「ボトルネック」「クリティカルパス」を見極める目です。

(p53より引用)  「生産工程」の生産能力は一番処理能力の少ないところに規定されているのだから、その周辺がどれほど生産していても事態は一向に改善しない。・・・ボトルネック以外が、無闇に頑張りすぎるとろくなことにならない。・・・周りの人間が頑張りすぎることで、却って組織の意思決定生産能力が低下してしまうことさえあり得るのである。

 この現象の背景には、「プロセスのノーコントロール状態」があります。
 プロセス上の「ボトルネック」を識別する仕掛けがなかったり、プロセス全体を管理・調整する役割のマネージャーが不在だったりしているのです。
 その中で、一連のプロセスのそれぞれのパーツが勝手なペースで回転し、処理しきれないプロセス在庫や未稼働プロセスを積み上げているのです。

(p56より引用)  ボトルネックは短期と長期では異なるという点をしっかり認識しておくべき

 この点も、当然ですが、実際の場面では結構忘れ去られています。
 すなわち、目の前のボトルネックを解消することが根本的な改善にも繋がると思ってしまうのです。短期的な対応での外部リソースの活用と長期的な人材育成の取り組み等がいい例だと思います。

(p136より引用)  エースに重要な仕事が集中するのは組織全体にとっても適切だから、経営上の深刻な問題ではない。問題は、重要でない仕事までエースに集中してしまう点にある。本当のボトルネックであるエースの仕事処理能力を無駄遣いしてしまうことになるから、こっちの方は経営上の深刻な問題である。

 この点も意識して気をつけないと、放っておくと必ずこうなります。
 エースと言われる人は、仕事を嫌がりませんし、その周りにはコバンザメのように「フリーライダー」が取り巻いているからです。

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記憶について

2005-12-06 23:52:56 | 本と雑誌

 ショーペンハウエルは、記憶について、多くのことが貯えられること、また必要なことが即座に思い出せることを謎だと言っています。

(知性について(ショーペンハウエル)p93より引用) さて一般的に言うと、物事がわれわれの記憶に刻みつけられるのに、ふたつの様式がある。ひとつは、それをことさら覚えこもうとして故意に記憶に刻みつける場合で、・・・もうひとつは、物事がわれわれに与える印象によって、われわれの側での作為なしに、おのずから記憶に刻みつけられる場合で、このようなとき、われわれはそれを忘れがたい物事と呼ぶであろう。・・・さて、人間は多くの物事に活発な客観的関心を抱いていれば、それだけ多くの物事がこのようにおのずから記憶にとどまることになるわけである。それが青年時代にもっとも旺盛になるのも、この年頃に接する物事の新鮮さが、それに対する関心の度を高めているからなのである。

 「客観的関心」に基づく自然な記憶様式は、強いて覚えようとする意図的な様式よりも確実であると言います。
 また、「関心」というフィルタを通ることにより、当人にとって重要な物事を意識せずして選択蓄積できる利点があると言います。

 関心を持ち続けると記憶はついてきます。悲しいことに意識した記憶力は衰えかけてきていますが、関心さえあれば、まだ何とかメモリーは働くようです。

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組織戦略の考え方 (沼上 幹)

2005-12-04 00:28:55 | 本と雑誌

 私がお世話になっているかたのBlogで紹介されていたので手に取りました。

 「はじめに」を読んで、この本にこめられた著者の意気込みが伝わってきます。この手の本にはめずらしく、結構企業内部で見られる「現実」的な実態を把握したうえで論述しています。
 最終章の「腐敗からの回復」の項の処方はさすがにやや即物・短絡的な感がありますが、それでも、そこに至るまでの種々の実態把握・考察等は大いに納得できるものです。
(納得できるということは、実はあまりいいことではないのですが・・・)

 私がいろいろな意味で気になった、いくつかの「キーワード」「キーフレーズ」をご紹介します。

(p19) 官僚制は組織設計の基礎であり、その基礎ができていない組織は凡ミスを多発する。

 当たり前のことをキチンとするためには、素直な機能本位の組織が基礎になります。基本があっての応用です。
 ただここでいう組織は「最適プロセスを具現化するための型」というイメージで捉えるべきです。ミスを犯してしまうのは「組織ではなく人」ですが、「人」の部分がプロセスの一部になっている場合は、結局「プロセス」の良否が「パフォーマンス」の良否を規定してしまいます。

(p28) 「ルーチンワークは創造性を駆逐する(計画のグレシャムの法則)」

 そのとおりですが、創造性を損なうほど「ルーチンワーク」が肥大化している状況を問題だと捉える必要があります。

(p62) 組織構造自体は何も解決しない・・・なぜなら、組織構造や制度といったものは仕事の邪魔をすることはできても、仕事自体を自動的に処理してくれるものではないからである。・・・特定の構造の下で、何らかの判断を下して最終的に問題を解決するのは常にヒトであって、組織構造それ自体ではない。

 これは、全くそのとおりです。
 でも、やはり仕事がうまく進むような組織づくりを目指したいとも思います。人材が揃ってさえいれば組織はどうでもいいともいえません。優れた人材がいるのであれば、なおさらその能力が十二分に発揮できる仕掛けを準備すべきです。
 問題なのは「硬直し機能停止した組織を放置すること」だと思います。

(p102) 「フリーライダー(ただ乗りする人)」

 なる気になれば、誰でも簡単になれます。なる気が無くてもなってしまうこともあります。
 ならないようにするのは結構大変です。ならないように意識し続けなくてはなりません。

コメント (5)
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