OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

若者のための政治マニュアル (山口 二郎)

2009-01-30 23:20:18 | 本と雑誌

 読売新聞の「本の欄」で紹介されていたので読んでみました。

 著者の山口二郎氏は北海道大学教授・政治学者です。
 40年ほど前のことですが、私は、著者の山口氏と小学校のとき同じクラスになったことがあります。年は山口氏の方が一つ年長なのですが、私が通っていた小学校には、3・4年がひとつの学級を構成する「複式学級」が置かれていて、そこで一緒だったと言うわけです。
 そういうこともあり、以前から氏の著作には関心を抱いていました。

 本書は、政治初心者を対象にしたもので、実践的に政治に関わる際の入門書といった感じです。
 まさに同時代の政治トピックをとりあげて解説を進めているので、リアルな臨場感がありわかりやすい内容となっています。

 著者は、本書で政治に向き合うための10のルールを示しています。
 それらの解説の中で、私が関心を持ったフレーズを以下にご紹介します。

 まずは、リスク分担を目指した「助け合い社会」について。

 
(p68より引用) 強い者の唱える改革に付いていっても、弱い者は助けてもらえないのである。
 高齢者の介護、子育て、教育、医療など、普通の人々が、自らの抱える弱さを理解し、リスクを社会全体で分担する仕組みを作り直すために、協力することが必要である。

 
 もうひとつ、「新自由主義」の位置づけ・意味づけについて。
 著者は、行き過ぎた「市場経済至上主義」を否定します。

 
(p81より引用) グローバルなプレーヤーではない、普通の人々の努力が報われるためには、それなりのルールと舞台設定が必要である。農業や流通業に対する保護、労働者の権利規定、働く母親に対する政策的なサポートなどは、すべてそのような舞台設定である。こうした舞台設定やルールを取り払って、すべての人間を無理やり一つのものさしで競争させようというのが、いわゆる新自由主義である。

 
 この「新自由主義」的政策による富の再配分は、日本においては、構造改革という名で推し進められたといいます。

 
(p170より引用) 強者への再配分が改革と賞賛され、弱者への再配分がバラマキと貶められることで、富のヒエラルヒーの差異が隠されているのである。

 
 金融工学を駆使した金融資本主義の失態、市場経済至上主義にもとづく行き過ぎた競争社会の歪みが顕在化している今日、著者の主張は、時宜を得たものとなっています。
 もちろん政治上の主張は、多様な立場からの想いのぶつかり合いですから、その正否は一義的に決まるものではありません。

 ただ、少なくとも、あとがきに表れている著者の想いは真っ当だと思います。

 
(p221より引用) 希望のない人間をこれだけたくさん生み出したことに対して反省することから、政治に関するあらゆる議論は始まるべきである。追い込まれた人に助けの手を差し伸べることができなかったことに対する慙愧の念こそ、これからの社会のあり方を考える原動力になるべきである。
・・・一握りの強者のみが富み、多くの人間の尊厳が無視されるような時代、貪欲と利益追求が賛美される経済から、歴史的な転換を図る機は熟している。

 
 そして、転換を進める際に求められる姿勢について、著者はこう指摘しています。

 
(p198より引用) 本当に世の中を変えるためには、現実を冷静に見渡し、策を周到に練らなければならない。そのためには、一時の熱狂に踊らされない慎重さと、有益な政策を見極める熟慮が必要である。懐疑的な進歩主義、楽観的な保守主義こそ今の日本に必要な精神である。

 
 偶然なのですが、本書にも登場している市場経済肯定論者宮内義彦氏の「経営論」という本も同時並行的に読んでいるので、その考え方の対比には非常に興味深いものがありました。
 
 

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天才の時間 (竹内 薫)

2009-01-28 22:29:57 | 本と雑誌

Newton  竹内薫氏の著作は、以前にも「99・9%は仮説」「仮説力」「世界が変わる現代物理学」と読んでいて、本書で4冊目です。

 本書では、著者が「天才」と位置づけた13人が登場します。
 アイザック・ニュートン、アルベルト・アインシュタイン、スティーヴン・ホーキング、チャールズ・ダーウィン、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン、グレゴリー・ペレルマン、マウリッツ・エッシャー、イマニュエル・カント、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン、カール・グスタフ・ユング、宮澤賢治、鈴木光司、北野武。

 それらの天才を熟成した「時間」という切り口から、各人のエピソードを紹介した読み物です。
 章によっては、科学史・哲学史等の観点からの解説もあり、なかなか興味深く読めました。

 たとえば、ニュートンの場合。

 
(p7より引用) 実は、ニュートンは、1665年から66年の1年半の間に、『プリンキピア』をはじめ、微分積分学、光学といった、彼が生涯に成し遂げた研究の中身をほぼすべて考えてしまったといわれています。彼は1642年生まれですから、この時期は24歳からの20ヶ月にあたります。・・・天才たちには、その天才性を開花させるための熟成期間があるのですが、ニュートンはこの時期が、文字通りの「休暇」にあたります。

 
 だとすると、ペストの流行に伴うケンブリッジ大学の休校がニュートンにもたらしたこの20ヶ月の休暇は、人類の科学の発展に非常な影響を与えた時間ということになります。

 著者は、「天才の時間」を以下のように定義しています。

 
(p99より引用) 極度の集中力を発揮する。現実世界との接点を断ってしまって、本当に自分の精神世界に沈潜していく。

 
 天才は、それぞれの広がりは異なっていても確固とした「自分の土俵」をもっています。

 
(p120より引用) 天才は、多かれ少なかれ、自分の土俵をもっています。そして、あらゆることを自分の土俵にもってきて解決してしまう。・・・自分の流儀でやっていまう。決して他人のふんどしで相撲をとることがない。・・・
 天才たちは自分の好きな世界にのめり込んでいきます。

 
 その他、本書で登場する「天才」どうしの関わりの中で、私が興味をもったものをご紹介します。

 まずは、「相対」という観点からのアインシュタインカントとの関わりについて。

 
(p143より引用) アインシュタインの相対性理論が受け入れられるのに時間がかかった理由は、世界は客観的に単独で存在しているだろうという思い込みが激しかったからです。そうではなくて、同じ世界であっても見る人(観測者)によって違う見え方になるのだ、というのがアインシュタインの言っていることです。これもカントのコペルニクス的転回と同じ構図なのです。ようするに、見られる側だけでなく、見る側も世界をつくっているのだということです。

 
 もうひとつ、やはりアインシュタインと、今度は宮澤賢治との関わりについて。

 賢治は、科学好きで相対性理論に非常な関心をもっていたといいます。
 著者は、賢治の作品「春と修羅」の序文のフレーズに相対性理論からの影響を指摘します。

 
(p207より引用) 「過去とかんずる方角から」は、アインシュタインの四次元の世界について述べています。この作品が発表された当初は、だれにもこの言葉の真意は理解されませんでした。

 
 また、有名な「銀河鉄道の夜」や「よだかの星」には幾つもの星座が登場します。
 これらの星座に埋め込まれている賢治の意図の著者による読み解きは、非常におもしろいものがありました。
 
 

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日本語の作法 (外山 滋比古)

2009-01-25 15:53:44 | 本と雑誌

 英文学者の外山滋比古氏の本は、以前「ちょっとした勉強のコツ」を読んだことがあります。
 本書は、「現代日本語」をテーマにしたエッセイです。
 まさにエッセイなので、「正しい日本語」の教本ではありません。

 いくつかの著者の話題のなかで、私の関心をひいたものをご紹介します。

 まずは、「ゆっくり話す」という作法について。

 
(p40より引用) たとえそうはできなくても、静かにゆっくり話すべきであるということを心得ておくのは現代の教養である。イギリスのチャーチル元首相は「大声で話すと、知恵が逃げ出す」と言った。

 
 あと、よく話題になる「カタカナ語」の氾濫について。

 
(p59より引用) いまの日本人はおしなべてことばの教養が不十分で、ものをよく考えないから、あいまいなことをカタカナ語で誤魔化して恥ずかしいとも思わない。自前のことばがないとすれば、借りてくるほかないが、それを恥じる心をなくしては困る。

 
 私もついカタカナ語を濫用することがあります。
 外来語が「日本語」になることはあるのですから、何でも「日本語に直せ」とは思いませんが、外山氏のご指摘のように、少なくともカタカナ語を使うにあたっては、「日本語でも言い換えられるだけの内容の理解」は最低条件ですね。

 本書では、話し言葉も書き言葉も話題にのぼっていますが、「手紙」についての外山氏の思いもそこここで語られています。

 
(p123より引用) 手紙のはじめに時候のあいさつをのべるのはわが国特有の習慣で、外国には見られない。そのせいか、この頃だんだん書かれなくなった。いきなり用件へ入る手紙がふえている。若い人には、歯の浮くような文句が美しいと思われないということもある。

 
 手紙の書き出しもそうですが、敬語の使い方についても迷うことがありますね。
 作法とか文法とかを理解していたとしても、あえて、ひろく世の中で使われている言い回しを使うことも時折あります。いくら文法的に正しくても、受け取る相手が「今の人」の場合は、正しい言葉づかいが相手にとって心地よく感じるとは限らないからです。

 その他、私の関心をひいたところを2つ。

 ひとつは、「ユーモアのセンス」の章で紹介されている楽しいやりとり。

 
(p169より引用) アメリカの片田舎のこと。駅に大きな時計が二つあったが、時間の合っていたためしがない。口やかましい乗客が、合わせておけばいいのにと注意した。駅長、すこしも動ぜず、
「それじゃ、二つある意味がないでしょう」

 
 もうひとつは、私も含めて「確かにそうだな」と首肯できる外山氏の指摘です。

 
(p146より引用) わからないことがわからない、というのは、日本人の知性の泣きどころであるらしい。

 
 最後に、蛇足です。

 本書は、いまどきの日本語を語るにあたって、「メール」の作法に言及していません。
 著者自身、メールでのやりとりの機会が薄いためだと思いますが、ひょっとすると、携帯メールの絵文字や略語の行列は、著者にとっては「日本語」の範疇外なのかもしれません。
 
 

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日本人と中国人ここが大違い (中嶋 嶺雄)

2009-01-24 20:33:09 | 本と雑誌

China_2  著者の中嶋氏は現代中国学の専門家です。
 その著者自身の実地の経験に基づく「日本/中国比較」に関する軽い読物です。

 欧米人から見るとほとんど区別がつかない中国人と日本人ですが、その思考や行動に表れる根源的な思想には大きな相違があるといいます。

 時代を遡ると、古代から日本は中国の影響を受けてきました。しかしながら、その影響は、日本を中国化したというよりも、むしろ日本的に咀嚼され取り込まれていったようです。

 
(p31より引用) 日本は中国文化を受容したけれども、あらゆる点において、それを日本的に変容して、そこに日本の美を創造しているのではないかという問題に行きつくのではないでしょうか。

 
 以下、本書で紹介されている日本と中国との違いについて、私の興味を惹いた点を記しておきます。

 まずは、中国の「法律感」についてです。

 よく中国は、「契約遵守」の姿勢が欠如しているといわれることがあります。
 その点について、著者は、中国法の歴史的特質から以下のように解説しています。

 
(p148より引用) 法治主義といっても、それはもっぱら処罰するだけですから、中国の法律は、中国古刑法に見られるように、罪刑法定主義の立場を一貫してとってきました。・・・そうした法体系のもとでは、民衆の権利よりも、義務に重点がおかれるとともに、いかに重刑を科すか、いかに処罰するかに力点があるわけで、ローマ法以来の権利の法典、いわば国民の基本的な立場や権利を擁護するという、西欧的な法体系とは正反対で、根本的に違っているのです。

 
 もうひとつ、「大同小異」という言葉のニュアンスについてです。

 
(p165より引用) 日本人は、「小異をすてて大同につく」というふうに、そこでものごとを割りきって、結論をつけてしまいますが、本来のことばは、
「小異をのこして、大同をもとめる」(「存小異、求大同」)
 というのが正しいのであって、違いや対立、矛盾や問題点は依然としてその場に残るのです。・・・
 ・・・右の言葉の解釈においても、日本人と中国人との大きな違いがあるのです。

 
 著者は、サクサクと日本と中国との比較を紹介しています。

 「義」と「礼」、「士」と「文」、「タテ社会」と「ヨコ社会」、「産業民族」と「商業民族」・・・。
 ただ、種々示される相違の根源が、たとえば、日本の男性的な「武家文化」と中国の女性(中性?)的な「宦官文化」にあるといった立論は、本書の前に読んだ白川静氏の学究の仕事と比べると、正直、物足りなさを感じざるを得ませんでした。
 
 

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白川静 漢字の世界観 (松岡 正剛)

2009-01-18 15:11:52 | 本と雑誌

Koukotsu_moji  以前、白川 静氏の「漢字―生い立ちとその背景」は読んだことがありました。また、松岡正剛氏の本も数冊読んでいます。

 本書は松岡正剛氏による「白川学」の入門書です。

 白川氏が自身の学究生活のすべてを賭けて突き止めようとしたのは、「日本を含んだ東洋古代の世界観」でした。
 そのための方法として、文字の表意の探究を始めたのです。

 
(p17より引用) 漢字が言葉の意味をあらわしていると言っているのではなく、文字は言葉を記憶しているのだ、文字しか言葉を記憶しているものはない、漢字はそれを体現しているのだと、そう、白川さんは強調しているのです。

 
 中国古来の文字は、秦の始皇帝により「篆書」に統一され、そのときから文字の持つ中国古代社会の重要な情報が失われたのです。
 さらに、コミュニケーションが多様かつ濃密になっていくにつれ「文字の力」は弱まっていきました。

 
(p36より引用) 言語文化と文字文化の重なりとメディアのつかいかたに慣れてくると、そこに言葉や文字の本来の「力」があったことを忘れてしまうようにもなりました。とくに文字の力が忘れられていった。本来の文字は当時の社会の言葉を喚起させ、意味を再生させ、世界を実感させる最初の「力」をもっていたはずなのに、そのことを忘れてしまうのです。

 
 他方、漢字を受け入れた日本では、その漢字をまさに「国字(日本の文字)」として発展させていきました。
 漢字から「仮名(ひらがな・カタカナ)」を生み出し、さらにひとつの漢字に「音読み」「訓読み」を与えました、その結果、日本語は、言語の中でも特異な文字体系をもつとともに、豊かな表現力も獲得したのでした。

 
(p238より引用) 日本人は自分たちの言葉づかいを捨てずに漢字の使用法を工夫し、その漢字の使い勝手を工夫しきっていくことで、日本語の言葉による表現力をさらに高めることに成功したのです。

 
 そういう表現力という観点からみると、白川氏が『字訓』にて、デカルトの「我思う、故に我あり」の「思う」は「慮ふ」や「恕ふ」の方が相応しいと指摘しているのはもっともだと思います。
 また、そういう細かなニュアンスを表す様々な漢字を、戦後の「当用漢字」の制定で自己否定したことへの白川氏の憤慨も理解できます。

 本書の著者である松岡氏は、当代を代表する博覧の人です。その松岡氏をして「白川静という知」はこう評されています。

 
(p167より引用) ここで私が話しておきたかったことは、ひとつには白川静という知は、やはりただならないということです。そして、その知は古代中国と古代日本とに同時にまたがって、つねに灼けるような推断をしつづけていた知であったということです。
 もうひとつ示しておきたかったのは、『詩経』と『万葉集』は白川流の民俗学によってつながったということでした。

 
 松岡氏が「あとがき」にて紹介している白川氏のことばです。

 
(p269より引用) 詩においては「孤絶」を尊び、学問においては「孤詣独往」を尊ぶのです。孤絶、独往を少数派などというのは、文学も学術もまったく解しない人の言うことです。(中略)学問の道は、あくまでも「孤詣独往」、雲山万畳の奥までも、道を極めてひとり楽しむべきものであろうと思います。

 
 長きに亘り異端とされながらも独自の学問的方法を究め、齢70を過ぎてから「字統」「字訓」「字通」の字書三部作を著わした白川氏ならではの述懐です。
 
 

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戦略コンサルティング・ファームの面接試験―難関突破のための傾向と対策 (マーク・コゼンティーノ)

2009-01-17 16:20:15 | 本と雑誌

 タイトルどおりの究極のHow To本です。

 ケース・インタビューの練習用に数多くの例題が掲げられていて参考になるのですが、そのケースの解答例は、(まさにこの本が示している方法論に従っているのですが、)あまりにもパターン化されすぎているように感じました。

 また、検討されている対応策に関しても、現状を踏まえての掘り下げ方が不十分で、いかにも「戦略コンサルティングファームの公式解答」と言わざるを得ません。
 特に、コスト削減のために「解雇」するとか、マーケットシェアを拡大するために「企業買収」するとか、他社のノウハウを得るために「トップハンティング」するとか、売上増を図るために「大々的なキャンペーン」をうつとか・・・こういう類の対応策は、「いかにも」という感じで、実業の観点から、地に足のついた打ち手だといった納得感はまったく得られませんでした。

 そもそも本書の目的が、米国系の戦略コンサルティングファームの「面接」対策にあるので、こういったステレオタイプのHow Toものになっているのも止むを得ないとは思います。
 その点では、すこぶる「合目的」的な本です。

 How Toという点で割り切ると、「マーケット・サイジング問題」への対処方法

 
(p36より引用) マーケット・サイジング問題は、大きく以下の4つに分類される。
(1) 人口(国や一定地域)ベースの問題
(2) 世帯ベースの問題
(3) 個人ベースの問題
(4) 「いったい誰がこんな問題を考えたんだ」という奇想天外タイプの問題
・・・マーケット・サイジング問題では、明確なロジックと仮説にもとづいて回答することが最も大切である。

 
 は、当たり前とはいえ、頭の整理になりました。

 また、p106以降の「フレームワーク」の超基礎的な説明は、ロジカル・シンキング系の本であればどれにも載っている内容ではありますが、非常にコンパクトにまとまってりて分かりやすいものでした。

 ただ、本書を鵜呑みにした「フレームワーク崇拝のステレオタイプ思考の達人」ばかりが増えてくるとどうでしょう・・・。
 プログラム化されたフローチャートをたどっているようで、取り組んでいる日々の仕事にワクワク感がなくなりますよね。
 個人的には勘弁して欲しい気がします。
 
 

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折れない心の作り方 (齋藤 孝)

2009-01-14 22:22:30 | 本と雑誌

 齋藤孝氏の著作は、以前にも「私塾のすすめ-ここから創造が生まれる」「日本を教育した人々」等何冊か読んでいます。

 本書は、それらと比べるとちょっと趣きの変わったものです。

 昨今特に、ほんのちょっとしたことで傷つく、自信を喪失するといった人々が目立ってきています。そういう若者に対する齋藤氏流の「こころの処方箋」です。

 齋藤氏の主張のキーワードは「自己肯定力」です。

 
(p21より引用) 自分を保つ力、自己を肯定できる力を持てれば、他人から承認、肯定してもらうことに依存しなくてもいい。
 他者とのつながりを必要としないのではなく、他者からの承認要求を小刻みに求めつづけなくても大丈夫な自分、安定した自己を築くことができる。

 
 「自己肯定力」を強化するためには、「縁」「深く交わる力」「アイデンティティ」の3つの要素が重要と話します。

 まずは、「縁」。

 
(p39より引用) その出会いが何を生み出したか、自分にとってプラスがどのくらいで、マイナスがどれくらいか、といった計算を度外視したところで続いている関係こそが、人生にとってかけがえのないものになる。

 
 「腐れ縁」を積極的に評価にし、「縁」による偶然の触発を大事にします。

 
(p53より引用) 初めから計画を立てて拡張していく事業というのは、人の想像できる範囲のものに収まってしまいやすい。ところが、外の世界の何かに触発されて展開していくところには、予想を超えた面白さがある。

 
 次に「深く交わる力」。

 人との関わり方はネット社会の進展にともなって大きく変わってきました。私の学生のころは友達の下宿に行き来したり、寝泊りしたりするのが普通で、そういった環境の中で体感的な他人との接点がありました。
 今は直接的な交わりが希薄で、その分、他人と接する皮膚感覚がきわめてデリケートになってしまいました。他人の言葉に対する耐性が、明らかに弱くなったようです。

 
(p119より引用) 元々、批評精神というものは、自分のワールドに埋没するのでなく、他者性を持って外の意見を取り入れることを非常に価値のあるものだと見なすところから始まっていた。たとえ完膚なきまでにやっつけられて敗北を喫したとしても、その応酬によって成長することができるという発想のもとに立っている。

 
 齋藤氏は、「縁」「深い交わり」を通して、自己肯定の礎となる「アイデンティティ」が確立されていくと説いています。

 
(p220より引用) 縁と深い交わりとアイデンティティというのはそれぞれ別のファクターだが、縁があって深く交わったものは自分のアイデンティティの一部になっていく。

 
 「アイデンティティ」を強く持つための方法のひとつとして、齋藤氏は「私淑」というコンセプトを紹介しています。

 
(p199より引用) 心の味方や心の師を持つと、自己否定に潰れなくなる。

 
  「私淑できる人物をもつ」ということは、自分を孤立化することを防ぎ、自分と他者とのつながりの根を自覚させる有益な方法だというのです。
 「尊敬」というよりも「自己の思い込み」を感じるおもしろいコンセプトだと思います。
 
 

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うわさの日本史 (加来 耕三)

2009-01-12 14:01:25 | 本と雑誌

Shingen_sonshi  歴史上の人物の実像は、今となっては、何らかの文献によってイメージするしかありません。
 しかしながら、その文献は、書き手というフィルタを経たものですから、それは意図するせざるに関わらず何らかの衣を纏ったものになっています。その結果、根拠とする文献によって、その人物像は大きく異なってきます。

 本書で取り上げられた人物は、織田信長、武田信玄、徳川家康、天草四郎、赤穂浪士、絵島・生島、新撰組、坂本龍馬、西郷隆盛。

 著者は、それぞれの人物にまつわる「風説」をとり上げながら、著者なりの解釈でその虚像と実像を明らかにしてゆきます。

 たとえば、武田信玄
 信玄といえば、豪胆・豪気な武将だったというイメージが定着していますが、著者の理解によると、ちょっとイメージは異なります。
 若き日の信玄は、甲斐の家臣を治めるに法律をもってしました。「甲州法度之次第」です。

 
(p57より引用) 最後の五十五条は、こうした文面で締められている。
「この法度は国主たる晴信にも適用される。もし、私が法に背いたと思われることがあれば、目安をもって訴え出よ」・・・
 戦国大名がおのれの権力で、家臣や領民を脅し、強権を敷くのが当然であった時代に、信玄は自分の作った法度によって、自分自身をも裁くことを宣言したのである。

 
 そこに見られる信玄像は、決して専制君主的なカリスマリーダの姿ではありません。

 普通、私たちは、歴史上の人物を知るのに、その人物を扱った「史料」そのものにあたることはめったにありません。
 多くの場合、「歴史小説」で描かれた姿でイメージします。その意味では、歴史作家の描き方如何で、その人物像は大きく変わります。

 歴史作家は、史実を求めつつも、自らの「創作」を加えて小説に仕上げていきます。そして通常、史実と創作は渾然一体となって読者に示されます。
 そこに、実体とは異なる歴史上の人物の「虚像」が現れるのです。

 著者は、「新撰組三部作」を著した子母沢寛や、「竜馬がゆく」の司馬遼太郎を例に、歴史家からみた歴史作家の功罪について辛口の評価をくだしています。
 
 

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育ての親 (世界を制した「日本的技術発想」(志村幸雄))

2009-01-10 19:07:47 | 本と雑誌

Walkman  本書の中で、著者はいくつもの「日本的技術」の特徴を指摘しています。

 ひとつには、日本企業のもつ「製品化への執着」の姿勢です。

 
(p51より引用) 日本企業は、欧米の発明企業が道半ばにしてあきらめたり、放棄したりしていた研究テーマを、明確な目的意識と強烈な意思決定力で製品技術に育て上げ、産業化に結びつけている。

 
 この具体的な例としては、SHARPによる「液晶表示技術」やSONYによる「CCD(電荷結合素子)」等があるそうです。

 また、「民生主導の技術開発」も日本ならではです。

 米国の先端技術開発は軍需主導でした。
 「富国強兵」が叫ばれた明治以降第二次世界大戦までは、日本でも軍用の技術開発が盛んでした。軍需となると、身近な使いやすさやコストダウンといった観点が欠落してしまいます。
 戦後、日本は、消費者を相手にした競争市場の中で民生技術を磨いていきました。

 
(p151より引用) 日本の製造業の強さの根源は、ソニーの例が示すように民生技術に集中し、軍需主導の技術開発では達成不可能な新技術・新製品を実現してきたことにある。

 
 著者は、江戸時代末に来航したペリー提督が、日本人の技術力の高さに感銘し、「将来の発明大国」と予言していたことを紹介しています。

 
(p40より引用) 日本の手工業者は世界に於ける如何なる手工業者にも劣らず練達であつて、人民の発明力をもつと自由に発達させるならば日本人は最も成功してゐる工業国民に何時までも劣つてはゐないことだらう 「ペルリ提督日本遠征記」

 
 現在の日本を考えるとき、「ペリーの予言」が的中したと言えるのか。
 それは、「技術開発」の位置づけによって評価は分かれます。

 
(p125より引用) 科学技術の世界では、新原理や新機構の発明・発見につながる「生みの親」の役割が大きく評価され、「育ての親」による応用研究や製品開発は副次的な成果として軽く見られがちである。・・・
 しかし、科学技術のめざすところが人類の生活・福祉の向上や産業社会の発展にあるとすれば、市場化や産業化に直接つながるこの「川下型」の技術開発の役割は大きく、この分野で比較優位に立つことはきわめて重要である。その限りでは、むしろ「生みの親」よりも「育ての親」なのだ。もちろん、その成果は「模倣」とは異質のものである。

 
 著者は、「日本的技術発想」にもとづく日本の技術開発の潜在力の大きさを高く評価しています。
 
 

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日本の技 (世界を制した「日本的技術発想」(志村幸雄))

2009-01-08 22:45:47 | 本と雑誌

Wadokei  とかく独創性に欠けると揶揄されている「日本技術」について、その特徴や位置づけ・評価を、歴史や文化の観点も踏まえ論じた本です。

 
(p6より引用) 「技術」とは、いうなればアイデアや着想を「もの」に転換する方法論である。

 
 著者は、その論考を通じて、日本ならではの「発想のオリジナリティ」を認めています。日本が得意としているところは、「科学」と「技術」をつなぐフェーズで現れます。

 著者は、「科学」と「技術」との関係性について、次のように語っています。

 
(p56より引用) 第二次大戦後の技術革新の最大の特徴は、「科学」と「技術」の間の垣根が低くなったことである。・・・両者の間には「科学的な知識をもとに技術が成立する」という因果関係があり、この関係は「リニアモデル」と呼ばれている。だが、戦後の技術革新が進むなかで、「科学」と「技術」相互の発展要因が複雑にからみ合い、また両者間の距離が急速に接近するにつれて、両者の関係が必ずしもリニアモデルのとおりではなくなってきた。

 
 こういった「科学」と「技術」との関係は、「基礎研究」と「応用開発」との関係にも投射されます。

 
(p50より引用) 「死の谷」問題は日本の研究開発プロセスにも存在していて、商品化や事業化の阻害要因になっている。しかし、・・・わが国では「日本的技術発想」というべき独自のアプローチでこの問題に対処し、基礎研究と応用開発との間に欧米諸国よりはるかに効率的な関係をつくり出している。
 そのアプローチの典型が、「応用目的」主導で進められる研究開発である。

 
 「基礎研究」から「応用開発」というリニアな方向だけにこだわらず、日本においては、「応用開発」が「基礎開発」を触発するという実用本位の発想が見られるのです。

 「実用」重視の考え方は、製品・商品として形にすることにこだわります。

 
(p63より引用) ものづくりの三要素といえば、事物の定義・定理の基本となる「科学」、設計の概念を提供する「技術」、そして実際の制作の手段・手法としての「技能」がある。そして日本人のものづくり能力は、「技能」という観点から評価されることが多い。

 
 「技能」なくしては、「科学」も「技術」も実世界に役立つものとはならないのです。
 
 

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白洲次郎と白洲正子―乱世に生きた二人 (牧山 桂子・須藤 孝光・青柳 恵介)

2009-01-06 22:45:12 | 本と雑誌

Oribeyaki  白洲次郎氏は、以前、その著書「プリンシプルのない日本」「白洲次郎の流儀」等を読んで、その経歴や人となりはある程度理解していました。
 また、白洲正子氏については、「私の古寺巡礼」という著作を読んだことがあります。

 本書は、その白洲次郎・正子夫妻のアルバムのような本です。
 左開きの横書きで次郎氏、右開きの縦書きで正子氏、それぞれのパーツを合わせて1冊の本ができています。写真も豊富で面白い体裁の本です。

 本書では、特に正子さんの「骨董趣味」について記されたパーツが興味深かったです。

 
(p六より引用) 白洲さんは蒐集というものを警戒していた。骨董を蒐集しようとすると、美しくないものでも自分が持っていないものを手に入れようとしたり、系統だってものを集めようとしたりするようになる。珍しいものを集めることも、系統立てるということも研究的な態度ではあるが、美の経験とは関係がない。

 
 正子さんは、骨董をただ集めるだけではありませんでした。実際に身近に置き使うことによりその良さを体感していました。
 それだけに、自分の好みにこだわりました。

 
(p九より引用) 白州さんは自分の骨董の好みが実にはっきりしていて、他人のものに対してお世辞を言うことがなかった。だいたい自分の好みに外れる場合は「弱い」という語が使われることが多かった。いかにも白洲正子らしい言葉だと思う。

 
 本書の中に、桃山から江戸期の「織部呼継茶盌」の写真が載っていました。割れた陶器の破片を集めてきて一つの完成品に仕上げるという「よびつぎ」と技法で作られたものです。

 
(p二七より引用) 一国一城の主がそれぞれの文化を持ち、天下統一の夢をみた戦国時代というのは、もしかすると日本列島そのものが「よびつぎ」の時代であったのかもしれない。

 
 私は美術品に対する素養は全くないので、かえって「なるほどそうか」と感じる記述がありました。

 たとえば、「美術史」について。

 
(p二七より引用) 日本の美術史は作る者の歴史である以上に、鑑賞者の歴史であるということも私が白洲さんから学んだ大きなことの一つである。桃山期の茶人の選択は一つの創造である。

 
 また、「美しいものを愛でる心」について。

 
(p五八より引用) 凡庸な壺はつまらないか。そんなこともない。凡庸な壺を愛する心の広さを持たない人は、神品と出会ったとしても、それに気付かぬ鈍感な人のような気がする。

 
 さて、本書の著者のひとり牧山桂子さんは、白洲次郎・正子夫妻の長女です。
 その桂子さんは、「時を経て想う、父次郎と母正子」という章でこう語っています。

 
(p七四より引用) 父や母のことも、本来の姿と違って一人歩きしているようです。彼らの良い面だけが浮き彫りにされているのは何だか恥ずかしい気がします。

 
 しかし、自分に正直であったお二人の生き様は、やはり魅力的です。
 
 

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一流の人は空気を読まない (堀 紘一)

2009-01-04 14:33:35 | 本と雑誌

 最近の新書によく見られる「タイトル」で惹きつける類のようですが、元ボストンコンサルティンググループの堀紘一氏の著作ということで読んでみました。

 堀氏は、まず、一見すれば同じように空気を読まない人間であっても本質的に異なる2つのタイプが存在すると指摘しています。

 
(p38より引用) 自分に対して周りが何を望んでいるかはわかっていながらも、「あえて、そうした声には耳を貸さない立場を貫き通している」のか、そういうことではなく、「もともと周囲の望みなどはまったく感知しない」のかは大きな違いであるといえる。

 
 KYにも2類型あるのです。

 著者は、今の社会に蔓延している「空気」に強く反発しています。
 空気を読んで周りに合わせているだけの「一流の空気読み」は、著者によると「迎合のスペシャリスト」とのこと。

 
(p49より引用) 「一流」とは、時代を切り拓いていくような人物に対して用いられる言葉であるからだ。

 
 著者の主張は、多数に迎合し無難を求める姿勢を厳しく戒めていますが、さらには、最近よくいわれる「ファシリテータ型リーダシップ」へのアンチテーゼのようにも聞こえます。

 リスクをとって目標に向かってチャレンジする意思、小さな成功に満足せず自己研鑽に努める姿勢・・・。著者が薦める思考/行動様式には、首肯すべきところが数多くあります。

 ただ、それを説くにあたっての社会認識にはちょっとどうかなと思うところもありました。
 たとえば、以下のような断定です。

 
(p70より引用) 今後の日本では、数千万円の収入を得るリーダーと低収入の単純労働者に分けられていき、その中間の人間は価値をなくしていくのは間違いない。

 
 そうでしょうか?この二極化論については、どうも賛同しかねます。

 1人のスーパーマンだけで企業活動が動いていくとは思えません。
 販売現場のリーダ、生産現場のリーダ・・・、企業を取り巻く変化に迅速かつ的確に対応するためには、現場での瞬時の判断が今後ますます重要になるように思います。そうなってくると、実質的に事業活動を支えるプロセスを回すのは、実業を熟知した匠の現場のリーダになってきます。

 企業を牽引するリーダシップを否定するものではありませんが、事業を実業として営んでいくためには、実務のリーダも絶対に必要不可欠です。
 
 

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知的生活の方法 (渡部 昇一)

2009-01-02 10:33:42 | 本と雑誌

 渡部昇一氏の著作は、以前、「日本史から見た日本人 昭和編」という本を読んで、納得できるところのもあれば、ちょっと?というところもあったのですが、今回は「歴史観」とは別のテーマの本です。

 初版は30年ほど前のものなので、時の移ろいを感じつつも、興味深い考え方がそこここにありました。

 タイトルにある「知的生活」という言葉自体耳慣れないのですが、それ以上に私にとって新しかったのは、「知的正直」という単語です。著者によると、英語には「Intellectual honesty」という言葉があり、「知的正直」とは、簡単に言うと「わからないのにわかったふりをしない」ということだそうです。「己れに対して忠実なれ」ということです。

 著者にとって「知的生活」を構成するものの重要なパーツは「読書」です。

 
(p47より引用) 読書の、つまり知的生活の真の喜びは、自己に忠実であって、不全感をごまかさないことを通じてのみ与えられるもののようである。

 
 本書のかなりの部分は、著者の薦める「読書法」です。

 その中の一つ、「繰り返して読む」ことについての著者のコメントです。

 
(p52より引用) 繰りかえして読むということの意味はどういうことなのだろうか。それは筋を知っているのにさらに繰りかえして読むということであるから、注意が内容の細かい所、おもしろい叙述の仕方にだんだん及んでゆくということになるであろう。これはおそらく読書の質を高めるための必須の条件と言ってもよいと思う。

 
 その他、渡部流の「知的生活」をおくるための情報整理の方法・空間の作り方・時間の使い方・・・、果てにはワインの飲み方やホットミルクの作り方まで披露しています。

 amazonの書評には「本書には、平均的日本人に実現可能な、さまざまなヒントとアイデアが、著書自身の体験を通して、ふんだんに示されている。」と書かれています。

 確かに、なるほどと思う刺激的なアイデアも豊富に開陳されています。
 が、正直なところ、著者のように、「○○全集」に100万円以上費やしたり、書棚をおいても傾かない構造の家を建てたり・・・というのは、なかなか普通の人にはできないと思いますね。

 
 

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あけましておめでとうございます

2009-01-01 16:13:07 | 日記・エッセイ・コラム

新年、あけましておめでとうございます。
 
 今年は、穏やかな陽気の年明けとなりました。
 
 いつもの読書の方は、今年もぼちぼちと、年間100冊を目安に読んでいきたいと思います。

 昨年は、古典系の割合がちょっと少なかったので、今年は原点にもどって岩波文庫を増やしましょうか。
 そのほか、あまり好みではない小説もしっかりしたものを少しは読んでみたいと思いますし、軽いエッセイも自分と違った感性に触れる意味で欠かせないものだと思っています。
 通勤電車の中での読書が中心なので、人ごみの中で開ける文庫・新書は重宝するのですが、最近の大量生産的な「新書」は玉石混交です。
 
 ともかく食わず嫌いを減らして、いい本に出会えればと思います。
 
 あと、このブログも読書の記録になりつつありますが、今年は、以前のように「ちょっとした気づきのコメント」を少しずつ復活させようかと考えています。
 
 まあ、いずれにしても、コツコツと自然体で書き重ねていきましょう。
 

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