OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

ウェブ時代をゆく ‐ いかに働き、いかに学ぶか (梅田 望夫)

2008-02-24 08:28:14 | 本と雑誌

 梅田氏の著作は、「ウェブ進化論」「ウェブ人間論」「フューチャリスト宣言」に続いて4冊目になります。

 例のごとくグーグルは登場します。
 最近の動きのアップデートとして、グーグルの持つふたつの顔についてのコメントです。

 
(p45より引用) 「世界中の情報を整理し尽くす」という「存在意義」と表裏一体となった「広告業界の覇権獲得」という「一つ目の顔」がメディア産業を脅かすのに対して、「コンピュータ産業を作り直す」という「二つ目の顔」が競争を仕掛けるのはマイクロソフトが制しているIT産業の覇権であり、ひいてはIT産業全体の構造を脅かすのである。

 
 梅田氏は、グーグルで実際行われ、また氏自身も経験したネットベースの「ダイナミックな知の創造プロセス」を紹介しています。
 それは、「情報をひろくネット上に置き、その反応(付加価値)により知を増殖させる」というサイクルです。
 このサイクルを回すためには、「三つの発想の転換」が必要だと言います。

 
(p162より引用) 一つ目は「ネット上の不特定多数を信頼する」気持ちを持つことである。・・・
 二つ目は「閉から開へのマインドセットの転換」である。・・・
 そして三つ目は「希少性をコントロールする概念からの脱却」である。

 
 ただ、本書はこの手の話題がメインテーマではありません。

 本書で特に強く語られているのは、今のネット時代に生きる若者に対する梅田氏からの熱き想いです。
 それは「好きを貫け」というメッセージです。

 
(p79より引用) チープ革命、受益者非負担型インフラ、無償サービス、情報の共有・・・。ウェブ進化のキーワードを並べてみればまさに、「貨幣経済の外側で活動する能力」がパワーアップされて、広く誰にも開かれていく未来が見えてくる。お金をあまりかけずとも、「内面的な報酬」を求めて、能動的で創造的な行為における「好き」を貫く自由が広がるのだ。

 
 梅田氏自身も「好き」なことを探し、見つけ、それを実践し続けました。

 
(p143より引用) 私が何とか「けものみち」でサバイバルしてきたことについて、私自身が振り返って頭に浮かぶ要因は、「好きなことをやり続けたいという執念によってドライブされた勤勉」以外には思いつかない。こつこつと丁寧に細かなことを積み上げながら毎日を送ってきたことに尽きる。

 
 梅田氏のメッセージは、今の若者へのオプティミズムに基づく応援歌ではありますが、そのオプティミズムは「無責任」「無節操」を許すものではありません。
 梅田氏は、地道な「継続した勤勉さ」を求めています。「好き」を貫くのは、多きに流されるよりもはるかに厳しい覚悟が必要なのです。

 さて、最後に、梅田氏による「ネット世界のビジネスの意味づけ」をご紹介します。

 
(p221より引用) 誰もがベンチャーの創業や経営を目指す必要などまったくない。ただ、人生の一時期に思い切り働き、成功したらある時期以降は時間的自由を得たいと考える人にとっては、こうした特別な環境が社会の選択肢として存在することで人生の自由度が高まる。また社会全体としてみても、リスクの高い新規事業創造を多産多死の速いスピードでまわす厳しい環境を特別ルールのもとで用意したほうが、イノベーションや雇用が生まれる可能性が高くなる。

 
 積極的な意味で、ネットベンチャーが育つ素地が現代社会には必要だとの認識です。

 
(p222より引用) ベンチャーとは「緊張感溢れる仕事環境に身を置くことで、個が成長できる場」と位置づけるのがいい。

 
 しかしながら、「個の成長」はベンチャーの専売特許ではないはずです。
 環境はもちろん大きな要因ですが、梅田氏の言う「好きなことへの勤勉さ」は個人の気持ちの持ちようです。
 どのような環境・境遇においても、程度の差こそあれ、真摯な勤勉さは個人の成長を間違いなく促すのです。
 

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687) ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)
価格:¥ 777(税込)
発売日:2007-11-06

 


クチコミblogランキング TREview

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

個人的善 (善の研究(西田幾多郎))

2008-02-23 12:08:30 | 本と雑誌

Nishida_kitaro  本書は、西田哲学の入門書としては最適との評があるようですが、そもそもの哲学的素養がない私には、荷が重すぎました。

 ただ、その中で、わずかながらでも論旨が頭にはいったのが、第三章後半の「善行為」の具体的言及の部分です。

 まずは、西田氏の言う「善」の定義です。

 
(p180より引用) 意志の発展完成は直に自己の発展完成となるので、善とは自己の発展完成 self-realizationであるということができる。・・・
 ここにおいて善の概念は美の概念と近接してくる。美とは物が理想の如くに実現する場合に感ぜらるるのである。・・・
 また一方より見れば善の概念は実在の概念とも一致してくる。・・・即ち自己の真実在と一致するのが最上の善ということになる。

 
 さらに、「善とは人格の実現」であると続きます。

 
(p189より引用) 善とは自己の内面的要求を満足する者をいうので、自己の最大なる要求とは意識の根本的統一力即ち人格の要求であるから、これを満足する事即ち人格の実現というのが我々に取りて絶対的善である。

 
 西田氏は、もう少し具体的な「善の内容」を以下のように説明します。

 ここでは「個人的善」が立論の対象となっています。

 
(p195より引用) 従来世人はあまり個人的善ということに重きを置いておらぬ。しかし余は個人の善ということは最も大切なるもので、凡て他の善の基礎となるものであろうと思う。・・・余は、自分の本分を忘れ徒らに他の為に奔走した人よりも、能く自分の本色を発揮した人が偉大であると思う。

 
 もちろん「個人的・・・」といっても、その意味するところは基礎的なところで社会性を有するものです。個人も社会の1細胞であるとの考えが、その底流に流れているようです。

 
(p196より引用) しかし余がここに個人的善というのは私利私欲ということとは異なっている。個人主義利己主義とは厳しく区別しおかねばならぬ。利己主義とは自己の快楽を目的とした、つまり我儘ということである。個人主義はこれと正反対である。・・・また人は個人主義と共同主義と相反対するようにいうが、余はこの両者は一致するものであると考える。一社会の中にいる個人が各充分に活動してその天分を発揮してこそ、始めて社会が進歩するのである。個人を無視した社会は決して健全なる社会とはいわれぬ。

 
 本書は、百科事典の解説によると「発売当初は一部の学者の注目をひいたのみであったが、倉田百三の随筆集『愛と認識との出発』(1921)で紹介され、一躍、哲学、文学青年たちの愛読書となった」とのこと。
 第一章、第二章あたりの記述からは、本書が多くの読者を得たとは信じ難いのですが、第三章のあたりでは、少しはさもあらんと感じられるくだりが見られます。
 たとえば、

 
(p199より引用) 我々は自己の満足よりもかえって自己の愛する者または自己の属する社会の満足によりて満足されるのである。

 
 また、こういう言い様。

 
(p205‐206より引用) 世人は往々善の本質とその外殻とを混ずるから、何か世界的人類的事業でもしなければ最大の善でないように思っている。しかし事業の種類はその人の能力と境遇とに由って定まるもので、誰にも同一の事業はできない。・・・いかに小さい事業にしても、常に人類一味の愛情より働いている人は、偉大なる人類的人格を実現しつつある人といわねばならぬ。

 
 こういった言い回しだと、頭にはいってくるのですが・・・ 

善の研究 (岩波文庫) 善の研究 (岩波文庫)
価格:¥ 693(税込)
発売日:1979-01

 


クチコミblogランキング TREview

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西田哲学入門編? (善の研究(西田幾多郎))

2008-02-22 19:46:55 | 本と雑誌

Nishida_kitaro_2  西田幾多郎氏(1870~1945)は、明治・大正・昭和期の哲学者で、いわゆる京都学派の指導的存在として有名です。
 その西田氏が30歳代に記した、金沢第四高等学校における講義の草案がこの「善の研究」です。

 今回は、参加しているセミナーでの必読書に指定されたので読んでみました。
 以前にも日本哲学系の本は何冊か手にとったことはあり、本書もいつか読んでみようとは思っていたのですが、残念ながら、再び三度、撃沈です。

 「善」の話に至るまでの第一章から第三章の前半あたりまでは、正直、私の頭の中では全く咀嚼できませんでした。西田氏の立論は、内外の哲学思想のエッセンスを紹介しつつ、かなり論理的に構築されているのですが、如何せん、私の理解力がついていけませんでした。

 という状況なので、(理解しているか否かはともかく、)私の覚えとしたいフレーズを、順不同で以下に記すことにします。

 まずは、基本概念の「純粋経験」の定義です。

 
(p13より引用) 経験するというのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といっている者もその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。

 
 哲学的意味における「真理」について。
 「真理」は、具体的・直接的な事実であるがゆえに「個人的」なものであるとの論、また、科学的に認められている「真理」は、(哲学的な意味では)真理とはいえないとの指摘は、私にとっては新鮮でした。

 
(p46より引用) 余は最も具体的なる経験の事実に近づいた者が真理であると思う。・・・真理の極致は種々の方面を綜合する最も具体的なる直接の事実その者でなければならぬ。この事実が凡ての真理の本であって、いわゆる真理とはこれより抽象せられ、構成せられた者である。・・・完全なる真理は個人的であり、現実的である。それ故に完全なる真理は言語にいい現わすべき者ではない、いわゆる科学的真理の如きは完全なる真理とはいえないのである。

 
 このあたり、「哲学からみた科学(物理学)の位置づけ」については、以下のようなフレーズも見られます。

 
(p87より引用) 一の統一が立てば直にこれを破る不統一が成立する。真実在はかくの如き無限の対立を以て成立するのである。物理学者は勢力保存などといって実在に極限があるかのようにいっているが、こは説明の便宜上に設けられた仮定であって、かくの如き考は恰も空間に極限があるというと同じく、ただ抽象的に一方のみを見て他方を忘れていたのである。

 
 また、真理から個人という流れは、「情意」と「個人」との関係というテーマでも、以下のような言いようで登場します。

 
(p77より引用) 我々が個人なる者があって喜怒愛欲の情意を起すと思うが故に、情意が純個人的であるという考も起る。しかし人が情意を有するのでなく、情意が個人を作るのである、情意は直接体験の事実である。

 
 西田哲学の基本概念は「純粋経験」であり、唯一の実在は「意識現象」であると説きます。

 
(p67より引用) 我々は意識現象と物体現象と二種の経験的事実があるように考えているが、その実はただ一種あるのみである。即ち意識現象あるのみである。物体現象というのはその中で各人に共通で不変的関係を有する者を抽象したのにすぎない。

 
 別々の概念と思われるものでも、それは「一のものの二面である」、「見る方向・見る視座が異なるだけだ」との論は、そこここで展開されています。

 
(p137より引用) 行為を分析して意志と動作の二としたのであるが、この二者の関係は原因と結果との関係ではなく、むしろ同一物の両面である。動作は意志の表現である。外より動作と見らるる者が内より見て意志であるのである。

 

善の研究 (岩波文庫) 善の研究 (岩波文庫)
価格:¥ 693(税込)
発売日:1979-01

 

クチコミblogランキング TREview

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホテル戦争‐「外資VS老舗」業界再編の勢力地図 (桐山 秀樹)

2008-02-17 14:14:32 | 本と雑誌

Teikoku_hotel  日本のホテル業界は、数多くの外資系高級ホテルの参入で熾烈な競争状況にあります。
 本書は、その攻防の様を、著者自身の地道な取材をベースした事実をもって明らかにしていきます。

 ここでは、競争そのものよりも、本書に登場するホテルのマーケティングや顧客サービスの面で、私の気にとまったものをご紹介します。

 まずは、超有名な「リッツ・カールトンのゴールド・スタンダード」です。

 
(p50より引用) 既によく知られているように、ザ・リッツ・カールトン・ホテルに勤めるスタッフは、「クレド」(信条)と書かれた小さなカードを常に携帯し、その理念を心に刻んで実戦するよう教育されている。・・・
 ゴールド・スタンダードで目を引くのは、クレドに書かれている言葉「リッツ・カールトンでお客様が経験されるもの、それは、感覚を満たすここちよさ、満ち足りた幸福感、そしてお客様が言葉にされない願望やニーズをも先読みしておこたえするサービスの心です」という一節である。

 
 そして、サービスを実際の「形」にする「2,000ドル」です。

 
(p52より引用) クレームが発生した場合、リッツ・カールトンでは、ウェイターやハウス・キーパーに至るまで、ゲストに接するスタッフ全員に最高2000ドルまでの「決済権」を与えている。
 その結果、発生したクレームに対して迅速かつ柔軟に処理すると共に、現場スタッフに上司の指示に頼らず、問題を自主的に判断する能力を持たせ、サービスの向上を図ることが出来る。

 
 同じように、お客様サービスで定評のある「フォーシーズンズホテルズの黄金律」です。

 
(p143より引用) 採用において重要なのはその人間の態度、性格で、・・・
 採用後は、「自分が対応されたいように、人に対応せよ」(Treat others as you want to be treated)を黄金律に、スタンダード(行動基準)以上のことは、自身で考えよという姿勢を取る。

 
 また、マーケティングの観点からのホテル展開に関しては、トリプル・ブランドを推し進める「ハイアット・インターナショナル社の知恵」が紹介されています。

 
(p109より引用) ハイアット・インターナショナル社はよく知られているように、同一のホテルチェーンの中に、「グランド・ハイアット」「パーク・ハイアット」「ハイアット・リージェンシー」という3つの異なるブランドを持つ。3ホテルブランドをあえて差別化することでそのいずれかを進出する都市や地区の特性に分けて選ぶという戦略である。・・・
 1つのホテルの中にあれこれと要素を詰め込まず、3ブランドに大別して、顧客の趣向を的確に摑む。これがハイアットの持つ「知恵」といえるだろう。

 
 最後に、最高のサービスを生みだす「人」について。

 
(p197より引用) 運営で最も重要なのは、顧客満足(CS)ではなく、従業員満足(ES)である。
 もちろん顧客満足が最も重要であることに変りはないが、ゲストにサービスを提供する側が勤務する環境に満足し、生きがいを感じて仕事をしていなければ、同じサービスを行なっても、ゲストの心に響くものとそうでないものに分かれてしまう。

 
 ここで再び、リッツ・カールトンの登場です。

 
(p198より引用) 自分が何を成し遂げたいかというクリアなビジョンを持ち続け、自分自身を他と比較するのではなく、去年までの自分自身と比較して、どこまで夢やビジョンを達成できるようになったかを確かめる。リコ氏の運営するザ・リッツ・カールトン大阪では、そうした意欲的な人材が、リーダーが示す優れたビジョンを共有し、他の誰も思いつかないようなサービスを思いつく。それをすぐに会社のスタンダードにしていく。

 
 箱物は、おカネさえをかければそれなりのものを作ることはできます。やはり、最後は「人」だということです。
 「人」が最大のKSFだということは、どの業界でもそうですが、特に、接客を伴うサービス業では格別の意味をもつようです。

 
(p199より引用) 我々が一定の評価を受けるようになった最大の原因は、ホテル業界にいるのではなく、サービス業界で働いているのだと考えたことです。サービス業と考えれば、大切なのはホテルの外観ではなく、インテリアでもなく、人間だということが分る。デザインでも施設でもない、人間が提供するサービスこそが我々の全てなのです。そうすればお客様は必ず戻ってきます。

 
 さて、最後の最後に蛇足を。
 本書では、ホテルに求められている雰囲気を表わすのに、「自宅にいるのと同じ感覚で寛げる」というフレーズがところどころに登場します。
 本書に登場するようなホテルが「自宅と同じ」というのは、どう逆立ちしても私の感覚では理解できません・・・。
 1ヶ月ほど前、機会があって「パレスホテル」のコーナーツインルームをシングルユースで使ったのですが、もちろん自宅とは大違い。慣れないもので、妙にはしゃいで、正直落ち着きませんでしたね・・・。(情けない限りです)

 

ホテル戦争―「外資VS老舗」業界再編の勢力地図 (角川oneテーマ21) ホテル戦争―「外資VS老舗」業界再編の勢力地図 (角川oneテーマ21)
価格:¥ 740(税込)
発売日:2005-12

 

クチコミblogランキング TREview

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新規事業を立ち上げる (MBAコースでは教えない「創刊男」の仕事術(くらた まなぶ))

2008-02-16 16:41:53 | 本と雑誌

From_a  くらた氏は、自ら、新たな情報誌を世に出すという新規プロジェクトに数多く関わられたのですが、その経験を活かして、他企業や地方自治体の新規事業開発の支援の仕事にもたずさわりました。

 そのくらた氏が語る「新規事業立ち上げの肝」です。

 
(p151より引用) 次から次に会って話をするうち、起業パワーには大きく二種類あると思った。
「ハングリー精神」「大好き精神」。頭きてるか、好きでたまらないか。
 通常業務に従事しながらも、かたわら「絶対に新事業を起したいんだ」という情熱の源泉。
「ハングリー」と「好きもの」が、新しいものを生み出していくんだなと思った。

 
 ともかく「やる気」です。「やらされている感」のある事業が成功するはずもなく、その意味では、新規事業の成功の可否はまさに「人」にかかっていると言えます。

 そうはいっても「気持ち」だけではだめですね。

 
(p188より引用) 「夢」から始めた創刊の全プロセスは、・・・
 1から4までが「夢」モード。国語作業。聞いて、しゃべって、言葉にする。楽観的に。
 5から8までが「現実」モード。算数作業。数字、数字、数字。リアルに現実的に。
 1から4までが「カッコいい大風呂敷」。5~8までが「地味な一歩」。

 
 「右手にロマン、左手にソロバン、心にジョーダン」。
 くらた氏のいう「起業の絶対3条件」です。

 最後に、これぞ現場という一言です。

 
(p239より引用) 人間POSが、耳と口を使って共有し、論争し、妥協点を見つける。そして変身し続ける。・・・
「わからないことはすぐ聞け! 知っていることはすぐ話せ!」

 
 現場では「声に出す」ことが大事です。

 いまなら「メールで聞く」「ネットで検索する」・・・?
 そんなことより、知っていそうな回りの人に、面と向かって聞きまくる方がずっと役立つ情報が得られます。

 仕事場そのものが「リアルな知恵の共有の場」にならなくてはなりません。
 声に出すことは、暗黙知を形式知化する「はじめの一歩」です。

 

MBAコースでは教えない「創刊男」の仕事術 MBAコースでは教えない「創刊男」の仕事術
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2003-04

 

クチコミblogランキング TREview

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

現場のことば (MBAコースでは教えない「創刊男」の仕事術(くらた まなぶ))

2008-02-11 13:50:16 | 本と雑誌

Torabayu  著者のくらた氏は、リクルートで「とらばーゆ」「フロム・エー」「じゃらん」といった新たなコンセプトの情報誌の創刊に関わった中心人物です。

 そのくらた氏が、それら数々の情報誌創刊にまつわる自らのリアルな経験をもとに、新たなものを産み出す「頭と体の動かし方」を開陳したものです。
 現場観に溢れたコメントには、なるほどという気づきの視点と圧倒的な説得力があります。

 たとえば、「マーケティング」ということばひとつとっても、くらた氏流の理解と解説はこういう感じです。

 
(p45より引用) 「マーケティングって、翻訳するとこうなるんじゃないか…」
 やっとそう思えた。翻訳とは、具体的な作業ベースに落としこめる日本語っていう意味だ。
「人の気持ちを知ること」
 これがマーケティングの日本語訳で間違いないと思った。
 その後、さらに以下の四つの作業に分解できることもわかった。
①人の気持ちを知ること。
②それを言葉にすること。
③言葉をカタチにすること
④できたカタチを、ふたたび言葉で人の気持ちに訴えること。

 
 最初の「知る」という点。
 ここでよく登場する「市場調査」と「マーケティング調査」の違いについても、なるほどという現場観のあるそれぞれの定義を示してくれます。

 
(p68より引用)
・市場調査-きのうまでの「人の行動」を、数字で知ること。
・マーケティング調査-明日からの「人の気持ち」を、言葉で知ること。

 
 くらた氏は、徹底した現場重視のヒアリングで「人の気持ち」をつかんでいきます。

 そのほか、現場感のあるコメントをもうひとつ。
 情報誌というとキャッチコピーや感性を重視するので、踊ったフレーズがもてはやされそうなイメージがあるのですが、そうではないようです。「ふつうの言葉」が使われていることが大事だとの指摘です。

 
(p133より引用) 会議での話し言葉でも、報告書での書き言葉でも。見て、聞いて、仕事が順調に進んでいるかどうかがわかるモノサシが、経験上たった一つだけある。
 ふつうの言葉が使われているかどうか。
 聞いたこともないむずかしい熟語。しゃれたカタカナ用語。そんなものが散乱していたら、「あ、これはうまくいってないな」と思っていい。

 
 「ふつうの言葉」で話すということは、情報誌の立ち上げに限らず、どんなプロジェクトにおいても、そのコンセプトやビジョンを関係者全員の腹に落とす際の肝になります。
 踊った言葉は、上滑りで同床異夢のもとです。

 

MBAコースでは教えない「創刊男」の仕事術 MBAコースでは教えない「創刊男」の仕事術
価格:¥ 1,575(税込)
発売日:2003-04

 

クチコミblogランキング TREview

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知識社会のさわり (これから知識社会で何が起こるのか(田坂広志))

2008-02-10 15:37:16 | 本と雑誌

 本書は、次なる社会として多くの識者が唱えているいわゆる「知識社会」の特質を、著者なりにサクサクと描き出したものです。

 2003年の出版ですから、(当時でもそうだったかもしれませんが、)今の時点では、斬新な指摘に溢れているとは言い難い内容です。
 しかしながら、コンセプトワークとしては勉強になりますし、本書で指摘されたポイントは、(残念ながら、未だに達成できていないという意味で)今でも通用する内容です。

 たとえば、 「ナレッジ・マネジメント」の問題点を指摘しているなかのフレーズです。

 
(p104より引用) 現在の日本企業に根強く存在する「情報囲い込み」の文化を、新しい「情報ボランティア」の文化へと変革していくこと。

 
 また、マーケティング関係のコメントのいくつかでは、こんな言い回しをしています。

 まずは、「商品生態系」というコンセプト
 商品やサービスのとらえ方として分かりやすいメタファだと思います。

 
(p130より引用) 現代の市場では、「商品」と「商品」が戦っているのではなく、「商品生態系」と「商品生態系」が戦っているのです。
そのため。たとえその「商品自身」が「良い商品」であっても、その商品が所属する「商品生態系」が全体として魅力の無い生態系であった場合には、「良い商品を作っても、売れない」というパラドックスが起こるのです。

 
 また、購買プロセスにおける「中間業者」を指した「ニューミドルマン」という呼称。

 
(p137より引用) ニューミドルマンとは、「販売代理」のビジネスモデルではなく、その逆の「購買代理」のビジネスモデルで仕事をする「新しい中間業者」なのです。

 
 企業の立場からの「販売強化」ではなく、顧客の立場にたった「購買支援」という機能の高まりの指摘です。

 さらに、これは、よく言われる言い様ですが、「顧客の潜在ニーズ」への対応についての名言の紹介です。

 
(p169より引用) 「顧客の潜在ニーズ」を「予測」できないとすれば、どうすればよいのか。
あの「パーソナル・コンピュータの父」、アラン・ケイの言葉を、思い起こすべきでしょう。
未来を「予測」する最良の方法は、それを「発明」することである。

 
 最後に、これは私も常に心しなくてはならないと感じた部分です。

 
(p115より引用) 「言葉の力」は、実は、これからの知識社会においては、極めて重要な力になっていきます。
なぜなら、これからの知識社会においては、世の中に、ますます膨大な情報や知識が溢れ、多くのメッセージが溢れてくるからです。
そして、そのような時代だからこそ、心に深い印象を与える言葉を語る力、短い言葉に気持ちを込められる力、長く記憶に残る言葉を発する力、そうした「言葉の力」が求められるのです。

 
 ここは、まさに「人」の出番ですから。

 

これから知識社会で何が起こるのか―いま、学ぶべき「次なる常識」 これから知識社会で何が起こるのか―いま、学ぶべき「次なる常識」
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2003-07

 

クチコミblogランキング TREview

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創発のプロセス (これから知識社会で何が起こるのか(田坂広志))

2008-02-09 21:08:38 | 本と雑誌

 2003年に出版された本なので、今読むと、「これから・・・起こること」というよりも、起こっていることの指摘との位置づけになってしまいます。

 ただ、その観点から言えば、本書が書かれたころに「起こるであろう」と語られたことは、かなりの程度合致していたと言えるでしょう。
 もちろん、現時点ですべて実現してしまっているというよりも、現在でもなお意味のある指摘も多々あります。
 そのうちのいくつかをご紹介します。

 まずは、変化に対応した「プロセスのつくり込み」の重要性について。

 
(p99より引用) しばらく前には、業務プロセスというものは、一度改革すれば、しばらくは改革しないということが「常識」でした。
しかし、これからの時代の業務プロセスというものは、不断に変化していくものであり、従って、業務プロセスそのものの中に、その継続的な変化の仕組みを組み込むことが不可欠になってきます。

 
 特にその中でも、「知識」を「組織的に生み出し続けるプロセス」について。

 
(p108より引用) これからの知識社会においては、「既存の知識をいかにして活用するか」ということよりも、「新たな知識をいかにして生み出すか」と言うことの方が、より大切になってきます。
いや、正確に言いましょう。
「新たな知識をいかにして生み出すか」ではなく、「新たな知識が自然に生まれてくるプロセスをいかにして生み出すか」です。

 
 ここで出てくるのが「創発」というコンセプトです。

 
(p109より引用) 「創発」とは、英語の「emergence」の訳語であり、「外から何も働きかけがなくとも、自然に秩序や構造が生まれてくる」という現象のことです。

 
 このあたりの「知識創造のプロセス」の解説については、野中郁次郎氏の「知識創造企業」での記述の方が根源的であり、圧倒的に充実しています。

 ただ、本書のそもそもの体裁は、精緻な立論や十分な検証を経た思索の開陳というよりも、著者のコンセプトベースのコメントをサクッと順序だてて並べているものですので、これはこれといった読み方をすべきなのでしょう。
 

これから知識社会で何が起こるのか―いま、学ぶべき「次なる常識」 これから知識社会で何が起こるのか―いま、学ぶべき「次なる常識」
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2003-07


クチコミblogランキング TREview

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポスト産業資本主義の時代 (会社はだれのものか(岩井克人))

2008-02-03 13:44:09 | 本と雑誌

 機械や物理的資源を用いた製造業に代表される産業資本主義の時代が終わり、次なる時代に入りつつあることは、その言い様は様々であっても衆目の一致するところです。

 その次なる時代(=ポスト産業資本主義の時代)は、いかなる時代と捉えられるのでしょうか。

 
(p48より引用) 日本的経営はその歴史的使命を終えつつあると述べましたが、・・・それは、ポスト産業資本主義の時代において、「株主主権論」を標榜するアメリカ型の会社のあり方こそ、日本の会社も模倣すべき「グローバル標準」であることを意味するのでしょうか?
 答えは、否です。なぜならば、ポスト産業資本主義という時代の最大の特徴は、おカネの価値が下がり、代わりに、ヒトの価値が上る、ということにあるからです。

 
 著者は、おカネに代表される「モノ」よりも、「ヒト」が中心となる社会になると考えています。

 
(p54より引用) ポスト産業資本主義とは、・・・おカネを持っているだけでは、利益が手に入らなくなった時代‐その意味で、それは、おカネの力が相対的に弱くなってきた時代だと言えるのです。

 
 さらには、「ヒト」の集合体である「組織」にも注目します。

 
(p82より引用) 多くの人の予想とは反対に、ポスト産業資本主義の時代とは、まさに意識的な違いからしか利益が生れない時代であるということから、優れた個人の力がものをいう時代であると同時に、優れた組織の力がものをいう時代でもあるのです。

 
 情報が広く早く伝わる中、技術進歩の速まりは、商品やサービスの独自性維持をますます困難にしていきます。分かりやすくいえば、「真似されやすい時代」になるのです。

 そういった状況に抗していくためには、アイデアを持続的に生み出し続けなくてはなりません。
 しかしながら、個人のみの能力ではやはり限界があります。アイデアを継続的に創出する「組織的な仕掛け」が必要となるということです。

 その他、本書で指摘されている「ポスト産業資本主義時代」の特徴をいくつかご紹介します。

 まずは、金融機関に求められるヒトを対象とした「目利き能力」です。

 
(p75より引用) モノを信用していればコトがすんだ産業資本主義時代の金融とくらべて、ヒトを信用しなければならないポスト産業資本主義時代の金融は、はるかに努力も知力も要求される仕事であるわけです。

 
 また、著者は、ニッチマーケットにも期待しています。

  ただ、そのニッチマーケットをリードするのは、「新たなタイプの若い起業家」ではなく、むしろ「現役の経験者」だと考えています。

 
(p142より引用) 私はいま、他の人間がやらない隙間をどんどん埋めていくような中小企業こそ、もっとも高い付加価値を生み出していくのではないかと考えています。利益は差異性にしかないのですから。
 では、そういう隙間を探してモノにする企業や事業は、果たしてだれがつくっていけるのか。そう考えると、全体をリードするのは学生起業家とかではなくて、すでにその産業で経験を積んだ人間、すなわち何が隙間なのかを見つけられる人間なのではないかと思うのです。

 
 最後に、著者の言う「ポスト資本主義社会のKSF」です。

 
(p143より引用) 利益最大化ではない目的・理念を会社が持つ。それが会社にとって一番大事な人的資産を育てる。ここにこそ、ポスト資本主義における成功を導き出すカギがあります。

 
 会社を「ヒト」と意味づけると、結局、最終的なKSFは「人」に戻ってくるのでしょう。
 

会社はだれのものか 会社はだれのものか
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2005-06-25


クチコミblogランキング TREview

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヒト」としての会社 (会社はだれのものか(岩井克人))

2008-02-02 18:11:20 | 本と雑誌

 以前、よく似たタイトルの本、御手洗 冨士夫・丹羽 宇一郎両氏 による「会社は誰のために」を読んだことがあるのですが、そちらの本は「経営者」の視点から、今度の本は「経済学者」の視点からのものです。

  著者は、まず「法人」という言葉から「会社の両義性」を話題としてとりあげます。

 
(p16より引用) 会社という存在は、実は、モノであるのにヒトでもあるという両義的な性質をもった法人です。つまり、ヒトとモノをきちっと分けたことから出発したはずの近代社会のまんまん中に、まさにその前提と矛盾するヒトでありかつモノであるという会社が存在し、しかもその物質的な活動の中心を占めている。これは本当に驚くべきことです。

 
 著者は、この会社の両義性を「二階建て家屋」に見立てて、アメリカ的会社観・日本的会社観の意味を説明しています。

 「会社」は、株主に「モノ」として所有されている層と、その株主に所有されている会社が「ヒト」として会社資産を所有している層からできているというメタファです。
 そして、「会社は株主のもの」という米国型の株主主権論は、この前者の「モノ」としての会社の性質を強調したものだというのです。

  さらに著者は、この「会社の両義性」のうち「ヒト」という性質からCSR(Corporate Social Responsibility)の意味づけを行なっています。

 
(p94より引用) 法人とは、社会にとって価値を持つから、社会によってヒトとして認められているのであるという、法人制度の原点に立ってみましょう。そうすると、少なくとも原理的には、法人企業としての会社の存在意義を、利益の最大化に限定する必要などないことが分かります。社会的な価値とは、社会にとっての価値です。それは、まさに社会が決めていく価値であるのです。そして、ここに、真の意味でのCSRの出発点を見いだすことができるはずです。すなわち、たんなる長期的利益最大化の方便には還元しえない社会的な責任という意味でのCSRです。

 
 「ヒト」である以上、そこには、市民社会の構成員であり、市民社会に属する以上、自己利益を超えた「社会的責任」を持つのは当然だという考え方です。

 
(p95より引用) ここで重要なことは、このような市民意識の成熟が、同じ社会のなかで法人として活動している会社にたいして、それをヒトとして承認するための社会的な存在理由として、たんなる利益の追求を超えた何か、法的な義務を超えた何か、を要求し始めているという事実です。それが、現在、CSRにたいする、全世界的な関心の高まりの背景にあるのです。

 

会社はだれのものか 会社はだれのものか
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2005-06-25


クチコミblogランキング TREview

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする