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ターゲット ゴディバはなぜ売上2倍を5年間で達成したのか? (ジェローム・シュシャン)

2016-05-28 22:04:17 | 本と雑誌

 レビュープラスというブックレビューサイトから献本していただいたので読んでみました。

 著者は、2010 年にゴディバ ジャパン社長に就任し、日本におけるゴディバの業績を飛躍的に高めたたジェローム・シュシャン氏。フランス人ながら弓道歴25 年、「正射必中」、ビジネスの要諦を弓道に擬して語った著作です。
 外国人が弓道に関して語った書物としては、以前「日本の弓道」という本を読んだことがあるのですが、その内容が著者オイゲン・へリゲル氏の日本での弓道鍛錬の様を通しての文化論的記述であったのに対し、本書は、弓道の言葉をなぞったビジネス本です。

 弓道では「的と一体になる」という教えがあります。ビジネスの世界では「的」は「顧客」でしょう。


(p18より引用) 私にとって、ビジネスの秘訣とは、「当てる」ではなく、「当たる」ところにあります。お客様という的を狙わずに、「当たる」というヒット現象を起こすのです。この「当たる」という現象を起こすためには、お客様の気持ちと会社の行動が一体にならなくてはならないのです。・・・ターゲットであるお客様と心を一体にしたとき、お客様との距離は消滅し、本当のヒット(当たる)が生まれるのです。


 お客様がゴディバに抱く印象は、なんと言ってもブランドが醸し出す「高級感」です。この高級感ゆえにお客様はゴディバの店を訪れにくくなっていました。ごく稀に、大切な人への特別な贈り物を求めるときぐらいしかゴディバの店に立ち寄る機会はありません。こういった現状を踏まえて、著者が取った戦略プランは次のようなものでした。


(p20より引用) アスピレーション(憧れ)&アクセシブル(行きやすい)を実現する。
 「憧れ」は心で思うこと、そして、「行きやすさ」は実際にそこへ行くという身体の行動です。これは相対するものではなく、両立が可能なのです。


 著者は、自分へのご褒美としてのゴディバをアピールする“MY GODIVA キャンペーン”やコンビニを販売チャネルに追加する等、「行きやすさ」も訴える施策を次々に展開し、日本における売上を大きく伸ばしました。


(p23より引用) お客様との距離が消滅すれば、狙わなくても当たる。


 この「的を狙う」のではなく「的と一体になる」という考え方は、元セブン&アイ・ホールディングス会長鈴木敏文氏の持論である“「顧客のために」ではなく「顧客の立場で」”との教えと同根のものですね。

 もうひとつ、弓道における「正射必中」という考え方。これは、「正しく射られた矢は必ず的に当たる」という意味です。抽象化していえば、「結果は正しいプロセスについてくる」ということです。


(p36より引用) そう考えると、「正射必中」は、「あなたのできることをその場その場で丁寧にやりなさい」という励ましの言葉であることに気づきます。


 本章で語る著者のビジネスの要諦は、「結果がすべて」という考え方とは相反するものです。このプロセス重視の考え方は、日本での成功の秘訣ではありましたが、欧米でも通用する共通解であるとも指摘しています。

 この「プロセス」、弓道でいえば実際に弓道場で弓を射る際のルーティンもそうですが、日頃の「稽古」もそれにあたります。


(p 91より引用) 弓道には「数稽古」「工夫稽古」「見取り稽古」の三つの稽古があります。・・・そして、稽古の中でも特に大切なのが「見取り稽古」です。この稽古は、人の射技や、先生がどう教えるかなどを実際に見ることで自分の問題点を発見し、矯正していくことができるのが大きなメリットです。


 この「見取る」という行為は、ビジネスでいえば“顧客に学ぶ”“競合に学ぶ”という姿勢につながります。
 著者は、外国人であるが故に、素直に「日本市場」を知ろうとしました。それは、ゴディバでも、その前のリヤドロジャパンの社長であったときもそうでした。著者自らが売場の声を聞いて発案したのが「リヤドロの雛人形」でした。これは、リアドロ史上でも空前の大ヒットになったのですが、その背景には「久月」の協力があったといいます。


(p99より引用) スペインの高級磁器会社であるリヤドロが、日本の伝統的な雛人形や五月人形の世界に参入したとき、久月の皆さんが寛大で親切だったこともここに記しておきたいと思います。彼らは、リヤドロを日本人形協会に参加させてくれただけでなく、日本全国の人形店を紹介してくれました。また、リヤドロの雛人形や若武者を実際に販売してくれました。・・・競合でありながら、ウィン・ウィンの関係を築けたのです。久月はトップブランドでしたが、私たちのことを対等に扱い、尊敬もしてくれました。


 いい話ですね。
 こういったエピソードもそうですが、本書のいたるところで著者ジェローム・シュシャン氏の人柄が表れた記述がみられます。若いころ「禅」に興味をもって来日したとのことですが、その穏やかな語り口には好感が持てますね。
 ビジネス書としては、特に目新しい指摘があるわけではありませんが、「弓道」の教えを基軸に確固としたビジネススタイルを築き、その基本姿勢のもと、顧客志向の具体的な打ち手を次々と繰り出し着実な成果を上げている様子は、私自身、自らを省みるための大切な刺激になりました。

 

ターゲット ゴディバはなぜ売上2倍を5年間で達成したのか?
ジェローム・シュシャン
高橋書店
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嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え (岸見 一郎)

2016-05-21 23:41:23 | 本と雑誌

 ここ数年で急激に書店での露出が多くなった「アドラー心理学」の入門書です。
 私自身、まとまった書き物としての「アドラー心理学」をたどったことがなかったので、初歩的なところから覚えとして書き留めておきます。

 まずは、「アドラー心理学」が拠って立つ基本的立場である「目的論」について説明している部分です。


(p36より引用) 「人は感情に支配されない」という意味において、さらには「過去にも支配されない」という意味において、アドラー心理学はニヒリズムの対極にある思想であり、哲学なのです。


 過去に起こった事実は客観的なものであっても、重要なのは、「主観的に」今それをどう意味づけているかです。その意味づけにより“現在のあり方”が規定されるのです。


(p37より引用) 問題は「なにがあったか」ではなく、「どう解釈したか」である


 過去との因果関係に拠る論はフロイト的な「原因論」であり「決定論」ですが、アドラーはこれと対立する考え方に立っています。アドラーは、過去の事柄を以て“できない言い訳”“なれない言い訳”にする考えを「見かけの因果律」と呼んで否定します。


(p82より引用) 本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまう


 そういった考え方は、自らライフスタイルを変えたくない、変える「勇気」を持ち合わせていないという姿勢に過ぎないというのです。

 もうひとつ、著者がアドラー心理学における人間関係の型について。「縦の関係」と「横の関係」です。


(p198より引用) アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。


  「同じではないけれど対等」という形です。「優越感」や「劣等感」も縦関係で生まれる感覚ですし、「操作」や「介入」も縦関係の中での行動です。アドラー心理学は、「横の対人関係」において「課題の分離」(自分のタスクと他人のタスクの責任の峻別)をスタートに「共同体感覚」に達することを目指していると著者は説いています。そして、それに至るプロセスとして、「叱る」でも「褒める」でもない“勇気づけ”という横の関係に基づく援助の重要性を指摘しているのです。


(p205より引用) どうすれば人は“勇気”を持つことができるのか?アドラーの見解はこうです。「人は、自分には価値があると思えたときにだけ、勇気を持てる」


 さらに、こう続きます。


(p206より引用) 他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感することができるのです。


 さて、本書を読み通しての感想ですが、著者の主張には「6割納得、4割モヤモヤ」といった感じですね。
 大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」とか「あなたはあなたのライフスタイルを、自ら選んだのです」といった主張については理解できるのですが、本書において「青年」が「哲人」から何度も何度も否定される「原因論的思考」については、(私も)完全に捨て去ることはできていません・・・。
 やはり、どうやらこれは、もう少しアドラーによる「原典(に近い著作)」を読んでみなくてはならないようです。

 

嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎,古賀 史健
ダイヤモンド社
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罪と罰 (ドストエフスキー)

2016-05-15 22:11:51 | 本と雑誌

 今ごろになって読んでみようと思い立ちました。何種類も訳本は出ているのですが、レビューをチェックして、まずは読みやすさ重視で亀山郁夫氏のものを選んでみました。

 小説ですから、物語の内容の紹介はネタばれにならないように最小限にするとして、断片的な表現や描写で気になったものを覚えに書き留めておくことにします。
 まずは、主人公ラスコーリニコフの思いや台詞からです。


(1巻 p11より引用) 人間がいの一番に怖れるものって何かってことだ。新しい一歩、自分の新しい言葉、人間は何よりもそれを怖れているんだ・・・


 新しいものへの怖れ、ロシアにおいては新たな社会体制でもありました。
 ラスコーリニコフの妹の婚約者、弁護士のルージンにはこう語らせています。


(1巻 p353より引用) 経済学的な真理はこう付けくわえています。社会のなかで、個人の安定した仕事が、・・・多くなればなるほど、社会はますます強固な基盤をもつことになって、社会全体の事業も整備される、とね。つまり、ひとえに自分のためにだけ利益を得ながら、まさしくそのことによって万人に益をもたらし、隣人にも、破れた上着よりもいくらかましなものを着せてやれるようになる、それも私的な、個人的な気前よさの結果としてではなく、全体の、いわゆる《大進歩》の結果としてそうなるわけです。


 もうひとつ、1巻では明らかにされなかった「ラスコーリニコフの行動に至る動機」につながる彼独特の思想を示唆した記述。


(2巻 p163より引用) 要するに、ぼくの結論はこうなんです、つまり、何も偉人にかぎらず、ほんの少しでも人よりぬきんでてる人間はみな、ほんのわずかでも何か新しいことが言える人間はみな、そういう自分の資質のせいで、ぜったいに犯罪者になるしかないっていうことです。


 一種の「選民思想」ですね。抜きん出ている人は、過去を壊すこと(=犯罪)が使命であり義務だということですが、そのために「刑法犯」まで犯してもよいとなると・・・、普通これは流石に行き過ぎなのですが、その世界にまで踏み込んだラスコーリニコフにとっては、自らの理論において正当化される行動だったわけです。

 さて、私もようやく読み終えました。ロシア文学はいくつか手に取ったことはありますが、本格的な長編小説を読んだのは、恥ずかしながらこれが初めてだと思います。(ちなみに「戦争と平和」は全巻持っていますが、まだ1巻の途中です)
 この物語、描かれているのはわずか2週間ほどの間の出来事なのですが、まさに圧倒的な質量を感じます。そして、シンプルなタイトルの「罪と罰」、「罪」はたぶんこれだろうと思うものがあるのですが、「罰」は何が相当するのでしょう・・・。


(3巻 p446より引用) せめて運命が後悔をもたらしてくれたなら―心臓をうちくだき、夜の夢をはらう、じりじりと焼けるような後悔を、おそろしい苦しみに耐えられず、首吊りのロープや地獄の底を思いえがかずにはいられないような後悔をもたらしてくれたなら!ああ、どんなにかそれを喜んだことだろう!苦しみと涙、それもまた生命ではないか。しかし、彼は自分の罪を悔いてはいなかった。


 物語のエピローグ、最後は主人公たちにとって僅かに明るい光が見えるような余韻ですが、そこに至るラスコーリニコフの心の苦悶が「罰」なのでしょうか・・・。


(3巻 p462より引用) この幸せがはじまったばかりのころ、ときどきふたりは、この七年を、七日だと思いたいような気持ちになった。彼は気づいていなかった。新しい生活は、ただで得られるものではなく、それははるかに高価であり、それを手に入れるには、将来にわたる大きな献身によって償っていかなければならない・・・。


 こういった作品を味わう上では、旧弊たる「国語の授業」の得意技、「この小説の主題は何か?」といった問いは不相応です。読後のゴールとしての「解釈」への拘りは全く不要だと思わせるような作品でした。

 

罪と罰〈1〉 (光文社古典新訳文庫)
亀山 郁夫
光文社
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わかりやすく〈伝える〉技術 (池上 彰)

2016-05-08 10:19:14 | 本と雑誌

 ちょっと前、ブレイクし始めたあたりの池上彰氏の本です。
 最近目に見えてプレゼンテーションが雑で下手になってきたと自覚していたのですが、そんなとき、ちょうど図書館の返却棚で目についたので手に取ってみました。典型的な“How To”ものです。

 紹介されているアドバイスのかなりの部分はさほど目新しくはなく至極当然のものですが、とはいえ、改めて初心に戻って押さえておくべき指摘もいくつもありました。
 本書では、そういうアドバイスが、池上氏の実体験にもとづくエピソードとともに紹介されていくので、よりリアリティを持って受け取ることができます。

 たとえば、NHKの「イブニングネットワーク」という番組で、フリーランスの女性アナウンサーと出演してあるニュースを取り上げた際のこと。池上氏は「在宅起訴って何ですか?」という彼女からの質問を受けてショックを受けたといいます。これがNHKのアナウンサーなら、仮によく知らなくてもスル―して知っているフリをしていたんでしょうね。


(p74より引用) いわゆる「世間の人」にとって、何がわからないのか、それがわからなくなっている自分に気がついたのです。いわば「無知の知」を知ったのです。・・・
 わかりやすい説明の準備は、相手が何を知らないか、それを知ることから始める。肝に銘じることにしました。


 こういうことをきっかけに、池上氏はさらに「わかりやすい説明」のための工夫を重ねていきました。“模型”を使うというのもそのひとつです。


(p84より引用) わかりやすい説明というのは、複雑な物事の本質を、どれだけ単純化できるかということでもあるのです。


 そうですね、「単純化」しないと“模型”を作ることはできません。逆に“模型”を作ろうとすると、必然的に「本質は何か?」を追究することにもなるのです。

 さて、本書では、こういった「本質的」な内容の指摘に加えて、解説マイスター池上氏ならではの「文章」や「語り」における極めて具体的How To も数多く紹介されています。その中で特に私がなるほどと思ったのが、
 「使わないことでわかりやすくなる言葉」「要注意の言葉」
でした。


(p172より引用) 「そして」はいらない
 わかりやすく伝えるうえで大事なこと。それは「接続詞」を極力使わないことです。


 安易な接続詞の多用は、一見、話が“論理的”に見えるのですが、その実、その話の立論内容を突き詰めてみるとまったく論理的ではない場合が多いとの指摘です。逆説的ではありますが、「接続詞」を使わないように努めてみると返って「論理展開」を明確にすることができるというのです。

 そのほか、いろいろなことを話そうとしてつい使ってしまう「ところで」とか「話は変わるけど」といった言葉やそれによるストーリーの迷走、それまでの話を踏まえてまとめに入ろうとして口にしてしまう「こうした中で」とか「いずれにしましても」といった論理の不明確さを露呈するような言い回し・・・、こういった指摘も、まさに池上氏ならではという気がします。

 ちょっと古い本ですが内容は陳腐化していませんし、軽いエッセイ感覚でサクッと読めます。お手軽・お得な本だと思います。

 

わかりやすく〈伝える〉技術 (講談社現代新書)
池上 彰
講談社
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