OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

カウントダウン・メルトダウン 下 (船橋 洋一)

2013-11-26 23:27:32 | 本と雑誌

Fukushima_lebel7  事故発生直後から、福島第一原子力発電所で決死の対応作業に従事したのは、吉田昌郎所長を中心とした少数の発電所員のほかは、東京電力の下請会社の作業員の方々が中心でした。後には消防や自衛隊の隊員らがそれに加わりました。

 被爆のリスクを覚悟しての現地作業、それに従事された方々の心情を慮ると本当に頭が下がり、ただただその使命感溢れる姿勢に感謝するのみです。
 しかし、なぜ、もっと安全な方法で作業ができなかったのか、これは大いに不満を感じるところです。

(下 p228より引用) なぜ、原子力災害用のロボットがさっそうとお目見えしなかったのか。
 福島第一原発事故のあと、米国やフランスから原子力災害用のロボット提供の申し出があったとの報道に、国民は首を傾げた。

 ここにも、常人には全く理解できないようなとても奇妙な論理が立ち塞がっていました。
 東京電力幹部の言葉です。

(下 p229より引用) 「原子力災害用のロボットの導入なんかできません。地元が許しませんよ。事故は起こらない。・・・」
 米国では電力会社が、原発事故対処用のロボット開発のパトロンとなったのに対して、日本では、電力会社がロボットは安全神話を毀損するものと警戒し、抑えつける側に回った。

 こういった原子力活用における取り組み姿勢にも表れた問題点のいくつかは、何も東京電力のみに見られるものではありません。行政の、さらにはもっと一般的に日本(人・企業)の特性でもあります。

(下 p232より引用) 単年度主義が長期的な構想と戦略を阻害する予算システムと年々歳々の霞が関人事がプロと専門性の育成を阻害する人事システムが、そこには横たわっている。・・・
 たこつぼ、縦割り、ボトムアップ、もたれ合い、戦略的な目標と課題の曖昧さ・・・それらが日本の強さを殺している。
 日本の弱さは、日本の強さを知らないことにある。それを引き出せないことにある。

 本書は、現代における危機管理・危機対応上の問題点を多数指摘しています。
 現実のクライシスマネジメントにおいては、その当事者の個人的資質に依存するところも避けられませんが、やはり、制度設計上の課題や、そもそもそこに至るまでの責任体制の問題の方がより根本的なものでした。

(下 p115より引用) 自衛隊も警察も消防も原子力安全・保安院も文科省も原子力安全委員会も、核セキュリティーを自らが主として責任を担っているとはみなしてこなかった。

 他方、事故現場で本当に命がけで作業に携わっている人々がいました。その作業環境は劣悪でした。放射能の恐怖に襲われつつの連日の重労働。にもかかわらず、満足に横になることもできない、そんな毎日。

(p406より引用) 細野は、吉田に電話し、船を送るので、そこを従業員の宿舎として使ってほしいと言った。
 吉田は細野に感謝の意を述べたが、その申し出を断った。
「原発事故のため、避難している被災者の方々がいらっしゃる。彼らが避難している時に、現場の待遇だけよくすることはできません。被災者の方々の待遇をよくすることが先でしょう。

 極限状態で現場対応の指揮を執った吉田昌郎所長の言葉。
 この姿と、自己保身に走る東京電力本社幹部、関係省庁の幹部官僚の責任回避・天下転嫁の態度とのコントラストは、怒り以外の何物も生じさせません。
 

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カウントダウン・メルトダウン 上 (船橋 洋一)

2013-11-24 08:44:13 | 本と雑誌

Fukushima_genpatsu  元の職場の同僚の方の推薦で読んでみた本です。

 著者は、「一般財団法人日本再建イニシアティブ」の理事長でもある評論家船橋洋一氏
 この一般財団法人日本再建イニシアティブがプロデュースした最初のビッグプロジェクトが「福島原発事故独立検証委員会」、いわゆる「民間事故調」でした。

 本書は、民間事故調を率いた船橋氏による未曾有の大惨事となった福島第一原子力発電所事故の実相を描いたノンフィクションです。

 3月11日、地震発生後の午後5時ごろ、官邸では菅首相寺坂原子力安全・保安院院長武黒東京電力フェローを前に苛立っていました。

(上 p72より引用) 菅は、なぜ、電源が止まったのかについて詳しく質した。・・・
 武黒がうまく答えられないと、「何?わからない?じゃ、社長呼べ」
 寺坂もダメだと、「わかるやつ呼べ」
 菅は、苛立った。
 ・・・
 細野が割って入って、言った。
「総理、いま必要なのは、なぜ、止まったということの解明より、止まったあとどうするのかということだと思います」

 今回の大惨事においては、菅首相と中心とした官邸の動きが大いに問題視されましたが、他方、福島県をはじめとする関係自治体の判断・行動にも他責的な姿勢が色濃く見られたようです。
 ヨウ素剤の配布・服用に関して、独自に一人称で検討・実行した三春町のようなケースは例外中の例外であって、ほとんどの自治体は旧弊に凝り固まった受け身体質でした。

(上 p223より引用) 原発周辺市町村のほとんどは、指示を待っていた。
 自治体は県の指示を待っていたが、指示は来なかった。
 県は国の指示を待っていたが、原災本部(ERC)から指示はなかった。いや、県が本当に国の指示を待っていたのかどうかは、わからない。
「自ら自治体と住民に指示を出さなくて済むように、国に指示を出させないよう国を牽制していた」といった方が真実に近いかもしれない。

 こういった本来動きべき組織が機能不全に陥っている中、唯一組織的に危機対応したのが「自衛隊」でした。

(上 p401より引用) 原発事故への対応は事業者、つまり電力会社が第一義的な責任を負う。・・・
 しかし、もはやそんなことを言っている場合ではない。

 自衛隊は突如、「二正面作戦」(地震・津波と原発事故)を強いられることになった。
 統合幕僚監部の表現を使えば、「計画はない、作戦はない、人員もいない、装備もない、訓練もしていない」状態のまま、原発事故対応に臨んだのである。
 これに「情報もない」を付け加えてもよかった。

 危機に直面しての自衛隊の行動スタイルは、まさに合目的的であり機能的なものでした。
 それを体現するのが部隊の指揮官であり現地の指揮官です。3月11日19:30の「原子力緊急事態宣言」の発令を受け、自衛隊は「原子力災害派遣部隊」を編成しました。その中核組織が2007年に創設された「中央即応集団」、司令官は宮島俊信陸将

(上 p405より引用) 3号機が爆発したとき、宮島は、一切、現地に質問しなかった。
〈現場もわからないのだろう。わかったら、報告してくるはずだ〉
 そう割り切った。
「黙って聞け、質問するな、耐えろ」
 宮島は、そのように危機の時の心構えを部下に説いた。
「わかったことだけ報告しろ」と。
 最初に質問する癖のある指揮官や何もかも報告させようとする指揮官には、部下は、質問された場合のことを考え、「しっかり準備をしてから報告しようとする」。その結果、第一報が遅れる。
 だからまず「黙って聞け」
 黙って聞いた後、「報告ありがとう、第二報も頼むよ」

 東京電力本社は、官邸の顔色を窺っていただけでした。
 

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民主党政権 失敗の検証 - 日本政治は何を活かすか (日本再建イニシアティブ)

2013-11-20 22:19:19 | 本と雑誌

The_democratic_party_of_japan  会社の近くの図書館の「本日返却された本」の棚でたまたま目に付いたので読んでみました。
 「日本再建イニシアティブ」は船橋洋一が理事長のシンクタンクで、福島第一原子力発電所事故に関し、民間人の立場から事故の検証を行った「民間事故調」の母体として有名です。

 さて、民主党が掲げた政権運営の中核は、ご存知のとおり官僚依存のガバナンスを政治家に取り戻す「政治主導」でした。
 この点の評価については、まずはじめに、まさにそのものズバリの表題である「第2章 政治主導」において整理されています。

 たとえば、「政治主導」の具体的な表れとして実施された「事務次官会議の廃止」についての総括です。

(p65より引用) 事務次官会議の廃止は、その象徴的な意味合いを超え、政務三役と事務方との意思疎通の不全と相まって、各省間の情報流通の目詰まりを生じさせ、さらには官邸の情報収集能力の低下という想定外の副作用をもたらした。

 この点については、「各自の手動操縦技術の限界を十分に認識しないまま、セーフティーネットでもある官僚による自動操縦のスイッチを全面的にオフにしてしまった」という民主党議員のコメントが当を得ています。
 結果、民主党が声高に訴えた「政治主導」は、かえって自らの能力不足を露呈する結果となったのでした。

(p59より引用) 政権構想第一策に掲げられた政務三役による政治主導は、その具体的な進め方については各閣僚任せだった。そのため、政治主導が比較的成果をあげた省もあれば、政治家による業務の抱え込みや過度の官僚排除により機能麻痺につながった省もあるなど、政治家個人の属人的要因により政治主導の成否が大きく左右された。各省の取り組みの好例を他省に採り入れることもなく、閣僚らの個人プレーを官邸側が統御できなかった。

 この傾向の揺り戻しで、菅政権・野田政権と進むにつれ官僚との関係修復が図られ、結局のところ、旧自民党政権におけるガバナンススタイルと大同小異の姿に落ち着いてしまったのです。

(p271より引用) 野党時代の政策は「理論と枠組み」で済んだが、政権に入った以上、それは「実務と細部」でなければならない。民主党の政策制度設計は「細部」がおろそかだった

 自らに実務遂行能力が欠如しているにも関わらず、それを補完すべき「官僚」を全否定してしまう。「外交」面での民主党はさらに稚拙でした。
 鳩山氏が惹き起こした普天間移設問題での迷走は言うに及ばず、今後の日米関係のあり方といった基本戦略に関しても「対米追従外交」から「対等な日米関係」へと唱えるだけで、そのグランドデザインと具体的打ち手についてはほとんど詰められていなかったようです。

(p126より引用) ここでいう「対等」とは、対米追従ではないという意味での消極的な対等性であり、日本が米国とともに国際秩序の形成に参画するという意味ではなかった。その結果として、民主党と連立政権には日米同盟の資産を削ることへの合意はあれど、他の積極的な外交政策を展開させる能力が欠けていた。そのため外交政策のバランスシートは地滑りを起こし、マイナス面が先行することとなったのである。

 さて、その他、本書では民主党政権自壊の要因を様々に取り上げ、分析・評価していますが、結局のところ、ひと言でいえば、「民主党は、あらゆる面で、政党としての『政権統治能力』を欠いていた」ということのようです。

(p258より引用) 政権獲得後の民主党は、政策やマニフェストの基本理念にこだわれば確固たる支持基盤が確立されず、かといって利益団体に過度に接近すれば基本理念を失うという矛盾に悩まされた。

 これは、「基本理念を同じ価値観として有する支持基盤を、地道なプロセスを経て構築する」という政治家として極めて基本的な行動すら行っていなかったことと同値です。これでは、そもそも「民主党の基本理念」とは国民のどういう意思に基づいていたのかという疑問に行き着いてしまいます。

(p214より引用) 「そもそも明確な論理や解答がない問題だからこそ政治の場に持ち込まれているのに、若手ばかりか幹部さえ朝の四時まででも徹底的に議論すれば答えが出ると思い込んでいる節がある。議論することと、決定することと、納得することにそれぞれ違ったものがあるということが分かってない。だから消費税であんなことになった」

 この民主党議員の述懐は、「政治主導を唱えつつも政治家たり得なかった自分たちの姿」を的確に言い表していますね。
 

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ザ・ベストテン (山田 修爾)

2013-11-16 23:31:03 | 本と雑誌

The_best_10  この前、家に帰ってたまたまつけたテレビで、黒柳徹子さん久米宏さんがお二人で登場して当時の話をされていました。
 私ぐらいの年代の者にとっては、強く印象に残っている番組ですね、TBS毎週木曜日夜9時からの「ザ・ベストテン」

 本書の著者は、「ザ・ベストテン」の生みの親、元TBSプロデューサー山田修爾氏です。

 プロデューサーが出演者を選定する「キャスティング方式」で作られていた従来の歌番組、その対抗軸として考えられたのが、実際の楽曲のセールスや視聴者からのリクエストはがき数等を反映した「ランキング方式」。『ザ・ベストテン』は、このランキング方式を本格的に採用した最初の歌番組でした。

 エポックメイキングな番組の誕生から、毎週の番組制作、そして幕引きまで、怒涛の荒波にもまれ続けた『ザ・ベストテン』の歴史が、数々のエピソードとともに語り尽くされた著作です。

 シンプルですが、強いインパクトを放った番組の「タイトル」、その名付け親は、企画検討の議論の中で「キャスティング方式」を強く主張していた渡辺プロデューサーでした。

(p23より引用) 「ったくおめえらイモだよ。シュージ!バカヤロー!なに考えてんだ。おめえら田舎ものにはわからねーだろうが、aとtheの違いわかるか?この番組はtheなんだよザ・ベストテンなんだよ。『ザ・ベストテン』・・・」
 頼もしいと思ったし、渡辺さんも心底、番組のことを考えてくれてるんだと涙が出る思いだった。

 「出演しない歌手を認める歌番組」、申し訳ありませんと何度も頭を下げる久米さん。「系列局のネットワークを駆使した生中継」、羽田空港から、新幹線のホームから、原爆記念日という特別の日の広島から・・・、「海外との双方向衛星中継」、ニューヨークから、ドイツから、・・・・・・。

(p39より引用) 先例がない番組は、制作を進行させながら自分たちで“先例”を創るよりほかない。『ザ・ベストテン』の仕事は、そのくり返しで、とても客観的に番組を見つめることはできなかった。

 『ザ・ベストテン』は、本当に特異な試みでした。
 ともかく新しいことをやってみよう、視聴者は求めているはずだ、そういった「強い信念に基づくチャレンジ」、そして、それを実現させるために考えよう、行動しようという姿勢が、現実のものとして現出した見事なエネルギーの結晶だと思います。

 「制作者」「視聴者」「出演者」、「三位一体の番組制作」。確かな信頼と連帯感が見事に存在していた番組でしたね。
 そして、生放送という制約を見事なエンターテイメントの舞台に仕立て上げた黒柳さん、久米さんの名コンビ、お二人の当意即妙のやりとりは超絶でした。(昨今のバラエティ番組で定番となってしまった“お笑いタレント”の空疎で表層的な内輪受け話とは、全く異次元です)
 

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禅が教えてくれる美しい人をつくる「所作」の基本 (枡野 俊明)

2013-11-11 23:42:52 | 本と雑誌

Ryouanji  気になるタイトルの本です。
 いつも行っている図書館での予約の長い待ち行列の末、ようやく借り出しました。

 著者の枡野俊明氏は、多摩美術大学教授でもあり庭園デザイナーでもあるという異色の禅僧です。その著者が語る美しい所作の数々のヒントの中から、ちょっと気になったものを書き止めておきます。

 まずは、禅の考え方を踏まえ、「所作」の意味づけを明らかにしているところから。
 仏教では、よい「縁」を結ぶことで、いつでも人生を幸せな方向に変えられると説いているとのこと。そこでは「縁起(縁を結ぶこと)」が大切になります。よい「縁」を結ぶための教えが「三業」です。

(p21より引用) 三業とは、「身業」「口業」「意業」の三つ。・・・
 一番目の「身を整える」とは、所作を正しくする、ということ。・・・正しい法(教え)にしたがって、できるだけ他人のために自分の体を惜しみなく使う。・・・
 次の「口を整える」とは、愛情のある親切な言葉を使うことです。・・・
 「この人にはどんな言葉で伝えたらいいのだろう?」
 それをつねに考えていくのが口業を整えることになります。
 最後の「意を整える」とは、偏見や先入観を排し、ひとつのことに囚われることなく、どんなときも柔軟な心を保つことです。

 「所作」は、自らを正すものであることに止まらず、利他の精神の発露でもあるというです。したがって、全ての所作は「他」をも意識したものとなります。

 たとえば、周りの人に対する「あいさつ」。人と人とをつなぐ大切な所作のひとつです。
 この「あいさつ」という単語ですが、これはもともと禅語(挨拶)とのこと。そして、この挨拶のポイントは「言葉」と「形」です。

(p141より引用) 気持のいいあいさつの言葉は、形が整うことで所作として完成されるのです。・・・
 形でいえば、「語先後礼」という作法を覚えておくといいでしょう。つまり、相手をきちんと見てまず「おはようございます」の言葉を述べ、そのあとに丁寧に頭を下げるのです。

 お礼の言葉を言いながら頭を下げるのに比較すると、落ち着いた風情の一味違う所作で、確かに、相手を大切に思う気持ちがより強く伝わりますね。

 もうひとつ、新たな気づきになったのは「日本料理のもてなし」について語っているくだりです。
 先の2020オリンピック招致活動の中で流行語ともなった「おもてなし」ですが、特別の設えの部屋で種々の器に盛り付けた季節の「日本料理」を供することは、まさに「おもてなし」そのものでもあります。

(p160より引用) 日本料理では「素材」そのものにも、もてなしの秘密があります。旬の素材を七割(六割)、旬が過ぎ去っていく名残の素材を一割五分(二割)、これから旬を迎える素材、すなわち、走りを一割五分(二割)という割合で使う。そうして旬の時期の異なる三品をそろえるのが最高のもてなしとされています。

 過去・現在・未来というときの流れを表し、そのなかでの「一期一会」を大切にするという精神の発露なんですね。このあたり、供する側の料理に込めた心を解する、こちらの受容力が試されます。ダメですね、私は全く自信がありません。

 さて、本書を読んでの感想です。著者の人柄に拠るのでしょうが、とても穏やかな語り口で、多くの気づきを与えてくれました。
 ただ、正直なところ、ちょっと私が期待していたものとは違っていましたね。もう少し、深堀りした「禅」の教えも「所作」の背景として触れられているのかと思っていたのですが・・・。
 その点からいえば、少々物足りない印象です。
 

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辛酸―田中正造と足尾鉱毒事件 (城山 三郎)

2013-11-07 23:51:53 | 本と雑誌

Shozo_tanaka  足尾鉱毒事件田中正造という「ことば」は中学・高校時代の社会科の教科書以来何度となく目にしているのですが、その実態や人となりについて深く知ることはありませんでした。

 今回手に取ったのは、それらをテーマにした城山三郎氏の小説です。

 田中正造氏、衆議院議員当選6回。その初当選の年(1890年(明治23年))に足尾銅山鉱毒事件が発生しました。爾来、議員在職中から辞職後、まさに生涯を通し全てを捧げて被害民と行動を共にしたのです。

 70歳を過ぎても正造は逆流被害踏査のため方々歩き回っていました。その夏の日の描写です。

(p110より引用) 炎のような熱線に、筑波も赤城もゆれおどり、堤の道は砂金をまぶしたように正造の眼を射し貫いた。渡良瀬川はうだったように流れを止めている。油光りするその川面から、吹き上げてくる風も熱かった。すべてが息をとめた中で、芦のしげみから行々子が耳が痛いほど啼きつづけた。

 このあたりの城山氏の筆力は素晴らしいですね。

 本書の主人公は、2人。ひとりは言うまでもなく田中正造氏その人ですが、今一人は谷中村の被害民宗三郎です。本作品の後半、二部の「騒乱」の章では、正造亡き後の抗争のリーダーとして担がれた宗三郎を中心に、被害民たちの司法・行政当局に対する筆舌に尽くしがたい抵抗の姿が描かれています。

 その悲惨な生活の中でも、被害民たちは「人としての尊厳」を失ってはいませんでした。
 堤防欠潰公判での岡土木課長の「乞食」発言に抗し、宗三郎は激してこう書き連ねました。

(p173より引用) 「予は我等が乞食であるとは意識してゐない。曾ては故らに堤防を破られて米麦が穫れなくとも租税を納め、家を毀たれて起臥する所がなくとも戸数割を出し、出入の道を閉ざされても壮丁を送って勤める等、一として国家の義務を欠いた覚えがないからである。
 コミッションで拵えたフロック・コートを着け愚民の浄財を騙取して酒池肉林に遊蕩を極むるよりは寧ろ乞食として与へらるるものを受け、粗衣空腹に甘んずる人の方が遥かに貴いと思った事もある。・・・」

 人としての真っ直ぐな自負の発露の言葉でしょう。

 さて、本作品のタイトル「辛酸」。これは、正造の好んだ言葉「辛酸入佳境」から採られたものです。

(p197より引用) はげしい筆勢ながら、まるみを帯びたその五文字が、宗三郎の視野いっぱいにふくれ上った。辛酸を神の恩寵と見、それに耐えることによろこびを感じたのか。それとも、佳境は辛酸を重ねた彼岸にこそあるというのか。あるいは、自他ともに破滅に巻きこむことに、破壊を好む人間の底深い欲望の満足があるというのだろうか。
 正造がそのいずれかを意味したのか、そのすべてを意味したのか、知る由もない。ただ、宗三郎に明らかなのは、残留民にはいまどんな意味においても、佳境がないということである。余りにも、佳境から程遠い。

 城山氏が、本作品にこめたメッセージは「信念に拠る行動」「弱者に寄り添う心」の崇高さと、それを貫く困難さであるように思います。

 先の東日本大震災・福島第一原子力発電所事故を契機に、没後100年の節目を迎え、田中正造氏の生涯を再認識・再評価する動きが各所で出てきているとのことです。
 

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ワンクリック―ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛 (リチャード・ブラント)

2013-11-04 09:54:31 | 本と雑誌

Amazoncomlogo  以前から気になっていた本です。
 ロングテールを見事に事業戦略に取り込み最初の成功を勝ち取ったamazonは、その後も事業ドメインを拡大しつつ発展を続けています。その原動力となっているは、もちろんCEOジェフ・ベゾスのリーダーシップ。

 本書では、ジェフ・ベゾスの生い立ちから始まるamazon発展の道程が明らかにされています。

(p110より引用) 立ち上げ時期のアマゾンは、試行錯誤、推測、チャンス、そして臨機応変な対応に満ちていたと言える。その間、少人数のアマゾンチームが重要な点を見失うことはなかった-顧客の財布から少しでも多くしぼり取ろうとするのではなく、顧客のニーズを重視し続けたのだ。顧客が気に入る点と気に入らない点に注目した。アマゾンが幸先のいいスタートを切れたのはこのアプローチのおかげであり、このアプローチはその後も灯台としてアマゾンの進む道を照らしてゆく。

 アマゾンの誕生と成長は、まさにインターネットが急速に立ち上がったドットコム・ビジネス黎明期と軌を一にしています。オンライン書籍販売は、立ち上がり当初の苦労はありながらも比較的順調に売上を伸ばしていきました。
 そして、その成長期にベゾスがとった戦略は、利益確保ではなく、顧客サービス向上のための投資でした。売上増による株価上昇が大規模投資の資金源でした。

 その後、いくつかの失敗を経ながらもアマゾンは事業を拡大していきました。
 たとえば、アマゾンウェブサービス(AWS)の立ち上げあたりに触れたくだりです。

 2000年ごろからアマゾンではアフィリエイトプログラムの拡張を行っていました。その過程で、アマゾン社内のデータベースと業務用ソフトウェアを分離して、データ部分をパートナーに提供するようにしたのです。

(p235より引用) アマゾン経営陣は、これは金の鉱脈になりうるとすぐに気づく。このデータやツールを社外のプログラマーに提供すれば、実質的に、新製品の開発を無料でアウトソーシングできるからだ。こうして。2002年7月に「アマゾンウェブサービス」が立ち上げられた。

 この仕掛けがクラウドコンピューティング進展の文脈に乗って独立した事業として発展していきました。

(p242より引用) 一見すると小売業とクラウドコンピューティングはかけ離れているように感じられる。接点は、精巧なコンピューターサービスをアマゾンが自社開発したという事実で、この能力を提供すれば料金が徴収できるというわけだ。・・・この事業を見れば、ベゾスが思いきって新しいチャンスをつかみに行く人物であることがよくわかる。

 ただ、著者は、これにちょっとお化粧をした程度の内容しか紹介していません。
 現在、アマゾンが提供しているサービスの大きな柱であるAWSがどういう経緯で事業化されたのかはとても気になる点だったのですが、本書からは期待はずれの情報しか得られません。読者が唸るような生々しいエピソードが圧倒的に不足しています。キンドルについても同様です。

 以前、ウォルター・アイザックソンの「スティーブ・ジョブズ」や、デビッド・カークパトリックの「フェイスブック 若き天才の野望」を読んだのですが、両書で見られたような主人公の実像に迫る深さや厳しさがほとんど感じられないのです。
 とても残念なのですが、正直なところ、本書で語られている内容をつかむには、巻末の10ページ程度の「解説」を読めば十分のような気がしました。
 

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