OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

2006年 大晦日

2006-12-31 23:00:50 | 日記・エッセイ・コラム

Marcus_aurelius_kiba_2   年末にあたって、今年読んだ本を振り返ってみました。

 例のごとく乱読で節操のない読書でしたが、その中で「これはいい本だった」と思ったものを覚えとして書き記しておこうと思います。
 どれが一番ということでもありません。

 まずは、m-funさんに紹介されたマルクス・アウレーリウスの「自省録」。この本はいつかもう一度読みたくなる気がします。
 吉野源三郎氏の「君たちはどう生きるか」は、中学校ころに読んでおきたいと思った本でした。

 有名なわりに今まで読んだことのなかった作家の本としては、塩野七生さんの「マキアヴェッリ語録」。これは、以前「君主論」を読んだ流れで手にとってみたものです。
 また、いつも参考にさせていただいているふとっちょパパさんのお薦めで、内田百閒氏米原万理氏日垣隆氏の本も初めて読みました。
 どれも面白かったのですが、ふとっちょパパさんからの紹介で、特にこれはヒットだと思った本がありました。権八成樹氏の「花を売らない花売り娘の物語」です。実践的マーケティングの本としての意味に止まらない、著者の人柄そのものが魅力として迸る深みのあるものでした。

 旬の本としては、梅田望夫氏の「ウェブ進化論」。Web2.0企業を分かりやすく解き明かしてくれました。ベストセラーも頷ける読みやすさでした。
 まったく違ったジャンルでの旬の本は、木村元彦氏の「オシムの言葉」でしょう。折りしもサッカー日本代表監督に就任したタイミングで話題性も十分でした。が、それ以上に、本の内容は、旧ユーゴスラビアの内戦を背景にしたドキュメンタリーとしても耐えうるものだと思いました。

 日本の伝統文化の関係では、宮本常一氏の「忘れられた日本人」西岡常一氏の「木のいのち木のこころ」が記憶に残ります。いずれも著者の気骨がそのままに写された名著です。
 日本文化といえば、結構インパクトがあったのが坂口安吾氏のエッセイ集「日本文化私観」。有名な「堕落論」をはじめ坂口イズムは強烈でした。

 ほとんど読まない小説系では、辻邦生氏の「安土往還記」が、独特の描写で非常に新鮮でした。

 また、科学関係は、アインシュタインがらみの本を何冊か読みましたが、やはり理解できずでした。村上陽一郎氏の「新しい科学論」で科学史のさわりに触れたくらいでしょうか。

 最後に、私の読書の一つのきっかけなのですが、「社会の教科書に出てくるくらいの本は、少しでも読んでおきたい」との動機から、記憶に残る3冊。
 プラトンの「ソクラテスの弁明」デカルトの「方法序説」福沢諭吉の「学問のすゝめ」
 どれもお勧めです。

 さて、大晦日。

 本の話題を離れて、私にとって今年最も鮮烈だった出来事。
(政治・経済・社会問題といろいろな出来事がありましたが、そういったジャンルは一旦横に置くとして・・・)何かひとつ選ぶとすると「ドイツワールドカップ決勝でのジダンの退場」でした。
 金色のワールドカップ(優勝杯)の脇を通りすぎてピッチを去るジダンの後ろ姿は、何とも言葉になりませんでした。(私は、昔、サッカー小僧だったのです)

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「吉野屋の牛丼」の決定 (決定学の法則(畑村 洋太郎))

2006-12-31 15:52:29 | 本と雑誌

Gyudon  本書の第2章では、「吉野家の価格決定」をケースに畑村氏の「決定学」を実践に適用しています。
 併せて、吉野家安部修仁社長の興味深い話がいくつも紹介されています。

 まずは、「自負」についての安部社長の示唆です。

(p140より引用) 自負を持つというのは大切なことですが、反面で持ち過ぎると悪い面もあります。
 自分が相手より勝っていることを確認するために、現状と向き合おうとはせず、自分の長所と相手の短所を引き比べて優位な部分を探そうとします。本当の意味での競争力を鍛えずにそんなことばかりしていると、優位性はどんどん失われて、最後には何もなくなってしまうんです。

 この点は、次のような、「観念的論評」を嫌い「事実への立脚」を基本とする安部社長の姿勢に通じるものがあります。

(p141より引用) 私は「観念的に論評されることは間違っている」という前提に立ったほうが逆に間違いは少ない、と思っています。・・・特にマーケットの予測なんてほとんど外れてますよ。大体、五分先の株価や為替動向が読めないのに、何で一年後の予測ができるんだと言いたい。
 だから私は現象の把握はあくまで事実に基づいて行おうと心掛けています。

 また、安部社長のいう「スピーディー」の定義も興味深いものです。

(p144より引用) 私が考える本当のスピーディーというのは、仮説の検証を正しいステップで迅速にやって早く結論を見つけることです。でも、多くの人は世の中が要求するスピーディーは、そんなステップはすっ飛ばして思い立ったらすぐにやることだ、と勘違いしている。だからいっぱい間違えるんですね。

 安部社長の思考は非常に論理的・実証的であり、その論理プロセスの高速化が、安部社長の決断の大きな要素になっているようです。

 吉野家の新価格決定に至るプロセスにおいて、安部社長は「250円セールの失敗」を経験しています。

 失敗について、畑村氏は「反省」と「省察」という2つの言葉を用いて以下のように論じています。

(p256より引用) 必要なのは反省ではなく、「省察」です。・・・決定学における省察の中身は何かといえば、決断し、行動して、起こった結果を省みることです。結果の要素を摘出し、構造化して考える。それを文章や絵でまとめて知識化する。こうした行程を踏んだ省察だけが他者に正しく伝わり、次の機会に生かせるのです。そこに自己批判は必要ない。結果を受け止めて正しく分析するだけのことです。省察は次に動くためのエネルギーを生み出すものなのです。

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みんなの決定 (決定学の法則(畑村 洋太郎))

2006-12-30 19:52:28 | 本と雑誌

Diamond  畑村氏が論じる「決定」には、「個人」としての決定についてのみならず、「組織」における決定もスコープに入れています。
 個人としての決定を「組織として共有」することの意義を説きます。

(p56より引用) 自分がどんな背景で何を考え、何に制約を感じ、何に迷ったのか。そして何を決めたのか。真に決定を共有するということは、そうした決定のプロセスを相手に理解してもらうということです。決定が共有できなければ、組織力は発揮できないし、組織を改革・改善するエネルギーも生まれてこないと思います。

 ひとり一人の決定が共有化され「個々の思考のネットワーク」ができると、組織としても、個々のメンバとしても、考えの広さ・速さが格段に向上します。

(p276より引用) 大切なのは一人一人、個々が全体を意識しながら独立して考え、行動することです。それぞれが独立した状態で自由に物事を考えれば、各人の個性に合わせてその思考領域は広がります。そして各人に共通する思考領域を足がかりにすれば、他者の考えも超高速で理解できるようになる。そうなれば、自分では考えつかなかった他人の思考や他人の経験を自分のものとして活用できるのです。

 あと、この本を読んでの気づきです。

 それは「想定外」の効用についてです。

 いままで、後発者としての強みを活かして発展してきた日本は、分野によっては、トップランナーの仲間入りをしました。先頭を走るものは、先人の経験を辿ることはできません。自らがリスクを想定し、それに対応しなくてはならないのです。
 当然、「想定外」のことが起こります。畑村氏は「想定外の事態」を「進歩の契機」と捉えています。

(p271より引用) 想定外の事態にぶつかったということは、フロントランナーの証です。他に頼る術のないフロントランナーにとって想定外の出来事はいわばダイヤの原石であり、原石を磨き上げることが“進歩”につながるのです。「そのダイヤモンドの原石をただの石ころだと思って蹴飛ばしてはいけない」

 つまずいた石をよく見ましょう。拾い上げてみましょう。
 「転んでもただでは起きない」気構えです。

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ひとりの決定 (決定学の法則(畑村 洋太郎))

2006-12-29 19:32:21 | 本と雑誌

 畑村氏の本は、氏を有名にした「失敗学」関係をはじめ、いままでにも何冊か読んでいます。
 久しぶりの今回は「決定」がテーマです。

 まず、畑村氏は、決定にあたって迷いがあることを前提に、決定の勘所として「経験」「知識」「仮想演習」の3つを示します。

(p45より引用) 迷いをなくそうとすること自体、無駄であるともいえます。そんなふうに迷いがついてまわる中でも、選択を早く、正しく行うには、やはり十分な「経験」と「知識」、それに十分な「仮想演習」が必要です。

 決定は瞬時に行われるものではありません。畑村氏流の言い方では、決定過程は「思索の脈絡」です。

 そして、畑村氏は、決定にいたる「過程の記述」を勧めます。最近の流行のフレーズでいえば、「決定過程の『見える化』」ということになるのでしょう。

(p53より引用) 決定過程の記述とは、まさに思考の脈絡のアウトプットに他なりません。
 決定過程の記述は、自分の頭の中でもやもやと浮かんできたものを概念化し、言葉や絵などで表現できるものに表出することから始まります。表出することによって、自分の考えを整理して前に進めることができるし、記録することも、他者に伝達することもできます。そして何より、表出した要素同士の関連性を見出して、それを構造的に組み立てることができる。つまり思考の脈絡が見えてくるのです。

 この記述の過程で、自分の考えに足りないものや不要なものに気づくのです。
 こういった決定過程の考察から、畑村氏は、「決定のテンプレート」を提唱します。

(p173より引用) 「どんな決定においても、この要素は外せない」という「決定における一般則」が存在すると、私は考えます。・・・
 それは、「人」「モノ」「カネ」「時間」「気」という五つの要素(概念)です。
 決定において考えるべき事柄はこの五つの概念に大別できます。

 この中でちょっと毛色の異なるのが「気」です。

 「気」は、「人」「モノ」「カネ」「時間」すべてを包む「雰囲気」のようなものです。はっきりした実体があるものではありません。また自分を取り巻いているものでもあるので、かえって気づきにくいのです。

 そんな「気」に気づくための要諦を畑村氏はこのように示しています。

(p190より引用) 「気」に気づくために必要なのは、歴史を学ぶことと、ものごとをよく観察すること、この二点に尽きるのではないかと私は考えています。

 「歴史を学ぶ」というのは、決定をする「今」が乗っている地盤の大きな動きを意識するということでしょう。

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経済学の目指すところ (これも経済学だ!(中島 隆信))

2006-12-26 23:51:21 | 本と雑誌

 著者は、本書で、経済学の意味づけを行っています。

 著者によると、「経済学は、人間の欲望をうまく活用して、限りある資源を最適配分する方法を見つけ出す『ひとつの思考ツール』である」とされます。

(p191より引用) 経済学は欲望を賛美してはいない。人間の欲望が無限であることをふまえ、限りある資源をどうすれば効率よく活用できるかを考えるのだ。
 そこで考え出されたアイデアが欲の有効利用、すなわち市場メカニズムの導入である。市場経済というと欲望が渦巻くどろどろした世界という印象を持たれがちだが、その本質はむしろ限りある資源を大切に使ってくれる適任者を見つけ出す場と考えるべきである。そしてそのために用いられるのが価格である。・・・
 このように、市場経済は人間の欲望を助長するのが目的なのではない。希少性のある資源を人間の欲望の暴走から守ることが本来の役割なのである。

 そのほか、著者が示した「経済学的なものごとの考え方」の例としては、次のようなものがあります。

 まずは、「経済学は『多面的な見方』を求める」と言います。

(p29より引用) 社会現象にはかならず二面性がある。・・・経済現象も同様だ。売り手と買い手がいてはじめて取引が成立する。一面だけからの観察は誤った結論を招きかねない。経済学は多面的な観察を奨励することによって真の原因の究明に迫ろうとする。

 また、経済用語に「合成の誤謬」という言葉があるように、経済学は「全体最適」を意識します。

(p29より引用) こうした現象を経済学では合成の誤謬という。個人にとって合理的な行動が必ずしも全体のためにならないという意味である。

 著者は、「経済学」による身の回りにある事象の「意味づけ」を通して、経済学の素晴らしさを伝えようとしています。

(p219より引用) 経済学のすばらしさを一言でいえば、「懐の深い学問」ということではなかろうか。経済学はどのような人間の行動もありのままに受け入れてくれる。決して馬鹿にしたり感情的になったりしない。なぜなら、人間の行動に合理性があるということが経済学の考え方の基本にあるからだ。
「あいつは何て馬鹿なことをしているんだ」と思ったとたんに人間の思考は停止してしまう。「なぜあんなことをしているんだろう」という疑問に置き換えることで、考えが一歩前に進むのである。外部者にとって不思議に思える行動であっても、当人にとってみれば背後にそれなりの合理性が存在しているはずだ。・・・
 経済学的な思考方法を身につけることは人間の自由な行動を尊重することでもある。

 そういう観点で本書をみたとき、ところどころで表明されている著者のコメントが、上記の「経済学の考え方の基本」を踏まえていることに気づきます。

 たとえば、何か法律違反の事件があったときのマスコミの対応についての著者のコメントです。
 著者は、「マスコミは、関係者を追いかけてその違反行為を糾弾するのではなく、そういう行為に到った原因を追究すべきだ」と指摘します。

(p154より引用) より建設的な議論という点からいえば、なぜこうしたごまかしが発生するかを考えるべきなのである。

 また、「弱者の救済」という点については、ヤマト運輸の小倉昌男氏に通じる考え方を披瀝しています。

(p176より引用) 弱者の救済とは、社会が庇護することではない。障害があっても、特定の技能に秀でた人ならばそれをできるだけ活用する形で社会貢献に結びつける工夫が必要である。働く意欲のある高齢者ならば働いてもらった方がいい。そしてそうすることが弱者本人にとって生きる喜びにつながるような制度作りをすべきだろう。

 これは、経済学の考え方というよりも広く社会科学一般で認められる「人間尊重」の姿勢です。

これも経済学だ! これも経済学だ!
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発売日:2006-08

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伝統文化の経済学 (これも経済学だ!(中島 隆信))

2006-12-24 13:14:41 | 本と雑誌

Sumou  本書は、通常では経済学の研究対象にはならないような分野を対象に、経済学視点からの分析・解説を試みています。
 対象となったのは、「伝統文化」「宗教」「社会的弱者」です。

 まず、「伝統文化」の章です。

 ここでは、華道や茶道における「家元制度」を経済学の観点から「参入障壁」と捉えます。

(p55より引用) ビジネスの世界であれば、年齢や前歴とは無関係に、より多くの利益を上げた経営者が勝者として称讃される。ところが、家元制度のもとでは、どんなに能力が高い人でも入門して直ちに師範になることはまずないし、組織のトップに位置する家元が透明性のある公開試験を通じて決められるわけでもない。
 経済学ではこうした制度は参入障壁と解釈される。

 そのほかにも「将棋界の年功賃金」の功罪についても触れていますし、「相撲界の『年寄制度』」を、経済学の立場から「終身雇用制」&「年金制度」だと意味づけています。

(p65より引用) 大相撲は何といっても現役力士の活躍で成り立っている。本来、彼らが興行収入のほとんどを受け取ってもいいはずだ。しかし、人的資本が特殊であるために引退後の生活まで協会が面倒見なければならないのである。そこで現役力士の取り分を年寄に回しているわけだ。要するに相撲界の年金制度なのである。

 さて、2番目の対象は「宗教」です。

 著者は、宗教の布教活動を「営業活動」と捉えます。

(p127より引用) 布教活動はビジネスの世界でいうなら営業活動に相当する。信者のニーズを素早くキャッチした上で、自分の宗派の考えを魅力的に伝える努力が求められる。

 「営業活動」といえば、最初の「伝統文化」においても営業的要素が求められます。
 「伝統文化」から見ると、「新たな文化」は競合相手と位置づけられます。そこで著者は、伝統文化においても「文化マーケティング」とでもいうべき営みが求められると論じます。

(p83より引用) 伝統文化は次から次へと生まれてくる新しいブームとまともに競争していたのでは生き残れない。・・・生き残り策は自らが真剣に考えるべきものだ。これは文化マーケティングとでもいうべきものだろう。

 そして、著者が説く「伝統文化の生き残り策」は「差異化」です。

(p83より引用) 伝統文化を味わうことは現代人にとっての異文化体験なのである。・・・
 伝統文化が生き残る策はそこにある。現代社会では絶対に味わえない情緒、すなわち日常性を排除した空間を作り出すのである。・・・
 その点からいえば、ディズニーの文化マーケティング戦略は大いに参考になる。

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数学力これだけできれば人生リッチ! (ロバート・ハーシー)

2006-12-23 15:42:34 | 本と雑誌

Syoken_torihiki  書評で面白そうだと思って読んでみたのですが、ちょっと失敗したかなという感じでした。

 内容は、確率/期待値・利率計算(単利・複利)・現在価値/将来価値等の概念を、多くの例題とその計算方法の説明を通して理解させてゆくものです。

 新たな気づきではありませんが、私たちが会社のなかで、いろいろな評価(たとえば、業務委託先の決定のための評価等)で通常用いている方法が「ウェイティング&スコアリング・システム」として紹介されていました。

(p176より引用) 目的が3つ以上あって選択が困難になる場合、通常、数字を使って選択することが効果的である。「ウェイティング&スコアリング・システム」を使う方法がそれである。

 この方法の問題点についても以下のようにコメントしています。

(p190より引用) ウェイティング&スコアリング・システムを使ってうまくいくかどうかは、評価項目をどこまで周到に選ぶか、各項目にどれだけのウェイトを置くか、どのような点数をつけるかにかかってくる。それらについて最善の判断をくだせば、求めているものを総合点が教えてくれる。

 しかしながら、現実の世界では、「最良の判断をくだせば・・・」という条件を満たすことが極めて難しいのです。

 そのあたり、この本の著者は非常に楽観的です。

(p190より引用) トレードオフの存在に気づき、選択の仕方をマスターすれば、トレードオフの状況に出くわしても困ることはない。

 こういう場面、すなわち「トレードオフの関係のなかでの選択」の典型的なものが、会社の中での「社員の評価」です。
 これは本当に悩みます。

 しかし、著者はどこまでも楽観的です。最終章でこう言います。

(p194より引用) 全員が数字に強くなったら、どういうことが起こるだろうか?私たちみんながずっと幸せになる-それが答えである。

 もちろん、そうなると本当にHappyですが・・・

数学力、これだけできれば人生リッチ! 数学力、これだけできれば人生リッチ!
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発売日:2002-06

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会話の気遣い (「場の空気」が読める人、読めない人(福田 健))

2006-12-20 21:49:52 | 本と雑誌

 相手に対する気遣いは、常日頃の会話においても大事ですが、何らかの特別の機会(たとえば、相手が成功したときとか失敗したときといった場合)には、特に気をつける必要があります。

 「ほめる」にも「叱る」にも、きちんとした能力を身につけなくてはなりません。

(p28より引用) 叱るのは難しいがほめるのは簡単。その気になれば誰にもできる。
 右の一文は、数多いコミュニケーションに関する思い込みのなかでも、代表的なものの一つに挙げられる。なぜ、簡単であり、やさしいと考えるかと言えば、「ほめる」を「おだて」「お追従」「おべんちゃら」と同類のコミュニケーションと勘違いしているからである。これは、実に浮薄な捉え方であり、誤りである。「ほめる」には、
・人の長所、美点を見抜く眼力
・相手の良い点を受け入れる度量
・場の空気に合った適切な表現力
などの力が伴っていなければならない。

 また、緊迫した場面で、ホッと緊張を解くような一言を発することも結構難しいものです。
 なかには、こういう「ガス抜き」の役回りを驚くほどうまくこなす人がいます。まさに人柄・キャラクタとして適役というタイプです。

 著者は、「思いがけない一言」を発するための秘訣として2点挙げています。

(p188より引用) 第一に、否定的現状を肯定的に捉え直す態度を持つこと。否定的な現状に対して、「やめなさい」「いい加減にしろ」と、感情的になって責めるところからは、ユーモアに富んだ一言は生れない。

Edison  失敗であっても、それを否定的に捉えないということです。よく言われるように、失敗にもそれはそれで大きな価値があるのです。

(p189より引用) 失敗して落ち込んだような場合にも、失敗という否定的現実を肯定的に捉え直すのがよい。発明王エジソンには、次のような言葉がある。 「失敗も、このやり方ではうまくいかないということがわかっただけ、前進である」。前進と捉えたからこそ、数々の失敗を乗り越えられたのだろう。

 もう1点は、「心の余裕・オープンマインド」です。

(p189より引用) 第二に、心をやわらかく保つこと。心をやわらかく保つには、心を状況に対して開いておかなくてはならない。自分の考え、やり方に固執すると、「そんなのおかしい」「絶対間違っている」と、心を閉ざして他を受け入れようとしなくなる。・・・
 よく「事実が問題なのではなく、事実をどう解釈するかが問題である」と言われるのも、頭の中に形成された観念が勝手な解釈をするからである。体の筋肉ばかりでなく心の筋肉も揉みほぐして、やわらかな状態にしておきたい。

 たとえば、「絶対」ということばを使わないように心掛けるだけでも、肩肘張った空気が和らぐかもしれません。

(p227より引用) 努力してもうまくいかないからといって、努力する価値はいささかも変わらない。話しても通じないからといって、話すことの価値は変わらない。だからこそ、知恵が生れるのだ。

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コミュニケーションの幻想 (「場の空気」が読める人、読めない人(福田 健))

2006-12-19 01:07:37 | 本と雑誌

 最近の私の関心時のひとつは「企業におけるメンタルヘルス」の問題です。

 有効なメンタルヘルス対策として常に挙げられるのが「コミュニケーションの活性化」です。
 今回の本は、コミュニケーション、特に「会話の活性化」のヒントになるかと思い、手に取ったものです。
 新たな気づきや改めて認識し直した点がありました。

 まずは、「コミュニケーションの幻想」です。
 この現実をスタートにするかしないかで、対策は全く異なってきます。
 著者は、「幻想を前提とした努力」を求めます。

(p72より引用) 身もフタもない言い方に聞こえるかもしれないが、「コミュニケーションは通じなくて当たり前」なのである。あの皮肉屋のバーナード・ショウはこうも言っている。
「コミュニケーションの最大の問題は、それが達成されたという幻想です」
ものの言い方の心得は「話は通じないもの」という現実を直視することからはじまる。そのうえで、
・少しでも通じるよう、努力と工夫を重ねる
・通じなくても、ねばり強く話し合いを続けて、理解し合える領域を広げる
このような地道なプロセスを通じて、身につくものなのである。

 もう1点、「コミュニケーションは聞き手が主役」だということです。

(p204より引用)
相手は何を言いたがっているか
相手の一番聞きたがっていることは何か
右の二点をしっかり聞き取るようにしたい。

 主役も何も、「聞き手」がいないということは話す相手がいないわけですから、そもそもコミュニケーション自体、存在しようがありません。「聞き手」があってはじめてコミュニケーションが生まれます。
 「聞き手」にはいろいろなタイプがいます。千差万別です。したがって、相対する「聞き手」によって、生まれるコミュニケーションのスタイルが異なってくるのは当然です。そう考えると「聞き手が主役」ということもよくわかると思います。

(p213より引用) コミュニケーションを成立させるのも聞き手であり、コミュニケーションの効果を決定するのも聞き手なのだ。・・・
「話したことの意味を決めるのは、話し手ではなく、聞き手である」
 意味の決定権は聞き手に握られているのである。・・・話し手にとって聞き手とは、自分の思い通りに話を聞いてくれる相手ではない。聞き手の思い通りに話を聞き、意味を決定する存在なのである。

 この点は、先の「知的ストレッチ入門」で日垣氏が、「説得と納得」のコンテクストの中で指摘している点と同根です。

 聞き手を主役と考えるためには、「立場を相対化する能力」が必要になります。
 が、そのためにはあれこれと難しく考えるのではなく、まずは、自分の聞き方を反省し、「相手の気持ちになって一拍置く気遣い」を大事にしようと思います。

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ストレッチしないマスコミ (知的ストレッチ入門(日垣 隆))

2006-12-17 13:57:02 | 本と雑誌

Rintenki  本書のところどころで日垣氏は、いわゆる「マスコミ」を揶揄しています。

 まずは、旧態依然のマスコミの代表格である「全国紙」の流行感度について、「Blog」をネタにこう切り込みます。

(p156より引用) 総合的に判断して、2004年から始まった日本におけるブログ・ブームは、終焉に向かいつつあります。・・・
 全国紙までがブームに言及し始めたのも、そのブームが去りつつある逆説的な証拠です。流行感度の鈍い一般紙がとりあげるころには、たいていブームはピークを過ぎているというのが日本の常識ですから、そのような指標を見つけるためにまだまだ全国紙から目が離せません。

 最後のフレーズは、極めてシニカルです。

 もう一点、こちらの指摘は、先の流行感度の鈍さに比して、より実害が大きいと思います。
 「マスコミの思考停止」についてです。

(p181より引用) マスコミの人々は、自分たちこそ社会の木鐸であり、世の中に警鐘を鳴らすのは使命だというテーゼで動いていますが、そのテーゼを真面目に実践すると、どんな局面でも「とりあえず危ないと言っておけ」ということになりかねません。しかも、それは、常に絶対的な「善」になれる思考停止なのです。

 これは、先に読んだ「ダメな議論」という本でも、著者の飯田泰之氏が「反証不可能な言説」として指摘しているところです。
 そのとおりのことが起こると「指摘したとおり」だと言い、それがおこらないと「指摘したことにより防がれた」と言うのです。

(p182より引用) 危険を煽っておけば、どっちに転んでもマスコミは責任を問われることがない。これがマスコミの思考回路の実態です。

 現在は、Webを通じて公式・非公式、ホント・ウソ、経験・伝聞・・・玉石混交の情報がリアルタイムに発信されています。
 そういう時勢において、マスコミの代表格である「新聞」に求められる能力は、新聞ならではの付加価値になります。

 日垣氏は、その付加価値を以下のような能力として期待しています。

(p189より引用) 最も肝心な能力は、その場でしか通用しないヲタな情報を集めることではなく、そのニュースを歴史的に位置づける智恵と体験でしょう。

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知的ストレッチ入門 (日垣 隆)

2006-12-16 14:07:57 | 本と雑誌

Tsuriwa  いつも拝見しているふとっちょパパさんのブログで紹介されていたので読んでみました。
 日垣隆氏の本は初めてです。

 「読む」「構える」「考える」「創る」「書く」「疑う」「決める」の7つの章に分けて、「日垣流」知的生産の技術をテンポよく紹介しています。

 そのなかで、私がなるほどと思ったフレーズを2つご紹介します。

 まずは、「説得と納得」についてです。

(p35より引用) その人がものごとをどうやって納得したのか、を知っておくということです。・・・納得したのは自分ではなく相手なのですから、相手の納得の仕方に沿って話を進めなければならないということです。
 ・・・人を説得するときだって、相手の納得の仕方を理解しておかなければ上手くいかないことのほうが多い。説得するあなたが納得するストーリーで、相手が納得できるとは限らない。つまり、説得することと納得することは、単純な表裏一体の関係ではないということです。

 この点は、言われてみればそのとおりですが、なかなか気づきません。
 このBlogでも、だいぶ以前に妹尾堅一郎教授の指摘ということで「プレゼンテーションはプレゼント」という考えをご紹介しましたが、まさに同じ趣旨です。

 「相手」の思考回路を辿ることが大事です。説得には納得が必要で、納得するのは「相手」だという基本的なことが、しばしば忘れられてしまいます。

 合目的的に考えれば、自分が「納得」できなくても、相手さえ「納得」すればよいとも言えます。ただ、この考え方は、「目的のためには手段を選ばず」という行動にも繋がるおそれがあります。逸脱を防ぐ良識も必要です。

 もう1点、なるほどと思ったのは「成長する力」についてです。

(p131より引用) 才能のある人はいいけれども、才能がなくて、これから努力していかなければいけない人は、終わったことの余力で食うようなことをすると、決して成長には結びつきません。
 もともとエネルギーのある人間はともかくとして、自分はそうではないと思っている人は、「確実にできる仕事」ばかりしても、成長する力にはならないでしょう。

 まさに「ストレッチ運動」が必要な所以ですし、私自身、反省しなくてはなりません。

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人はこんなことでウツになるのか (池田 健)

2006-12-13 21:56:42 | 本と雑誌

 このところ私が関心を持っているテーマのひとつは、「職場のメンタルヘルス」の問題です。
 この問題は、最近多くの企業でもクローズアップされています。

 私も、ここ数ヶ月の間に、1、2メンタルヘルス関係の本を手にとってみました。このBlogでも、「こんな上司が部下を追いつめる―産業医のファイルから」「会社がイヤになった」をご紹介したところです。

 この本も、「ウツ症状」や「ウツ病」について、精神科医が書いた本ということで手に取ってみました。

 内容は、私が期待していたものとはかなり異なりました。

 私としては、現実的なシーンでの「ウツの原因」や「ウツ病の予防法・対処法」について、精神科医による解説が書かれていると思ったのですが・・・
 実際は、大半が「人嫌いな人」「疑い深い人」「ナルシスト」「情緒が安定しない人」「規則破りばかりする人」「非常に大げさな人」「過度に依存する人」「強迫的な人」といった8タイプの人たちにまつわる著者自身の経験談といったものでした。当然、その内容は「ウツ」に関わるものではありましたが・・・、私の問題意識にJust fitするものとはかなりの乖離がありました。

 ただ、世の中、いろいろなタイプの「ウツ」の人がいるんだということは実感として理解することはできましたし、ひとつなるほどというヒントになったのは、以下のような著者のアドバイスでした。

(p45より引用) 気分転換というと雑談や旅行をすぐに思い浮かべます。しかし、自分の殻に閉じこもることもひとつの気分転換の方法だととらえることは大切です。

 憂鬱な気分のときに、無理に頑張ろうとか思わないことだとよく言われます。
 著者は、一歩進んで、積極的な「自閉」も勧めています。
 空想の世界に遊んだり、過去の楽しい思い出にひたったりすることも、気分転換として有効との指摘です。

人はこんなことでウツになるのか 人はこんなことでウツになるのか
価格:¥ 735(税込)
発売日:2006-02

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会社は誰のために (御手洗 冨士夫/丹羽 宇一郎)

2006-12-12 23:48:58 | 本と雑誌

Canon  元キヤノン社長の御手洗冨士夫氏と元伊藤忠商事社長の丹羽宇一郎氏の対談をベースに編集した本です。

 お二人ともそれぞれ日本を代表する大企業のトップの方らしく、まさに実業を営まれた軌跡を思い入れを込めて語っています。

  いくつか各論で私が興味を抱いた点を、以下にご紹介します。

 まずは、よく言われる「部分最適・全体最適」についての具体的処方箋です。

 御手洗氏の答えは「連結評価制度」でした。

(p39より引用) 私は、事業部や子会社がバラバラに動くのではなく、キヤノンというグループ全体が一つの会社として、一貫した思想を持ち、有機的に動く、すなわち効率を上げる仕組みを作ろうと考えました。それには、「部分最適」ではなく「全体最適」を目指さなくてはなりません。
 そこで、私は利益優先主義を唱えると同時に、まず連結評価制度を導入しました。

 「財務上の決算」ではグループ連結になっていても、実際のガバナンスはバラバラという例は珍しくはありません。

 次に、最近流行のコンプライアンスに関する取り組みです。

 キヤノンでは、コンプライアンス・カードという携帯用のカードの所持を義務づけているそうです。そこには「コンプライアンステスト」という社員の行動に対する「6つの問いかけ」が書かれています。

(p104より引用) 「法律・ルールに触れませんか?」「うしろめたさを感じませんか?」「家族や大切な人を悲しませることになりませんか?」「報道されても胸をはっていられますか?」「社会に迷惑をかけませんか?」「キヤノンブランドを傷つけませんか?」
 倫理基準をはっきりさせることで、社員は安心して働けるようになります。

 こういうストレートな問いかけは、常に身だしなみをチェックする「鏡」になります。
 シンプルで分かりやすいやり方の良い例だと思います。

 最後に、ちょっと「?」と思った点です。
 御手洗氏がCANONの「企業としての使命」について語った部分です。

(p38より引用) 企業の使命というものは、キヤノンの場合、次の四つだと私は考えています。
 一つは社員の生活の安定と向上、二つ目は投資家への利益の還元、三つ目は社会貢献、そして最後は先行投資するに十分な資金の確保。これができなければ、企業として存在する価値はありません。

 企業の使命に「顧客」というフレーズが出てこないのです。

 御手洗氏は、会社について、こうも言っています。

(p178より引用) 会社は、そもそも社会的な存在です。社会と関わっていく中で利益を創出し、従業員の生活の安定や社会貢献に役立てていくという役割を担っているのです。したがって、社会との関わり合いなくして存在しないものです。

 「社会-会社-従業員」というのが基本的な図式のようです。

会社は誰のために 会社は誰のために
価格:¥ 1,300(税込)
発売日:2006-07

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コメンテーター (ダメな議論(飯田 泰之))

2006-12-11 21:44:48 | 本と雑誌

 私は最近テレビをほとんど見ないので、典型的な「ダメな議論」論者と言われている「コメンテーター」の活躍ぶりは分かりません。
 が、いろいろな手練手管で、自分の主張を正しいと思わせているのでしょう。

 本書で、例示のひとつとして挙げられているのが「排中律もどき」の論法です。
 「あなたの主張は誤りであり、(だから)わたしの主張が正しい」というパターンです。

(p101より引用) 排中律の関係は、命題Aが「彼の名前は鈴木である」で、命題Bが「彼の名前は鈴木でない」というような場合に成り立ちます。この場合、Aが偽ならばBは真ですから、Bが正しいことを示すためにAが誤りであることを証明するのは正しい手続きです。しかし、Bが「彼の名前は佐藤である」という言及であったなら、Aを否定したところでBが正しいことを論証したことにはなりません。

 もちろん、この論法だけ単独で使われると誰でもおかしいと気付くのでしょう。
 しかし、その前に、すでに「(論者の考えは)自分の考えと同じだ」といった同意の下地ができていると、多くの人は簡単に納得してしまうようです。

 著者は、こういった単純な「ダメな議論」に踊らされないために、分析的思考にもとづく「情報リテラシー」の重要性を説きます。

 この「情報リテラシー」が「社会インフラ」となり得るという著者の主張は、まさに当を得た指摘だと思います。

(p50より引用) 経済学では、ある個人の行動が(市場を経由せずに)他の人に影響を与えることを外部性・外部効果と呼びます。この場合、Aさんが学校教育を受けたことで、一緒に働くBさんも、「連絡がスムーズになり、技術の伝達も容易になる」という便益を得ることができます。このように、教育の果実には教育を受けた個人のものにならない外部効果が含まれているのです。・・・
 個々人にとってはペイしない学校教育の普及が国民経済によい影響を与えたように、正しい常識の判断や誤った議論を見分ける力といった情報リテラシーが共有されることは、社会にとって重要なインフラとなり得ます

ダメな議論―論理思考で見抜く ダメな議論―論理思考で見抜く
価格:¥ 714(税込)
発売日:2006-11

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ダメな議論 (飯田 泰之)

2006-12-10 16:03:49 | 本と雑誌

 最近の「新書」のトレンドに乗った本です。

 正しいものを追求するより、不要・無用のものをはじいて有効性の確率をあげようという姿勢は、いかにも功利主義・現実主義的な印象を受けます。
 が、そうは言っても、玉石混交の議論・解説・意見が蔓延しているという現状を踏まえると、著者のアプローチも確かに有益ではあります。

 著者は、自らの「問題を解釈するに当たっての基本姿勢」を

(p93より引用)
①問題を適切に分割し
②個々のターム(用語)の定義を明確にし
③パートごとにデータによる検証を行う

というものだと自己分析しています。

 そういう著者自身の「分析的思考」のプロセスをHow Toの形で開陳した本だとも言えそうです。

 著者は、まず、人々が誤った解釈を正しいものと信じたり、意味のないもしくは有害な提言を受け入れたりする理由・仕掛けについて説きます。
 簡単に言えば、それは、

(p51より引用) 気分にかなうという理由で納得し、
 →何となく常識化
 →動かしがたい空気となり
 →思考や言論が支配される

というプロセスだと言います。

 そして、次に、誤った議論や怪しい解説を見抜くための5つのチェックポイントを提示します。

  1. 定義の誤解・失敗はないか
  2. 無内容または反証不可能な言説
  3. 難解な理論の不安定な結論
  4. 単純なデータ観察で否定されないか
  5. 比喩と例話に支えられた主張

 本書には、多くの「ダメな議論」の例示・例文が載せられています。それらは、一見もっともらしく耳ざわりのよい論説です。
 著者は、「5つのチェックポイント」を用いて、それらの議論の問題点を顕わにしていきます。

 著者の解説を辿っての私なりの感想ですが、多くの立論において、「定義の明確化」と「論拠データの信憑性の担保」がなされていれば、「論理の展開」によって結論が歪むことはないだろうと思いました。

ダメな議論―論理思考で見抜く ダメな議論―論理思考で見抜く
価格:¥ 714(税込)
発売日:2006-11

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