OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

ロウアーミドルの衝撃 (大前 研一)

2006-09-30 14:59:59 | 本と雑誌

 最近の大前氏の著作は、図書館で借りることが多いです。
 この本も、たまたま近所の図書館で目に付いたので借りてきました。

 「第1章 日本の構造変化と『M字型社会』」「第2章 ロウアーミドル時代の企業戦略」のあたりは、数値的な事実を踏まえ現状を再確認する意味では、それなりの切り口でわかりやすくまとまっていると思います。

 他方、後半の提言部分になると、首肯できる部分と首を傾げたくなる部分とが入り交じってきます。

 たとえば、経済危機から脱し、IT産業を中心に発展を遂げている北欧諸国の「教育」についての記述です。

(p226より引用) これらの国の教育現場では、「teach(教える)」という言葉が禁じられ、「learn(学ぶ)」を使う。「教える」とは、答えがあることを前提とし、それを知っている人間が教えるという考え方だ。だが21世紀の今日、世の中では答えのない問題だらけである。だから北欧では教えるのではなく、子供たちが自ら学びとるという考えを徹底しているのだ。
 デンマークの学校教育関係者の話では、デンマークの教師は「1クラス25人全員が違う答えを言ったときが最高だ」と話していたほどだ。
 自ら考え、自分で答えを見つけ出す。それこそが現実の社会で役立つ能力であり、その力をつけさせることこそが本当の教育なのである。

 このあたりはそのとおりだと思います。
 ただ、言い尽くされた指摘でもあり、大前氏ならではという新たな視点というわけではありませんが・・・

 また、「少子高齢社会」について。

(p236より引用) 少子高齢化が進むことで就業人口が減れば、当然、給与総額も減る。つまりフローが減るのは構造的な問題であり、所得税のようなフロー課税のままでは将来的には財源が枯渇してしまう。
 一方、家計の金融資産残高、つまりストックの推移を見ると、フローが減った1990年代後半以降もほとんど目減りしていない。簡単に言えば、「少子高齢社会」とは資産が増えて所得が減る時代なのである。

 こういった感じで「掴みとしての本質」をスキッと浮き彫りにして示してくれると、ちょっとは「大前氏ならでは・・・」感が感じられます。

 その一方で、別の意味での「大前氏らしさ」も登場します。

 大前氏の持論の「道州制」についての提言ですが・・・

(p256より引用) 四国道もデンマークを参考にしてニッチな分野を開拓していくとともに、たとえば南に開いた高知を軸にして、太平洋をまたいだアメリカやオーストラリア、アジア諸国との交流を深めていけば、発展の可能性は大きく広がっていくはずだ。
 北陸道(新潟、富山、石川、福井)も同様で、日本海に面して広がるベルト地域として、対岸のロシア、中国、朝鮮半島の沿岸都市との経済圏構想を持てばいい。アメリカのカリフォルニア州は長い海岸線に平行してスーパーハイウェイが走り、それが大動脈となって太平洋経済の一角を築いている。北陸道も同じように交通体系を整備すれば、発展の可能性はとても大きいと思う。

 と、ここまで具体的根拠なく楽観論を唱えられると、やはり「おいおい」と言いたくなります。
 南に開いていれば発展するなら、別に高知でなくても、鹿児島でも、和歌山でも、静岡でも同じだろう・・・と突っ込みたくなりますし、海岸線の交通を確保すれば発展する可能性大との説に至っては???、理解不能です。

 氏自身、サイバー経済時代の到来を指摘しておきながら、「道州制」において、「地理的要素によるリアル経済圏の拡大」を薦めるのは如何なものかと感じてしまいます。

 よくも悪くも「大前氏らしい著作」です。

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わたしの流儀 (吉村 昭)

2006-09-29 00:55:18 | 本と雑誌

Senkan_musashi  今年7月31日になくなった吉村昭氏のエッセイ集です。

 吉村氏の小説は、「戦艦武蔵」を皮切りに一時期結構集中して読みました。
 綿密な史実の調査・集積の濃さ・厚さに基づくリアリティと昂ぶらない筆致が強く印象に残っています。

 このエッセイ集には、いかにも吉村氏らしいと感じられるエピソードが数多く紹介されています。

 まずは、吉村氏の真骨頂である「事実への肉薄」です。

(p38より引用) 翌日の夜明けに眼をさました私は、その文章の一行分が不足しているのに気づいた。
 ボートが「アゾヴァ号」にむかっていた時刻はまだ夜の闇が濃く、町から鶏の声がしきりにきこえていたはずである。いや、まちがいなくそうであったにちがいない。
 私は、朝起きると書斎に入り、「海岸からは、鶏の鳴く声がしきりであった」という一行を書き足した。

(p41より引用) 単行本になって読み返した私は、川路の妻は、まちがいなく「側女」と言ったにちがいない、と思った。

(p136より引用) たとえば、病院にかつぎこまれた多くの悲惨な負傷者の手当てをした後、疲れ切った主人公はどうするか。酒好きの主人公なら、私は酒を飲んだと書き、恐らくそれは百パーセントまちがいないだろう。

 こちらは、日々黙々と執筆に勤しむ吉村氏の実直な人柄の表れです。

(p50より引用) 小説家は一つの作品を書き上げた時、それに満足せず、次の作品こそすぐれた作品にしたいと願う。いわばいつも満足すべき個所にたどりつきたいと、荒野の中の道を一人とぼとぼと歩いているようなもので、作家であると胸を張って言える気にはなれないのである。

 また、自らに正直な姿勢

(p70より引用) 世に名作と呼ばれる作品に少しの感動もおぼえぬ場合、自分の鑑賞眼が低いなどとは決して思わぬことだ。自分の個性とは相いれぬものと考えるべきである。
 島崎藤村の代表作「夜明け前」、夏目漱石の諸作品などは名作として激賞されているが、私の琴線にはふれてこない。私には、他の作家の作品に感動するものが多々あり、それは私の生まれつきの個性なのだから仕方がない

 そして、何より吉村氏らしいと感じたのが、以下のフレーズでした。

(p21より引用) 書斎の四方の壁には天井まで伸びた書棚があって、書籍が隙間なく並び。床の上にまであふれ出ている。それらにかこまれて、机の上に置かれた資料を読み、原稿用紙に万年筆で文字を刻みつけるように書く

 「刻みつけるように書く」・・・、いかにも吉村氏その人です。
 自らの流儀を頑なに守り、日々書斎の机に向かう吉村氏の姿が眼に浮びます。

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不揃いゆえのシナジー (花を売らない花売り娘の物語(権八成樹))

2006-09-28 00:25:18 | 本と雑誌

Horyuji_1  育成関係の章では、法隆寺などの解体修理を手がけ最後の宮大工棟梁と言われた西岡常一氏の著作が紹介されています。

 西岡氏曰く、法隆寺が1300年もの間立ち続けられたのも、全部が不揃いの部材から組み上げられているためとのこと。

 その説を受けて、権八氏は続けます。

(p248より引用) 均一の素直な正目の木材より、曲がりくねった癖だらけの木材のほうがずっと力があると語っています。
 個性こそが組織力の資源なのです。この曲がった性根ややっかいな癖、すなわち頑固な個性を、巧みに統合し組み合わせることで生き生きとした組織力が生まれる。多種多様で不揃いな資源が満ち溢れていればいるほど、組織はシナジー(相乗効果)synergy effectを発揮するというわけです。

 法隆寺の木組みは、「ひとそれぞれ、個性に富んだいろいろなメンバがその持ち味を活かし、その総体で素晴らしい成果を挙げる手本」として、記憶しておきたい事実です。

 この本の後半は、こういった私たちを元気づけるフレーズが目白押しです。

 たとえば、「前向きの無謀さ」について。

(p187より引用) 人は水泳の知識だけで泳げるようにはなりません。人は何度か転ぶ経験をして自転車に乗れるようになるのです。溺れそうな目に遭って水を飲んで苦しんで、初めて泳ぎを覚えるのです。ですから制止を聞かず闇雲に水に飛び込んでいく無垢で眩しい無謀さを、その若さと夢とロマンを、大切にしたいと私は思います。

 また「反省」と「後悔」をテーマに。

(p187より引用) ああ、またやってしまったとか“反省”するのはいいのです。しかし、ああ、またやらなかったと“後悔”する人生なんてまっぴらだと思いませんか。

 最後に、権八氏が紹介する梁塵秘抄に収録されている歌です。

(p292より引用)
 遊びをせんとや生まれけむ
 戯れせんとや生まれけん
 遊ぶ子供の声聞けば
 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ

花を売らない花売り娘の物語―ハイタッチ・マーケティング論 花を売らない花売り娘の物語―ハイタッチ・マーケティング論
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応対の代償 (花を売らない花売り娘の物語(権八成樹))

2006-09-24 14:15:48 | 本と雑誌

 もう少し、この本で紹介されているマーケティングの話を続けます。

 ここ数年来、流行のCRMのリアルな現実です。

(p 91より引用) 企業や商店が顧客を失うlosing customers最大の理由は商品や価格などではなく、従業員の無礼な態度insult、無関心な態度disinterestなのです。ある分析によると、企業や店が客を失う理由のうち、商品への不満complaintはわずか15%、しかし従業員の対応への不満は70%だそうですね。そして重要なことは顧客は対応に失望した時、ほとんどの場合、真実the truth(の理由)を告げずに来なくなるということです。

 これは実感としてもそう思いますね。

 製品の「機能」「価格」が、売れるか売れないかを決める重要な要素であるのは言うまでもありません。が、最終的な「品質」は「人」に帰着します。

(p 93より引用) プロダクトの品質を決めるものはテクノロジーtechnology(技術)です。そして、サービスの品質を決定づけるものは1人ひとりのスキルskillとハートheart(人)なのです。

 「品質=人」だとすると、「マニュアル」で繕うことはできません。
 定型的なCRMの決め事は、どこかでほつれができてしまいます。最終的には、生身の「人」の勝負になります

(p 95より引用) CRMとは客先との関係性relationshipを重視する考え方ですが、廊下ですれちがっても社員が挨拶もしない会社のCRMなど誰も信用するはずがありません。隅々まで手を抜くな、見えないからといってごまかすな。顧客感動とはすきのない真心交換の真剣勝負なのです。そして「神は細部(ディテール)に宿る」「真実は末端にあり」なのです。
 サービス、つまりコトのビジネスの神髄がそこにあります。

 お客様が満足されるか、不満に思うかは、現場の応対の瞬間に決まります。
 その瞬間は、現場の担当者がすべての責任を担っているのです。

(p 102より引用) エンパワーメントとは、自分の判断one’s own decisionで「真実(真心、気配り)の瞬間」を演出し、真心交換の真剣勝負に打って出る、そういう即断と実践の現場力のことだと言ってもいいでしょう。

 応対の瞬間には、「自分で判断」するしかありません。いちいち上司に伺いをたてることはできません。
 だとすると、ひとりひとりの担当者が拠って立つ「判断の『基準』」が極めて重要になります。

(p 104より引用) ノードストロームの就業規則company rulesはたった1つだそうです。
「どんな状況においても、自分自身の良識に従って判断しなさい。それ以外のルールはありません」

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花を売らない花売り娘の物語 (権八 成樹)

2006-09-23 13:04:11 | 本と雑誌

 いつも参考にさせていただいている「ふとっちょパパ」さんのBlogで薦められていたので、気になって読んでみました。
 確かに一読する価値のある本だと思います。

 著者の権八成樹(ごんぱ しげき)氏は、日本IBMに長年勤務し、その後IBMビジネスコンサルティングサービスの要職を勤められた方です。

 変わったタイトルですが、何の本かといえば、全体としては、「マーケティング」の理論/実践を説いている本です。
 マーケティングの入門書としても、豊富な具体例を挙げた非常にわかりやすい解説で出色です。

 たとえば、「商品」について。
 マーケティングの巨匠レビット教授の著作では、「商品」は以下のように定義されています。

(p 81より引用) 「商品の定義は、自社で何を製造しているかによってではなく、顧客customersが何を欲しているかによって定義されなければならない。なぜなら、商品とは人が購入する品物(機能)ではなく、人が自分たちの問題problemを解決solveするためか、人が自分たちの願望を達成するための道具solution(解決手段)だからである」

 これは、「モノとしての製品・商品」そのものではなく、それにより「満たされること」「解決されること」が真のニーズでありウォンツであることを説明したものです。

 この「商品」が今後どういう志向を示してゆくか、権八氏は、それを「3つのコト」にまとめています。

(p 64より引用) 人々の商品への志向(マインドmind)は、高齢化、少子化、個性(個別)化などの社会事象を反映して、
カスタマイゼーションcustomization(自分らしさ、自分向き、個性尊重、かけがえのなさ)
オンデマンドon-demand(いつでも・どこでも、その時・その場で、欲しい時・したい時)
ヒューマン・セントリックhuman centric(簡単便利、ゆとり・癒し・やさしさ、感動・喜び、ユニバーサル・デザイン、健康志向、エコロジー)
 という3つのコト志向に集約されそうです。そして、商品は、これらのコト志向に応えつつ、コトがモノのあり様を催促するというかたちで進化しているように思われます。

 この他にも「サービス」「顧客対応」等々について、実践的な解説が続きます。

 ただ、この本のもうひとつのメッセージは、「ビジネス人生の先輩(権八氏)からの熱く真摯な想い」です。

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ソクラテス・ウェイ (ソクラテス以前以後(コーンフォード))

2006-09-22 00:03:12 | 本と雑誌

 ソクラテスが哲学的探求に際して用いたのは「問答法」と言われる方法です。
 これは、誰もが承認しうる前提から出発して、相手の矛盾を指摘しつつ、論理整合した結論に至らしめるものです。

(p62より引用) かれは、かれらが、自分たちの真に理解しているものがいかにわずかであるかを悟って、かれとともに真理の探求に乗り出す準備ができるように、かれらを当惑させることから始める。

 この方法は、物事の根源的認識を出発点に論理を積み上げているものでした。そのため、しばしば当時の社会通念や常識を否定することとなりました。

(p64より引用) 若者たちに、人間らしさの完全な自由を獲得するためには、すべての承認された行為の格率を疑問に付し、あらゆる道徳問題を自分の力で判断することを目ざさなければならない、と教えるのは、両親と社会がそれでもってかれらの少年期を、それほどまで熱心に取り囲んできた、道徳的な支柱と控え壁を取りこわすという意味で、かれらを脱-道徳化する〔旧来の道徳を捨てさせる〕ことにほかならないからである。じっさい、ソクラテスは社会的強制という道徳観-人類の歴史全体を通じて、家族から国家にいたるまでのあらゆる規模の人間集団を統合してきた、権威への服従と習慣への適合という道徳観-を、土台から切り崩しつつあった。

 こうなると従前からの体制側の人びとはいい気持ちはしません。
 ソクラテスが訴追された背景です。

 ソクラテスの罪状は、
「ひとつ、ソクラテスは国家が認める神々を認めず、新たな神格(ダイモン)を導入するの罪を犯す。ふたつ、ソクラテスは若者を堕落せしめる罪を犯す。よって死罪を要求すること件のごとし」
と伝えられています。

 しかし、ソクラテスは若者を堕落させたわけではありません。偏見や受け売りの意見に惑わされない「洞察力」を教えたのです。

(p67より引用) ソクラテスの発見は、真の自我は身体ではなくて魂である、ということだった。魂によってかれが意味したのは、善を悪から分かち、誤りなく善を選ぶことのできる、洞察能力の座だった。自己知とはこの真の自我の認識を意味する。

 真に善を認識すれば、その意志の力で善に反することはしないのです。

(p68より引用) 人びとは、普通、「わたしは、それは悪いと知っていたが、それをしないわけにはいかなかった。」と言う。ソクラテスは、それはほんとうは真理ではない、と答える。・・・いったん、意志が、その対象である善に、純粋で明晰な視点をもって向けられたなら、なんぴとも、自分の真の意志に逆らって悪事をなすものではない。

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ソクラテス以前以後 (コーンフォード)

2006-09-18 12:31:34 | 本と雑誌

Sokrates_1  この本は、1932年ケンブリッジにおいて、ギリシア哲学課程の一部として行なわれたF.M.コーンフォード氏の夏季講座の講義をまとめたものです。
 講義は4回。テーマは、「ソクラテス以前のイオニア自然学」「ソクラテス」「プラトン」「アリストテレス」です。

 私のような哲学の素人でも、偉大な哲学者といえば、いの一番にソクラテスの名を挙げます。ただ、いったい彼のどこが偉大なのか、その根源なのか、実は全く分かっていません。
 ソクラテスのどこが偉大だったのでしょうか?

 コーンフォード氏によると、ソクラテスによってはじめて、哲学の対象が「自然から人間へ」と転換されたとのことです。

(p19より引用) ソクラテス以前の哲学は・・・自然の発見とともに始まり、ソクラテスの哲学は人間の魂の発見とともに始まる。

 ソクラテス以前、たとえば、ミレトスのタレスに始まるギリシア哲学の流れは、知識をそれ自体のために追求するものでした。

(p20より引用) 理性は、二等辺三角形の二つの底角が等しいということや、なぜそれが等しくなければならないかを知ることに、新鮮な喜びを見いだした。土地測量士はこの真理をさらに地図の作製に利用するが、哲学者は、真であるがゆえにそれを喜ぶ、ということで満足する。

 さて、そうはいってもこの本。ギリシア哲学の入門書としては平易なものとのふれこみだったのですが、やはり、全く基礎知識も何もない私にはかなり厄介でした。
 ソクラテスの章は、以前「ソクラテスの弁明」を読んでいたので少しは論旨についていけましたが、プラトンとアリストテレスは、正直全く理解できませんでした。

 また、ぼちぼちと勉強しましょう。

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気概 (経営はロマンだ! (小倉 昌男))

2006-09-17 18:34:20 | 本と雑誌

 そもそも「宅急便」事業は、周囲すべての反対の中、経営危機を脱するべく、小倉氏が「乾坤一擲の大事業」として立ち上げたものでした。

 そのチャレンジ精神は、続く「スキー宅急便」でも発揮されました。
 小倉氏に言わせれば、こういうチャレンジこそが経営の醍醐味だということのようです。

(p147より引用) スキー宅急便でも似たような苦労を味わった。しかし、このサービスを始めたことで、運送会社にとって運行の妨げになる雪が、需要を喚起する天の恵みに変わったのである。デメリットあるところにビジネスチャンスあり。これが経営のだいご味だと思う。

 「宅急便」事業の展開・拡大期において「官僚と闘う男」との勇名をはせた小倉氏です。
 その反官僚の気概は、氏が晩年取り組まれた「福祉事業」への関わり方にも表れています。

 小倉氏は、単なる「補助金ばら撒き」といったやり方は決して採りませんでした。

 障がい者の方の給料が「1万円」であることに憤慨しました。同じように働いていて「1万円」とは何事か?それに疑問を抱かない福祉関係者にも不満を感じたのです。

 そして、小倉氏は、障がい者自立化の支援を始めました、障がい者の方が自ら働いてひとりでも生活していけるよう「働く場所」を提供することに力を注ぎました。

 小倉氏が私財を投じて設立した「財団法人ヤマト福祉財団」は、氏の想いを受け
「心身に障がいのある人もない人も、共に働き、共に生きていく社会の実現。そのノーマライゼーションの思想こそ、ヤマト福祉財団の基本理念です。」
と高らかにうたっています。

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リーダの伝え方 (経営はロマンだ! (小倉 昌男))

2006-09-16 17:47:50 | 本と雑誌

 リーダはビジョンや戦略を「策定」します。当然、それらは、リーダとしての極めて重要な役割ですが、それと同程度に大事なことがあります。
 それらのメッセージを「社員に伝える」ということです。

 伝わらなければ、どんな高邁なビジョンもどんな精緻な戦略も「絵に描いた餅」でしかありません。

 「伝える」といっても、実際上はそんなに簡単なものではありません。「伝え方」にも工夫が必要です。

 まずは、小倉氏が実行した「表現方法」の工夫です。

 「安全第一、能率第二」

(p81より引用) どこの会社でも安全第一とは書いてあるが、能率第二とは書いていない。第二を示すことで、本当に安全が第一であることが分かる。

 これは確かにそのとおりですね。

 また、伝える内容は「明確で腹に落ちるもの」でなくてはなりません。
 明確な指示は、「シンプルな王道の論理」がベースとなります。

(p123より引用) どうしたら売り上げが分岐点を超えるようになるか。荷物の個数を増やせばいい。どうしたら荷物が増えるか。サービスをよくすればいい。サービスの差別化が至上命題だ。

 で次はこうです。
 決して「二兎」は追いません。「足して2で割る折衷案」も採りません。

(p123より引用) サービスとコストは二律背反の関係だから、利益を強調するとサービスが中途半端になってしまう。だから、あえて採算意識を捨てさせた。物事には何でも裏と表がある。デメリットを恐れて立ち止まったら発展はない。メリットをそれ以上に大きくすればいい。

 そして、最後は、「実行」です。

(p194より引用) 物事は何でも実行してみなければ分からない。
 やれば分かる。うまくいかなかったら、反省してやり直せばいい。しかし、やらなければ絶対に分からない。やらない限り、目標には近づかない。目標を決めたら、それに向かって歩んでいくしかない。

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主婦の立場で「宅急便」 (経営はロマンだ! (小倉 昌男))

2006-09-15 00:33:17 | 本と雑誌

 「官僚と闘う男」として勇名をはせたヤマト運輸の二代目社長小倉昌男氏が主人公です。

 この本を読むまで知らなかったのですが、もともと「大和運輸(現ヤマト運輸)」は、1919年(大正8年)創業の、この業界では大手の老舗だったそうです。ただ、1960年代以降、長距離輸送興隆の波を見逃し、経営は低迷、経営危機に直面しました。
 その起死回生の大ヒットが、1976年(昭和51年)、関東一円で開始された「小口貨物特急宅配システムである”宅急便”」でした。

 「宅急便」というサービスを立ち上げるにあたって小倉氏が最も重視したのは「主婦感覚」でした。

(p120より引用) 宅急便の商品化計画で最も重視したは、「利用者の立場でものを考える」ということだった。主婦の視点がいつも念頭にあった。
 たとえば、・・・宅急便ではブロックごとに均一料金とした。東京から中国地方行きなら、岡山も広島も同じ料金。どちらが遠いのかなど主婦の関心事ではない。分かりやすさを最優先した。・・・
 「荷造り不要」も同じである。荷造りしないと荷物が壊れるというのは運送業者の論理で、「壊さないように運ぶのがプロの仕事でしょ」というのが主婦の論理である。

 「お客様のためにではなく、お客様の立場になって考える」と語ったのはイトーヨーカドーの鈴木敏文氏でした。
 この基本姿勢は、宅急便が追われる立場になっても不変でした。

(p145より引用) 当たり前だが、優れたサービスとは客がしてほしいと思うことをすることである。しかし、企業は往々にして供給側の論理で考えてしまう。これは絶対に犯してはならない過ちだ。

 他社の参入、いわゆる「動物戦争」においても、小倉氏は「お客様の立場」で、一層のサービスの向上を目指しました。
 そして登場したのが、「スキー宅急便」「ゴルフ宅急便」「クール宅急便」などなどでした。

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地図から消えた東京遺産 (田中 聡)

2006-09-13 23:30:27 | 本と雑誌

Rokumeikan  図書館で書架を眺めていたとき「タイトル」に惹かれて借りてみました。

 江戸期から昭和にかけての東京の名所がテーマです。
 数多くの名所の中で、この本が取り上げたのは、今はもう取り壊されたり廃れてしまったりした「かつて名所」です。その名所(東京遺産)が脚光を浴びていたころの様子と今の姿を紹介したものです。

 具体的には、

  • 「1章 文明開化の歩き方」では、「浅草十二階(凌雲閣)」「鹿鳴館」「銀座煉瓦街」「築地・外国人居留地」
  • 「2章 教科書ではわからない東京、教えます」では、「日本橋・白木屋」「巣鴨プリズン」「日比谷・進駐軍接収施設」「新宿・ムーラン・ルージュ」「淀橋浄水場」「麻布・東京天文台」
  • 「3章 時代劇に出てくる名所に行きたい」では、「小石川養生所」「谷中・五重塔」「小塚原刑場」「小石川・切支丹屋敷」
  • 「4章 あの頃、彼らは若かった」では、「本郷・菊富士ホテル」「田端文士村」「池袋モンパルナス」
  • 「5章 遊郭という場所があった」では、「吉原」「玉の井」「州崎」

 以上、20の東京遺産について語られています。

 江戸期から昭和の時代までの「遺産」なので、「遺産」といってもまだまだ生々しいものです。
 どの名所も、その歴史が、そこに生きた人々の息吹とともに紹介されています。特に、「浅草十二階(凌雲閣)」や「吉原」に代表される浅草界隈は、往時の賑わいが髣髴とされました。

 いくつかの場所は結構職場の近辺だったりするので、興味深く読めました。

 エピローグでは、お台場の「臨海副都心」が取り上げられています。
 どうやらここは、早々と「遺産」の仲間入りをしてしまったようです。

名所探訪 地図から消えた東京遺産
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老子流「わかったつもり」 (老子(金谷 治))

2006-09-12 23:45:01 | 本と雑誌

 以前、このBlogで「わかったつもり」のことを書きました。

 老子流の「わかる」についての教えです。

(p215より引用) 知不知上。不知知病。(夫唯病病、是以不病。)聖人不病、以其病病、是以不病。
(p215より引用) 自分でよくわかっていても、まだじゅうぶんにはわかっていないと考えているのが、最もよいことである。わかっていないくせに、よくわかっていると考えているのが、人としての短所である。(そもそも自分の短所を短所として自覚するからこそ、短所もなくなるのだ)。聖人に短所がないのは、かれがその短所を短所として自覚しているからで、だからこそ短所がないのだ。

 説かれていることは、一見(「老子」に限らず、)当たり前のことのように思われます。
 が、金谷氏の解説によると、そうではないようです。

(p215より引用) わかったことはわかったとし、わからないことはわからないとする、それが合理主義の原則である。『論語』には「知るを知ると為し、知らざるを知らずと為す、是れ知るなり」とあった。『老子』のことばは、それと似ているようで、実は違っている。わかったことをわかったとはしないのである。

 老子流には、「『わかった』ということ自体を否定するのだ」と言います。

(p216より引用) なぜなら、何かがわかったとか知ったとかいうかぎりは、それ以外の知らないわからない世界をいつまでも残しているのであって、それでは「道」に到達したとはいえないからである。

 どうも「道」を究めたという状態は、「ソリッドなものに到達する」ということとは全く別次元のもののようです。
 やはり、難解です。

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不争の兵法 (老子(金谷 治))

2006-09-11 21:51:56 | 本と雑誌

 「老子」に見られる「兵法」に関する記述です。

(p208より引用) 善為士者不武。善戦者不怒。善勝敵者不与。善用人者為之下。是謂不争之徳、是謂用人之力、之謂配天。古之極。
(p208より引用) りっぱな武士というものはたけだけしくはない。すぐれた戦士は怒りをみせない。うまく敵に勝つものは敵と争わない。じょうずに人を使うものは人にへりくだっている。こういうのを「争わない徳」といい、こういうのを「人の力を利用する」といい、こういうのを「天とならぶ」ともいって、古くからの法則である。

 この教えは、「百戦百勝は、善の善なるものにあらず」という孫子の教えと同じ趣旨と言えます。

 ただ、「戦わずして勝つ」といっても、ちょっとニュアンスは違うように感じます。
 「孫子」の場合は、外交であったり諜報であったり、直接的な軍事行動以外の具体的な手立てを駆使して「戦わず」して勝利を得るのですが、「老子」の場合は、「無為」の延長上での「不争」であるようです。

 その他いかにも「老子」という教えを1・2ご紹介します。

 まずは、最近は日本酒の銘柄の方が有名になった「上善如水」です。
 「老子」に限らず、「水」は、洋の東西いろいろな教えのなかで「理想的な理法」として登場します。

(p35より引用) 上善若水。水善利万物、而不争。処衆人之所悪。故幾於道。
 最高のまことの善とは、たとえば水のはたらきのようなものである。水は万物の生長をりっぱに助けて、しかも競い争うことがなく、多くの人がさげすむ低い場所にとどまっている。そこで、「道」のはたらきにも近いのだ。

 もうひとつ、「老子」らしい逆説による教えの章です。

(p114より引用) 知人者智、自知者明。勝人者有力、自勝者強。
知足者富。強行者有志。不失其所者久。死而不亡者寿。
(p113より引用) 他人のことがよくわかるのは知恵のはたらきであるが、自分で自分のことがよくわかるのは、さらにすぐれた明智である。他人にうち勝つのは力があるからだが、自分で自分にうち勝つのは、ほんとうの強さである。
 満足することを知るのが、ほんとうの豊かさである。努力をして行ないつづけるのが、目的を果たしていることである。自分の本来のありかたから離れないのが、永つづきすることである。たとい死んでも、真実の「道」と一体になって滅びることのないのが、まことの長寿である。

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無為 (老子(金谷 治))

2006-09-10 13:25:21 | 本と雑誌

 「老子」といえば、すぐ浮ぶのが「無為自然」です。

 「無為」について具体的な説明をしている章をご紹介します。

(p194より引用) 為無為、事無事、味無味。大小多少、報怨以徳。図難於其易、為大於其細。天下難事、必作於易、天下大事、必作於細。是以聖人、終不為大、故能成其大。
(p193より引用) 何もしないことをわがふるまいとし、かくべつの事もないのをわが仕事とし、味のないものを味わってゆく。
 小さいものを大きいとして大切にし、少ないものを多いとして慎重に扱い、怨みごとに対して恩恵でむくいる。
 むつかしいことは、それがまだやさしいうちによく考え、大きなことは、それがまだ小さいうちにうまく処理する。世界の難問題も、必ずやさしいなんでもないことから起こり、世界の大事件も、必ず小さなちょっとしたことから起こるものだ。それゆえ、聖人は決して大きなことをしたりはしない。だからこそ、その大きなことを成しとげられるのだ。

 「無為」といっても「何もしない」ということではないようです。
 ことがまだ微小なうちに、何かをしたという証跡を残さない形で「事を成している」のです。ちょっと自分で勝手に思っていた「無為」とは違っていました。

 このあたり、以下のような「無」についての解題にも関わりがありそうです。

(p44より引用) 故有之以為利、無之以為用。
 なにかが有ることによって利益がもたらされるのは、なにも無いことがその根底でその効用をとげているからのことなのだ。

 「無」というものが、「効用の実際(有)」を産み出しているのです。

 「道(無為自然)」の人は、何事も満々と満たそうとはしません。

(p56より引用) 保此道者。不欲盈。夫唯不欲盈、故能蔽而新成。
 「道」をわがものとして守っている人は、何ごとについてもいっぱいまで満ちることは望まない。そもそもいっぱいになろうとはしないからこそ、だめになってもまた新たになることができるのだ。

 このあたりの境地は、正直ちょっと理解し難いです。極めていく方向が「エントロピー増加」の方向のように思うので・・・。
 「100%を求めない、完璧を求めるとそこで前進は止まってしまう」という教えであるならば、ある意味、よく言われていることです。そうであれば納得できるのですが、「道」の場合も同趣旨で唱えているのでしょうか。どうも違うような気がします。

 「100%を求めない聖人の境地」と、単に「何もしない」とか「究極まで努力しないで途中で手を抜く」とかの姿とは、表層的には区別しにくいものです。

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大道廃れて、仁義有り (老子(金谷治))

2006-09-09 15:50:51 | 本と雑誌

Roushi_1  「老子」という人物については、実在したかどうか諸説あるようです。

 ただ、老子が実在の人物であろうとなかろうと、上編を道経、下編を徳経という全体で5000字余りの小さな書物としての「老子」は、東洋の思想と文化に絶大な影響を与えました。
 この書物で説かれた教えは、他の学派が価値と考える聖賢の知恵や既成の倫理などを否定した独特の派として、東洋思想のひとつの大きな底流となって今に続いていることは紛れもない事実です。

 「老子」はしばしば孔子の教えと比較されます。

(p68より引用) 大道廃、有仁義。智慧出、有大偽。六親不和、有孝慈。国家昏乱、有貞臣。
(p68より引用) 仁義とか孝慈とか忠臣などという世間的な儒教の道義は、すべて真実なものが失われた結果としてあらわれたものだ、という。仁義が行なわれ忠臣孝子が出るのを良き時代と考えるのは、常識であるが、それを真向からうち破ったのである。道徳をことさらに強調する必要があるのは、それが失われて乱れた状態があるからではないか。・・・してみると、仁義道徳は第二義的なものである。第一義として求めなければならないものは、ほかならぬ「大道」の復活であった。

 老子によると、「仁義」は、「道」に達すると不要となるものだ、「道」が失われたために説かれ始めたものだ、とされます。

(p128より引用) 前識者、道之華、而愚之始。
(p127より引用) 仁愛や正義や礼儀などを人に先がけてわきまえるというさかしらの知恵は、まことの「道」の実質が失われたそのあだ花であって、そもそも愚劣のはじまりである。

 金谷氏は、以下のように解説します。

 (p128より引用) 孔子や孟子の唱える儒教の仁義道徳は、真実の「道」が行なわれていた古き良き時代には、必要もなく、また起りようもないものであった。無為自然な「道」のありかたが失われたために、そうした道徳が生まれた。

 孔孟の教えは、聖人が目指すべき究極の到達点ではないということです。

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