OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

アリストテレスと現代 (アリストテレス入門(山口 義久))

2007-02-25 14:20:04 | 本と雑誌

Aristoteles  アリストテレスの論理学の基本は、現代でも基本的な推論方法とのひとつとされている「三段論法」です。

 三段論法は、2つの前提を結びつけて、そこから新しい結論を引き出すのですが、そこでの「前提」や「結論」になるのが「命題」です。
 この命題の表し方において、アリストテレスは大きな貢献をしました。「命題のアルファベット表記」です。

(p46より引用) 命題のタイプを区別するために、名辞をアルファベットで表わしたが、これはアリストテレス自身が始めたやり方だということは、強調しておく必要がある。・・・この表記の画期的なところはむしろ、命題を「動物」とか「死ぬもの」とかいった具体的な内容にとらわれずに抽象化できるようにしたことにある。それによって、個々の具体的な命題ではなく、命題のタイプを考えることができるようになったということである。
 そのように見ると、名辞のアルファベット表記は、たんなる演算上の技術的な革新よりももっと根本的な、「形式論理学」の成立そのものを可能にする工夫であったと言えるであろう。抽象化することなしに形式化することはできないからである。

 また、アリストテレスの方法論の特徴として「データ重視」の姿勢が挙げられます。

(p35より引用) 彼がプラトンやアカデメイアの人々の考察法に対して自分の方法論を意識的に対比するとき、彼らの方法は「議論による」やり方として批判される。それと対比されるのは「自然本来のあり方に即した」考察法であるが、その表現が意味しているのは、観察によってえられるデータを重視するやり方である。アリストテレスが議論を軽視しているとはけっして言えないが、データを無視するような議論は無効であると考えるのである。

 アリストテレスのデータ重視は、自然学の研究に限ったものではありませんでした。
 政治学的な研究においてもその考察方法は用いられています。

(p36より引用) ・・・アリストテレスがデータを収集する場合には、そのデータによって、自然世界に関する事実や理論を確証する場合と、さまざまな問題について考える手がかりをえようとする場合との、少なくとも二つの場合が区別されなければならない。前者には経験主義と呼ばれる立場との共通性が認められるが、後者のうちには経験主義という言葉で片づけられないものが含まれている。

 本書の最後の章で、著者はアリストテレスと現代との関わりについて触れています。
 そこでの「科学論とアリストテレス」のくだりは、先にこのBlogでも紹介した「科学論入門」での佐々木力氏の見解に通じるところがあります。

(p200より引用) 古代ギリシアでは、技術が未開発であっただけでなく、知のために知を求めることに重要性をおく考えが特徴的であり、それは、アリストテレスに典型的にあらわれている。科学の進歩という観点から見ても、知的欲求に技術の進歩がかみ合ったところに現代の科学の成果があるので、技術偏重になって基礎的な研究を軽視する傾向は、科学にとっても大きな不安材料である。・・・アリストテレスが強調した、生まれつきの知的欲求を、もっと自覚する必要があろう。

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発売日:2001-07

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哲学の知 (アリストテレス入門(山口 義久))

2007-02-24 19:58:14 | 本と雑誌

Atene_no_gakudo  ご存知のとおり、アリストテレス(Aristoteles 前384~前322)は、ソクラテス・プラトンと並ぶ古代ギリシャの哲学者です。
 マケドニアのスタゲイラに侍医の息子として生まれ、17歳でアテネに出てプラトンの学園アカデメイアに入門しました。その後、前342年、マケドニア王フィリッポスに招かれて王子アレクサンドロスの家庭教師となり、さらに、アテネに戻ったのちは自らの学園リュケイオンを開きました。

 いままで、ソクラテスプラトンに関する本をほんの少しだけ読んでみたので、どうせならアリストテレスもということで、この入門書を手に取ったというわけです。
 結果、内容を理解したには程遠い状態なのですが、いくつか覚えを記しておきます。

 まずは哲学の語源である「知」についてのアリストテレスの考えです。

(p88より引用) ただそうであるという事実を知っているだけでなく、なぜそうであるかを知っていることが知者に固有のことなのである。そしてアリストテレスは、この「なぜ」をアイティアー(原因・理由)とも呼ぶ。哲学の求める知は、たんなる事実知ではなく、原因の知なのである。

 そして、この「なぜの答え(原因)」として、アリストテレスは4種の原因を挙げています。

(p89より引用) 彼(アリストテレス)は、・・・なぜという問いの答え方には四種類あるという。これがいわゆる「四原因」の説である。すなわち、①質料(あるいは素材)としての原因(質料因)つまり当のものが何からできているかを説明すること、②形相としての原因(形相因)つまり当のものが何であるかを説明すること、③動(運動・変化)がそこから始まる始原(始動因)つまり当のものが成立するための動きや変化をあたえたものを説明すること、④目的としての原因(目的因)つまり当のものが何のために成立したのかを説明すること、の四種類である。

 この4つの原因の提示をアリストテレスの哲学的業績とみなす識者もいるようです。

 アリストテレスとプラトンは師弟関係ではありますが、双方とも巨人であり、両者の間で引き継がれた思想もあれば、相違・対立した思想もありました。
 相違・対立したものとして根本的なものは、プラトンのいう「イデア」についてです。

 あるものが「何であるか」ということと、「何からできているか」ということは同じではありません。前者が形相(機能・構造)、後者が質料(素材)といわれるものです。

 プラトンの「イデア」は、いわば質料から切り離され超感覚的な世界に存在する「形相」です。
 他方、アリストテレスは、形相と質料が個物の中で密接に結びついていて両者は切り離すことができないと考えました。したがって、アリストテレスは、プラトンのいう「イデア」を認めないという立場です。

 有名な話ですが、ラファエロの「アテネの学堂」に描かれたプラトンとアリストテレスの姿は、両者の思想上の違いを表しているとも言われています。

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黄金律 (人を動かす 新装版(D.カーネギー))

2007-02-21 00:12:01 | 本と雑誌

Henry_ford  本書の具体的な内容はまさに「How to」のエッセンスなので、個々に紹介していてはきりがないのですが、その中で、改めて留めおきたいフレーズを記しておきます。

 まずは、相手の立場にたって考えるという「視座の転換」です。

(p57より引用) 自動車王ヘンリー・フォードが人間関係の機微にふれた至言を吐いている-
「成功に秘訣というものがあるとすれば、それは、他人の立場を理解し、自分の立場と同時に、他人の立場からも物事を見ることのできる能力である」。

 最近のメンタルヘルス関係の対応でよく出てくる「アサーション(自分も相手も大切にした自己表現)」に通じるところがあります。

 あと、こちらは万人が万人、賛同するとは限らないのですが、議論をする際の勘所です。

(p159より引用) 議論に勝つ最善の方法は、この世にただひとつしかないという結論に達した。その方法とは-議論を避けることだった。・・・
 議論に勝つことは不可能だ。・・・
 -「議論に負けても、その人の意見は変らない」。

 チョッと見では「孫子の兵法」にも似ていますが、趣旨は異なります。
 孫子の教えは、「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。」とあるように、「戦わずして勝つ」という「不戦の薦め」です。

 著者のこの示唆は、(内容の当否はともかく、)一般に「議論で白黒をはっきりさせる」と言われているアメリカにおいて「How to」として推奨されているという面でも面白味を感じます。

 最後に、本書で挙げられている数多くの教訓・示唆のなかで、これが原点だという「黄金律」をご紹介します。

(p139より引用) 人間関係の法則について、哲学者は数千年にわたって思索をつづけてきた。そして、その思索のなかから、ただひとつの重要な教訓が生まれてきたのである。それは決して目あたらしい教訓ではない。人間の歴史と同じだけ古い。・・・
「すべて人にせられんと思うことは人にもまたそのごとくせよ」。

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How to Influence People (人を動かす 新装版(D.カーネギー))

2007-02-18 14:26:40 | 本と雑誌

Benjamin_franklin  タイトルはあまり好きではありませんが、自己啓発関係の本の中ではポピュラーでかつ古典的との評判なので手にとってみました。
 初版の発行は1937年、その後現在まで累計で1,500万部を売り上げたベストセラーとのことです。日本では1958年に翻訳の初版が発行といいますから、私よりちょっと年上です。(かなりの年です・・・)

 原題は、「How to Win Friends and Influence People」。
 邦題ほど高圧的な響きではありません。ただ、明らかに「How to」とあるのは好悪の分かれるところでしょう。

 形式は、まさに「How to」ものの原点のように、具体的な行動・考え方の勘所を、数ページをひとかたまりにして紹介していきます。それぞれのセクションには、現在でも名前が伝えられているような有名な政治家や実業家、また、身近な人々のエピソードが実例として豊富に添えられています。

 本書の書きぶりは、確かに「How to」形式ではありますが、根本的な姿勢は結構「真っ当」です。
 たとえば、「相手に重要感を持たせる」とのセクションでの著者のコメントです。

(p46より引用) お世辞と感嘆のことばとは、どうちがうか? 答えは、簡単である。後者は真実であり、前者は真実でない。後者は心から出るが、前者は口から出る。後者は没我的で、前者は利己的である。後者はだれからも喜ばれ、前者はだれからも嫌われる。

 底に流れているのは「正直さ」と「人を慮る気持ち」です。

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ローマ、長寿の秘訣 (ローマから日本が見える(塩野 七生))

2007-02-17 16:14:22 | 本と雑誌

Augustus  ローマは、紀元前8世紀初代ローマ王ロムルスの建国から紀元後5世紀の西ローマ帝国滅亡まで、統治形態を変えつつも長期にわたりヨーロッパの主要国であり続けました。
 その間、幾多の敗北がありました。

(p31より引用) 勝者はけっして最初から勝者であったのではない。無数の敗北や失敗を乗り越えてきたからこそ、彼らは勝ち残れた・・・

 塩野氏によると、ローマの長寿の秘訣は政策決定の柔軟性にあったと言います。

(p289より引用) 国家に限らず、どのような組織であれ、前任者が定めた方針を廃棄するのはむずかしい。ましてや、その前任者が創業者であれば、なおさらのことです。
 ところがティベリウスは、「神君」アウグストゥスの政策でさえも、思い切りよく転換した。こうした軌道修正がしばしば行なわれたところに、ローマ帝国が長続きした理由があると私は考えるのです。

 ローマの場合、改革の対象はしばしば「元老院」でした。 Genroin_1
 元老院は、しばしば機能不全を起こしました。

(p174より引用) 内向きのメンタリティと、強烈な自負心が複合してしまえば、そこに生れるのは現状維持の発想でしかありません。

 そうは言っても共和政の肝は、やはり元老院です。さらに根源的には、政治を司る人材です。有能な人材は貴族のみから輩出されるわけではありません。

(p108より引用) ローマ人の政治改革は、元老院という“聖域”にも大胆に踏み込むことになりました。
 それまでローマの元老院は、まさに貴族たちの牙城とも言うべきものでした。・・・
 その元老院の議席を、重要な公職に就いた経験のある者であれば平民にも与えて、「新たに加わった者たち」として迎えることとしたのです。・・・
 この元老院改革によって、ローマは真の意味での「寡頭政体」へと移行したと言えるでしょう。・・・
 ・・・貴族のみならず平民からも広く人材を募ってこそ、はじめて元老院は「人材のプール」としての機能を果たせるようになるからです。・・・
 共和政のカギはやはり、元老院にあるのです。

 ただ、そういう幾多の改革も、成功に導くための深謀遠慮がありました。
 改革は新手の手段のみではないのです。

(p295より引用) ともすれば改革とは、古きを否定し、新しきを打ち立てることだと思われがちですが、けっしてそうではない。
 成功した改革とは、自分たちの現在の姿を見つめ直し、その中で有効なものを取り出していき、それが最大限の効果を上げるよう再構築していく作業なのではないか。ローマの歴史を見ていると、そう思わざるをえないのです。

 カエサルの言葉として1500年ぶりにマキアヴェッリ発掘した名言です。

(p296より引用) 「どんなに悪い事例とされていることでも、それが始められたそもそものきっかけは立派なものであった」

 かつての改革が今となっては悪癖となる、これは多くの場合、その政策自体の問題ではなく、その政策が時代を経ることにより内部環境・外部環境との間にズレが発生したことによります。
 したがって、それを是正するためには、当然ですが、単純に過去の政策の逆をやればいいということにはなりません。現在の環境等諸条件の見極めが重要になります。

(p298より引用) 古い統治システムを全否定してしまうのでは、かえって問題の本質が分からなくなる。
 大切なのはまず自分たちが置かれている状況を正確に把握した上で、次に現在のシステムのどこが現状に適合しなくなっているのかを見る。そうしていく中ではじめて「捨てるべきカード」と「残すべきカード」が見えてくるのではないかと、私は考えるのです。

 継続する地盤があるゆえに、新たな建物が建てられるのです。
 ローマは、王政・共和政・帝政と変遷しましたが、その基には常に「ローマ市民」がいたのです。

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発売日:2005-06

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ローマの懐 (ローマから日本が見える(塩野 七生))

2007-02-15 00:20:49 | 本と雑誌

Caesar  塩野氏の本は、昨年読んだ「マキアヴェッリ語録」以来です。

 塩野氏は、この本で、王政から共和政を経て帝政に至るローマの歴史を、その時代時代の代表的人物を紹介しつつ辿っていきます。

 その中で塩野氏は、「同化」というコンセプトを切り出します。
 この「同化」が、政治体制は変化しつつもローマの生き方の底に流れる基本姿勢であると説くのです。

(p51より引用) 「敗者をも同化させる」生き方こそが、のちのローマ帝国を産み出す原点となったというわけなのです。

 ローマは、対立国との戦後処理で「敗者も受け入れる」姿勢を示しました。

 こういった同化政策は、外交政策に限らず内政においても登場します。
 紀元前4世紀、ケルト・ショックからの回復にあたっての元老院改革では、ローマは、平民を貴族に同化させる道を選びました。

(p112より引用) 元老院議員をはじめとする国家の要職すべてを平民出身者にも開放することで、貴族と平民という階級の違いは事実上、意味を持たなくなった。
 能力と実績があれば、元老院議員にもなれるということは、見方を変えれば、平民をエリート階級に取り込むことに他なりません。・・・
 ・・・どの社会でもかならず起こると言ってよい階級対立を、こうした「取り込み方式」で解消しようとしたのはローマ人のみでした。・・・階級対立の解消は単に国家分裂の危機を防いだばかりか、かえってローマを強くするという結果につながったのです。

 ローマの歴史家・伝記作家のプルタルコスもこう語っています。

(p121より引用) 歴史家プルタルコスは、ローマが他を圧して大になった理由を次の一言に要約しました。
「敗者さえも自分たちに同化させる彼らのやり方くらい、ローマの強大化に寄与したことはない」

 かのカエサルも、この「ローマ古来のやり方」を踏襲しました。
 地中海をも内海とする巨大な版図をもつに至ったローマは、従来の中央集権的統治方法ではもはや対応しきれなくなったのです。
 ただ、そこで大胆な「同化策」に踏み切ったのは、カエサルの抜きん出た慧眼というべきです。

(p221より引用) カエサルはガリアを征服はしましたが、だからといってガリアを征服し支配し搾取する地とは考えなかった。たとえ民族や文化や風習が違っていても、ひとたびローマの覇権下に入れば、そこはもう国家ローマになる。このやり方こそが結局はローマに利益をもたらす最良の方法だと知っていたのです。

 「敗者との同化」に加え、ローマには、もうひとつの懐の広さがあります。

(p118より引用) 「組織のローマ」を語る際に欠かせないもうひとつのことは、ローマではたとえ戦闘で敗れた場合でも敗軍の将を罰しなかったということです。
 ・・・というのは、そもそもローマ人の観念からすれば、敗将を解任したり、あるいは処罰したりする必要など、最初から考える必要もなかったからです。・・・すでに彼は、敗将となった時点で、恥という罰を与えられているのですから。

 敗者の同化策も「敗者を信じる」という信念に基づくものですが、この信賞必罰の否定も「失敗した者を信じる」という姿勢の表れです。

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まっとうな経済学 (ティム・ハーフォード)

2007-02-12 12:21:20 | 本と雑誌

Shinsen  いつも拝見しているふとっちょパパさんのブログで紹介されていたので読んでみました。

 「希少性」「外部性」「限界費用」「ゲーム理論」等、経済学の基礎概念を紹介しながら、その応用形として現代の経済状況の種々の問題点をとりあげていきます。
 私のような経済学の素人よりも、ある程度基礎をマスターした人の方が楽しめる本かもしれません。

 私が、経済学的な捉え方としておもしろいと感じたのは、「非効率」の定義です。

(p131より引用) 私たちはもっとうまくやることができ、誰の効用も悪化させずに、少なくともひとりの効用を高められるということだ。

 別の言い方をすると「完全に効率的な状態における何らかの変化は、誰かの効用を悪化させることになる」ということでしょうが、こういう定義の言い回しはなかなか思いつきません。

 著者は経済の専門家ですが、ジャーナリストでもあります。
 ジャーナリストとしての目は、「搾取工場ですら働き場所があるだけまし」という厳しい現実を直視します。

 本書には、「経済学は、そういう人間の生活の現実をよりよいものに高めていくものだ」との著者の想いがこめられているようです。

(p361より引用) 結局のところ、経済学とは人間に関する学問である。

 このあたりの考え方や姿勢は、先に読んだ中島隆信氏の「これも経済学だ!」に通じるところがあります。

 本書では、貧困の問題も取り上げています。
 紹介されているのはカメルーンやネパールの姿です。ここでは一様に、政治に大きく依存した経済状況が描かれています。
 「政治による搾取」の現実です。

 そして最終章は、貧困の時代から飛躍的な経済発展を見せつつある「中国」のレポートです。
 中国経済が疲弊しきった毛沢東の「大躍進政策」から鄧小平による「改革・開放政策」への転換。
 2003年、自分で事業を立ち上げたヤン・リーさんをモデルに、経済学の意義を語ったくだりは印象的です。

(p362より引用) リーの両親は文化大革命を生きのびなければならなかった。祖父母は大躍進政策を生きのびなければならなかった。ヤン・リーには本当の意味での選択肢がある。それは人生の質に関する選択肢である。・・・
 ヤン・リーがした選択の意味を問う学問‐。それが経済学である。

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発売日:2006-09-14

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伝統の権威 (伝統の創造力(辻井 喬))

2007-02-10 17:20:05 | 本と雑誌

Masaoka_shiki  現在の文学の衰弱をみるにつけ、辻井氏はその原因の一つに文学界の事大主義・権威主義を挙げています。

(p43より引用) 彼らは、伝統とは三好行 雄の指摘するように、「たえざる生成と変容の繰り返しとしての持続においてのみ真に伝統でありうるもの」であることを理解しない。伝統への働きかけ、あるいは破壊しようとする試みのなかでこそ伝統は生命力を獲得するものなのである、という法則から目を逸らす。

 現在の宗匠ぶった歌人・俳人・作家に対して、辻井氏はこう評しています。

(p44より引用) 宗匠たちは伝統を口にしていても、伝統と取組むという姿勢は持っていないように思われる。彼らにとって「伝統」は自らの権威の小道具に過ぎないのだ。そこでは伝統は形骸化し、文学の行為としての批評は姿を消す。

 このような状況においては、当然のごとく、以下のような「伝統芸術の誤解」も根強く残ります。

(p109より引用) いわゆる“伝統芸術”を伝統そのものと誤って認識し、その結果老いた宗匠の存在や家元制度に“伝統”を委ねる態度こそ、伝統を理解しない態度であり、そこから、権威主義や伝統の腐敗が生れるのである。

 「あとがき」に書かれている2点目の指摘です。

(p201より引用) わが国においては、伝統とは過去であり、それは一部の特権的な地位の人たちが掌握していると見られているのに対して、西欧では保守と伝統は異質の概念であり、伝統はむしろ大衆のなかに浸透している運動のエネルギーとして認識されているという違いである。

 以上のような「伝統」に係る論考のなかで、ちょっと異質に感じた立論の部分がありました。
 文化芸術のあらゆる分野において深い閉塞感・沈滞感が漂っているようにみえる、そのひとつの要因を現代のマーケットメカニズムに求めているところです。

(p53より引用) 多くの作家が、自分の書いた作品と、それを広告するための表現とのあいだに違和感を持っているのではないだろうか。いつの頃からかわが国の書籍販売の際に“帯”と呼ばれる広告文が本体に附加されるようになった。その“帯”は多数の刊行物のなかから商品としての書籍を極立たせるために担当者が苦労してコピーを作っているようだ。そこに現れるのは刊行物の内容とそれに市場適合性を附加させようとする意図との不協和音なのである。

 この事象は、作家の主張とプロモーションコンセプトとの乖離・断絶の現れでもあります。自己のメッセージ性を大事にする作家にとっては、ノイズの付加もしくは増幅となります。
 また、こういった話題性を重視する商業主義は、まだビジネスベースに乗っていない作家にとっては、作品を世に問う門戸が狭められることになります。

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伝統の意味づけ (伝統の創造力(辻井 喬))

2007-02-09 22:04:54 | 本と雑誌

Parcoikebukuro  著者の辻井喬氏は、ご存知のとおり西武流通グループの総帥堤清二氏です。
 実業家としての顔と小説家・詩人としての顔をもった堤氏ですが、経歴を辿ると辻井氏である方が本来の姿のようにも思えます。

 本書で辻井氏は、詩歌・小説に代表される日本文化の衰退を憂いつつ、その再生の道を探ります。
 キーコンセプトは「伝統」です。「伝統」の意味づけがポイントとなります。

 辻井氏は、「あとがき」に、日本における「伝統」と西欧における「伝統」の違いを示しています。

(p201より引用) わが国の場合、伝統はすでに完成された動かない型として静態的に認識されている場合が多いが、西欧の場合は現代との関係のなかで今も動いているもの、あるいは動態として理解されているという違いがあるようであった。

 ここでの伝統に対する姿勢は、以前このBlogでもご紹介した建築家安藤忠雄氏のコメントにもある部分重なります。
 安藤氏は、歴史的建造物も、単に「保存」するのではなく、現代において機能させることこそが「残す」意義だと語っています。

 日本の文学界においても「伝統」を旧態としない考えをもつ識者もいました。

 たとえば、文芸評論家篠田一士氏は「伝統」を以下のように定義しています。

(p100より引用) 伝統とは自由なる精神に働きかけて想像力を解放し、同時にそうして解放された想像力が確固とした形式をもつための求心力となる高貴なる理念である

 また、英文学者深瀬基寛氏は、「伝統」の意義を次のように説いています。

(p105より引用) 伝統の意義は、自らの内容項目の死滅を超えて新しい形へ自らを手渡すところの、運動の概念を含んだ、文化の形成力である

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過去を活かす現代 (連戦連敗(安藤 忠雄))

2007-02-06 23:26:04 | 本と雑誌

Hanshin_daishinsai  建築物はいつかは老朽化します。そういう老朽化した歴史的建造物をどう生かすか。
 可能な限りそのままの形を存続させるという考えもありますが、安藤氏は積極的な再生を目指します。

(p104より引用) 私は、建築は機能をもつことで現代に適応してこそ生命をもち得るものだと考えています。歴史的建造物もまた博物館的に保存するだけではなく、現代に生き生きと機能させてやらなければ、残す意味はない。・・・過去を現代に生かしてこそ初めて、残すという行為が意味をもってくるのです。

 建築物は生きて機能するものでなければ存在する意味がないとの考えのようです。
 かといって、機能的でありさえすればよいとの考えでもありません。

 安藤氏は大阪の出身です。阪神淡路大震災後の神戸の街の復旧を複雑な想いで見ています。
 そこには、無秩序・無計画な街の姿がありました。

(p94より引用) 同じ瓦礫の山からの復興事業でも、ポーランドのワルシャワやドイツのフランクフルトなどでは、第二次世界大戦で徹底的に破壊された旧市街を、困難を充分承知の上で忠実に復元し、その歴史的な風貌をもって都市のアイデンティティとするのに成功しているのですが、日本では戦争や大災害による街の破壊が逆に再開発の絶好の機会として処されてしまうのが常です。ときに前進をやめて立ち止まること、これもまた未来に対する積極的な発言の一つとなり得るのですが、日本人はいまだその行為の価値を見出せないままでいます。

 建築の未来のとの関わりは、多くの場合、都市問題・環境問題というissueとして捉えられます。
 最近の安藤氏は、これらの問題についても積極的に発言しています。

(p168より引用) 環境を考えるときには、このように単に自然環境だけでなく、社会的・文化的な環境についても、それぞれの相互作用関係を踏まえて考察することが不可欠なのだと思います。自然的・生態的な環境も非常に重要ですが、それもあくまで諸条件のうちの一つなのです。

 都市問題・環境問題に関しては、建築はしばしば問題化の要因のひとつとして挙げられます。
 これに対して安藤氏は、「建築の負を正に転換する試み」にチャレンジしています。
 たとえば、大谷石の採掘跡の地下空間をそのまま劇場とするとか、地下設備をつくるために掘り出した土砂を活用して埋立地を築くといったアイデアです。

(p166より引用) 一つの建築のプロセスで生じる負の部分を、別の方向性を与えることで正に転じさせてしまおうという、何とも欲張りな試みです。

 安藤氏によると、建築家の将来形のひとつの姿は「環境プロデューサ」だと言うのです。

(p171より引用) 複数の領域を横断しながら社会の中に一つの状況を組み立てていくという意味では、その環境再生のプログラムの設定は、建築を組み立てるプロセスと非常に近いところがあります。環境の時代にその存在意義を否定されつつある建築家ですが、このような環境プロデューサーとしての役割こそ、もしかすると次の時代の建築家の職能として求められるものなのかもしれません。

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連敗の誇り (連戦連敗(安藤 忠雄))

2007-02-04 21:13:16 | 本と雑誌

Le_corbusier  建築関係の本は初めてです。

 著者の安藤忠雄氏(1941~)は、大阪市生まれの建築家です。
 高校卒業後、世界各地を旅行しながら独学で建築を学び、1969年(昭和44年)建築事務所を開設しました。その後、1985年には、建築家の国際的栄誉といわれるフィンランド建築協会のアルバ・アールトー賞を日本人として初めて受賞し国際的な評価を得ました。

 本書は、そういう輝かしい実績を持つ安藤氏が、自身の建築に対する姿勢を学生に対して講義したその講義録です。

 タイトルは「連戦連敗」。数々の国際的コンペに挑戦した足跡の記録です。

(p22より引用) 何しろコンペはほとんど連戦連敗といっていいほどの惨憺たる状況なのである。常に競争状態という緊張にさらされるし、その上その労苦もなかなか報われない。・・・
 しかし、そのようなギリギリの緊張状態の中にあってこそ、創造する力は発揮される。・・・条件の整った仕事よりも、かえってコスト的・条件的に苦しいときの方が、意外によい建築が生まれることが多い。

 安藤氏は、コンペが外交関係や利害関係、さらにはそのときの政治状況等多くの外部要因が深く関わる舞台であることを熟知しつつも、挑戦し続けています。
 それは、建築家としての極めて実践的な判断によるのです。

(p65より引用) 建築とは本来、社会を相手にしなければならない、きわめて泥臭い部分を内包する仕事です。・・・さまざまなしがらみの中での闘いなのです。だから、短期決戦で勝負の決まるコンペは、そういった諸々の制約の中で状況を組み立てていかねばならない建築の、この上ない実践的なトレーニングになるのです。理想を追い求める一方で、そういった戦略的な部分を含めて楽しんでやっていけるくらいでないと、建築家として生き抜いていけません。

 安藤氏は、建築を自己表現の手段とは考えていません。
 時間と空間の中で、それらとの関わりを意識したうえで構想を練り上げるのです。

(p77より引用) 建築を単なる自己主張、あるいは自分の方法論の利己的な表現の手立てとするのではなく、常に現実の社会の関わりの中で、既存の都市空間との関係を測りながら、出発点となるプログラムの設定にまで踏み込んで考えていくこと、このあたりが、これからの建築と建築家に最も期待されるところだと思います。

 そのための「発想力」「構想力」の源は「リアリティ」だと言います。
 建築予定地を訪れること、そこで実際に見たり、聞いたり、感じたりすることが、決定的な違いを生むのだと言います。

(p178より引用) 結局、発想する力、構想力とは、建築にリアリティをもって臨めるか否か、この一点に大きく関わってくるのだと思います。情報メディアを駆使してどれほど膨大なデータを集めようとも、ただ1回の実体験にはかないません。

 建築は、ただそれだけでは存在し得ない、環境の中の構成物のひとつだということでしょう。

Louis_kahn  本書は、建築を志す学生へのメッセージです。

 「あとがき」には、こう書かれています。

(p222より引用) モノをつくる、新たな価値を構築するという行為の大前提が、この闘い、挑戦し続ける精神にあるように思う。
 ・・・ル・コルビュジエもカーンも、決して諦めなかった。妥協して生きるのではなく、闘って自らの思想を世に問うていく道を選んだ。与えられるのを待つのではなく、自ら仕事をつくりだしていこうとする、その勇気と行動力こそ、彼らが巨匠といわれる所以なのである。

 「挑戦」の価値は普遍です。

連戦連敗 連戦連敗
価格:¥ 2,520(税込)
発売日:2001-09-03

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餃子屋と高級フレンチでは、どちらが儲かるか? (林 總)

2007-02-03 21:20:21 | 本と雑誌

 この本も、いつも拝見しているふとっちょパパさんのブログで紹介されていたので読んでみたものです。

 書かれている内容は、経営、特に会計やマーケティングに関する基礎的な事項です。
 ただ、その説明は、極々初心者でも分かりやすいように配慮されています。

 たとえば、今まで何度も見聞きしている「貸借対照表」の説明ですが、著者はこんなふうな言い方をしています。

(p40より引用) 「簡単に言えば、会社活動は、現金を使って現金を作ることだ。つまり、手持ちの現金を現金製造機に投入する。現金は機械の中のいくつかのプロセスを通過(材料→仕掛品→製品→売掛金)して再び現金になり、外に吐き出される(売掛金→現金)・・・
 バランスシートの左側は、現金と現金製造機そのもの(固定資産)と現金製造機の内側(流動資産)が描かれているのである。

 こういう説明の仕方や例示の挙げ方は非常に参考になります。
 分かっている(つもりの)ことがらでも、今まで理解していたアプローチとはひと味違った説明を受けると、確かにそういう捉え方もあるなと気づかされます。

 「(管理)会計は、経営計画のPDCAを回すための手段だ」ということも、著者によると、キャッシュフロー経営の要素も加えて、以下のような言い様になります。

(p94より引用) 会計は、キャッシュフローと利益概念を用いて行動計画の実行可能性を検証するツールなのだ。

 その他、なるほどと思った点は「『工場』の意味づけ」のくだりです。

(p149より引用) 由紀は「工場は製品を作る場所」だと思っていた。しかし、安曇が指摘するように、「工場は価値を作り込む場所」と考えれば、見方はガラリと変わってくる。

 物事の「意味づけ」の重要性は、以前もこのBlogでご紹介しましたが、工場は、ただ製品を作ればいいということにはなりません。「工場=価値の生成場所」だとすると、不良品による手戻りや作業の待ち時間は、工場にとっては何ら製品に価値を作り込まない無駄な活動(コスト)だと言えます。

 「意味づけ」の転換は、新たな気づきのヒントになります。

 著者は「はじめに」で、

(p2より引用) 会計は「会社の実態を正確に映し出す鏡」ではありません。

と宣言しています。
 本編では、そういう実態を踏まえた上での様々な経営数値の捉え方を、簡単なストーリにのせて解説して行きます。

 レクチャーの最後に近づいての著者のコメントです。

(p189より引用) 会計数値から会社の実態を的確につかむ方法は2通りあります。
 ひとつは、会社内部の活動実態を可視化する管理会計システムを導入することです。・・・
 もうひとつは、伝統的な管理会計の限界を認識した上で、欠けている情報を自分の目と足を使って補足することです。
 私は、会計に携わっている人たちは、まず後者を心がけるべきだと思っています。・・・
 会計知識だけでは、数字の裏側は絶対に見えません。

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発売日:2006-09-29

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世界の日本人ジョーク集 (早坂 隆)

2007-02-02 22:46:10 | 本と雑誌

Zou_1  いつも拝見しているふとっちょパパさんのブログで紹介されていたので読んでみました。

(p64より引用) 「エスニックジョークとは、他の民族集団と一線を画す独自の社会文化的アイデンティティを持つあるひとつの民族集団成員の行動、慣習、性格、その他集団としての特質を笑うユーモアである」
 そこには、各民族に対するイメージがステレオタイプとして凝縮されている。

とあるように、本書は、日本人が登場する世界各地のいわゆるエスニックジョークを中心に収録し紹介したものです。

 経済成長期、日本は経済大国というイメージを抱かれていました。
 1979年出版されたEzra F. Vogelの「Japan As Number One: Lessons for America」は大きな反響を呼びました。

 そのころの日本及び日本人像を踏まえたジョークです。

(p76より引用) ある時、学校の先生が「象」を題材にした作文を書いてくるよう、子どもたちに言った。
 フランス人の生徒は、象の恋愛についての短編エッセイを書いてきた。
 ドイツ人の生徒は、象の生態についての分厚い研究論文を書いてきた。
 インド人の生徒は、象と宗教の関係について調べたレポートを書いてきた。・・・
 日本人の生徒が書いてきた作文は、「象と日本式経営術」だった。

 こういった経済的側面におけるステレオタイプ的日本(人)イメージは、様々なジョークネタになっているようです。

 もうひとつ日本以外の国々から異質に見えるのが、いわゆる日本人の国民性、日本人的アイデンティティに関わる姿です。その典型的イメージが日本人の「集団性」です。
 以下のジョークは、なるほどと思えますね。

(p110より引用) ある豪華客船が航海の最中に沈みだした。船長は乗客たちに速やかに船から脱出して海に飛び込むように、指示しなければならなかった。
 アメリカ人には「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
 イギリス人には「飛び込めばあなたは紳士です」
 ドイツ人には「飛び込むのがこの船の規則となっています」
 イタリア人には「飛び込むと女性にもてますよ」
 フランス人には「飛び込まないでください」
 日本人には「みんな飛び込んでますよ」

 ジョークは、話し手も聞き手も周りの人も、みんな一緒に笑えなくてはならないものだと思います。
 その笑いは、爆笑の場合もあれば、苦笑いの場合もあります。が、やはりジョークは、その場の空気を和らげ、人と人を近づけるものであって欲しいと思います。

 ジョークは、「違う」ということで笑いを誘います。相手との「違い」を知らなくては、それを際立たせたフレーズも浮かびません。
 「違い」には、善悪や貴賎等の概念はありません。

 ジョークと「侮蔑」とは別物です。「侮蔑」は笑えませんし、親しみも生まれません。

 ジョークは、会話のスパイスであり潤滑油です。
 うまいジョークは、相手に対する理解を深めます。また、自己を映す鏡として自分自身の身だしなみを整えるのに役にたつものだと思います。

世界の日本人ジョーク集 世界の日本人ジョーク集
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発売日:2006-01

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