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複数の問題を一気に解決するインクルージョン思考 (石田 章洋)

2016-06-26 21:32:50 | 本と雑誌

 レビュープラスというブックレビューサイトから献本していただいたので読んでみました。

 「インクルージョン(Inclusion)」というのは普通、包含とか含有とかの意味ですが、著者が本書で紹介している“インクルージョン思考”というのは「複数の問題を一気に解決するアイデアを生み出す思考法」を言うとのこと。複数の課題を根本から解決したり、複数の課題を高次の観点(止揚)から解消したりするもののようです。

 本書において、著者は、その具体的な思考法をそれぞれ章立てして説明しているのですが、それは4つのステップで構成されています。


(p172より引用) インクルーシブなアイデアを発想するためのステップは、以下の4つです。
①高次の目的を決めて旅立つ
②目的に従って材料を集める
③異なる分野の材料をつなげる
④手放して「ひらめき」とともに帰ってくる


 この中で、特に「インクルーシブ」な解決策にたどり着く中核的なステップは「③」です。このステップで、一見トレードオフ状態になっているように見える複数の課題を“一気に”解決するアイデアを搾り出す「必要十分な準備作業」を完了させるのです。ポイントは「抽象化」です。


(p136より引用) 「構造」や「本質」を抽象化したうえで、異分野に共通点を見つけることが、インクルーシブなアイデアを考えるときに必要な要素です。


 「なぞかけ」のように、AとBとの共通点を「その心は・・・」と抽象化して切り出すのです。その抽象化された共通点が課題解決のヒントになるというのが著者の主張です。

 さて、本書で取り上げている複数の課題が並存する状況について著者は、こういった指摘もしています。


(p49より引用) 複数の問題の対立が表面化する機会は、じつは真に創造的な問題解決策を考える、またとない「チャンス」です。


 安易な「妥協案」を模索することは絶対すべきではないと著者は訴えます。
 AとBとの折衷案は、百歩譲っても「暫定対処」でしかありえません。ただ、ほとんどの場合、一旦「暫定対処」に倒してしまうと改めて「本質対処」を考えなくなってしまいます。「喉もと過ぎれば・・・」との諺どおり課題は先送り、再度課題が再浮上したときには既に手遅れで大きなダメージを被るのが関の山です。
 となると、結局のところ、最初に課題に直面したときそれに正面から立ち向かう「構え」がもっとも大切だということですね。そして、そのときの「構える」立ち位置を、意識して一段「高次」なところに置くことができれば・・・。ただ、、これが難しい。課題に立ち向かおうとすればするほど、それにのめり込んでしまい近視眼的発想に陥りがちになります。そこで、他者の目、「傍目八目」の出番になるわけですが、知恵者は、これを一人で完結させるのですね。

 

複数の問題を一気に解決するインクルージョン思考
石田 章洋
大和書房
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『罪と罰』を読まない (岸本佐知子・三浦しをん 他)

2016-06-19 21:56:19 | 本と雑誌

 通勤途上で聞いているPodcastで取り上げられ、新聞の書評でも目にしたのでとても気になって手にとりました。喧々諤々いろいろな意見が出るであろうことを見通した“確信犯的企画”の本ですね。

 冒頭の吉田篤弘氏の言によると、周りの人たちに「世界的名作を読んだことがあるか?」と尋ねても、多くの答えは、「まだ読んでいない」とか「昔読んだことがあるけど・・・」といったものだったとのこと。


(p7より引用) 仮に読んだことがあったとしても、多くは記憶があやふやで、たとえば、主人公の名前を正確に云えるかどうか、はなはだ怪しい。場合によっては、名前どころか話の筋すら覚えていない。・・・
 つまり、「読んだことはないけれど、なんとなく知ってる」人たちと、「読んだことはあるけれど、よく覚えていない」人たちの認識に、さほど大差はないのだった。
 では、いったい、「読む」とは、どういうことなのか。何をもって、「読んだ」と云い得るのか-。


 だったら、読まなくても読書会が開けるのではないかと考えたのが、本書の企画発案のきっかけだったそうです。面白い着想ですね。

 さて、本書の前半は、読んでいない状態での「推理」の場。このパートは正直、「?」でしたね。企画としては、この部分が斬新なチャレンジなのですが、評価は分かれるでしょうね。“ワクワク感”を感じる人もいるでしょうが、既読者の中には、“延々と続く無駄話”といった印象を持つ人もいると思います。私の場合はと言えば、まさに「罪と罰」を読んだばかりだったので、作家のみなさんの時折の鋭い推理力に感心することもありましたが、大半が「仲間内の雑談」的なやりとりに終始していて少々退屈な感じは拭えませんでした。

 その点では、後半の各々が読み終えてからのパートの方は結構面白かったですね。参加者が持ち寄った「文庫本」には付箋紙がびっしり貼り付けられていたようです。気になった箇所を抜書きした個人ノートも登場します。
 そういった中でのやり取りの一例、作品の中でコミカルなシーンが描かれている点を捉えて。


(p241より引用) 三浦 そうですね。もっと重厚なのかと思ってました。
篤弘 ドストは明らかに笑わそうとしてるよね。
三浦 絶対、エンターテインメントとして書いてますよ。次の展開への引きの強さといい、個性的な人物たちといい。
篤弘 この面白さからすると、思想的な語りの部分は必要だったのかなと考えさせられる。


 ただ、どうでしょう、本書の場合は、思想的背景をもったメインストリームがあるからこそ、ところどころに見られる滑稽な光景がスパイス的に光るのであって、やはり全編エンターテインメントだと考えるのはちょっと行き過ぎかなと思いますね。

 さて、この挑戦的な企画本ですが、その締めの章で、三浦しをんさんは今回の経験を踏まえこう感想を語っています。


(p290より引用) 名作を読んでいないからといって、あるいは、読んだけれど大半を忘れてしまったからといって、恥じたりがっかりしたりすることはないのではないかと思います。読んでいなくても「読む」ははじまっているし、読み終えても「読む」はつづいているからです。そういう「読む」が高じて、気になって気になってどうしようもなくなったときに、満を持してページを開けばいいのではないでしょうか。本は、待ってくれます。だから私は本が好きなのだと、改めて感じました。


 しをんさんにとって、“読まない”読書会は、読む前から、「いったいどんな内容なのだろうか」とこれから手にとる本への期待を大きく膨らませる前奏曲でした。限られた情報をもとに、想像力を全開にしてストーリーを推理するとても刺激的な体験だったようです。そして、気持ちを高め満を持して本編のページを繰ったのでしょう。

 そういえば、私にとっても、こういった“読みたい気が満る時期”を待っている本があります。-「戦争と平和」
 小林秀雄氏の言葉を採録した「人生の鍛錬」という本に「他の何にも読む必要はない、だまされたと思って「戦争と平和」を読み給えと僕は答える。」と書かれていたのがきっかけで、数年前岩波文庫全6巻は買い揃えているのですが、まだ依然として本棚に並んだままなのです。

 

『罪と罰』を読まない
岸本 佐知子,三浦 しをん,吉田 篤弘,吉田 浩美
文藝春秋
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幕末遣外使節物語―夷狄の国へ (尾佐竹 猛)

2016-06-12 21:52:25 | 本と雑誌

 会社帰りにときどき立ち寄る図書館の新着書の棚で目に付いた本です。
 採録されているのは、幕末、欧米に派遣された

  • 遣米使節 新見豊前守一行 (万延元年)
  • 遣欧使節 竹内下野守一行 (文久二年)
  • 遣仏使節 池田筑後守一行 (文久三年)
  • 遣仏使節 徳川民部大輔一行 (慶応三年)

の各使節団の記録です。

 そこには、訪問先にて、初めて日本人を見る当地の人々、初めて異国の人・風俗・文化に触れるサムライたち、それぞれの驚きの姿が鮮明に描かれています。
 それらの中には、当時の日本の社会慣習に対する懐疑を惹起させたような卓越した気付きもありました。
 日米修好通商条約批准書の交換のため万延元年(1860年)に渡米した第一回目の使節団員玉虫左太夫誼茂の渡米日録にはこう記されていました。彼がサンフランシスコに着いたときの記録です。


(p43より引用) 船将の前と雖共唯冠を脱するのみにて礼拝せず、尤平日船将士官の別なく上下相混じ、縦令水夫たり共敢て船将を重んずる風更に見えず、船将も又威焰を張らず同輩の如し、而して情交親密にして、事有れば各力を尽して相救う事、凶有れば涙を垂れて悲嘆す、我国とは相反する事共なり。我国にては礼法厳にして、総主などには容易に拝謁するを得ず、恰も鬼神の如し、是に准じて少しく位ある者は大に威焰を張りて下を蔑視し、情交却て薄く、凶事ありと雖共悲嘆の色を見ず大に彼と異也、如是にては万一緩急の節に至り誰か力を尽すべきや、これ昇平長く続きたる弊ならん、慨歎の至りなり、然らば礼法厳にして情交薄からんよりは、寧ろ礼法薄く共情交厚きを取らんか予敢て夷俗を貴むに非ず、当今の事情を考え自ら知らるべし。


 また、初めて議事堂にて議会模様を見たときの感想にも興味深いものがありました。使節団副使村垣淡路守範正の日記の記述です。


(p82より引用) ・・・その中一人立て大音声に罵、手真似などして狂人の如し、何か云い終りてまた一人立て前の如し、何事なるやとといければ国事は衆議し、各意中を残さず建白せしを、副統領聞きて決するよし。・・・衆議最中なり、国政のやんごとなき評議なりと、例のもも引き掛筒袖にて大音に罵るさま、副統領の高き所に居る体抔、我日本橋の魚市のさまによく似たりとひそかに語合たり。


 もちろん言葉が分からないということもあるのですが、議場での演説模様が「魚河岸」のようというのも傑作です。とはいえ、そういう喧しい議会に閉口しつつも、当時の日本は「議会制」という仕組みやその意義など全く理解していませんでした。遣欧使節竹内下野守一行がオランダの議会を傍聴した際も、こういった様子でした。


(p230より引用) 福沢先生ですら、
 政治上の選挙法というようなことが皆無分らない、分らないから選挙法とは如何な法律で、議院とは如何なる役所かと尋ねると彼方の人は只笑っている、何を聞くのか分り切った事だというような訳、それが此方では分らなくてどうにも始末がつかない。(福翁自伝)
といい、福地源一郎も、
 英国々会議事のことなどは目撃したる我でさえ解せざる位なればとても日本人には容易に分り難かるべし(懐往事談)
といっている位だから、勿論使節はこれ以上の無識であったろう。


 さて、著者が紹介している4つの旅行譚を読む限り、それぞれ欧米数都市を巡った使節団に対する現地の人々の反応は熱狂的で頗る好意的でした。しかしながら、やはり一部には、使節一行に対する無作法な行為や偏見もあったようです。それに触れたアメリカの書物の一節です。


(p119より引用) ・・・全体の最も滑稽なる事は吾々が日本人に付て彼等が恰も野蛮人か未開人かの如く話す事なり、然し吾々此等の行為中の瞬間に於て日本紳士達が何の国又は何の時代に於ける何の紳士達と同様に十分に威厳ある事、才智ある事、及躾よき事なりしことに付て知らざるべからず。野蛮的未開拓的行為は全く吾々の方にありき。


 米国人の不心得な行動に対し自らの態度を顧みるこの書の著者の主張は、“ジャーナリズムの良識”が伺えるものとして流石と言わざるを得ません。

 

幕末遣外使節物語――夷狄の国へ (岩波文庫)
尾佐竹 猛
岩波書店
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昭和からの遺言 (倉本 聰)

2016-06-04 23:04:48 | 本と雑誌

 気になる著者の気になるタイトルの本なので手に取ってみました。

 著者の倉本聰氏は、ご存知のとおり代表作「北の国から」で有名な脚本家ですが、最近は富良野を拠点に環境保全活動にも取り組んでいらっしゃるそうです。本書は、その倉本氏が80歳を迎えたのを機に「昭和」を語ったエッセイです。

 倉本氏にとっての「昭和」は、戦中・戦後の時代でした。その記憶は「戦争体験」と切っても切れないものでした。
 戦後、池袋の廃墟で、倉本少年は愚連隊とやくざの喧嘩を見ました。愚連隊の一人がやくざに刺されて目の前で絶命しました。


(p48より引用) ブーゲンビルから生き延びて帰った
伯父貴にある日その話をしたら
伯父貴はしばらく黙っていたが
そのうちボソリと小さく呟いた
何が原因で殺し合いをしたのか
その原因が判っててやったなら
そういう連中はむしろ羨ましい
わしらの戦場に理由なんかなかった
敵さんに個人的憎しみもなかった
あったのは常に悲しみと絶望
軍規と敵兵への絶え間ない恐怖
殺らなければ殺される
只それだけで
わしらは憎くもない敵と斗った


 徴用された兵士たちはそうだったのです。そうやってボロボロになって戦い抜いた末の終戦。戦後、一面の焦土と化した瓦礫の世界からの復興。


(p123より引用) もう一度本気で考えてくれ給え
重機も金も体力もなかった あの敗戦の日
先人たちはどうやってエネルギーを奮い
一ヶの瓦礫に挑戦したのか
その一歩が重なって今があり
その上で我々は今生きている


 敗戦直後の絶望の中で、先人たちは、なぜ最初の瓦礫を運ぶことに挑戦できたのか、そして気の遠くなるような苦行をやり遂げたのか、倉本氏はこう続けます。


(p124より引用) 多分彼らは己れの空腹より
家族の空腹を考えていたのだ
己れのことより愛するものの
命と暮らしを必死に思ったのだ
だから何とか 力が出たのだ


 この先人たちの愛の上に、今の自分たちがあることを改めて考えるべきだというのが、倉本氏の心からのメッセージでした。
 それに比して、今「平成」。


(p121より引用) スマホが出来て人が遠くなった
ツイッターが出来て悪意が増えた

 「あとがきに代えて―深さの記憶」の章の一節です。


(p187より引用) 昭和。
あの頃のスピードが俺はなつかしい
あの頃全てがもっととろく
とろいなりにゆったり深かった
大したことは考えちゃいないが
やっていることが何となく深かった


 「昭和」という時代は、同じ感覚・似たような体験で人と人とが繋がっていたのです。今よりずっと深いところにひとりひとりの生活の礎が築かれていたのです。


昭和からの遺言
倉本 聰
双葉社
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