OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

正岡子規 言葉と生きる (坪内 稔典)

2011-02-27 10:38:23 | 本と雑誌

 昨年、NHKドラマ化等で話題になっていたので司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を読んでみたのですが、本書は、その中にも登場した正岡子規の生涯を、彼の俳句や文章を紹介しつつ辿ったものです。

 構成としては、「少年時代」「学生時代」「記者時代」「病床時代」「仰臥時代」と年代を追った形になっており、その「学生時代」の章の冒頭に、「子規」という名の由縁が語られています。

 
(p47より引用) 伝統的には夏の到来を告げる風流な風物がホトトギスであったが、明治になって肺病が急増すると、ホトトギスは肺病の代名詞のようになる。・・・彼が、子規を自らの名にしたとき、肺病を引き受け肺病と共に生きてやる、というひそかな決意をしたのではないか。・・・
 ともあれ、「啼血始末」に従うと、子規は明治22年5月10日の深夜、この世に登場した。風流にして不吉、という名前の子規が登場したのだ。

 
 結核を病み喀血した自分自身を血を吐くまで鳴くと言われるホトトギスに喩えた子規は、爾来、病を供にしつつ日本文学の改革活動に文字通り心血を注いだのでした。

 さて本書、子規の様々なエピソードが語られているのですが、その中で特に私の興味を惹いたものをご紹介します。

 まずは、子規の代表作のひとつに挙げられる「柿くえば・・・」の句と漱石との関わりを紹介したくだりです。

 
(p122より引用) 柿くえば鐘がなるなり法隆寺
・・・「柿くえば」は「法隆寺の茶店に憩いて」と前書きをつけて松山の新聞「海南新聞」(明治28年11月8日)に載せたが、話題になることはほとんどなかった。ちなみに、この新聞の九月六日号には漱石の句、「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」が載っている。私見では、漱石のこの句が子規の頭のどこかにあり、この句が媒介になって「柿くえば」が出来たと思われる。・・・「柿くえば」の句の誕生はいろいろと漱石の友情に支えられていたようだ。

 
 もうひとつ。子規は、『歌よみに与ふる書』にて古今集を「くだらぬ集にて有之候」と一刀両断に否定しました。子規が改めて高い評価を与えたのが「万葉集」でした。写実・写生を旨とする万葉集ですが、子規が特に注目したのが、その中でもあまり評価されていない第十六巻にある「滑稽の趣」でした。

 
(p146より引用) 真面目の趣を解して滑稽の趣を解せざる者は共に文学を語るに足らず。否。味噌の味を知らざれば鯛の味を知る能はず、滑稽の趣を解せざれば真面目の趣を解する能はず。
『万葉集』を発見し、その『万葉集』から子規が見つけたものの一つが滑稽美であった。

 
 これも、子規ならではの視点からの斬新な切り込みですね。

 そして、最後に紹介する最も印象的な言葉は、子規が発したものではありません。

 
(p207より引用) 静かに枕元へにじり寄られたをばさんは、さも思ひきつてといふやうな表情で、左り向きにぐつたり傾いてゐる肩を起しにかヽつて
「サァ、も一遍痛いというてお見」
可なり強い調子で言はれた。何だかギョッと水を浴びたやうな気がした。をばさんの眼からは、ポタポタ雫が落ちてゐた。

 
 早くして身罷った我が子に向かって発した寡黙な母の一言です。
 
 

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世界を、こんなふうに見てごらん (日高 敏隆)

2011-02-25 22:39:29 | 本と雑誌

 動物行動学といえば、以前コンラート・ローレンツ氏が著した「ソロモンの指環―動物行動学入門」 という本を読んだことがあるのですが、著者の日高敏隆氏はその訳者であり、日本における動物行動学の第一人者でもあります。

 本書は、その日高氏によるエッセイ集です。
 テーマはタイトルのとおり「ものごとの見方」についてです。キーワードは「イリュージョン」

 
(p28より引用) 真理があると思っているよりは、みなイリュージョンなのだと思い、そのつもりで世界を眺めてみてごらんなさい。
 世界とは、案外、どうにでもなるものだ。人間には論理を組み立てる能力がかなりあるから、筋が通ると、これは真理だと、思えば思えてしまいます。

 
 スジが通っているからといって真理とは限らない、ちょっと考えてみればそのとおりだと気づくのですが、でもついつい多くの人々はそう思い込んでしまうのです。もちろん私もそのうちのひとりです。

 
(p36より引用) 人間は理屈にしたがってものを考えるので、理屈が通ると実証されなくても信じてしまう。・・・
 ・・・科学的にものを見るということも、そういうたぐいのことで、そう信じているからそう思うだけなのではないかということだ。

 
 これは、一流の科学者(動物行動学の第一人者)の言葉であるだけに、とても興味深いものがあります。

 
(p39より引用) 何が科学的かということとは別に、まず、人間は論理が通れば正しいと考えるほどバカであるという、そのことを知っていることが大事だと思う。
 そこをカバーするには、自分の中に複数の視点を持つこと、ひとつのことを違った目で見られることではないかと思う。

 
 ものごとを相対化してみることの大事さの指摘です。相対化してみるツールの「ひとつ」が科学であって、科学は絶対的ではないと著者は強く主張しています。
 著者が大事にしたのは「『なぜ』と思う心」と、それを「実証しようとする『行動』」です。

 著者は、自らを、生物学が好きなのではなく生物が好きなのだと語ります。生物学者としては異端児的な姿勢でした。
 そういう著者を引き立ててくれたのが東京大学の竹脇潔氏であり文筆家の八杉龍一氏でした。著者はそれら先輩達の恩返しの気持ちをこめて後進の研究者を育てました。

 
(p83より引用) ぼくの周りに集まる学生は、ぼくにくっついて教えてもらって、というタイプではない。ぼくを頂点とする縦の社会ではなく、たまたま横に座って弟子同士、知り合うかもしれないが、ひとりひとりがそれぞれの考えややりたいことを持ち、ぼくと緩やかにつながる関係だと思う。

 
 これはまるで「生物多様性を保った自然環境」のような関係ですね。

 
(p86より引用) 大事なことはシステムではない。何でもやってみなさいよ、というのがぼくの基本的な立場だ。
 会いたい先達がいたら、素直に直接ドアをノックしてみるといい。
 案外、その人は、あとに続く世代を引き立てたい、訪ねてくる人にはいつでも会おうと思っているかもしれない。

 
 いいですねぇ。私も、そうしたい、そうなりたいと思う姿勢です。
 
 

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思考の止揚 (これからの思考の教科書(酒井 穣))

2011-02-19 09:24:40 | 本と雑誌

 本書では、まず最初にお馴染みの「ロジカル・シンキング」の要諦を分かりやすく概説したあと、「ラテラル・シンキング」「インテグレーティブ・シンキング」の解説を続けます。

 ロジカル・シンキングが垂直的に掘り下げていく思考法であるのに対し、 「ラテラル・シンキング」「水平思考」ともいわれます。直線的な結論ではなく、斬新さや飛躍したアイディアを生むための思考法です。

 その代表的な発想法として著者が挙げているのは3つ。
 1.ひらめきを生む発想法「アブダクション」
 2.異質なものの共通点を探して結びつける「シネクティクス法」
 3.定型化した問題解決のパターンから新たなひらめきを生む「TRIZ(トゥーリーズ)」

その中からひとつ、「アブダクション」というのは、以下のような推論形式をとります。

 
(p86より引用) 驚くべき事実Cが観察された。
しかし、もし説明仮説Hが真であれば、Cは当然の事柄であろう。
よって、説明仮説Hが真であると考えるべき理由がある。

 
 そして、この「説明仮説H」を検証すればいいのです。いわゆる「仮説検証型」の思考法ですね。

 さて、このように、発想力を高めるのがラテラル・シンキングですが、そのためには「創造力」が必要です。とはいえ、全く白地のうえでは「創造力」の発揮はできません。

 
(p131より引用) 創造力だけで勝負できる場所などどこにも存在しないのであって、地道に積み上げたスキル(基礎)の上に、そのスキルの文脈の範囲内においてのみ花咲くのが価値ある創造性だということです。

 
 直線的なロジカル・シンキングだけでは、矛盾や対立が常在している現実社会の問題解決は困難です。そこに統合思考「インテグレーティブ・シンキング」が必要とされる素地があるのです。

 
(p141より引用) インテグレーティブ・シンキングのエッセンスは、対立する2つのアイディアを同時に検討する力であり、2つのアイディアのうちの一方をすんなり選んだりはせず、2つの対立するアイディアが持つポイントを同時に受け入れるような、より優れた第3のアイディアを生み出すというものです。

 
 著者は、このクリエイティブ・シンキングの説明にあたって、もうひとつの思考スキームを提示しています。「サバイバル・シンキング」と名づけられたものですが、これは「目的達成のために、取り得るアクションを洗い出し、メリットとデメリットを評価する活動」のことです。
 著者によると、インテグレーティブ・シンキングとは、このサバイバル・シンキングを「発展的に否定する」ものだというのです。

 
(p173より引用) インテグレーティブ・シンキングとは、このサバイバル・シンキングの最終段階で、1つのアクションを選ぶのではなくて、洗い出された複数のアクションを「腹の底」に定着させて、それらの相反するアクションのよさを失わないままに「融合」するような新たな解を生み出そうとする知的ステップのことです。

 
 本書で紹介している3つの思考法ですが、これらを企業活動に当てはめると、
 ・経営ビジョンの策定には「インテグレーティブ・シンキング」
 ・経営ビジョン実現のための戦略の策定には「ロジカル・シンキング」
 ・さらにその戦略を実行する人材を育てる人材ビジョンの策定には、「ロジカル・シンキング」+「ラテラル・シンキング」
が活用されると著者は主張しています。

 これもロジカルな整理ですが、私などは単純なので、どんなことを考えるにあたっても、基本は懐の深い「インテグレーティブ・シンキング」だと考えてしまいます。
 
 

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ロジカル・シンキング (これからの思考の教科書(酒井 穣))

2011-02-13 10:44:44 | 本と雑誌

 本書が取り上げた思考法は、「ロジカル・シンキング」「ラテラル・シンキング」「インテグレーティブ・シンキング」の3つ。それぞれについて一章を立てて、分かりやすく解説していきます。

 まずはロジカル・シンキング
 これについては、世の中それこそ山のような著作がありますが、著者は、「ロジカル・シンキング」を一言でこう表しています。

 
(p27より引用) ロジカル・シンキングとは「事実と提案(結果)の間に、疑えない因果関係を生み出す思考」と言えるでしょう。

 
 そして、その特色をこう捉えています。

 
(p4より引用) ロジカル・シンキングとは、極端に言えば、「同じ事実が与えられれば(ほとんど何も考えなくても)、同じ結論を導くことができるスキル」のことです。・・・
 ですから、ロジカル・シンキングに精通した人材が集まると、問題となるのは「いかなる事実があるのか」という情報のインプットのところであって、そこからどのようなアウトプット(結論)が出てくるかは、あまり問題とはなりません。

 
 インプットが同じで、それをスタートに思考を進めるとその過程が「ロジカル」であるならば到達する結論は同じになるというわけです。
 さらに、こういう「ロジカル・シンキング」タイプの人材どうしのコミュニケーションは「効率的」になります。結論に至る道筋を説明する必要がなく、「事実の交換」さえすればいいからです。
 これは極端な論ではありますが、「ロジカル・シンキング」の特徴をザックリと言い表していると思います。

 続いて、著者は、ロジカル・シンキングを学ぶ目的として二つ上げています。ひとつは「説得力を高める」こと、もうひとつは「問題解決力を高める」ことです。

 一点目の「説得力の強化」については、そのための方法として「ロジカル・シンキング」に加え、「クリティカル・シンキング」という思考法を紹介しています。これは、攻撃的なロジカル・シンキングに対抗したり、自らのロジックに甘さを見つけたりするために利用するものです。

 
(p29より引用) クリティカル・シンキングのエッセンスは、相手に提示している、または相手から提示されている提案をそのままに受け取らず、過度な単純化や感情的な推論を嫌いつつ、前提条件となっている事実の存在を疑う姿勢を持つことです。

 
 そして、説得力のあるロジックを構成するため、著者が薦めるちょっとしたヒント。
 「ABCDEF」の語呂合わせです。

 
(p35より引用) 説得力のあるストーリーには「ABCDEF」が必要とされます。Aは「Analysis(分析)」、Bは「Because(原因)」、Cは「Comparison(比較)」、Dは「Definition(定義)」、Eは「Example(事例)」、Fは「Fact(事実やデータ)」です。

 
 二点目の「問題解決力の強化」については、ロジカル・シンキングによる「問題を発見する力」「問題を分割する力」が必要と説いています。
 後者については、例の「ロジック・ツリー」「MECE」が登場しますが、前者の問題点の発見のための方法としては「エスノグラフィー(行動観察法)」が紹介されています。これは、特に最近注目されている方法です。

 
(p41より引用) エスノグラフィーとは、人間はときに自分の行動の意図すらわからないのだから、そうした人間の意見をアンケートなどで収集するよりもむしろ、純粋に人間の活動を観察しようという立場から生まれた考え方で、特に、社会学や文化人類学の世界で発達しました。

 
 さて、本書のトップ、この「ロジカル・シンキング」の章は、著者の主張が非常に模範的に「ロジカル」に整理されています。私としては、その説明振りの律儀さに、少々微笑ましい?印象を持ちました。
 
 

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名文どろぼう (竹内 政明)

2011-02-11 09:35:40 | 本と雑誌

 昨年(2010年)末の読売新聞の書評欄で、お二人の方(東京大学史料編纂所准教授本郷和人氏・読売新聞論説副委員長榧野信治氏)が採り上げていたので読んでみました。

 著者の竹内政明氏は、読売新聞のコラム「編集手帳」の執筆者、本書はその竹内氏による古今の名文コレクションです。
 そこで紹介された多くの「名文」の中から、特に私が興味をいただいたものを、以下にいくつか書き記しておきます。

 まずは、これはすごいと感じたものからひとつ。

 ことば遊びの元祖ともいえる「いろは歌」、画家の安野光雅さんが故郷の津和野を詠まれたその新作です。

 
(p17より引用) 「つわのいろは」
夢に津和野を思ほえば
見よ城跡へうすけむり
泣く子寝入るや鷺舞ふ日
遠雷それて風たちぬ
  - 安野光雅

 
 「いろは歌」は「かな文字一字を重複なく使うという究極の制約」のもとで作られたものですが、この作品は、そういう制約をまったく感じさせない秀作ですね。とても常人では真似できません。

 次は、思わず噴出してしまう快作。壇ふみさんが中学生の甥御さんに英語を教えていたときのユーモラスな会話です。

 
(p48より引用) ある晩、レッスンの途中、おふみ先生が例題の一語について解答を求めた。
「エレガントは何の意味?」
「ええと、ええと、ええと」
甥は答へられない。おふみはちよつと気取つてみせる。
「ぢやあね、伯母さんのことを考へてごらん。伯母さんの姿を、人が日本語で上手に言ひあらはすとしたら、どんな言葉を使ふでせう」
「分かつた」、中学生が叫んだ。「象だ」

 
 阿川弘之さんのエッセイで紹介されたものですが、このオチは最高ですね。

 そして、しんみりと、また暖かい言葉。福井県丸岡町(減・坂井市)が募集している「日本一短い手紙」の中の作品です。

 
(p102より引用) 修学旅行を見送る私に「ごめんな」とうつむいた母さん、
あの時、僕平気だったんだよ。
  -横川民蔵〈石川県、55歳〉

 
 55歳になった息子さんが当時を思い出しての言葉だと思うと、尚更じんとくるものがあります。

 最後は、阪急グループの元総帥小林一三氏のエピソードです。これはみなさんもご存知かもしれません。

 
(p204より引用) 昭和初年は不況で、阪急百貨店の食堂はライスだけを注文する客で混み合った。ライスに卓上のソースをかけて食う。ある日、食堂に「ライスだけの客お断り」の貼り紙が掲げられた。それを見た小林は、ただちに書き直させたという。
 ライスだけの客、歓迎

 
 近年、こういう名物経営者も居なくなりましたね。ましてや、こういう逸話の舞台となるような「百貨店の『食堂』」もなくなりました。

 さて、本書を読み通してみて、私の印象に残った名文を大きく2つに分類すると、作者の素直な心情の吐露として心に残るものと、語る人の機知に感服するものとがありました。前者は、ともかくまっすぐに感情に響きますし、後者は、「ことば」を操る技の背景に「思うことの裾野の広さ」が認められます。

 私自身は、前者のような心の素直さを持ち合わせていないので、せめて後者のような「発想」「着眼」に少しでも近づきたいと思うのですが、こればかりは全くダメですね。そもそものセンスの欠如は致命的です。

 ともあれ、本書ですが、渉猟されている名文そのものの秀逸さに加え、著者自身のユーモアやウィットも好ましく、とても気軽に楽しく読めます。ただ、「今年の3冊」にランクインするかといえば、私の場合は、そこまでではなかったという感じですね。
 
 

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家族介護の崩壊 (単身急増社会の衝撃(藤森 克彦))

2011-02-07 22:30:04 | 本と雑誌

 日本の介護の現状には、北欧・西欧諸国と比較して大きな相違があります。

 
(p219より引用) 米国は公的介護費用負担の割合(対GDP比)が最も低い一方で、私的な介護費用付負担の割合は最も高い。・・・
 これに対して、スウェーデンのようにGDPに占める公的費用負担の大きな国は、富裕層と貧困層の間で所得再配分がなされるので、富裕層も貧困層もある程度平等に介護サービスを利用できる。・・・
 ・・・日本は、公的にも私的にも介護サービスにかける費用が小さい。これは、家族介護が中心的な役割を果たしているためと考えられる。

 
 しかしながら、昨今の単身世帯の急増は、この日本的な「家族介護」の基盤自体を無くさしめていることになります。
 では、家族以外による介護はどうか、これも日本では期待薄です。欧米と比較しても、友人・知人・近隣住民・ボランティア団体による支援の厚さには大きな落差があるのです。

 
(p220より引用) 欧米主要先進国では、家族以外の「その他」の人によるインフォーマル・ケアの割合が高く、3~5割程度を占めている。これに対して日本では、「その他」の割合が3%にすぎず、インフォーマル・ケアの大部分は家族に依存した構造になっている。

 
 著者は、介護者の不足を補うための方策として、「生活支援ロボット」の活用を紹介していますが、これはなかなか面白いアイデアだと思います。100%の作業完遂は無理だとしても、介護には「力仕事」も多くあります。少しでも介護者の負担軽減ができれば、今後予測されている大幅な介護者不足対策のひとつになるでしょう。また、ロボットは、日本が得意としている技術分野ですから、将来の主要産業としての拡大にも期待が持てます。

 さて、本書は、多くのページを割いて、単身世帯の増加という2030年時点での日本社会の大きな変貌に警鐘を鳴らしています。
 ただ、この点については、すでに(誰が考えても)予想されていることであり、本書の意義といえば、詳細な調査情報に基づく統計的裏づけを示したことで、そのリスクに対する信憑性が高まったということでしょう。

 問題は、そもそも社会保障制度を拡充するために、どうやって財源を確保するかです。
 その点について、著者は最終章にて言及しています。

 結論から言えば、「増税と社会保険料の引き上げ」は不可避とのこと。また社会保障の拡充も必要との立場ですが、これについては、「経済成長の足枷」というよりは、むしろ「経済成長の基盤」になるとの考えです。

 
(p344より引用) 日本には1400兆円にも及ぶ個人の金融資産があり、国が将来不安の軽減に向けて社会保障を拡充すれば、個人の金融資産の一部が消費に回ることが期待できる。社会保障の拡充は人々に安心感をもたらし、「経済活動の基盤」になりうると考えられる。

 
 ただ困難なのは、具体的にはどうやって実現させるかです。
 それが巻末の「中長期的な社会保障ビジョンと、それを賄う財源についての議論から始めなくてはいけない」という提言に止まっているのは、やはり研究所のリサーチャーの方だからでしょうか。
 課題認識は非常に重要なポイントを突いているだけに、抽象的な結論は少々残念です。
 
 

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標準世帯は単身世帯 (単身急増社会の衝撃(藤森 克彦))

2011-02-06 09:48:05 | 本と雑誌

 今後の日本社会においては、非婚化の拡大による単身世帯の増加、特に「中高年独身男性を中心とした単身化」が急速に進むと予想されています。

 著者の推計によると、総世帯数に占める単身世帯数の割合は現在の31.2%から2030年には37.4%になるとのこと。本書は、具体的統計データをもとにした状況の紹介とそれを踏まえた対応策を論じたものです。

 
(p4より引用) 単身世帯が増加する中では、社会保障を拡充して一人暮らしの人でも安心して生活できる社会を構築していく必要がある。これは家族を軽視することではない。なぜなら、現在家族と暮らしている人も含めて、誰もが一人暮らしになる可能性を抱えているからだ。「公的なセーフティネットの拡充」と「地域コミュニティーのつながりの強化」が、現在単身世帯でない人を含めて、私たちの暮らしを守ることになる。

 
 2005年の全世帯に占める世帯類型別割合をみると、トップは「夫婦と子供からなる世帯」の29.9%ですが、「単身世帯」は29.5%と僅差で2位でした。2006年以降は、おそらく「単身世帯」の割合が最も高くなっているとみられています。

 
(p33より引用) 社会保障制度を含め、様々な公的制度は「夫婦と子供からなる世帯」を「標準世帯」として政策などで用いてきた。「標準世帯」が、全世帯の中で最も世帯割合の高い世帯類型を意味するとすれば、もはや「夫婦と子供からなる世帯」が「標準世帯」とはいえない時代に入っている。

 
 ちなみに、日本でも単身世帯の増加が顕著ですが、従来から北欧・西欧諸国では単身世帯の比率が高いようです。著者は、その背景を、①文化的・規範的要因、②制度的要因、③家族以外の人々の支援といった観点から考察していますが、その中の「制度的要因」-高齢者向け住宅 の紹介は興味を惹きました。

 デンマークの高齢者向け住宅に関する記述です。

 
(p213より引用) 住まいとケアが固定化された「施設」ではなく、「住宅」において高齢者の機能変化に応じてケアの量が柔軟に対応できるようにしたことがある。そこで、住まいとケアを分離して、必要に応じて介護サービスを受けられるようにすることで、要介護高齢者が介護のために住まいを移転せずに、できる限り継続居住できるようにした。

 
 ここには「高齢者は介護の対象ではなく、生活の主体である」という基本コンセプトがあります。こういうコンセプトを不動の軸として確定し、各種施策をそれに基づいて構築・具現化するというスキームは非常に重要です。

 得てしてコンセプトベースの取り組みは日本は苦手ですね。「軸がぶれる」という習いです。
 現政権与党のマニュフェストをめぐる一連の動向は、まさにその典型です。
 
 

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身体と心の操り方 (考えない練習(小池 龍之介))

2011-02-04 22:49:28 | 本と雑誌

 本書で著者が薦めているのは「五感」を大切にする生き方です。

 「話す」「聞く」「見る」「書く/読む」「食べる」「捨てる」「触れる」「育てる」の8つの章で、そのための具体的な練習法を紹介しています。

 たとえば、「聞く」の章では、「ひとつの音に集中する」
 普段気にしていない音に集中し、そこに含まれる微細な変化に気づくことは「諸行無常」を感得することでもあるのです。

 そして次の「書く/読む」の章では、インターネット上のコミュニケーションが材料にとりあげられています。

 
(p109より引用) 十善戒には「不綺語」つまり無駄話をしないことが含まれています。無駄話とは、基本的に、相手にとって有意義でない話、それを聞かされた側が社交辞令的な相づちをしなくてはいけないものとされていますが、現代は、ますます無駄話が増えているような気がいたします。

 
 まさにブログやSNSではそういう傾向がありますし、twitterではさらにそれが強まっていますね。

 
(p109より引用) こうした無駄話の背景に何があるかというと、「人に受け入れられたい」「人に嫌われたくない」という「慢」の欲です。

 
 この「慢」の欲が満ちてくると、無理にブログの記事を書いたり、相手が書いていることに興味を抱かなくても興味を持っているかのようなコメントを返したりと、「自分の気持ちに嘘をつくようになる」と著者は説くのです。こういったことの繰返しは「苦」を増すことになり、さらには「無慚」(恥の意識を持たない煩悩)に至るのです。

 
(p116より引用) インターネットは、単に自分の心が疲れるか疲れないかを判断基準にしながら、距離をおいてつき合うのがよろしいかと思います。

 
 また、「触れる」の章では、「集中力が切れたとき」の対処法を紹介しています。全身を通じた触覚を活用するのです。

 
(p159より引用) 普段は顧みない、ささいな感覚に注意を向けてみることが、心をコントロールする際の重要なきっかけとなります。

 
 触れている感触に意識を集中させることにより思考のノイズの拡散を妨ぐ、そうすることで精神が統一され意識がシャープになります。

 「五感」によるインプットから「嫌という感情」へ繋がる脳の暴走を止める方法は、暑い・寒い・痒い・痛い・・・といった情報の入口のところで、その感覚そのものに集中し、それをよく感じ取ることだと著者は説きます。五感そのもの、すなわち「単なる情報」という段階で放っておくのです。

 最後の章は「育てる」「慈悲の心」を育み、自らを育て、他者を育てる訓練です。

 
(p178より引用) 誰かのために悲しんでいる時も、自分を背後から操る煩悩の糸を見つけて断ち切ることです。感情におぼれて嘆くという、優しい「つもり」をなくしてしまうことです。

 
 自分の中の「見」や「慢」に支配されないことが第一歩。ひたすら相手が穏やかであり続けることを念じる「慈悲の心」です。「厳しい優しさ」でもあります。
 
 

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思考病 (考えない練習(小池 龍之介))

2011-02-03 22:40:41 | 本と雑誌

 著者の小池氏は月読寺の住職。カルチャーセンタ等での坐禅指導や著作活動にも積極的です。

 この本、「考えない練習」とは面白いタイトルですね。著者の問題意識の原点は、考えすぎることの弊害です。

 
(p5より引用) ふだんは、思考を操れずに多くのことを「考えすぎる」せいで、思考そのものが混乱して、鈍ったものになってしまいがちなのです。

 
 こういった心の状態を、著者は「思考病」と名づけています。

 
(p14より引用) 私はむしろ、考えるせいで、人の集中力が低下したり、イライラしたし、迷ったりしているのではないかと思っています。いわば、「思考病」とでも申せましょうか

 
 本書で著者が紹介するのは、五感を研ぎ澄ませて実感を高めることによって「思考」という脳の勝手な活動を調教するための方法です。

 五感による外部刺激の入力は、私たちが「思考」を開始するトリガーになります。

 
(p19より引用) 私たちは常に、目や耳、鼻、舌、身体そして意識を通じて、さまざまな情報を受け取っています。そうした刺激に反応する、心の衝動エネルギーのうち、大きなものが「心の三つの毒」であるところの「欲」「怒り」「迷い」です。

 
 これらが仏道でいう「煩悩」の元となるのだそうです。そして、こういった「三つの毒」に侵されると「無知」、すなわち「いまこの瞬間に、自分の身体の中にどのように意識が働いているかとか、どのような思考が渦巻いているかといったことを『知らない』」状態になってしまいます。

 しかしながら、著者は「考えること」自体を否定しているのではありません。
 仏法における「八正道」の第一にも「正思惟」が掲げられています。これは「思考内容を律す」つまり「正しく考える」ということです。

 この八正道において「正思惟」に続く次のステップは「正語」(言葉を律す)です。正しく話すことはなかなか難しいのですが、そのための具体的な方法を著者は示しています。

 
(p39より引用) その方法として提案したいのは、話す時、常に自分自身の声に耳を傾けておくことです。自分ののどを響かせている音の刺激に意識を集中してみましょう。

 
 これなら、私でもなんとか始められそうです。

 ちなみに「八正道」とは、「正思惟」(思考内容を律す)、「正語」(言葉を律す)、「正業」(行動を律す)、「正命」(生き方を律す)、「正定」(集中する)、「正精進」(心を浄化する)、「正念」(心のセンサーを磨く)、「正見」(悟る)です。
 
 

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テレビの大罪 (和田 秀樹)

2011-02-01 22:36:25 | 本と雑誌

 ちょっと話題になっている本なので手にとって見ました。

 目次を辿ると「1.『ウエスト58 幻想』の大罪」「2.『正義』とは被害者と一緒に騒ぐことではない」「3.『命を大切に』報道が医療を潰す」「4.元ヤンキーに教育を語らせる愚」「5.画面の中に『地方』は存在しない」「6.自殺報道が自殺をつくる」「7.高齢者は日本に存在しないという姿勢」と並びます。それぞれのテーマに関するテレビの害毒について、和田氏流にかなり大胆に指摘していきます。

 たとえば、「1.『ウエスト58 幻想』の大罪」の章。番組制作における「テレビ局の責任」についての著者のコメントです。

 
(p39より引用) 「発掘!あるある大事典」事件の最大の問題は、納豆ダイエットの効果を支持するデータが捏造されたものだったということではなく、むしろ下請けの番組制作会社に作らせた番組をノーチェックで垂れ流してしまったことです。・・・テレビ局のもっとも重要な仕事とは、番組の内容が正しいかを最終的に検証することであり、放送内容に間違いがないようにして最終的な責任は負うということです。

 
 テレビ局の番組制作の実態は、完全に現場丸投げです。テレビ局は、「ゼネコンとしての最低限の義務である『施工責任』すら負っていない」という点に最大の問題があるとの指摘です。

 
(p40より引用) いまのテレビ局は、マージンだけ抜いて、ゼネコンとしてはまったく機能していないということになります。

 
 また、「2.『正義』とは被害者と一緒に騒ぐことではない」の章では、事件報道においての「テレビの姿勢」を糾弾します。

 
(p63より引用) そもそもテレビというメディアには、悪意はないにしろ、積極的な善意はない。そう考えると、さまざまな不合理もすっきりとわかるような気がします。事件報道をするのも、単なる好奇心からであり、「社会のため」というのはあとで貼り付けたラベルのようなものなのかもしれない。

 
 本書の大半は、こういったテレビの害毒の具体的紹介が縷々続くのですが、私の関心をちょっと惹いたのは、最終章「テレビを精神分析する」で語られていた著者のコメントでした。
 そこには、精神科医としての著者の危惧が明確に提示されています。「テレビは人の精神面に悪影響を与え続けている」との主張です。

 
(p192より引用) 私はテレビとはもっとも頭(認知機能)に悪く、心にも悪いメディアだと思っていますが、その最大の理由は「映像」と「時間的制約」です。

 
 極めてインパクトの強い伝達形式である「映像」を用いて、「二分割思考」という短絡的結論を「短時間」かつ「一方的」に配信するのがテレビです。

 
(p195より引用) 精神医学や認知心理学では、二分割思考というのは最悪の考え方とされ、認知療法という心の治療においても、もっとも避けるべきこととされています。

 
 現実の社会は、白か黒かといった単純なものではありません。

 
(p201より引用) 最近、認知科学の分野で重要性が強調されているのが「認知的複雑性」というのです。白と黒の間にはグレーがあり、グレーにも濃いグレーから薄いグレーまで様々あるということを認識することです。

 
 これは至極当然のことですが、テレビはこの手の扱いは苦手です。テレビは物事を極端に単純化してしまいます。そういうテレビを信じるという風潮は、認知複雑性の存在が常態である実社会において、上手に生きにくい人を増やしていることになります。

 精神医学の観点からの「テレビの害毒」に関する著者の指摘は、まだまだ続きます。

 
(p200より引用) テレビの「わかりやすい」発想には、ほかにも認知療法でいうところの「認知のゆがみ」と呼ばれる心に悪い考え方が詰まっています。物事の肯定的な側面を否定し、悪いところばかりを見てしまう「選択的抽出」。相手の心や物事の将来を決め付ける「読心」「占い」。いいことがあっても取るに足りないと思ってしまう「縮小視」。特殊なケースを普遍化してしまう「過度の一般化」。何々すべきと思い過ぎる「すべき思考」。そして、物事を単純な類型で判断する「レッテル貼り」等々・・・。

 
 そして、最後、著者はこういうくだりで結論づけています。

 
(p205より引用) テレビというのは一般論のふりをして、実はかなりの極論を言っていることが多い。ところが見ている側は一般的な意見として受け止めるから、気付かないうちに単純思考の罠にはまってしまいます。・・・
 テレビが日本人の知的レベルを落としていることは大問題です。しかし、見る人の心の健康を蝕んでいることこそが、テレビの最大の罪なのです。

 
 ただ、これは「テレビの罪」でもありますし、その害に毒された「私たちへの罰」でもあります。私たちの知的関心の質的劣化を棚上げして、一方的にテレビに責任を合わせるのは「認知的複雑性」の否定になってしまいます。
 
 

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