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被災弱者 (岡田 広行)

2015-04-26 09:05:58 | 本と雑誌

 「決して忘れてはいけない記憶」というのも正しくないでしょう。それは、まだ「過去のもの」になっていないからです。まだまだ、多くの被災者の方々にとっては“現在進行形”なのです。

 本書では、未曾有の被害をもたらした東日本大震災の復興から取り残されている人々の今の姿や、被災者支援のために、今なお様々な分野で尽力している方々の活動、そしてそれらを通して明らかにされた課題の数々を紹介しています。

 石巻市立病院開成仮診療所の長純一所長
 長所長の最大の危惧は「要介護認定率の急上昇」です。この要介護者へのケアは介護保険サービス利用のニーズの高まりにつながりますが、おそらくそれでカバーできない状況が容易に想像されます。そこを補うのが「家族」や「コミュニティ」の力なのですが、これが急速に崩壊しつつあるというのです。


(p27より引用) 被災地がまさにこれから直面することとして、「被災者の復興公営住宅(災害公営住宅)への転居が進む中で、仮設住宅で形成されたコミュニティが白紙に戻るとともに、社会的弱者が集中する。復興公営住宅に入居した段階で被災者とみなされなくなるため、行政からの支援も大幅に縮小していく」(長医師)というのだ。


 被災現場に在るリアルな生活者の方々を助けるには、単に「住む所」を提供すれば済むというものではないということです。「復興公営住宅」の提供の“負の部分”にどう取り組むのか?行政は、しばしば「住処を提供したのだからいいだろう」と手を引いてしまうのです。

 こういった制度や行政の手が届いていない被災者として「在宅被災者」の方々がいます。


(p73より引用) 今回の東日本大震災では、食料や支援物資が避難所に集中し、一部の自治体を除けば在宅被災者への支援がなきに等しかった・・・海外からの義援金を原資にした日本赤十字社の「家電六点セット」も仮設住宅(みなし仮設を含む)だけが対象で、住宅が全壊してすべての家財道具を失ったとしても、在宅被災者には何一つ届けられなかった。在宅被災者は津波をかぶった自宅に戻り、水に浸かった家財道具の運び出しに朝から晩まで追われ、その挙げ句に体を悪くした。


 こういった在宅被災者の生活は今現在でもさほど改善されていない、宮城県南部を中止に活動しているボランティアグループ「チーム王冠」の伊藤健哉さんは語気を強めてこう語ります。


(p74より引用) 在宅被災者の多くは今も「不公平な扱いを受けた」と心の底で感じている。・・・伊藤さんによれば在宅被災者の実態がよくわからないのは、彼らが「サイレントマジョリティになっている」ことに原因があるという。「家が残った」というだけで恵まれていると言われた彼らは、「自分たちより、もっと大変な人がいる。その人たちを助けてあげてください」と言わざるをえなかった。


 自分が苦境にある中で「ほかの人を助けてあげて」との話す人々の心情を慮ると、本当に心が痛みます。
 こういった方々に手を差し伸べる主体こそ行政であるべきですが、実態は、被災者に寄り添うボランティアの活動に頼っているのです。


(p195より引用) 国による東日本大震災の復興予算の支出済み額は2013年度までに20兆円を突破している。・・・にもかかわらず、被災者には十分な資金が回っていない。被災者の生活再建に直接効果のある被災者生活再建支援金の支給額は3006億円、災害弔慰金は590億円にとどまる。これに対して、南海トラフ地震対策など東日本大震災と直接関係のない事業に使われている「全国防災対策」費は14年度までに1兆3674億円に達している。


 もちろん、行政としても、全ての被災者の皆さんが満足できるような支援は、残念ながら極めて難しいことでしょう。せめて、少しでも多くの支援を、少しでも不公平感をなくす形で提供できればと思います。

 まずは、不要不急の施策や便乗施策を排除する、これは是非とも実現させたいことですね。火事場泥棒的な姿勢は、本当に寂しく思います。可能な限り、限られた財源を「今、苦しんでいる人々」に届けるべきです。もちろん、将来のリスク低減も重要ですが、「今」を乗り越えられない人々には、そもそも「将来」は来ないのです。

 もうひとつの「公平性」、これは、更に難しいですね。
 まずは、納得できないような制度を何とか変更・廃止して、意味のある制度に再設計すること、ただそれでも、制度を運用する以上は、現実的にはどこかで「線引き」をせざるを得ない、これは避けられません。そこに僅かなりとも納得性の要素を残すことができれば・・・。それは、制度を運用する側、制度の恩恵を受ける(受けられない)側が、それぞれの立場を理解しあうこと、その上で、「申し訳ない」「仕方ない」と想い合うところまで至ることだと思います。
 しかしながら、それでも結局、現実的は目の前の生活に困窮する被災者は「0」にはなりません。
 この方々に対して何ができるのか・・・、ダメです、私の思考もそこ止まりです・・・。 

 

被災弱者 (岩波新書)
岡田 広行
岩波書店
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進化とは何か:ドーキンス博士の特別講義 (リチャード・ドーキンス)

2015-04-18 09:06:43 | 本と雑誌

 新聞の書評で紹介されていたのですが、最近ちょっと「生物の進化」に興味をもっているので手に取ってみた本です。

 著者のリチャード・ドーキンス博士「The Selfish Gene(『利己的な遺伝子』)」という著作でも有名なイギリスの進化生物学者です。

 本書は、そのドーキンス博士が、1991年、英国王立研究所が子供たちのために開催しているクリスマス・レクチャーとして行った講演を再現したものとのこと。クリスマス・レクチャーを書き起こした本といえば、あのマイケル・ファラデーの「ロウソクの科学」がそうですね。本書も「ロウソクの科学」と同じく、初心者向けの丁寧な語り口で、興味深いテーマへの関心を引き起こしてくれます。

 ドーキンス博士の立ち位置は、“ダーウィンの進化論”をその立論の礎としているようです。
 「進化」は遺伝による再生産によって生まれます。そして、誰もが知っているとおり遺伝情報は細胞内のDNAの中に書き込まれています。


(p102より引用) DNAの川は私たちを通って、同じ姿のまま未来に向かって流れていく。
 唯一の例外は、時折、本当にたまに、突然変異と呼ばれるランダムな変化が起こることです。この変異のせいで、群れの中に遺伝的変化が生まれ、バリエーションができることで、「自然選択」の余地が出でくる。よい眼や強い足や、その他生存に有利になるような変化を体にもたらし、より優れた祖先を作るようなDNAが生き残っていく。


 この「DNAが生き残っていく」という「遺伝子中心」の考え方がドーキンス博士の視点の基本であり、それを自らの著作の中で、「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」という非常に刺激的な言葉で表わしました。

 そういう尖った言い回しがドーキンス博士の真骨頂のようですが、進化の説明はダーウィンの考えをオーソドックスに踏襲したものでした。


(p129より引用) 「進化」は・・・シンプルでありながら絶大に効果的な「幸運を積み重ねる」というやり方を、地質学的な長大な時間軸上に引き伸ばすことによって、非常に確率の低いことも可能にしているのです。


 さて、本書を読み通しての感想ですが、読む前に思っていた内容とちょっと乖離がありましたね。
 「進化とは何か」というタイトルで、かつ子供向けレクチャーの書き起こしとのことだったので、「進化論」についての幅広い概要、たとえば進化論の本質とか科学史の中での進化論の位置づけとかについてもっと解説されているのかと思っていたのですが・・・。
 そういえば、原書のタイトルは「Growing up in the Universe」でした。


(p14より引用) 1991年、私もクリスマス・レクチャーに講師として呼ばれました。その際「宇宙で成長する」という題にした。「成長する」というのは三つの意味を込めて使っています。われわれ自身が一生の中で成長していくという意味と、生命が進化という過程を経て成長していくということ、そして人間がそれ(進化や宇宙)に対する理解を深めていくという意味です。


と、ドーキンス博士は「まえがき」ではっきりと断っています。
 そもそも本書は、私が勝手に思い込んでしまったような「進化論の概説書」ではなかったわけです。翻訳書の場合、しばしば日本語のタイトルに戸惑うことがありますね。

 

進化とは何か:ドーキンス博士の特別講義
吉成 真由美
早川書房
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増補 八月十五日の神話: 終戦記念日のメディア学 (佐藤 卓己)

2015-04-11 09:29:21 | 本と雑誌

 8月15日が「終戦記念日」とされていることに、私は何の疑問も感じていなかったのですが、著者の疑問はそこから始まっています。

 そもそも8月15日が「終戦記念日」と定められたのは終戦まもなくではありませんでした。


(p279より引用) 「八・一五=終戦記念日」の法的根拠は、戦後18年も経過した1963年5月14日に第二次池田勇人内閣で閣議決定された「全国戦没者追悼式実施要領」であり、正式名称「戦没者を追悼し平和を祈念する日」は鈴木善幸内閣が1982年4月13日の閣議で決定している。


 そして、確かに「8月15日」はいわゆる天皇による玉音放送があった日ではありますが、日本がポツダム宣言を受諾したのは「8月14日」アメリカ海軍戦艦ミズーリ艦上で対連合国降伏文書に調印したのは「9月2日」ですから、この記念日にいう「終戦」の意味を一体何に求めるのかが、大きな関心事として浮かび上がってくるのです。

 「終戦記念日」制度化への動きは、戦後日本の経済復興と強い関わりをもっています。「1955年後経済白書」における“もはや戦後ではない”という宣言は、それゆえ「終戦」という区切りとしての「終戦記念日」を求める動きの後押しをするものでした。


(p125より引用) 8月6日の被爆体験に始まり8月15日の玉音体験に終わる「国民的記憶」がメディアによって再編成されていった。・・・
 各メディアは1955年「終戦10周年特集」を新たな伝統として、翌1956年から「8月ジャーナリズム」を本格化する。


 こういうメディアにより地ならしされた下地のもと、1982年「戦没者を追悼し平和を祈念する日」いわゆる「終戦記念日」が公式に定められたのですが、その直後、歴史教科書問題が口火となった中・韓等アジア諸国からの非難の声も巻き上がりました。


(p132より引用) それは記念日とメディアの相互作用から予測できたことである。つまり、「8・15終戦」にこだわる限り、いくら近隣諸国の対日批判を引用して終戦記念日の内向化を批判しても、批判そのものが記念日イベントの一部として人々を国民アイデンティティに統合するように機能する。


 メディアが伝える「批判報道」自体も、「終戦記念日」の定着化に寄与するものだったのです。

 ここで改めて「終戦記念日」とされた「8月15日」は何があった日なのかに立ち戻ると、それは「玉音放送」があった日でしかないのです。現実、その場にいた人の耳には明瞭には聞き取れなかったと言われる「玉音放送の記憶」が、日本国民にとっては「終戦」を意識した根源でした。


(p157より引用) 確かに、玉音放送を国民は直接聞いたわけだが、その国民的体験は後からメディアによって創られた集合的記憶でもあった。逆に言えば、それが後から創られた集合的記憶であるために、私のような戦後派も含めた国民一般が玉音体験について一定のリアリティを抱けるのである。そうした集合的記憶のリアリティを維持するために、各種メディアは「あのとき自分は」という新しい回想を絶え間なく転載し続ける必要があったのである。


 そしてこの「集合的記憶」は、玉音放送で告知された内容(=意味)の共有によるものではなく、その時ラジオの前で「玉音を聞いた」という形式(=声)の共有、すなわち玉音放送という祭儀的性格を有する「儀式への参加」の記憶だったというのが著者の考えです。


(p158より引用) かくして、「玉音」はそれ自体が「国民的記憶の象徴」と理解されるようになったため、読み上げられた詔書の日付が前日の14日であっても、あるいは国際法上の終戦である降伏文書調印が9月2日であっても、国民総「動員=参加」の終戦は8月15日として受け入れられた。8月15日を終戦記念日とすることに論理的な合理性はないが、それを国民感情が抱きしめる必然性はあったのである。


 戦後の代表的知識人の一人とされる政治学者丸山眞男も「8月15日」の意味について、その日を大きな節目(革命)の日として戦後民主主義の「始まり」とする論を展開しました。「帝国主義の最後進国であった日本が敗戦を契機として平和主義の最先進国になった」という“二十世紀最大のパラドックス”という主張です。こういった当時の言論界の流れを著者はこう捉えています。


(p273より引用) 進歩派の「8.15革命」は保守派の「8.15神話」と背中合わせにもたれあう心地よい終戦史観を生み出した。それを制度化したのが・・・「記憶の1955年体制」であり、8.15終戦記念日にほかならない。丸山眞男が「8月ジャーナリズム」最大のイデオローグとして戦後の言論界に君臨できた理由もここにあろう。


 そして、こう続けます。


(p273より引用) しかし、「8.15革命」論の受容には、もう一つ別の側面があったのではないだろうか。それは、「革命=断絶」を設定することで、戦前と戦後の連続性を見えなくする効果である。そのことが、例えば戦時下から戦後にわたるメディアや情報統制の連続性を隠蔽してきたように思える。1945年8月15日を境に変化したメディアは、新聞、放送、出版など、どの分野にも存在しない。


 著者は文庫版で追加された「補論」において、繰り返し「8.15終戦」の歴史的な位置づけを整理しています。


(p293より引用) そもそも歴史的事実として、1945年の8月15日に終わった戦争は存在しない。玉音放送で昭和天皇が朗読した「終戦詔書」の日付は、日本政府がポツダム宣言受諾を米英に回答した8月14日であり、大本営から陸海軍へ停戦命令が出されたのは8月16日である。国際標準としては東京湾上の戦艦ミズーリ号上で降伏文書が調印された9月2日(中国では翌3日)はVJデイ(対日戦勝記念日)であり、8月15日はただ「忠良ナル爾臣民」に向けた録音放送があった日に過ぎない。


 メディア論から見た場合の「8月15日」の意味づけは、歴史的事実によるものではなく、戦後しばらく経ってからなされた極めて政治的なものだったとの認識です。

 

増補 八月十五日の神話: 終戦記念日のメディア学 (ちくま学芸文庫)
佐藤 卓己
筑摩書房
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自分のアタマで考えよう (ちきりん)

2015-04-04 09:10:15 | 本と雑誌

 先日、稀代の読書家である出口治明氏の著作「本の「使い方」 1万冊を血肉にした方法」を読んだのですが、その中で出口氏がお薦めの本として紹介されていたので手に取ってみました。

 内容は、タイトルどおり「自分の頭で考える」ための具体的ヒントを分かりやすく語ったものです。

 まず、著者は「考える」ための「知識」の意味づけについて、序「「知っている」と「考える」はまったく別モノ」の章で整理しています。


(p20より引用) 知識とは「過去の事実の積み重ね」であり、思考とは、「未来に通用する論理の到達点」です。


 いきなり「なるほど」という指摘ですね。そして著者は、こう続けます。


(p21より引用) 自分の頭で考えること、それは「知識と思考をはっきりと区別する」ことからはじまります。「自分で考えなさい!」と言われたら、頭の中から知識を取り出してくるのではなく、むしろ知識をいったん「思考の舞台の外」に分離することが重要なのです。


 知識と思考を明確に分離して物事に対面しないと、過去の知識に未来の思考が歪められる恐れがあるというのが、著者が鳴らす警鐘です。
 とはいえ、著者は「知識」の必要性や重要性を否定しているのではありません。先験的な知識によって自由な思考が妨げられることを問題視しているのです。


(p237より引用) 重要なことは、それらの知識をそのままの形で頭の中に保存するのではなく、必ず「思考の棚」をつくり、その中に格納するということです。単純に「知識を保存する」=「記憶する」のではなく、知識を洞察につなげることのできるしくみとして「思考の棚」をつくる―これこそが「考える」ということなのです。


 これが、著者にとっての「知識」と「思考」の理想的な関係です。
 この「思考の棚」というコンセプトは面白いですね。この棚に知識を整理して入れていけば、その棚の空いているスペースが「自分の求めている知識」だということになります。そこに必要な知識がはまれば、その結果、「それで言えること」が生まれる、すなわち「何らかの価値のある結論」を得ることができるわけです。
 頭の回転の速い人は、情報が揃ってから考えるのではなく、この「思考の棚」をつくって、「この情報が埋まれば、こういうことが言える」というところまで予め考えているのだ、だから最後の情報ピースが揃った瞬間に「結論」を語ることができるんだ、著者は指摘しています。

 これは、「情報の価値は、それを入手する前に考えておくべき」という著者の主張にもつながるものです。


(p234より引用) 「情報の価値」とは「その情報によってわかることの価値」なので、後者を明確にすることによって「妥当な情報入手コスト」も明確になります。貴重な予算や時間を投入する前に「この情報が手に入ればわかること」を事前に考えておく癖をつけると、無用な情報収集時間を費やさず、その時間を本当の意味での「考える時間」に回す余裕も出てくることでしょう。


 そうですね、これも、改めて言われるとそのとおりだと思いますね。

 さて、本書ですが、読み通してみて、膝をポンとたたくような著者ならではといった「考えるヒント」は山盛りでした。
 とはいえ、もちろん、世の中にある王道的な考え方に触れているところもあります。
 たとえば、「データ」との向き合い方です。

 典型的な「自分で考える」というシーンは、何らかの「数字(情報)」を見せられたときですね。この場合の著者がとる基本姿勢は「なぜ?」と「だからなんなの?」です。


(p43より引用) データを見たときには、その背景(=データの前段階)を考える「なぜ?」と、そのデータをどう解釈・判断し、対応すべきか、と一歩先(=データの後段階)を考える「だからなんなの?」のふたつの問いを常に頭に浮かべましょう。


 この考え方は、ロジカルシンキングの基本として「Why So?」「So What?」と同根のものですね。

 こういう二分法的な思考法が著者の基本スタイルのようで、本書の随所で「2×2のマトリックス」や「時間軸 & 空間軸」といった思考のテンプレートが紹介されています。
 豊富な事例と親しみやすい語り口、確かに本書は、「考え方」の入門書としては取っ付きやすいもののひとつだと思います。出口氏の推薦も“さもありなん”と頷けますね。

 

自分のアタマで考えよう
良知高行
ダイヤモンド社
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