OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

車輪の下 (ヘルマン・ヘッセ)

2013-03-31 09:13:30 | 本と雑誌

Hermann_hesse  先に読んだ中嶋嶺雄氏による「日本人の教養」の読書案内のリストに載っていたので手に取った本です。

 ヘルマン・ヘッセの代表作として有名で、中高校生にとっての必読書のような著作ですが、恥ずかしながらこの歳(50歳を過ぎ)になって初めて読んでみました。

 繊細な自意識をもった主人公のハンスは、父親・校長をはじめ田舎町の周囲の人びとからのプレッシャーを受けながらも、当時のエリートコースであるマウルブロン神学校に合格しました。しかし、期待に胸膨らませた神学校の生活の中で、ハンスは大きな壁に直面します。

(p58より引用) 教師の義務と、国家から教師にゆだねられた職務は、若い少年の中の粗野な力と自然の欲望とを制御し除去し、そのかわりに、国家によって認められた静かな中庸を得た理想を植えつけてやることである。・・・学校の使命は、お上によって是とされた原則に従って、自然のままの人間を、社会の有用な一員とし、やがて兵営の周到な訓練によってりっぱに最後の仕上げをされるはずのいろいろな性質を呼びさますことである。

 こういった教師に代表される「権威」主義に対する批判は物語の随所に出てきます。

(p118より引用) 学校の教師は自分の組に、ひとりの天才を持つより、十人の折り紙つきのとんまを持ちたがるものである。よく考えてみると、それももっともである。教師の役目は、常軌を逸した人間ではなくて、よきラテン語通、よき計算家、堅気な人間を作り上げる点にあるからである。

 ハンスと友人のハイルナーは、教師にとっては好ましい生徒ではありませんでした。勉強家で優等生だったハンスも、異端児ハイルナーとの友情に傾き、徐々に教師たちからは疎んじられる対象になっていきました。

(p119より引用) 昔からのりっぱな学校の原則に従って、ふたりの若い変り者に対しても、怪しいと感づくやいなや、愛のかわりに、厳しさが倍加された。

 勉強に身が入らなくなったハンスに対して、神学校の校長が声をかけます。

(p122より引用) 疲れきってしまわないようにすることだね。そうでないと、車輪の下じきになるからね

 しかしながら、校長の忠告もハンスには効きませんでした。そして、その後、ハンスはドロップアウトの道を一気に下り始めることになります、

 小説なので、このあとのなりゆきを細かく辿ることはしませんが、物語のなかでのハンスの心情は、周りからの期待からはじまり、不安・優越感・夢・友情・挫折・・・と大きく揺れ動きます。
 そして終幕は・・・、少々呆気ない印象です。
 

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日本人は何を捨ててきたのか 思想家・鶴見俊輔の肉声 (鶴見 俊輔・関川 夏央)

2013-03-27 23:29:07 | 本と雑誌

Tsurumi  東日本大震災から2年過ぎ、何かを考えるために手にとった本です。

 体裁は、鶴見俊輔氏と関川夏央氏お二人による対談を起こしたものです。
 評論家の鶴見俊輔氏は、外祖父はかの後藤新平、父は政治家鶴見祐輔という家に生まれながらも、厳格・苛烈な母親に反発して、若い頃はかなり危ない行動をとっていたようです。大衆文化への造詣も深く、漫画原作者としての経験もある関川氏との会話はなかなかいいノリで進んで行きます。

 たとえば、日本の村的なものに自由主義・民主主義を感じるという鶴見氏のコメントは面白いですね。

(p52より引用) 「これが真理だ、、手の内にいま自分は真理を握っている」という感覚を、わたしは疑う。むしろ、日本の村にある感覚みたいなもの、つまり、「あいつは変なやつだけれども、殺しはしない。八分にする」という方法に可能性を感じますね。・・・
 そっちの方が、魔女裁判のような感覚よりも優れて自由主義なんだ。

 確かに日本での「村八分」と西洋の「魔女狩り」とを比較すると、「魔女狩り」の方が独善的な個の否定を感じますし圧政的で陰惨な仕打ちでもあります。

 もうひとつ、「真理」についての鶴見氏の理解も興味深いものがあります。

(p70より引用) 真理は間違いから、逆にその方向を指定できる。
 こういう間違いを自分がした。その記憶が自分の中にはっきりある。こういう間違いがあって、こういう間違いがある。いまも間違いがあるだろう。その間違いは、いままでの間違い方からいってどういうものだろうかと推し量る。ゆっくり考えていけば、それがある方向を指している。それが真理の方向になる。
 これは私の考えです。だから真理を方向感覚と考える。その場合、間違いの記憶を保っていることが必要なんだ。これは消極的能力でしょう。

 負けたことを忘れない、間違ったことを忘れない・・・、こういった「消極的能力」を重ねることにより、真理を絶対的な「定点」としてではなく、「方向」として認識するという考えは、私にとっては新たな気づきでした。

 そのほかにも、関川氏との会話で語られる鶴見氏の言葉は刺激に満ちています。
 “1905年”、日露戦争の辛勝を契機としたある種の錯覚に基づく日本社会の大きな転換の指摘もそうですし、自らの半生を顧みての深い気づきの言葉もそうです。

(p135より引用) いい人ほど友達として頼りにならない。いい人は世の中と一緒にぐらぐらと動いていく。でも、悪党は頼りになる、敵としても見方としてもね。悪党はある種の法則性を持っているんだ。これこれのことをやれば、これこれのことが出てくるというね。

 悪党は、自分の中に「軸」を持っている、それにより周りに左右されない合理的な判断ができるということでしょう。自ら「悪党」を自認し、まともに卒業したのは小学校とハーバード大だけという鶴見氏ならでは卓見ですね。

 もうひとつ、最後に書き留めておくのは“日本の知識人”を語る鶴見氏のコメントです。

(p197より引用) いま、日本の知識人は、もうアメリカの腕の中にいる。アメリカに行くと、アメリカの知識人にとっては、日本の知識人というのは具合のいい存在なんです。自分たちの出した仮説を一生懸命に学習して、それを日本ではこうだと応用してくれるから。・・・アメリカの知識人の器の中にいて、その外にいる日本の知識人は少ない。困ったことに、そのことで自分は知識人だと思っている。そして、視線を下にして、「日本の大衆は・・・」なんていっている。

 アメリカ発の学説の忠実なる紹介者・解説者は大勢いますが、自らのオリジナリティを発揮する本物の知識人は稀少です。


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「忠臣蔵」の決算書 (山本 博文)

2013-03-23 08:54:24 | 本と雑誌

Boshi_yuranosuke  エコノミストの伊藤洋一氏がpodcastで紹介されていたので手に取ってみました。

 材料となった史料は、大石内蔵助が浅野内匠頭の正室瑤泉院に向けて残した「預置候金銀請払帳」、現在は箱根神社に所蔵されています。
 忠臣蔵関係の研究はそれこそ山のようにあるのでしょうが、討入りの生々しい実態を「金銭面」から明らかにするというアプローチはとてもユニークですね。

 まずは、討入プロジェクトの決算書「預置候金銀請払帳」に記された「収入(軍資金)」はいか程の金額だったのでしょうか。

(p86より引用) 『金銀請払帳』に記された、御家再興や討ち入りのために用意した費用は、・・・合わせて金六百九十一両といったところである。本書における金一両=十二万円で換算すれば、八千二百九十二万円である。

 このお金は、赤穂藩お取り潰しによる清算処理の「余り金」で、大石内蔵助が赤穂を離れた時から預かっていたものでした。
 内蔵助は、この資金を元に、浅野家再興に向けたロビー活動を行うとともに、討ち入りのための諸準備を整えていきました。
 その具体的な用途は、連絡用の旅費・通信費であったり、同志らの当座の生活費の補填等であったりしました。またその中には、討ち入りをはやる江戸急進派を抑えるための出費もありました。

(p133より引用) 内蔵助は江戸急進派を押えるために、金七十八両一分二朱と銀四十二匁もの出金をしている。現代ならば一千万円ほどの出費である。

 それほどの金額を費やさなくては、動揺する同志たちの思いや行動をまとめることは難しかったのです。

(p225より引用) お金がない者は、武士の体面を保っていられるうちに早く討ち入りたいと切望していた。だからこそ、内蔵助は彼らに生活費などを与えて、その気持ちを宥め、最もよい時期に討ち入りが敢行できるようにと心を砕いたのである。軍資金がなければ、間違いなく暴発する者が出たことだろう。

 「預置候金銀請払帳」に記された支出項目は113項目、亡き主君に対する仏事費から御家再興工作費、旅費・江戸逗留費・潜伏中の住居費・飲食費そして討ち入りのための武器購入費等々、その使途は様々、その記述は詳細にわたります。

 「預置候金銀請払帳」の最後は、こう締めくくられています。

(p255より引用) 金都合六百九拾七両壱分弐朱
請取金元ニ指引 金七両壱分不足 自分より払
右預置候金払之勘定帳一冊、御披見ニ入候、以上
   大石内蔵助

 内蔵助自身どこまでのシナリオを描き切っていたのかは定かではありませんが、元禄時代最大の耳目を惹いた討入プロジェクトを成功裡に導いたのは、この「預置候金銀請払帳」で顕かにされた内蔵助の緻密さ・誠実さ・律義さによるところが大だったのです。
 

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続 羊の歌―わが回想 (加藤 周一)

2013-03-19 23:02:34 | 本と雑誌

Imperial_rescript_on_the_terminatio  久しぶりの加藤周一氏の著作です。
 だいぶ以前に「羊の歌」は読んでいるのですが、本書は、いつかは読もうと思っていた「続編」です。

 自伝的色合いの濃いエッセイですが、本書での加藤氏の回想は、「終戦直後の東京の風景」から始まります。

(p3より引用) 焼け跡の東京には、見せかけの代りに、真実があり、とりつくろった体裁の代りに、生地のままの人間の欲望が-食欲も、物欲も、性欲も、むきだしで、無遠慮に、すさまじく渦を巻いていた。政府は、「一億総ざんげ」という言葉を思いついて宣伝していたが、だれもざんげしてはいなかったし、またその必要を感じていたわけでもない。「ざんげ」どころではなく、当の政府が保証することのできない生活を・・・なんとかして維持するのに忙しかったのである。

 人びとは決して虚脱状態にあったわけではありませんでした。むしろある意味戦時中よりも活き活きとしていたのです。加藤氏の叙述は、そういった市民生活の現実をストレートに伝えてきます。

 こういった終戦直後の東京の風景は、その後の加藤氏の思想の原点を規定するものだったようです。戦場において残虐な行為を強いられていた同一人物が復員後の家庭で良き父親としてふるまっているという事実。

(p5より引用) 性は善なりや。これは信ずるに足りない。性は悪なりや。しかしこれもまた信じることができない。そもそも一人の男について、その性の善悪を問うよりは、多くの人間を悪魔にもし、善良にもする社会の全体、その歴史と構造について考えた方がよかろうという考えに、私はそのとき到達したように思う。・・・そのときの考えは、その後の私のものの考え方の方向を決定した-どんな人間でも悪魔ではないのだから、私は死刑に反対し、戦争はどんな人間でも悪魔にするのだから、私は戦争に反対する。

 加藤氏の信念の源流はやはり「終戦」にあったようです。
 無謀な戦争によって多くの尊い命が失われました。加藤氏の親友の何人かも帰らぬ人となりました。“命”の価値は絶対的なものです。それを凌駕する価値はあるのか・・・。

(p216より引用) いくさは政治的な行動の一つであり、すべての政治的な行動の値うちは、相対的なものにすぎない。相対的な目的のために、とりかえしのつかぬ(絶対的な)し方で、測り知れぬ犠牲を他人に強制するのは、正しくないだろうという考えは、常に私の念頭を去らなかった。

 第二次大戦の悲劇は、ひとつには、事実が判断に資することができなかったことが要因だったと加藤氏は考えました。

(p182より引用) 天下国家の大事については、一市民の手に入れることのできる情報は常にかぎられたものでしかないだろう。それにも拘らず、目前の情勢の変化と将来の成り行きを、一個の全体として、考えるためには、多かれ少なかれ価値判断と係りのある仮説を樹てるほかはあるまい。しかし私は、そういう仮説を、いくさの頃よりは綿密に工夫し、いくさの頃よりも多くの事実によって検証したいと考えていた。

 多様な経験を経て事実を積み上げ、自分自身を決定する条件を知ること、それが加藤氏にとっての目指すべき姿になったのです。

(p184より引用) 私は血液学の専門家から文学の専門家になったのではない。専門の領域を変えたのではなく、専門化を廃したのである。そしてひそかに非専門化の専門家になろうと志していた。

 戦前・戦中、加藤氏は「戦争反対」の立場でした。しかしながら、その行動は先鋭的なものではありませんでした。「生命をかけて政治運動にとびこむほど、政治上の道義を信じたことはない」と自らも語っています。

 こういった加藤氏の政治問題の捉え方、政治問題に対面する態度については、社会主義・共産主義・ファシズム等が渦巻くヨーロッパでの思索生活の中で培われてきたようです。

(p149より引用) 絶対的な道義的価値と、権力政治の動かし難い現実とを、どう折り合わせるか、と問う代りに、相対的価値を、力関係だけで決定されるのではない政治的現実のなかで、実現するには、どういう具体的な道があるか、と問うこと。・・・条件つきでない答えをもとめることは無駄であり、意味のある答えは条件つきでしかありえないと考えること。そういう考え方はその後の私の政治問題に対する態度を決定したと思う。

 時々思い出したように読みたくなるのが、加藤氏の著作です。


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日本人の教養 混迷する現代を生き抜くために (中嶋 嶺雄)

2013-03-15 22:55:00 | 本と雑誌

Akita_international_university  タイトルが気になって手に取った本です。
 著者は、国際教養大学理事長・学長で当学の創設者とのこと、その建学の志を記した本です。

 まず、本書のテーマである“教養”ですが、著者が抱く“教養”は、単なる知識の集積ではなく「実践」を伴うものです。

(p2より引用) 教養とはつまるところ、その人の判断の根幹を支えるもの-行動哲学とでもいうべきもの-です・・・

  したがって、“教養”を修得するためには、知識の獲得はもちろんですが、実行動による“体験”も不可欠だと著者は考えています。

(p102より引用) 本質を見抜く目というのは、人間の外にあるのではなく、内にあります。ここが教養教育の一番難しいところかもしれませんが、物事の本質-すなわち選択や決断の根本になるもの-を見極める目を養うには経験の蓄積が欠かせません。

 この「経験」の中には、その場所に行く、人に会うといった実体験はもちろんですが、「読書」もひとつの経験です。

 その観点から、著者は本書の巻末に「読書案内」としてブックリストを紹介しています。
 そこで著者が薦めているのは、幼児期の「ちびくろサンボ」をはじめとして、成長するに従って、「マゼラン」「車輪の下」「おろしや国酔夢譚」。日本を知るという点からは、「三四郎」「人間失格」「石光真清の手記」。多様な人生に触れるという点から、「狭き門」「若きウェルテルの悩み」「シーシュポスの神話」。国際教養大学の学生の必読書としては、も含めた「武士道」「三酔人経綸問答」「菊と刀」「文明の生態史観」「論文の書き方」「万葉秀歌」「文明が衰亡するとき」。さらに世界を広げるために、「文明の衝突」「平和の代償」「創造の方法学」「職業としての学問」、そして著者自らの手による「国際関係論」
 まさに多種多様でどの本も興味深いものがあります。

 数えてみると、これらの本のなかで私が読んだことがあるのはまだ8冊なので、せめてもう数冊には手を伸ばしてみようと思います。


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結果を出すリーダーはみな非情である (冨山 和彦)

2013-03-10 09:56:12 | 本と雑誌

Kacyo  ちょっと刺激的なタイトルなので手にとってみました。ミドルリーダーをテーマにしたリーダーシップ論です。

 「論理的思考力」「合理的判断力」「戦略・組織論」等、章立てとしては特段目新しくはないのですが、現代の日本企業の沈滞に対する危機感を基軸に、変革の時代の担い手として企業のミドルマネジメント層をターゲットに据えた、著者の実践的なアドバイスが開陳されています。特に、企業再生の現場の実体験から発せられる著者の言葉には、リアリティとパワーを感じますね。

 リアリティという点では、「意思決定とコミュニケーション」に関して語ったこんなくだりがあります。

(p132より引用) 意思決定の段階においては情緒を極力排除しなければならないが、コミュニケーションの段階で情緒を否定してしまうと、伝わるものも伝わらなくなる。・・・決断は論理的に正しくても、それを組織に納得させ、実行に移すことができない。コミュニケーションの本当の難しさはそこにある。

 どんな優れた戦略であってもそれが実行されなくては何の意味もありません。
 決定を個人や組織の行動に具現化するため、著者が勧めるのは、「しつこく根負けを誘う」という方法。日本的な情緒的関係を所与の前提として、それに適応したやり方です。時間のかかる地道な方法ですが、日本的情緒結合組織に対して、米国流/MBA流のトップダウン剛腕的方法は、よほどの危機的状況でない限りはその後遺症の方が大きくなります。
 「対象の特性を的確に把握し、それに合せて対応を柔軟に変化させる」というやり方は、実は極めて「合理的」な方法なのです。

 また、「日本企業の戦略性」についてのコメントも、実感に近いという点で私にも納得感がありました。

(p213より引用) よく「日本企業が戦略性に欠けるのは、トップのリーダーシップが弱いからだ」という教科書的な批判がある。しかし、私はアメリカのCEO独裁モデルやアジアのオーナー経営者専制モデルが、そのまま日本で機能するとは思っていない。・・・日本企業の固有の強み、DNAと言ってもよい強みは、やはりすり合わせ力、ボトムアップ力に裏打ちされた、集団としての現場力、実行力にある。これを活かしつつ、経営のダイナミクス、意思決定力を取り戻すには、まさにミドルレベルの要所に、ミドルリーダーを呼べる人材が配置されていることがカギとなる。

 さて、本書で紹介されている「ミドルリーダー」への具体的な示唆には首肯するところが数多くありますが、そういった類以外でも著者流の物事の捉え方の中には、いろいろと興味深いものがありました。

 たとえば、「GNH(国民総幸福量)」というコンセプトについて。
 このGNHは、昨年のブータン国王の来日を契機に一躍注目された概念で、世の中には概ね好意的に受け止められました。が、これに対する著者の評価はこうです。

(p85より引用) ブータンのGNHの話も、経済成長の追求を頭から否定する議論に使われることには、非常に違和感がある。

 経済成長の否定は今後の高齢化社会を担う若い世代の負担増を考えると非現実的な結論であるし、また、「幸福」という概念を定量化することについても疑問があるというのが著者の考えです。

(p86より引用) 幸福度などは、国家に決めてもらう類の者ではない。自分の頭の中の幸福観に他人を巻き込むようなことは、国家であっても個人であっても、決してするべきではない。私は、GDPやGNI(国民総所得)のような経済指標にほうが、そこに余計な価値観が入り込まないぶん、はるかにましな指標だと思う。

 幸福度を測るということは「価値基準の一律化」を必須とすることから採り得る方向ではないということですね。


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論語力 (齋藤 孝)

2013-03-06 23:37:24 | 本と雑誌

Confucius  一昔前に「○○力」といったタイトルの本が大いに流行った時期がありましたね。本書は、それらのピークをちょっと過ぎたころに発刊されたものです。

 著者は、この手の著作でお馴染みの齋藤孝氏。
 久しぶりに「論語」関係の本を読みたくなって、軽めのものとして手に取りました。今回の「力」については、「論語の持つダイナミックさ」を表したかったというのが著者の意図とのこと。

 内容は、原文も書下し文も登場せず、またカバーしている範囲も限定的でちょっと物足りなさが残りますが、所々に著者の面白い着眼が見られます。

 たとえば、論語の中でも有名な一節「吾十有五而志於學 三十而立 四十而不惑 五十而知天命 六十而耳順 七十而從心所欲 不踰矩」の部分。
 ここで著者は、「六十而耳順」に注目しています。

(p74より引用) 六十という年齢もさることながら、これが「惑わない」(四十)、「天命を知る」(五十)という状態より後に来ているというのもおもしろく感じます。「不惑」も「知命」も、確固たる信念を持ったあり方で、これは一見究極的な境地に思えます。けれども、そこでとどまっていてはいけないのです。・・・
 本当は、そこでさらに学び続けることが必要なのです。そうすれば、他人の言葉に素直に耳を傾けられるようになる。

 「学ぶ」とは、自分以外のものから受け入れるということです。学びは受容であり、幾つになっても他者から学び続けなくてはならない。そして、それによって、他者をも包括した自己が確立される「從心所欲 不踰矩」のステージに至るのだとも解釈できるように思います。

 本書は、こういった論語の説くところの著者流の解説が中心なのですが、各章末ごとに、論語に纏わるトッピク的なコラムが挿入されています。

 その中で興味深かったのが、江戸時代「寺子屋」での儒教教育について紹介しているくだりでした。
 そこでは「金言童子教」というテキストが使われていたそうです。

(p166より引用) 『金言童子教』を見ると、漢文の原文と書き下し文のほかに、「これはだいたいこういう意味だよ」という解説がついています。・・・
 こうすることによって、レベルの高いものを薄めずに、しかし、初学者がきちんとその世界に入っていけるように配慮する、というふたつの課題を両立させています。現代の国語教科書が、教材を幼稚にすることによって、子どもにあわせているつもりになっているのと比較すると、当時の寺子屋の見識の高さが分かるというものでしょう。

 この指摘は私も同感です。

 ちょっとズレた話になりますが、「小林秀雄」の随筆を取り上げた今回の大学入試センタ試験の現代国語の出題を連想しました。

 ・「小林秀雄のせい? センター試験国語平均点が大幅ダウン」(朝日新聞)
 ・<センター試験>国語の平均点は過去最低 小林秀雄で苦戦(毎日新聞)
 ・予備校も驚く「小林秀雄」出題…センター国語(読売新聞)

 今回の出題を支持するものではありませんし小林秀雄が読めることが決して重要だとは思いませんが、易きに流れず、難解なものにぶつかっていくことにより自らを高めるという姿勢は、とても大事だと思います。


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イノベーション・オブ・ライフ ハーバード・ビジネススクールを巣立つ君たちへ (クレイトン・M・クリス

2013-03-03 09:12:39 | 本と雑誌

Harvard  話題になっている本ですね。
 私の友人の何人かからも、良い本だとの声が聞こえてきます。

 ご存じのとおり著者のクレイトン・M・クリステンセン氏は、「イノベーションのジレンマ」をはじめとする多くの優れた論文を記した経営学の大家。本書は、そのクリステンセン氏のハーバード・ビジネススクールでの最終講義を採録したものとのことです。(ただ、この1冊のボリュームがひとつの講義だとは思えないのですが・・・)

 内容は、クリステンセン氏の研究対象であった経営戦略の理論や実践を、人びとの生き方への示唆・教訓に敷衍して語っている興味深いものです。

 たとえば、「マーケティング」的な視点からは、こんな夫婦間での行き違いにも触れられています。

(p127より引用) わたしたちは自分が何を求めているかを考え、伴侶も同じものと求めているはずだと想いこむ。・・・よかれと思ってしたことが、実は見当違いということはよくある。夫は献身的な自分に酔い、自分が与えているものに気づきもしないといって、妻を自己中心的と決めつける。もちろんその逆もある。これは、企業のマーケティング担当者と顧客の間によく見られる行き違いと同じだ。

 顧客重視の姿勢の要諦として、「○○のために」ではなく「○○の立場で」とはよく言われることですが、これはあらゆる人間関係において当てはまるセオリーですね。
 この著者が挙げているケースは、誰でも心当たりがあるでしょう。私もこの点についてはどうも学習能力が著しく低いようで、いまだに地雷を踏みまくっています・・・。

 加えて、もうひとつご紹介しておきたいのは、「限界効用(限界費用・限界収入)」の理論を人生訓として活かしているくだりです。

 まずクリステンセン氏は、既存企業と新規参入企業との意思決定基準の相違について説明します。

(p210より引用) 既存企業の経営陣が投資の是非を判断するとき、メニューには必ず二つの選択肢がある。一つが、まったく新しいものをつくる際にかかる総費用。二つめが、既存資産を活用する際の、限界費用と限界収入だ。そして必ずと言っていいほど、限界費用の理屈が総費用を圧倒する。これに対して新規参入企業の場合、メニューに限界費用という項目はない。業界に参入したばかりの企業にとっては、総費用イコール限界費用なのだ。
 競争が存在するとき、既存企業がこの理論に従って既存資産の活用を進めると、総費用をはるかに上回る代償を支払うことになる。なぜなら競争力を失う羽目に陥るからだ。

 短期的視点からは既存の資産を有効活用した方が効用は得られるのですが、長期的視点では、高コスト体質を温存することとなり、より効率的な新規参入企業に敗北してしまう。目の前の利益を重視する判断は、長期的視点すなわち根本的な目的の達成を阻害することとなるとの示唆です。

 この限界費用の考え方を、人生における重要な決断を求められる瞬間に当てはめてみましょう。人はしばしば「一度だけなら」と自分の信念や良心に反し安易な選択肢を選ぼうとしてしまいます。

(p216より引用) 限界費用分析をもとに「この一度だけ」の誘惑に屈すれば、行き着く先で必ず後悔する。わたしの学んだ教訓は、自分の主義を100%守るほうが、98%守るよりたやすいということだ。・・・一度でも越えることを自分に許せば、次からは歯止めが利かなくなる。
 何を信条とするかを決め、それをつねに守ろう。

 さて、本書を読んでの感想ですが、評判どおり、内容としては、自分の今の姿を顧みるに真摯に反省すべき指摘が満載ですね。クリステンセン氏の未来ある若者に対する強烈な想いが迸っている著作です。確かにもっと若い頃に読んでいたらと思うのですが、私も含め多くの人びとにとって、こういった話はやはり過ぎてからでないと身に染みて感じないような気もします。

 ただ、そうだからこそ、クリステンセン氏は、未来ある若者に向けて今、教育者としての最後の心からのメッセージを信念と情熱を込めて訴えているのでしょう。
 

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