OMOI-KOMI - 我流の作法 -

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挑む力 世界一を獲った富士通の流儀 (片瀬 京子/田島 篤)

2012-10-28 09:39:00 | 本と雑誌

Fujitsukcomputer  以前セミナーでお世話になった竹内弘高氏・野中郁次郎氏が紹介されている著作です。

 日本有数のICT関連企業である富士通が推進したいくつものプロジェクト、そのリーダの活躍を通して、目標必達を目指した富士通の「泥臭い」挑戦の姿勢を紹介していきます。

 本書で取り上げられた8つのプロジェクトですが、私にとって最も響いたのは、東京証券取引所の株式売買システム「arrowhead」構築の物語でした。
 私もいくつかのシステム開発に携わったことがあり、その中で感じた成功の秘訣と同じものを見つけたからでしょうか。

(p45より引用) 東証との一体感は、真内がそれまでのプロジェクトでは感じたことのないものだった。
危機感が共有できていました。・・・東証様がシステム開発のためにビルを借り、そこに我々も常駐しました。フロアは違いましたが、息づかいを感じられるというか、上にさえ上がればすぐに話ができました」
 優先順位も、共有できていた。
「今回のシステムでは、何を優先するのかが明確でした。機能を載せるとスピードが出ないような場合に、『両方やってくれ』という話にはなりませんでした」

 このコメントはとてもよく分かります。
 受委託という形式的な契約関係のスキームはもちろんありますが、システム構築完遂という究極の目的は同一です。役割はそれぞれ異なってはいても同じ船に乗った運命共同体です。「One Team,One Dream!」、これでなくては、決していいシステムを作り上げることはできません。

 そのほかにも、「東日本大震災の復興支援」に携わった生川慎二さんの経験も素晴らしいものです。生川さんは、被災現場で活動するNPOと連携しながら、被災地のリアルなニーズに合わせたICT活用に取り組んでいました。

(p97より引用) 生川は作業服で現地活動する。その胸ポケットの名刺入れには、会社が用意してくれた新しい名刺が入っている。所属は富士通株式会社災害支援特別チーム。本来の所属部署も、肩書きもない。
「そこに『マーケティング本部』と書かれた名刺を持って入ることは考えられませんでした。災害支援特別チームの名刺ならどこでも受け入れられました。肩書きは富士通の中でしか必要ない。被災現場では、行動する人かどうかで見られていました

そこにあるのは、自分たちの持っているすべての力を復興支援に注ぎ込もうという強い想いでした。それを支えた山本正已社長の言葉も印象的です。

(p100より引用) 「被災地支援は競争ではない。いくら寄付したか、いくら無償にしたかを競う必要はない。本当に役に立つ、地に足の着いたことをやろう」

 それから、もうひとつは「グローバル」に関する富士通の捉え方を垣間見ることができるコメント、富士通ブラジルの西口社長の経験を紹介したくだりです。

(p177より引用) 一つの仕様やルールを、世界の隅々まで渡り巡らせることではなく、その国を理解し、土地に応じて変更すること、そうするだけの柔軟性を持つことが、グローバルだというわけだ。

 これに続く「だから『グローバルなプロダクト』というのはあり得ないと思います」という西口氏の言葉はとても大事です。
 「グローバル展開を想定したプロダクト」というものはありうると思いますが、その「単一のプロダクト」がそのままの形で、世界各地で受け入れられるかといえば、決してそんなことはありません。
 この手の「短絡的グローバル思考」の過度な主張が気になっている昨今です。


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イヴの七人の娘たち (ブライアン・サイクス)

2012-10-21 09:39:18 | 本と雑誌

Mitochondrion  現代人類共通の祖先を探究する遺伝子研究がテーマです。

 キーとなる手がかりは「ミトコンドリアDNA」
 ミトコンドリアは真核生物の細胞小器官で、独自のDNA(ミトコンドリアDNA)を持ち、分裂・増殖します。当然、卵子の細胞質にも存在しますが、この卵子の中にあったミトコンドリアは受精後の細胞分裂においても引き継がれていきます。即ち、ミトコンドリアDNAは常に母性遺伝するのです。
 この性質を利用して、著者は、現代ヨーロッパ人の母系祖先を辿っていきました。

(p229より引用) チェダー渓谷の化石から、現代ヨーロッパ人と後期旧石器時代の狩人は遺伝的につながっているという物的証拠が引きだされた。これでわれわれのDNAには、歴史の黎明期を越え、鉄器時代、青銅器時代を越えて、氷、森林、そして凍原からなる古代の世界まで、とぎれることのない糸が正確に、そして忠実に記録されていることがはっきりした。・・・
 進化の歴史を再構築した結果、ヨーロッパ人のなかには七つのおもな遺伝学的群があることが明らかになった。

 今生きているほとんどすべてのヨーロッパ人は、7人のいずれかと遺伝的なつながりがあるというのです。

(p230より引用) 七つのクラスターの年代は、四万五千年前から一万年前のあいだに広がっている。・・・そして理論的には、七つのクラスターそれぞれの元となるひとつの配列は、すべてたったひとりの女性によってもたらされたということになるのだ。

 この探究の過程を綴った本書の前半部分は、なかなか興味深いものがありましたね。古代人の化石からDNAを抽出する場面などは映画にでもできると思いました。

 そして、この一連の研究から、世界60億人ひとり一人の母系祖先も突き止めらています。

(p326より引用) 遺伝学が、現代の人類の起源が過去15万年以内のアフリカにあることを明確に示している。約10万年前になると現生人類がアフリカから広がりはじめ、最終的には世界のほかの地域へと移住していった。

 彼女は「ミトコンドリア・イヴ」と名付けられました。

 さらに、本書の最後の方では、日本人についての分析の記述があります。

(p334より引用) 現代日本人の大半のミトコンドリアDNA配列が現代韓国人と共通していることから、彼らの母系祖先は弥生人以降の移民にたどることができる。・・・ミトコンドリアDNAから見て、現代日本人のなかには縄文人と弥生人が混在していることはたしかであり、ここでも、さまざまな人種をもとにした遺伝学的な分類など存在しないことが確認された。

 最終章「自分とは?」の中での著者のメッセージは、とても大事だと思います。

(p348より引用) われわれ人間は、だれもが完璧なる混血なのだ。と同時に、誰もがつながっている。

 それは、哲学的な理念ではなく、遺伝学的な事実なのです。そして、その事実は理念としても活かされなくてはなりません。


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事実の素顔 (柳田 邦男)

2012-10-18 21:45:08 | 本と雑誌

Chernobylreactor   たまたま通勤電車の中で読む文庫本が切れたので、家の本棚の奥から出してきた本です。

 今から30年近く前のものですが、チェルノブイリ原発事故をはじめとして、取り上げられているテーマには今に通じるものが数多くあります。

(p349より引用) 時代が変わるといっても、根底に流れるものの多くは、先行する時代に徴候を見せていたり顕在化していたりするものである。その意味で、日々の出来事を時代の流れという時間軸のなかで分析し検証していくことは、そのまま来るべき時代を予見する眼を持つことにつながるものだと私は思う。

 柳田氏のこの指摘は、まさに正鵠を得たものです。問題は、予見が可能だったにも関わらず、あるいは予見しながらも、何らそれが具体的教訓として活かせなかったことにあります。

 いくつもの大事故の取材経験から柳田氏が語る「エラーの本質」もまた、30年経っても不変です。

(p123より引用) 信頼性理論により高い安全性を約束されているはずの巨大技術システムが、次々に裏切られているのは、どうやら「エラーとは本質的にプリミティブ(原始的)な形で起こるものだ」という人間能力の本性を忘れているところに根本原因があるといえそうである。

 大きな事故・災害が発生した後の、リカバリー・アフターケアに対する初動の遅れについても改善はみられていません。これは、従来から米国と比較して圧倒的に劣っている点です。
 たとえば、1986年1月28日に発生したスペースシャトル・チャレンジャー事故の際の米国の様子を、柳田氏はこう紹介しています。

(p175より引用) ロサンゼルス・タイムズ紙(1月30日)は、ロサンゼルス教育委員会の「心理的危機援助チーム」が、事故発生の数時間後には、各学校に対し、予想される児童生徒の心理的障害とそれへの対応策に関する助言を通報していたことを伝えていた。・・・
 一つの事件に対し、このように心理的癒しの活動と報道が広範に展開されるということは、やはり精神医学や心理学の発達しているアメリカならではの現象であって、日本では見られないことである。

 30年前からみると今は「将来」です。ただ、この柳田氏の著作を読むと、30年という時間は、私たちの思想や社会生活に何の進歩・改善ももたらしていないと感じるところが数多くあります。
 当時、石炭・鉄鋼・国鉄等で実施された大量人員整理も、現在では、電機産業に対象が移っただけですし、あのころから、著者は、企業におけるメンタルヘルスの問題を指摘していました。

(p294より引用) 大変動を余儀なくされている石炭・造船・鉄鋼の各企業の人事セクションは、いまこそ産業医と連携して、従業員のメンタルヘルス対策に力を入れるべきである。

 反面、大きく変わったと明確に言えるものもあります。その代表例が、インターネット環境の普及によるメディア(情報流通媒体)の役割の質的変化です。
 30年前、柳田氏は、メディアの中心に「テレビ」を位置づけ、その役割をこう指摘していました。

(p88より引用) 情報伝達のスピードアップは、人々の思考までをも加速する。かくてテレビはいま、新たな課題を背負ったことになる。それは、速報時点で避け難い情報の不完全さ、偏り、誤りなどを時間をかけて検証し、あらためて正確な詳報と分析をベースにした全容ドキュメンタリーを制作することによって、人々の思考により深く寄与してほしいということである。

 「速報」と「詳報」といった役割を、どのメディアが果たしていくのか、この点については、これから先、まだまだ新たなメディアが登場するでしょうから、予測することはあまり意味がないように思います。しかしながら、「事実の伝達」と「結果の評価」という2つのミッションは、どんなメディアがその役割を担うにせよ、きちんと切り分けて、しかもバランスを取りながら琢磨されなくてはなりません。


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ローマ法王に米を食べさせた男 過疎の村を救ったスーパー公務員は何をしたか? (高野 誠鮮)

2012-10-13 09:27:35 | 本と雑誌

Mikoharamai  私のSNSでの友人が激賞していたので手に取ってみた本です。

 舞台は、過疎高齢化により“限界集落”となった石川県羽咋市の神子原地区。主人公は、その神子原地区を卓越したアイデアと不屈のチャレンジ精神で復活させた羽咋市役所職員の高野誠鮮氏、本書の著者です。

 高野氏が成し遂げた素晴らしい成果やそのドラマチックなプロセスについての紹介は本書に譲るとして、ここでは、困難な課題に取り組むにあたっての高野氏の基本姿勢が表れている部分を覚えに書き留めておきます。

 まずは、神子原米の売り込みにあたって発揮された高野氏の戦略思考・マーケティング思考を示すコメントです。

(p121より引用) 要するにストーリー性なんですよね。神小原米を買ったお客様が、これはどうでこうでと人に話したり蘊蓄を傾けたくなる商品にしたかったんです。まずはローマ法王御用達米であること。これだけでも人に話せるエピソードですよね。そして袋にはエルメスの作家を起用していることで、もう1つエピソードが加わります。

 こういう特別なエピソードの存在は、つい人に話したくなります。最も強力なプロモーションである「口づての評判」が拡散されるのです。

 もうひとつは、高野氏の「人の動かし方」。メンタリティからの切り口です。
 地域の活性化はすべての市町村の課題でしょう。「町おこし」「村おこし」の施策は、日本全国のありとあらゆるところでそれこそ山のように取り組まれています。そして、その多くが長続きせず失敗に終わっています。高野氏は、行政主導型の村おこし施策には反対です。住民の方々が真に立ち上がらないと成功しないと考えています。

(p175より引用) だったら「心おこし」を最初にやらなきゃいけないと。心をおこさない限りは、みんなのやる気がおこってこないんですよ。いくら立派な道路や立派な施設を造ったり、企業誘致をしたところで、心がおきない限りは何にもならないんです。

 そこで、高野氏が始めたのが「羽咋ギネスブック」の作成でした。羽咋の良いところを見つけること、各家の自慢を持ち寄ること・・・、こういうシンプルな営みからでも、人は活き活きとしてくるのです。

 そして、最後は、高野氏の徹底した実践を伴う「プラス思考」
 「可能性の無視は最大の悪策」というのが、高野氏の信念でした。1%でも可能性があれば、まず挑戦してみる。一言でいえば「プラス思考」ですが、それぞれの人に染み付いた考え方を変えることはなかなか簡単にはできません。ここにも高野氏流に工夫された具体的アクションがありました。

(p182より引用) どうしたらマイナスとなったところをプラスとしてとらえるか?ということです。どうすれば建設的に考えられるかというと、一度喜んでみるんです。そうすると、知恵が湧いてくるんです。

 「羽咋村から人が流出していく」。これも、喜んでみる。そうすると、「全国に散らばった羽咋村の出身者を羽咋村の物産の消費者・PRマンとして考えよう」といった発想が生まれてくるのです。

 ともかく、本書に書かれている内容は本物のリアリティに溢れています。ワクワクするような高野氏のアグレッシブな行動力は、ものすごい刺激になりますね。


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論語の新しい読み方 (宮崎 市定)

2012-10-04 23:44:05 | 本と雑誌

Analects_lunyu_rongo2  久しぶりの論語関係の本です。
 著者の宮崎市定氏は著名な東洋史学者。宮崎氏の著作は、以前「雍正帝―中国の独裁君主」を読んだことがあります。

 本書は、その宮崎氏による論語の新解釈を紹介したものです。
 いくつかの小文を採録した体裁ですが、その初章「論語の学而第一」から、まずは「注釈家」についての宮崎評です。

(p7より引用) 注釈家の通弊は、人に尻尾をつかまれることを恐れて、ひたすら無難で安易な解釈を選び、結局一番つまらない内容に落ちつかす点にある。注釈家の手にかかったならば最期、抑揚のリズムも、照応のアクセントも一切駄目にされ、どんな名文でも見違えるほど退屈な説教に化けてしまうのだ。

 孔子のことばも、漢代以降の「経学的立場」からの解釈により、元の生き生きとした真意が屈曲してしまっているとの考えです。

 宮崎氏の論語解釈にあたっての方法論は、表題作である「論語の新しい読み方」の章で開陳されています。

(p45より引用) すべてわれわれの研究の緒は疑問を持つことから始まりますが、その疑問のきっかけにはいろいろあります。意味が通らなかったり、文章がおかしかったり、特に言葉づかいが無理であったりすること、また文体が非常にアンバランスな場合、そういうときにわれわれは疑問を持つのであります。

 この疑問から発して、論語のテキストにある字句そのものの正誤を疑い、また過去の権威者による注釈を疑うのです。論語は、孔子の口から発せられた言葉を弟子たちが取りまとめた後、2000年以上の年月の中でその書の位置づけは大きく変遷しました。宮崎氏は、それら歴史的コンテクストを踏まえ、原初の孔子の言葉を探究しようと試みたのです。

 この探究に関し、宮崎氏が採った興味深い方法論が紹介されています。

(p163より引用) およそ一時代には一時代の流行があって、それが古典の解釈を意識的、無意識的に歪めてしまう結果をもたらす。・・・そのような無数の歪みの中から、当初の純正な意味を汲み出すために考えられる手段は、後世の作為そのものが生み出した破綻を発見し、その矛盾を追及して行くことが一つの手懸りを与えることになろう。

 本書の面白さは、宮崎氏流の「論語の新解釈」に加え、宮崎氏の学究に対峙する姿勢が垣間見られるところにあります。それらは、まさに、従来の研究方法に対する宮崎氏からのアンチテーゼの提示です。

(p195より引用) 従来の思想史の研究は、あまりに学派の別にとらわれすぎ、それぞれの学派ごとに思想の発展をあとづけようとするやに見受けられる点への不満である。事実は思想の発展なるものは学派の間で互いに敵対しあい、競争しあい、同時に啓発しあって実現するものなのである。

 この考えから本書の「中国古代における天と命と天命の思想」という論文において宮崎氏は、孔子から孟子に至る儒家思想の変遷の考察において、あえて墨子との対比を加えることにより、それぞれ三様の思想の位置づけの明確化を試みているのです。

 本書は、こういった様々な論語解釈の専門的な解説が中心ではありますが、「論語の新しい読み方」とのタイトルにも表れている「読み方」すなわち「読書」の意味についての宮崎氏の考えも、ところどころで開陳されています。

(p250より引用) 我々は四角な字の訓詁を専業としている間に知らず知らず、匠気に染まる所がなかったとは言えない。そういう時に違った畑の方から因習にとらわれない全く自由な意見を出されると、非常に清新な思いがする。この新鮮な感触が読書の上で何よりも貴重なのである。

 さて、最後にひとつ、宮崎氏ほどの大家であっても、否、大家であるが故の箴言を書き留めておきます。
 論語の文献学的研究の重鎮武内義雄氏の大著「論語之研究」を前にしての宮崎氏のことばです。

(p198より引用) いかに勝れたる前人の業績も、十分の自信を以て受け売りするためには改めて根本から問い直さなければいかぬものだ、ということを思い知らされたのであった。

 「学問的理解」に対する厳しくも謙虚な姿勢です。


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