OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

「葉隠」の気遣い (葉隠入門(三島 由紀夫))

2006-01-31 23:49:37 | 本と雑誌

 「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」ということばかりが有名な「葉隠」ですが、そのコンテンツには、実務的な箴言・教訓が数多く含まれています。

(p68より引用) 世に教訓をする人は多し。教訓を悦ぶ人はすくなし。まして教訓に従ふ人は稀なり。年三十も越したる者は、教訓する人もなし。されば教訓の道ふさがりて、我儘なる故、一生非を重ね、愚を増して、すたるなり。故に道を知れる人には、何とぞ馴れ近づきて教訓を受くべき事なり。

 「傍目八目の効用」「翌日の予定の立て方」「酒の席の作法」「奉公人の心構え」・・・、果ては「欠伸の止め方」まであります。
 山本常朝が「葉隠」で伝えようとしたものは、(決して後ろ向きの死生観を語るものではなく、)現実世界での前向きな姿勢を勧める至極真っ当な気構えです。

(p141より引用) 大難大変に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。大変に逢うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり。一関越えたるところなり。「水増されば船高し。」といふが如し。

 また、その言い振りは決して高みに立った物言いではありません。
 たとえば「人への忠告の仕方」はこんな感じです。

(p41より引用) 意見の仕様、大いに骨を折ることなり。・・・そもそも意見と云ふは、先づその人の請け容るるか、請け容れぬかの気をよく見分け、入魂になり、此方の言葉を平素信用せらるる様に仕なし候てより、さて次第に好きの道などより引き入れ、云ひ様種々に工夫し、時節を考へ、或は文通、或は雑談の末などの折に我が身の上の悪事を申出し、云はずして思ひ当る様にか、又は、先づよき処を褒め立て、気を引き立つ工夫を砕き、渇く時水を飲む様に請合せて、疵を直すが意見なり。されば、殊の外仕にくきものなり。・・・諸朋輩兼々入魂をし、曲を直し、一味同心に主君の御用に立つ所なれば御奉公大慈悲なり。然るに、恥をあたへては何しに直り申すべきや。

 相手の立場を慮った思いやり溢れる対応です。

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「葉隠」と三島由紀夫 (葉隠入門(三島 由紀夫))

2006-01-29 13:06:36 | 本と雑誌

  「武士道といふは死ぬ事と見付けたり」であまりに有名な「葉隠」です。
 その「葉隠」の三島由紀夫による入門書ということで興味を抱きました。

 本書のプロローグの中で三島は以下のように、自分にとっての「葉隠」を紹介しています。

(p8より引用) ここにただ一つ残る本がある。これこそ山本常朝の「葉隠」である。戦争中から読みだして、いつも自分の机の周辺に置き、以後二十数年間、折にふれて、あるページを読んで感銘を新たにした本といえば、おそらく「葉隠」一冊であろう。わけても「葉隠」は、それが非常に流行し、かつ世間から必読の書のように強制されていた戦争時代が終わったあとで、かえってわたしの中で光を放ちだした。「葉隠」は本来そのような逆説的な本であるかもしれない。

 (ただ、松岡正剛氏によると、その割には三島の読み方は不十分だということのようですが。)

 そして巻末の「『葉隠』の読み方」の章において、このように結んでいます。

(p90より引用) われわれは、ひとつの思想や理論のために死ねるという錯覚に、いつも陥りたがる。しかし「葉隠」が示しているのは、もっと容赦のない死であり、花も実もないむだな犬死にさえも、人間の死としての尊厳を持っているということを主張しているのである。もし、われわれが生の尊厳をそれほど重んじるならば、どうして死の尊厳を重んじないわけにいくであろうか。いかなる死も、それを犬死と呼ぶことはできないのである。

 この本を書いた3年後に三島は市ヶ谷駐屯地に赴いたのです。

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漱石日記② (夏目 漱石)

2006-01-28 12:25:26 | 本と雑誌

 漱石の文学・思想に大きな影響を与えた経験のひとつに、彼のロンドン留学があります。

 それについて漱石日記には、渡英の様子、英国滞在時の様子を記した「ロンドン留学日記」が収録されています。

 ロンドンでの漱石は、必ずしも現地に上手に馴染んで伸び伸びとした留学生活を送ったわけではなさそうです。時折、屈折した心情が吐露されています。

(p25より引用) 倫敦の町にて霧ある日、太陽を見よ。黒赤くして血の如し。鳶色の地に血を以て染め抜きたる太陽はこの地にあらずんば見る能わざらん。
 彼らは人に席を譲る。本邦人の如く我儘ならず。
 彼らは己の権利を主張す。本邦人の如く面倒くさがらず。
 彼らは英国を自慢す。本邦人の日本を自慢するが如し。
 いずれが自慢する価値ありや試みに思え。

 ロンドンでの生活は、実体験としての2つの想いを漱石に抱かせました。

 ひとつは、安易な西洋信仰の戒めです。
 日記の中で、漱石は、西洋が日本を理解することを期待せず、日本は日本として黙々と進むべきと記しています。

(p28より引用) 英国人なればとて文学上の智識において必ずしも我より上なりと思うなかれ。彼らの大部分は家業に忙がしくて文学などを繙く余裕はなきなり。Respectableな新聞さえ読む閑日月はなきなり。少し談しをして見れば直に分るなり。・・・かかる次第故西洋人と見て妄りに信仰すべからず。また妄りに恐るべからず。

(p31より引用) 西洋人は日本の進歩に驚く。驚くは今まで軽蔑しておった者が生意気なことをしたりいったりするので驚くなり。大部分の者は驚きもせねば知りもせぬなり。真に西洋人をして敬服せしむるには何年後のことやら分らぬなり。・・・こちらが立派なことをいっても先方の知識以上のことを言えば一向通ぜぬのみか皆これをconceitと見傚せばなり。黙ってせっせとやるべし。

 今ひとつは、西洋の先進性の現実です。
 日本の開化は西洋に叩き起こされたものであり、必ずしも真に覚醒したものではないと自覚しています。

(p46より引用) 日本は三十年前に覚めたりという。しかれども半鐘の声で急に飛び起きたるなり。その覚めたるは本当の覚めたるにあらず。狼狽しつつあるなり。ただ西洋から吸収するに急にして消化するに暇なきなり。文学も政治も商業も皆然らん。日本は真に目が醒ねばだめだ。

 当時の日本の実力(西洋諸国に比しての後進性・西洋諸国への依存性)を冷静な目で捉えています。
 しかし、その立場に止まることを決してよしとしてはいません。
 将来に向けた謙虚かつ着実な歩みをもって、近い将来、日本がひとかどの近代国家としてひとり立ちすることを強く心に期しています。

(p48より引用) 英人は天下一の強国と思えり。仏人も天下一の強国と思えり。独乙人もしか思えり。彼らは過去に歴史あることを忘れつつあるなり。羅馬は亡びたり。希臘も亡びたり。今の英国・仏国・独乙は亡ぶるの期なきか。日本は過去において比較的に満足なる歴史を有したり。比較的に満足なる現在を有しつつあり。未来は如何あるべきか。自ら得意になる勿れ。自ら棄る勿れ。黙々として牛の如くせよ。孜々として鶏の如くせよ。内を虚にして大呼する勿れ。真面目に考えよ。誠実に語れ。摯実に行え。汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となって現わるべし。

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漱石日記① (夏目 漱石)

2006-01-26 23:44:39 | 本と雑誌

Natsume_1   今流に言えば漱石Blogです。漱石の日記をそのまま収録したものなので当初から作品として意識して書かれたしたものではありません。
 完成された文芸作品とは異なりますから、したがって自ずと感じ方・楽しみ方も変わってきます。

 一冊の中に異なる時期の日記をいくつか採録されていますので、その時々たびごとの生身に近い漱石の姿を知ることができます。
 その中で「修善寺大患日記」は、伊豆修善寺での闘病生活の日々の想いを綴ったものです。
 このとき漱石は、一時危篤状態に陥ったのですが、その後の回復に向かう嬉しさが素直に伝わってきます。

(p167より引用) 九月二十一日〔水〕 昨夜始めて普通の人の如く眠りたる感あり。・・・
 爽颯の秋風椽より入る。
 嬉しい。生を九仞に失って命を一簣につなぎ得たるは嬉しい。
 生き返る われ嬉しさよ 菊の秋

(p173より引用) 九月二十六日〔月〕・・・始めて床の上に起き上りて坐りたる時、今まで横に見たる世界が竪に見えて新しき心地なり。
 竪に見て 事珍らしや 秋の山

 中には、「大正三年家庭日記」のように家庭内の不協和音をそのまま露にしているようなものもありますが、これは、奥様の方の言い分も聞かないとフェアではなさそうです。

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代数を図形で解く (中村義作・阿邊恵一)

2006-01-25 23:27:14 | 本と雑誌

 掛け算(a×b)は長方形の面積を表わすことを利用して、「(n+m)の2乗=4nm+(n-m)の2乗」がm×nの長方形を4畳半の畳の部屋のように敷き詰めた形で示されると「なるほど図を使ってこういうふうに表現できるのか」と素直に感心してしまいます。

 また、作図の問題としてもポピュラーではありますが、「ある数の平方根」が相似な直角三角形の辺の長さで表わされ、さらに3乗根・4乗根と次々続いて示されていくに至っては感動的ですらあります。

 このような数学における図の代表的なものが「座標平面上の各種の曲線」です。
 フランスの哲学者デカルトは、その有名な著書「方法序説」の中の一著作(幾何学)において解析幾何学の基礎を樹立し、2次方程式から4次方程式までの(円・直線・放物線・双曲線を用いた)図式解法を示したといいます。
 ただ高次数のケースは、必ずしも図式で表わされた解法が分かりやすいとはいえません。正直、私にとってはすこぶる難解でした。

 図式で表わされるといえば、何となく「直感的に分かりやすい」と期待してしまいますが、必ずしもそんな甘いものではないようです。

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自己観照 (夢を育てる(松下幸之助))

2006-01-22 15:31:04 | 本と雑誌

 昭和39年(1964年)電子計算機事業からの撤退に際しての松下氏の言葉です。

(p117より引用) 私は考えた。・・・これはここで思い切って撤退しようと迷わず決断したのであった。・・・そう決断して発表したものの、実際はなかなか容易ならんことであった。・・・しかし、やめる決断をしたからには、それも感受しなければならない。・・・
 会社の経営でも何でも、素直な心で見るということがきわめて大事であると思う。そうすれば、事をやっていいか悪いかの判断というものは、おのずとついてくる。傍目八目というけれど、渦中にいる自分にはなかなか自分というものが分からない。だから意地になってみたり、何かにとらわれたりして、知らず知らずのうちに判断を誤ってしまう。
 やはり、自己観照ということが大事である。特に経営者が判断をするときには、この心がまえが不可欠のように思うのである。

 経営において、新規参入よりも撤退の方がはるかに難しいとはよく言われることです。
 現在営んでいる事業ですから、様々な面で現実的なしがらみがあるでしょうし、その事業の担当者にも思い入れがあります。何とかしようと思えば思うほど、その事業にのめり込んで、周りが見えなくなってきます。客観的・俯瞰的な立場からの判断が益々できにくくなるのです。

 超大企業の創業者であり「経営の神様」と言われるほどの「カリスマ経営者」である松下氏のことばだけに、「自己観照」の勧めには格別の重みがあります。

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週休二日制の先駆け (夢を育てる(松下幸之助))

2006-01-21 00:14:09 | 本と雑誌

 今では多くの企業で定着している「週休二日制」を松下電器ではすでに昭和40年4月より実施しています。

(p85より引用) 昭和35年1月の経営方針発表会で、好況に酔うことを戒めつつ「国際競争に打ち勝つために週二日の休日を目標に働こうではないか」と次のように方針を述べたのである。
「これからは国と国との間の競争が激しくなります。・・・そのためには、・・・海外との競争に打ち勝つようにしなければならないのであります。そうなりますと、私はどうしても週二日の休みが必要になってくると思うのです。」

 ここからがその理由の説明ですが、これも松下氏一流の言い様です。
 せっかくですからそのまま引用します。

(p87より引用) 「・・・どういうわけかと申しますと、非常に毎日が忙しくなって、今までゆっくり電話をかけていたというようなことでも、ゆっくりかけていられない。三分間かけていたものでも、一分くらいですますように、しかもそれで用件がチャンと果たせるように訓練されなければならないのです。工場の生産もまたそのとおりです。つまり、八時間の労働では相当疲れるということになります。ですから、五日間働いて一日は余分に休まなければ体はもとに戻らない、ということになろうかと思います。」

 すなわち、
 海外との競争に打ち勝つためには生産力を上げなくてはならない→そのためには生産性(効率)を上げなくてなならない→そうすると集中して仕事をするので疲れるだろう→だから、それを回復させるための休息は増やさなければならない→そうしないと生産性(効率)は上がらない
という理屈です。

 私たちの単純な頭では、「生産力を上げるためには労働時間を増やす(休日を減らす)べき」と考えてしまいがちです。しかし、労働時間を増やすことによる生産力の向上には限界があります。単位時間の生産性を上げることが真の競争力の向上であることに松下氏は気付いているわけです。

 さらに、松下氏はこう語ります。

(p88より引用) 「・・・アメリカでは経済活動がどんどん向上発展していますが、それとともに、やはり人生を楽しむという時間をふやさなければならないということのために、二日の休日のうち一日をあてるのです。このように、半分は高まった生活を楽しむために休み、半分は疲労がふえぬために休むという形になって、土曜も休みになる、というように松下電器をもっていかなければ、松下電器の真の成功ではないと思うのです。・・・そうでありますから、まず、5年先には松下電器は週二日の休みをとりまして、給与もまた他の同業メーカーよりも少なくならないというようにもっていくところに、会社経営の基本方針をもたねばならないと私は思うのであります。」

 松下氏は、日本経済が一本調子の拡大基調にある高度成長期の只中で、すでに「ワークライフバランス」の重要性を先取りしていました。
 そして、その具体的施策としての「週休二日制」を達成期限を定めた会社の基本方針として掲げていたのです。

 さらにすごいことに、その実現期限の昭和40年は高度成長期が過ぎた経済の不況期であったにも関わらず、松下氏は、大きな決意をもって「週休二日制」実施に踏み切ったのでした。

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250年先のゴール (夢を育てる(松下幸之助))

2006-01-19 00:11:12 | 本と雑誌

 松下幸之助氏の本は、氏があまりにも有名過ぎたこともあり、今まで一冊も読んだことがありませんでした。

 今回手にした本は、例の日本経済新聞の連載「私の履歴書」に二度にわたって掲載された述懐をまとめたものです。ご本人の手によるものなので、全編、飾らない親しみやすい語り口で綴られています。
 もちろん、「んんん・・・」と唸るようなことばが随所に見られます。

(p36より引用) 結局生産者はこの世に物資を満たし、不自由を無くするのが務めではないか。こう気付いた私は昭和7年の5月5日を会社の創立記念日とした。・・・私が使命を知ったときとしてこの日を選んだのだ。そしてこの使命達成を250年目と決め、25年を一節、十節で完成することにした。

 松下氏は、創業後14年も経た後、改めて自らの事業における使命に気付いた日をもって「創立記念日」としたとのこと。
 さらに、その使命達成の期限がこれまたふるっています。5年、10年先が目標というのは聞いたことがありますが、250年先というのは前代未聞です。

 それほど大きな目標を定め、その目標に向かって25年ごとのマイルストーンを置く・・・、時間軸の目盛りが異次元です。

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代表的日本人(内村 鑑三)-二宮尊徳-

2006-01-17 00:12:21 | 本と雑誌

 内村鑑三が「農民聖者」として西欧社会に紹介したのが二宮尊徳でした。

 尊徳といえば、近代国家の中では「勤勉の象徴」として明治時代の修身教育に取り上げられたことで有名ですが、逆にその反動からか、最近ではその功績等について採り上げられることも少ないようです。私も、実はほとんど知りませんでした。(さすがに私の通った小学校にも薪を背負った尊徳像はありませんでしたし・・・)

 尊徳は多くの荒村の復興や藩財政の建て直しに絶大な功績を残したのですが、それは、尊徳自身の能力・努力に加え「藩主の大抜擢」があったゆえでもあります。
 封建時代において、一農民であった尊徳に荒廃地の再興という一大プロジェクトを任せることは簡単なことではありません。
 やり遂げた尊徳ももちろん立派ではありますが、尊徳を見出し、正当に評価し、身分の別なく抜擢した小田原藩主大久保忠真の「慧眼」と「決断」も素晴らしいものです。

 もう1点。
 一般的には、尊徳は「報徳思想」を唱えて農村復興運動を指導したといわれていますが、具体的なやり方は、姿勢としては「率先垂範」、手法としては「集中による成功事例の創生と水平展開」といえます。

(p108より引用) どんな規模の事業でも、尊徳が仕事にとりかかる方法は、まったく単純でした。尊徳はまず、その地方を代表する村-たいていもっとも貧しい村でしたが-そこに自分の全勢力を集中し、全力をつくして、その村を自分の方法に従わせます。これが、仕事のなかでは、常にもっとも難しい部分でした。その一村がまず救われると、そこを全地方の回心を起こす基地にいたしました。一種の伝道精神を農民改宗者のうちに起こして、自分たちが先生から助けられたように隣村を助けることを求めました。

 このあたりの説明ぶりは、キリスト者内村鑑三らしい理解にもとづく表現です。

(p108より引用) 「一村を救いうる方法は全国を救いうる。その原理は同じである」・・・「当面のひとつの仕事に全力をつくすがよい。それがいずれ、全国を救うのに役立ちうるからである」

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代表的日本人(内村 鑑三)-西郷隆盛-

2006-01-15 12:31:06 | 本と雑誌

 日清戦争のころ、内村鑑三が日本文化を西洋社会に紹介するために記した代表作です。

 著作の中では、5人の人物が様々な分野における「代表的日本人」として選ばれています。その一番手が「新日本の創設者」としての西郷隆盛です。

 特にこの章は、全著作をとおしても、かなりナショナリズム的な書きぶりになっています。が、ここでは、現代でも通じる(ある意味では西郷でなくても語りそうな)箴言をご紹介します。

(p42より引用) 機会には二種ある。求めずに訪れる機会と我々の作る機会とである。世間でふつうにいう機会は前者である。しかし真の機会は、時勢に応じ理にかなって我々の行動するときに訪れるものである。大事なときには、機会は我々が作り出さなければならない。

 信念をもって動くべきときには動く、立つべきときには立つということです。
 倒幕運動、征韓論、西南戦争と、その時々で西郷を動かしたものは様々ですが、彼は立ち上がりました。

(p47より引用) (左伝を引いて)けちな農夫は種を惜しんで蒔き、座して秋の収穫を待つ。もたらされるものは餓死のみである。良い農夫は良い種を蒔き、全力をつくして育てる。穀物は百倍の実りをもたらし、農夫の収穫はあり余る。ただ集めることを図るものは、収穫することを知るだけで、植え育てることを知らない。賢者は植え育てることに精をだすので、収穫は求めなくても訪れる。
 徳に励む者には、財は求めなくても生じる。したがって、世の人が損と呼ぶものは損ではなく、得と呼ぶものは得ではない。いにしえの聖人は、民を恵み、与えることを得とみて、民から取ることを損とみた。今は、まるで反対だ。

 「敬天愛人」を座右の銘とした西郷は、「徳」の人でした。
 勝海舟は、「氷川清話」の中で「おれは、今迄に天下で恐ろしいものを二人見た」といい、その一人は横井小楠、今一人が西郷でした。

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ワークライフバランス in パパラギ

2006-01-14 11:46:17 | 本と雑誌

 ふとっちょパパさんからコメントをいただきましたので、もうひとつ「パパラギ」関連のお話です。

(パパラギ p60-より引用) パパラギは、いつも時間に不満足だから、大いなる心に向かって不平を言う。
「どうしてもっと時間をくれないのです」
そう、彼は日々の新しい1日を、がっちり決めた計画で小さく分けて粉々にすることで、神と神の大きな知恵を瀆してしまう。柔らかいヤシの実をナタでみじんに切るのとまったく同じように、彼は1日を切り刻む。・・・
かりに白人が、何かやりたいという欲望を持つとする。その方に心が動くだろう。・・・
しかしそのとき彼は、「いや、楽しんでなどいられない。おれにはひまがないのだ」という考えにとり憑かれる。だからたいてい欲望はしぼんでしまう。時間はそこにある。あってもまったく見ようとはしない。彼は自分の時間をうばう無数のものの名まえをあげ、楽しみも喜びも持てない仕事の前へ、ぶつくさ不平を言いながらしゃがんでしまう。・・・
やっとひまができたときには、もう欲望は消えていたり、さもなければ、おもしろくもない仕事で疲れていたりする。こうしてパパラギはいつでも、明日しようと思う。時間があるのは今日だのに。

 ツイアビは自分で時間に追われているパパラギ(ヨーロッパ人)の姿を不思議な目で見ています。
 やりたいことがあるのに、自ら時間を切り刻んでそこに自ら楽しくもない用事を埋め込んで時間がないと頭を抱えている姿。今日の時間をなぜ今日のために使わないのかツイアビには全く理解できないのです。

(パパラギ p66より引用) 私たちは、・・・彼らに教えてやらねばならない、日の出から日の入りまで、ひとりの人間には使いきれないほどたくさんの時間があることを。

 時間はないのではないのです。確実にあるのです。粉々に切り刻むと、かえって時間は見えなくなってしまいます。
 時には、時間をそのままのかたまりとして、無造作に扱うことができればと思います。無為に過ごすのではなく、そのままに過ごすという感じでしょうか。

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わからない」という方法 (橋本 治)

2006-01-11 00:16:17 | 本と雑誌

 私も初めて橋本氏の著作を読んだのですが、確かに(多くの読者が、また橋本氏自身も認めているように)「くどい」というのが第一印象でした。

 著作の結論は、最終章の20~30ページでまとめられています。
 ただ、ここだけ読んで済むという代物でもありません。ここに至る各章の縷々綿々としたプロセスの記述を辿ってこそ、ようやくまとめ(らしきもの)の意味が理解できるというからくりです。

(p226より引用) この本で私が繰り返し言うことは、「なんでも間単に“そうか、わかった”と言えるような便利な“正解”はもうない」である。・・・私は「新しい方法」を提唱しているのではなく、「人の言う方法に頼るべき時代は終わった」と言っているだけなのである。

 ここで指摘している「現代は正解のない世界だ」とか「正解を見つける、正解を教わるということは通用しなくなった」という点については、別に橋本氏が初めて指摘したわけではなく、すでに10年以上前からいろいろな人が言っています。
 たとえば、このBlogでも紹介しましたが、「正解信仰」といういい方で苅谷剛彦氏も著書「知的複眼思考法」のなかで言及しています。
 また、自分の頭で考えることについても、同じく多くの人が主張しています。(たとえば、本Blogではお馴染みのショーペンハウエルも語っています。)

 そういう観点では、橋本氏の指摘は特に目新しいものではないのですが、そういった状況に対する処方箋を「『わからない』という方法」というキャッチコピーとともに独自の方法論の姿で提示しているのが彼流です。
 ただ、一見How To本的に見える看板を掲げながらも、その中は、さすがに「あんちょこもの」ではありません。橋本氏の「わからない」を侮ってはいけません。

(p234より引用) 「するべき必要」を自分で察知して、自分でさっさとマスターする。私の「わからない」は、その上にある。

 彼のスタートラインは、素人っぽいことばとは裏腹にものすごく高いところにあるのです。

(p104より引用) 「わかるべきこととはいかなることか」を知るのは、「至るべきゴールの認識」である。それがわかれば、後は努力だけである。

(p248より引用) 私は「めんどうくさいことをやる」ということに関しての覚悟ばかりはできている。私には、それ以外の方法がないのである。私の「わからない」や「できない」は、その下地の上に載っている。

 「わからない」という方法は「地道に面倒くさがらないでやること」と言います。が、これを徹底的にやりぬくのは並大抵ではありません。本書に記された「地を這う方法」としての「桃尻語訳枕草子」のプロセス例をみれば明らかです。
 彼は、「方向性を指し示す磁針(方位磁石)をもちつつ、とことん地を這う」ことを求めているのです。

(p206より引用) 「迷っている内に、迷っていること自体が正解を掘り当てる」-「黙ってトンネルを掘っていると、そのトンネルが先へ進んで、そのトンネルのある地層も理解される」である。それが、「地を這う方法」なのである。

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美しい風景

2006-01-09 09:06:36 | 日記・エッセイ・コラム

 「悪い景観100景」というホームページがあります。
 これは「美しい景観を創る会」のメンバーが、日本の都市・農村・漁村などの景観の中から「悪い景観事例」を選定したものとのことです。

 最近、とみに「景観」が話題にのぼることが多くなったように思います。私の住んでいる街でもJR駅舎の保存の是非が喧しく議論されています。
 この流行は、もちろん環境問題への関心の高まりによるものでしょうが、行政的側面からは「景観緑三法」が施行されたことが背景にあるようです。

 昨年末あたりから、その悪しき例の象徴的なものとしては、東京日本橋付近の景観が取りざたされています。
 私も何度か通っていますが、確かに頭上を高速道路が覆いかぶさって決して気分のいい場所ではありません。「これがあの日本橋?」という感覚は私ならずとも訪れた方々は思うことでしょう。
 「日本橋の青空復活2016年めざし、国交省が調査費」といった報道も見られます。

 風景の大事さは否定しません。非常に重要なことです。
 ただ、たとえば日本橋の首都高速道路のルート変更に数千億円かかるということになると、ちょと気になり始めます。
 この手の話は、「景観を守れという人」「その地に直接のかかわりのある人(住んでいる人)」「その保全・改善ために負担する人」が別々の場合が多いのです。特に「負担する人」はこれによりメリットを受ける人ではなく、場合によっては知らないうちに負担させられてしまうのです。

 大事にしなくてはならない風景は、まだまだいくらでもありますし、それは、そんなにお金をかけなくても大切にできるはずです。

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時は金なり

2006-01-07 00:51:50 | ブログ

 この格言はアメリカの科学者であり政治家であったベンジャミン・フランクリンの言です。

 フランクリン『若き職人への助言』の中で次のように述べている。

 『時は金なりということを忘れてはならない。自らの労働により一日10シリング稼げる者が、半日ぶらぶらし、その怠けている間にたとえ6ペンスしか使わなかったとしても、それだけを出費と考えるべきではない。かれはさらに5シリングを使った、というかむしろ捨てたのである。』

 しかし、フランクリンは続いて次のようにも述べている。

 『信用は金なりということを忘れてはならない。金は増えていくということを忘れてはならない。五シリングを回転させれば、六シリングとなり、さらに回転させれば七シリング三ペンスとなり、ついには1百ポンドともなる。子を生む豚を殺す者は、千代の後までもその子孫の豚を殺したことになる。』

 この諺はいろいろな教訓として語られます。
 ものすごく即物的な解釈をすると、「時間とお金の関係」は「利息」になります。すなわち、100万円銀行に預けておくとたとえば10年後には105万円になるわけで、まさに、「10年=5万円」→「時は金なり」ということです。

 が、ここでは、「時間は資源だ」という趣旨で話をしましょう。
 時間を「資源」だと考えると、単に「時間(資源)を節約」すればいいということにはなりません。資源は「利用」しなくては意味がありません。
 満員の「通勤特快」で25分ギュウギュウ詰めで10分会社に着く時間を速くするのと、10分プラスの時間がかかっても「快速」でちょっと隙間のある中で35分の本を読む時間をつくるのと、さて、トータルでの時間の使い方はどちらの方が有益かということです。

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橋本治流の記憶 (「わからない」という方法(橋本 治))

2006-01-05 00:28:50 | 本と雑誌

 この本も、先に紹介した「〈数学〉を読む」で薦められたものです。

(p157より引用) 暗記とは、「思考を一時的に停止させる忍耐の時間」である。「記憶する」とは、「脳が情報を自分の中に定着させる」なのであって、脳はその作業に全力を費やしている。つまり、脳がそれをしている間、情報収集はストップさせられるのである。

(p157より引用) つまり、情報の収集は無意識を動員してするものなのである。そうして、脳の中になんでも囲い込む。整理とは、その記憶のゴミの山に入り込んで、ゴミの山から、ある道筋に従って、意味のあるものを拾い出す作業である。

 このあたりの記述は、ショウペンハウエルが「知性について」で述べている「記憶のふたつの様式」と基本的には同じような趣旨です

 特に「暗記」については、ショウペンハウエル流には「故意に記憶に刻みつける場合」にあたります。

 もう一方の記憶≒情報の収集については、両者の考えは微妙に異なっているようにも思えます。橋本氏の「無意識を動員して」という点と、ショウペンハウエルの「客観的関心に基づく」という点の差です。
 その点につき我田引水的に整合性をとろうとすると、以下のような感じかと思います。(もちろん、あえて整合性をとる必要もないのですが、私自身の理解のすわりの悪さを少しでも解消したいので・・・)
 すなわち、ショウペンハウエルのいう「客観的関心」は主観的でないという意味で「(強く)意識されないで」という状態になる、その結果「無意識」という状態に極めて近くなると言えるのでは、という考え方です。

 ショウペンハウエルも、(客観的関心を抱くことにより)「多くの物事がこのようにおのずから記憶にとどまる」と言っています。橋本流には「脳の中になんでも囲い込む」ということかも知れません

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