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ザ・グレート・フライト JALを飛んだ42年 太陽は西からも昇る (小林 宏之)

2012-09-28 22:05:58 | 本と雑誌

Japan_airlines_logo  現在は、航空評論家として活躍している小林宏之氏の、42年間に及ぶパイロット生活の回顧録です。

 小林氏の現役時代の総飛行時間は1万8500時間、日本航空が就航していたすべての国際線を飛んだ唯一のパイロット。
 そのフライトの中には、総理専用機の機長をはじめ、湾岸危機・イラン/イラク戦争時の邦人救出機の機長といった特別なミッションも含まれています。
 本書の内容は、その小林氏自らの筆による現場経験からの肉声だけに、語られるエピソードのリアリティが光ります。

 ここでは、それらの興味深い記述は本書に譲ることとし、航空事故撲滅・危機管理といった観点からの小林氏の昨今の主張をひとつ書き留めておきます。
 航空機事故に対する刑事捜査の弊害についてです。

 日本においては航空機事故にいわゆる「事件性」がなくても警察の捜査が入ります。その立件の証拠として「事故調査報告書」が採用されることがあるのですが、小林氏はその点を問題視しています。

(p145より引用) 事故調査報告書は、運輸安全委員会が再発防止の目的で作成する最終報告書であり、同委員会から聴取される事故当事者は、自分への利益・不利益を問わず、正確な報告が求められるのは言うまでもない。これが刑事捜査の証拠に採用されてしまうと、自らが「容疑者」となりかねない事実には口を閉ざしてしまう当事者が出る可能性がある。

 小林氏の主張のベースには、「航空機事故の発生原因は多岐にわたる要因の複合によるものであり、個別人物のみの責任に負わせる類のものではない」との認識があります。それゆえ、事故調査は「誰のせいか」の究明に過度に注力するのではなく、広く、「事故再発防止」の観点からの要因追及に軸足を置くべきだと考えているのです。

 さて、通常の定年退職後、再び広報部付機長として勤務した小林氏ですが、その幕引きは、JALの経営破綻がきっかけでした。現場の責任者としての小林氏の目にも、経営の綻びははっきりと見えていましたが、他方、小林氏の心の根底には、JALの矜持ともいえる姿勢もまた染み付いていました。

(p210より引用) JALはコスト意識が低い、という批判は枚挙に暇がない。だが、見方を変えれば、採算を度外視し、リスクを伴う損な役目を敢えて担っていたのがJALでもある。

 この点については、批判的な考えもあると思います。が、いくつもの海外の緊急事態における救出フライトへの貢献や安全品質維持を目指した取り組み等、利益至上主義とは一線を画する企業姿勢も否定できないとも思います。(このあたり、私としても少々心情は理解できます)
 野放図な無駄の許容は甘えでしかありませんが、意図したリスクテイキングは評価すべきです。

 そして、最後に、小林氏が語る63歳まで機長として飛び続けることができた秘訣。

(p228より引用) それは、「自分はけっして優秀ではない」「何歳になってもベテランではない」「人間はどんなに一所懸命頑張ってもエラーをすることがある」「安全を確保するには愚直なまでに基本と確認を徹底するだけ」、という信念の元、みんなの協力を得ながらやってきたからだ。

 小林氏自身の不断の努力と、氏を取り巻くすべての人々の協力の賜物です。


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疑う力 (西成 活裕)

2012-09-22 09:16:38 | 本と雑誌

Joker_black  著者の西成活裕氏は「渋滞学」の提唱者。以前にも西成氏の著作は「クルマの渋滞 アリの行列」「とんでもなく役に立つ数学」を読んだことがあります。
 今回のテーマは「疑うことの効用」です。

 本書で、著者が紹介している「疑う」ことを科学する分析スキームは「IMV分析」と呼ばれるものです。「I」は、「伝え手の真意(Intention=意図)」、「M」は、「伝え手から発せられたもの(Message=伝達情報)」、「V」は、「受け手の解釈(View=見解)」のことで、これらの組み合わせごとに議論を進めていきます。

(p56より引用)
①「I=M=V=I」
②「I=M≠V≠I」
③「I≠M=V≠I」
④「I≠M≠V=I」
⑤「I≠M≠V≠I」
 つまり、何を聞いて、どう受け取るかは、数学的には五通りしかないことがわかります。・・・この五通りを全部研究すれば、「疑う」に関するすべてのことがわかるのです。

 ただ、この五通りのうち①は完全な理解、⑤は完全な誤解なので、「疑う」という事象が生じるのは②③④の三通りになります。第二章では、この「IMV分析」を用いての具体例の解説が並びます。

 とはいえ、次の第三章以降では、この「IMV分析」はあまり前面には出てきません。よくある数字・統計データの見方の注意であったり、ごく初歩的な行動経済学の適用例であったりと、急に目新しさがなくなります。さらに、それぞれの項目の解説が極めて表層的で、説得力があまりにも貧弱と言わざるを得ません。

 強いて、改めて意識しておきたいと感じたのは、「排中律の罠」での示唆ぐらいでした。
 「排中律」とは、真ん中を排する、すなわち、こちらが正しいか、あちらが正しいかの二者択一を迫る論理です。

(p161より引用) この排中律も、騙されやすいパターンの典型です。現実には、ほかの選択肢はいくらでもあります。したがって排中律の論理で語られるものは、すべて疑ってかかる必要があります。・・・相手が二者択一を迫ってきたとき、瞬時に「第三の選択肢」を思い浮かべられる人は強いです。

 多くの場合、強く二者択一を迫られると、その土俵に縛られてしまい思考が停止してしまいがちです。最近では、消費税増税議論がその典型的なケースと言えるでしょう。最終的な「決断の瞬間」は、やるかやらないかの二者択一になりますが、目的実現の手段の検討フェーズでは、安易な排中律は極めて危険です。

(p214より引用) 疑う、そして信じる、この両者を行ったり来たりすることが、まさに人間らしさをつくっているのだと思います。この矛盾を抱えて生きること、その葛藤のダイナミズムの中で個性が生まれ、それがその人の魅力になっていくのです。

 矛盾の存在を前提としてジレンマ・トリレンマを抱えた現代を生きるための、著者の基本的な考えです。
 

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科学は歴史をどう変えてきたか: その力・証拠・情熱 (M.モーズリー/J.リンチ)

2012-09-15 08:19:23 | 本と雑誌

Watt_james_von_breda  イギリスBBC製作の「科学の歴史」をテーマにしたシリーズ番組と連携して出版された本です。

 「宇宙」「物質」「生命」「エネルギー」「人体」「脳」の6つのジャンルを掲げて、古代から現代に至る歴史の流れの中での「科学」の位置づけを辿っていきます。図絵が豊富で、どのジャンルをとってみても面白いエピソードが満載です。

 たとえば、「エネルギー」の章で語られている、イギリスの産業革命期における科学の位置づけについてのくだりです。

 科学は、学術的な観点からは純粋に「理論」の世界ですが、他方、実社会に資するリアルなものとしての「技術」の側面も持っています。ジェイムズ・ワットの功績に代表される18世紀のイギリスで発展した「蒸気機関」。熱エネルギーを運動エネルギーに変換したものですが、こちらは「技術」が「理論」に先行した事例です。

(p166より引用) 目覚しい蒸気機関の活躍に対し、蒸気機関の原理などの理論的側面についての研究は大きく遅れをとっていた。例えば当時はまだ、熱は物質であるなどと考えられていたのだ。「エネルギーとは何か」などという疑問は、エネルギーで一儲けしようとしていた人たちにとっては大した問題ではなかったのだ。

 もうひとつ、私の関心を惹いたのが、「脳」の章で紹介されたフランスの哲学者ルネ・デカルトの思想と脳の役割との関係についてです。

(p245より引用) デカルトの理論では、脳は体を支配する座にあって体は脳に逆らえない。そして、潜在意識による行為は反射によるものと考えた。また、物理的な刺激は神経内の繊維を緊張または弛緩させ、それに応じて筋肉も収縮、弛緩すると考えた。

 精神と肉体とを切り離して考える心身二元論は、人間の持つ精神が肉体を司るものだと捉えることを認めました。そして、デカルトは、その精神の場を脳内にある松果体にあると考えたのです。「脳が身体をコントロールしている」、1649年に著された「情念論」の中で説かれている主張です。

 さて、本書ですが、内容はとてもユニークでした。科学が社会に与えた影響に加え、印刷や電信といった新技術や郵便・鉄道といった社会インフラが、科学の発展に大きく寄与した点についても言及されています。

 古代から現代に至る科学史をざっくりと振り返る意味でも有益ですし、歴史上の有名なエポックの中での科学の関わり、すなわちその位置づけや意味づけにも気づかせてくれるとても興味深い本でした。
 

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ぼくが世の中に学んだこと (鎌田 慧)

2012-09-10 21:49:50 | 本と雑誌

Modern_times_poster  著者の鎌田慧氏は、社会的弱者の視点に立ったルポルタージュを数多く執筆しているジャーナリストです。
 本書は、その鎌田氏の若き日の実体験の紹介であると同時に、現代の若者に対する熱きメッセージのプレゼンテーションでもあります。

 1960年代、日本の高度成長期の製造業の現場は、過酷な労働環境下にありました。鎌田氏は、自ら工員としてそれら工場の労働現場に入り込み、その実態をレポートしました。

 たとえば、北九州工業地帯の中核事業所である八幡製鉄所では、タコ部屋とも言われる「労働下宿」に入り、自ら最も危険な作業に従事しました。

(p119より引用) 「製鉄所で、ケガ、いうのはないよ。ほとんど死ぬからね」
というのが大高さんの口ぐせだった。

 不景気になると「ドヤ街」の安宿に人々が流れ込んでいきます。一度「市民社会」からこぼれ落ちた人びとが、もとの生活に戻ることは極めて困難です。

(p127より引用) 世の中に貧しさが多ければ多いほど、不自由に生きなければならないひとがふえる。どんなあぶない仕事をおしつけられても、生活するためにはそれを受け入れざるをえないからである。

 一週間で鎌田氏は労働下宿から逃げ出しました。連日の苛烈な肉体労働。さすがに、想像を超えた劣悪な作業環境を目の当たりにし、健康上持たないと感じたのでした。

 そして、次に取り組んだのは、自動車工場でのコンベア労働の実態報告でした。行先は、当時生産性向上運動を強力に推し進めていたトヨタの本社工場です。そこでの仕事は、一日中、部品の組み立て。全く同じ作業を毎日毎日ただ繰り返すのです。

(p144より引用) 「ストップウォッチとコンピュータが相手だから、人間が疲れるのはあたりまえだよ」
 ぼくたちの動作は、技術者がストップウォッチで計って、ギリギリのスピードに計算されたものだったのだ。その日、どんな車種のものをなん台、どんな順序でつくるかは、コンピュータによって指示される。機械の指示に息もたえだえとなった人間がはたらかされる。コンベアの中には、なんの自由もない。

 機械のように正確で単調な仕事を、人間が機械の指示によりやらされる。「トヨタ生産方式」の現場です。

 現在では、鉱工業におけるかなりの作業は無人化・ロボット化が進んでいるのでしょうが、当時は、こんなふうに言われていました。

(p220より引用) コンピュータやロボットは科学の発達をあらわしている。近代化、合理化といわれ、日本が明るい社会にむかって進んでいるようにいわれたりしている。しかし、人間の命を救うためには、その科学技術の発達はさほど役立てられてはいない。・・・
 「月に石をとりにいく技術はあっても、人間を救うために技術は使われていない」
と三井三池の犠牲者の家族はいった。

 よりよい労働環境実現のために活用できる科学技術の成果は、それこそ山のようにあるはずです。それを使うかどうかという「意思」の問題であり、「人間の尊厳」に対する価値観の問題です。

(p230より引用) こころの底からのギリギリのことばに対して、高学歴や権力のことばは役にたたない。

 人間らしく生きることを求めてこころの底から絞り出す声、著者が、実際の作業現場で働く人々から教えられたとても大切な気づきです。


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日本企業にいま大切なこと (野中郁次郎・遠藤功)

2012-09-05 22:16:31 | 本と雑誌

Fukkou  以前参加していたセミナーの事務局からお送りいただいた本です。「知識創造理論」の提唱者野中郁次郎氏と「見える化」による企業の改善活動の推進者遠藤功氏による共著です。
 内容は、東日本大震災で大きなダメージを受けた日本企業に対する、著者たちからの再生に向けたエールでもあります。

 本書における野中氏の主張を通底しているコンセプトは、件の「フロネシス(賢慮)」。アリストテレスの思想に遡る「共通善」を価値基準とした「実践知」です。その基本コンセプトを踏まえて、遠藤氏は、得意の現場目線での自説を展開しています。

 たとえば、「東日本大震災を経た日本企業に必要なもの」について。
 遠藤氏は、それは自社利益だけでなく社会全体の復興を目指す強い意欲だと主張しています。そして、改めて「稼ぐ」ことが、この社会全体の復興という「共通善」実現の源となると説いています。

(p57より引用) 震災で傷ついた国の復興のためにも、企業自身が「緩慢な衰退」から脱却するためにも、私たちはもう一度「エコノミック・アニマル」に戻らなければいけない。

 この「エコノミック・アニマル」への回帰は、「理論」より「現場」を重視した日本的経営手法の再評価でもあります。

 まさに今、見直されるべき日本的経営手法のひとつは、「イノベーション」を生み出すスタイルです。このあたりは野中氏の得意分野、こんなふうに語っています。

(p81より引用) 「創造とは一回性のなかに普遍を見ることだ」という言葉もあります。取るに足らない日常風景や他者とのやりとりのなかに潜んでいる小さな「コト」から、大きな変化の可能性に気づけるかどうか、イノベーションにはそれが重要であり、その気づきはふだんの連続性のなかからしか得られないのです。

 イノベーションは、形式知にもとづく論理的な演繹法からは生まれない、経験から得た深く多彩な暗黙知とその関係性を洞察した帰納法から生まれるのだというのが、野中氏の主張です。

 この日本的経営手法の成功例として常に挙げられるのが「トヨタ」でした。しかし、近年、このトヨタの愚直なまでの品質管理にも綻びが見えてきました。

(p87より引用) 現場で異変に気づく「センサー機能」が劣化しているだけではなく、現場で感じ取った問題を関係者に伝える「伝達機能」も衰えているにちがいありません。

 こういう「組織としての感度の低下」は、グローバル化に代表される経営環境の質的な変化がひとつの外的要因といえるでしょう。
 この点に関しては、グローバル化との掛け声のもと事業拡大という「体格」の追求にシフトし過ぎて、日本独自の「体質」を犠牲にした結果だというのが遠藤氏の論です。

 さて、本書を読み通してみて、こういったメインテーマのコンテクストの外に、ちょっと気になるコメントがいくつかありました。

 たとえば、日本企業が重視する「コンセンサス」についての遠藤氏の評価。

(p163より引用) コンセンサスが意味をもつのは、たとえそこに時間を費やしても、ひとたび合意が得られれば一致団結して事に当たり、トータルで見ればよりスピーディに目的を達成することができるからです。コンセンサス自体が目的化してしまい、根回しばかりに気を取られ、決断を先延ばしにするのでは、なんの意味もありません。

 もうひとつ、「現場力」について。

(p165より引用) 重要なのは、現場に落ちている小さなヒント(点)を大きなコンセプトに昇華させるセンスや能力です。その現場力を磨き上げるには、単純にコンピテンシーなどの一般的なものさしで人材を評価するのではなく、一人ひとりの個性を人間対人間の関係性のなかで見極めることが大事です。

 いずれも、まったくそのとおり、大いに首肯できる内容ですね。


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