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細胞の中の分子生物学 最新・生命科学入門 (森 和俊)

2016-08-28 23:53:43 | 本と雑誌

 ブクログという書籍サイトから頂いたので読んでみました。
 細胞内で営まれているの生命活動の基本機能を平易な言葉で解説してくれます。

 ただ、言葉は平易ですが、内容は私にとっては「入門書」の域を越えていました。
 たとえば、遺伝子とゲノムについて説明しているくだり。


(p63より引用) ゲノムとは、ある生物種を規定する遺伝子情報の総体です。・・・「その生物が持つDNAの全塩基配列」ということなのです。


 「ゲノム=遺伝子」ではありません。「ゲノム⊃遺伝子」です。


(p64より引用) プラモデルをつくる時になぞらえてみましょう。遺伝子はタンパク質のアミノ酸配列を暗号化している領域なので、プラモデルの個々の部品に相当します。プラモデルを作ろうとして、・・・どの部品とどの部品をくっつけて、どこに置くかを順番に指示してくれる設計図がやはり必要でしょう。
 それと同様に、ゲノムという設計図には、個々の遺伝子をいつ、どこで、どれくらい働かせるかという情報が書き込まれています。


 この程度の内容なら誰でも理解できると思いますが、DNAに書き込まれた遺伝情報がRNAに写し取られる「転写」や、RNAに写し取られた遺伝情報がタンパク質のアミノ酸配列に転換される「翻訳」のプロセスの詳細な説明になるともうだめです。mRNA、RNAポリメラーゼ、キャップ形成因子、TATAボックス・・・???

 しかし、著者の解説を読めば読むほど生命の礎としての「遺伝の仕掛け」に驚愕せざるを得ません。
 一体どういったプロセスでこういった仕組みができあがったのか・・・、近年、“人工知能が人間を超える”といったニュースが話題になっていますが、「人工」が「生命」を超えることは絶対にないだろうと思いますね。こういう仕組みだと分かったとしても、そういう仕組みを「0」から創り出すことは・・・、まさに生命の驚異・宇宙の神秘です。

 たとえば、細胞内でのタンパク質生成のプロセスの一部を説明しているくだりです。


(p181より引用) 小胞体を工場になぞらえてみましょう。工場である小胞体では、ベルトコンベアーから製品が流れてくるように、タンパク質が小胞体膜結合性リボソームのトンネルを通り、さらに小胞体膜にある狭い穴(トランスロコン)を抜けて小胞体に入ってきます。すると、従業員が製品を完成させるように、多数の分子シャベロンが関わってタンパク質の高次構造形成を手助けします。完成品ができて、検査員が合格と認めると製品が出荷されますが、小胞体内でも分子シャベロンが検査員の役割を担い、正しい高次構造を形成したタンパク質だけがゴルジ体に小胞輸送されます。


 こういったタンパク質の生成にはじまり、小胞体ストレス応答として解明された自律的な修復や破壊のプロセスまでがゲノムに組み込まれて実際駆動しているのですね・・・。

 さて、本書は京都大学での著者の講義内容を書籍化したものとのことですが、「おわりに」に記された著者のメッセージを最後に書き留めておきます。


(p235より引用) シャベロンは、・・・一時的に寄り添うことによって、タンパク質が本来持っている(アンフィンゼンのドグマに基づく)高次構造形成能力を引き出しています。私も若い研究者たちのシャベロンでありたいと願っています。
 立てた目標に向かって一直線に突き進んでいくことができる人は滅多にいません。さまざまな困難が立ちはだかります。私の人生もそうです。ですが、私たちのDNAは二重らせんです。目標を見失わないで前へ進めば、たとえ遠回りであっても、らせん階段を登るように、徐々に目標に近づいていきます。上を向いて行きましょう。


 教育者、学究の先達としての著者の励ましの言葉ですね。

 

細胞の中の分子生物学 最新・生命科学入門 (ブルーバックス)
森 和俊
講談社
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芸人 (永 六輔)

2016-08-20 23:06:56 | 本と雑誌

 永六輔さん野沢那智さん愛川欣也さん・・・と並んで、深夜放送の中での私の思い出の方です。

 本書は、今から20年ほど前の著作です。永さんの語り口そのままが嬉しいですね。
 本書の構成ですが、かなりの部分は「芸人」やその周辺をテーマにした「語録」の紹介です。とはいえ、有名人の言葉ばかりを採録したわけではありません。むしろ永さんは、圧倒的に無名の人々の言葉を数多く選び出しました。それは永さんの考えや価値観が間接的に投影されているともいえます。
 それらの中からいくつか私が気になったものを書き留めておきます。

 まずは、「最近の芸人」を評して。(この本での時間は、今から20年ほど前が基点であることを常に意識してください)


(p5より引用) 「むかしの芸人は芸の上手下手が人気をわけました。
 ちかごろの芸人は運が良いか悪いかです」


 そして、次は「最近の客」です。


(p8より引用) 「客がよくなきゃ芸人は育ちません。
 芸人が育つような客は少なくなりました


 このあたりのところは、寄席や芝居小屋でもそうなのでしょうが、とりわけテレビの悪弊が際立っていますね。


(p123より引用) いま、テレビがあらゆる芸人の「送り手」になっていますが、テレビは芸人をつぶしていないでしょうか。
 若い世代の芸人志向は目を見張るばかりです。・・・
 有名になりたいという夢がかなって有名になっても、支える芸は何もないという現実
 そして、そのことを別に恥ずかしいと思わないという感性
 「何もできない芸人」という芸人が生まれつつあるわけです。


 この点は永さんの仰るとおりですが、そういう「芸人」が存在する場があるのも現実です。メディアや視聴者が次々に「芸人」を消費している刹那の場であったとしても、すでに20年以上存続しています。
 こういった場での芸人は「芸」を披露することは求められていません。というより、最近の「芸人」の「芸」は、ひな壇での気の利いた「ひと言力」になってしまったのかもしれないですね。


(p188より引用) このところ、「知識人の芸人志向」と「芸人の知識人志向」が流行のようであり、さらに「若者の芸人志向」も強くなっている。
 みんなが人生を演じはじめたとすると、その疲れがどこに出てくるか、不安である。


 また、全く別の切り口ですが、旧来型の「芸」に関してこういった声があることも永さんは紹介しています。


(p48より引用) 「街角で紙芝居をやると道交法、
 広場で紙芝居をやると公園法。
 紙芝居を取り締まる法律は揃ってますが、
 守ってくれる法律はありません


 街場の芸はどこで生き続けることができるのでしょうか。それは、市井の人々に受け入れられ続けていた流行歌や演芸の世界においても同じです。大いに気になるところです。


(p155より引用) 今後、ひとつの歌が、ひとつの笑いが、人生の味わいを深くしたり、感動したり、刺激されたりというかたちで、芸と芸能の世界が展開していくかどうか。
 そうして、芸人がどう生きるべきか。


 さて、本書のあとがきに、こういう一節がありました。


(p189より引用) 芸人は自分の人生とは別に、芸人としての人生があり、その虚構のなかで生きていくことが多い
 さらにいえば、人びとの記憶のなかで生きている存在なのだ


 前段は当てはまらないかもしれませんが、後段はまさに永さんご自身がそうなってしまわれたのですね。

 

芸人 (岩波新書)
永 六輔
岩波書店
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ヒロシマ (ジョン・ハーシー)

2016-08-14 21:44:44 | 本と雑誌

 この時期には、毎年一冊は戦争関係の本を読もうと心がけています。
 本書はピュリッツァ賞作家ジョン・ハーシー氏による史上初の原爆被害記録だということで手に取ってみました。

 原爆投下から間もないころ1946年の取材による本編は、本書の訳者である谷本清牧師を含む6名の被爆体験が描かれています。谷本牧師以外の他の方は、東洋製缶工場の人事課員佐々木とし子さん、医師藤井正和博士、仕立屋の主婦中村初代さん、イエズス会ドイツ人司祭クラインゾルゲ神父、赤十字病院外科医佐々木輝文医師です。1945年8月6日8時15分、市内で原爆に見舞われながら幸いにも命を保ったみなさんです。原爆が閃光を放ったとき、いったい何が起こったのか見当もつかなかったといいます。そして、その瞬間から、各々それまでとは全く別世界で生きていかなくてはなりませんでした。

 たとえば、佐々木輝文医師。自身も被爆しましたが、その直後から赤十字病院には次々と何が起こったのか想像もできないような負傷者が集まってきました。


(p32より引用) ただの一撃で、人口24万5000の都会で、即死もしくは致命傷10万人、負傷者10万人以上にのぼった。少なくとも1万人の負傷者が、この市内随一の病院に押しかけたのだが、病床は600にすぎず、それも全部ふさがっていたし、こんなにこられては手も足も出ない。・・・あまりの多人数に度を失い、生傷のおびただしさに肝をつぶし、佐々木医師はまったく医者の意識を失って、思いやりのある、手慣れた外科医らしい手当はもうできなくなった。一つの自動人形となって、機械的に、拭き、塗り、巻き、拭き、塗り、巻くのだった。


 本書では、こういった原爆投下直後から数日後の様子が、それぞれの方々の日々の生活・体験を辿る形で書き留められています。それら一瞬一瞬の姿はもちろん言葉では表すすべを持たないほど劇的で尋常のものではありません。ここではその引用も控えたいと思います。

 第5章「ヒロシマ その後」、1973年6月7日中国新聞夕刊のエッセイ欄に谷本氏はこう書いています。


(p206より引用) 広島の記念碑に「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませぬから」との碑文は弱々しいが強烈な人類の悲願がこめられている。ヒロシマのアピール・・・それは政治以前の問題である。広島を訪れる外人の多くが口にする言葉は「全世界の政治家はまず広島に来て、この碑文の前にひざまずいて政治問題を考えるがよい」である。・・・


 また、巻末の増補版訳者あとがきにはこう記されています。


(p240より引用) 1984年春、ヒロシマを訪れたハーシーは、広島市民に次のメッセージを送っている。
 これまで核兵器の新たな使用を防いできたのは、ヒロシマ・ナガサキに対する人類の記憶だ!


 今なお核兵器廃絶への前途は遼遠です。今を生きる人間の使命として、「ヒロシマ」「ナガサキ」の記憶は伝えられ続けなくてはなりません。自らその直接の体験がなくてもです。その第一歩として、まずは広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪れ、そこに残された写真・生活道具・石・・・、なんでもいいのでそれらの前に立ち止まってしっかりそれらと対峙して欲しいと思います。
 今年歴史的な出来事がありました。10分でも訪れたという意味はとても大きい、でもそこに残されたもののメッセージを受けとめるには10分はあまりに短過ぎます。

 

ヒロシマ 〈増補版〉
John Hersey,石川 欣一,谷本 清,明田川 融
法政大学出版局
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日本を揺るがせた怪物たち (田原 総一朗)

2016-08-07 10:26:45 | 本と雑誌

 いつも行っている図書館の新刊書の棚で目についたので手に取ってみました。田原総一朗さんの本は久しぶりです。
 “怪物”の名を被って登場する人物は12人。“政界の怪物たち”として、田中角栄・中曽根康弘・竹下登・小泉純一郎・岸信介、“財界の怪物たち”として、松下幸之助・本田宗一郎・盛田昭夫・稲盛和夫、最後に“文化人の怪物たち” として、大島渚・野坂昭如・石原慎太郎。確かにどなたも何れ劣らぬ「怪物たち」ですね。

 どの人物を取り上げた章でも、興味深いエピソードが紹介されていますが、その中から私の目を惹いたものをいくつか書き留めておきます。

 まずは、「政界のおしん」こと竹下登氏。中曽根氏のあとを受け、長年の懸案であった「消費税導入」を実現した時の総理です。


(p87より引用) 竹下は、「一般消費税は導入しない=名前を変えれば導入できる」といった手品のような珍発想を出し、またそれを実現できる能力の持ち主だった。その自信があったからこそ、自分を「理念なき、哲学なき政治家」だと平気で言ったのだろう。


 次は、ホンダの本田宗一郎氏。こちらは山ほど評伝や語録が出ているので改めてという感じがですが、このエピソードは知りませんでした。ホンダの工場がある鈴鹿市、その新しい商工会議所ビルにホンダの看板が掲げられているのを見たとき本田氏が頭を下げながら会頭に言った言葉として紹介されたものです。


(p194より引用) 「お気持ちは言葉に尽くせないほど嬉しいですよ。しかし、あれを見て、いろいろと感じる人もいます。また、うちの若い連中が天狗になったり、何も感じなくなったらとんでもないことです。地域社会に企業が威張っているような印象だけは避けたい。お互いに遠慮しあうところが人間の付き合いのはじめであり、終わりだろう


 理不尽な権力には反発し、自らが権威になるのも徹底して嫌う、本田氏が終生貫いた姿勢の表れだと著者は指摘しています。

 続いて、井深大氏と共にSONYを作った盛田昭夫氏。初めてテープレコーダを開発しそれが国内では全く売れなかったときのまさに盛田氏らしい姿。


(p203より引用) そこで盛田は「買い手がいないのなら、買い手を探そう」と考えた。日本にないものを作るということは、マーケットも販売ルートも作るということだ。市場は技術と同じように、開発するものと考えたのだ。


 さて、本書を読み通しての感想ですが、正直なところ期待が大きすぎたようです。「怪物」といわれるような人物をひとり20ページほどのボリュームで語るのですから圧倒的に物足りなく感じるのは当然ですね。
 それでもまだ“政界の怪物たち”の章では、田原氏ならではの付き合いから得られた面白いエピソードも記されているのですが、首をかしげるのは財界人の方を取り上げた章です。特に稲盛和夫氏の「アメーバ経営」に触れているくだりとかは「???」満載です。
 周知のことですが、アメーバ経営の基本は「時間当たりの採算最大化」です。その指標を部門別管理の基本におき、全員参加経営」を目指したものという点では稲盛イズムのひとつのシンボルであることはそのとおりなのですが、実態は氏が総括しているほど単純ではありません。その成果として、


(p235より引用) だから、京セラでは使途不明金はなく、粉飾決済は絶対起きないということになる。


と語られるとちょっとがっかりしてしまいます。このあたり、本書の軸は、著者が得意とする「素顔の人物像」にまつわる記述に特化すべきでしたね。

 

日本を揺るがせた怪物たち
田原 総一朗
KADOKAWA / 中経出版
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