OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉 (リンダ・グラットン)

2013-09-29 19:11:52 | 本と雑誌

Kaeru_japan  友人の評価が高かったので読んでみました。将来の“働き方”を問う内容です。

 著者の主張のスタートは、「これからの世界は『産業革命』以上の変化に直面する」という認識です。そして、その変化に伴い人々の「働き方」も大きく様変わりすると指摘しています。

(p20より引用) これから起きようとしている変化を突き動かすのは、五つの要因の複雑な相乗効果だ。五つの要因とは、テクノロジーの進化、グローバル化の進展、人口構成の変化と長寿化、社会の変化、そしてエネルギー・環境問題の深刻化である。これらの要因が組み合わさり、働き方の常識の数々が根底から覆る。

 これら5つの要因は、漫然として受け入れると私たちの将来を暗鬱たるものに貶めてしまいます。

(p164より引用) 暗い未来のシナリオが実現すれば、テクノロジーの進化にともない、私たちはいつも時間に追われ続け、バーチャル化が加速する結果、多くの人が深刻な孤独を味わうようになる。そのうえ、グローバル化の影響により、いわゆる勝ち組と負け組の格差が拡大し、グローバルな下層階級が新たに出現する。・・・家族の結びつきが弱まり、・・・大企業や政府に対する信頼感がむしばまれ、先進国では人々が幸せを感じにくくなる。地球の気温がさらに高くなり、海水面が上昇し、乏しい資源の争奪戦が激化する。

 しかし、今までの固定観念や行動パターン等を根本から「シフト」すると、同じ5つの要因が明るい未来を築く切り口ともなるのです。
 この明るい未来の創造に必要となるのが「3種類の資本」です。

(p232より引用) 第一の資本は、知的資本、要するに知識と知的思考力のことである。・・・未来の世界では、広く浅い知識をもつのではなく、いくつかの専門技能を連続的に修得していかなくてはならない。これが・・・〈第一のシフト〉である。
 第二の資本は、人間関係資本、要するに人的ネットワークの強さと幅広さのことである。・・・私たちは、孤独に競争するのではなく、ほかの人たちとつながり合ってイノベーションを成し遂げることを目指す姿勢に転換する必要がある。これが・・・〈第二のシフト〉である。
 第三の資本は、情緒的資本、要するに自分自身について理解し、自分のおこなう選択について深く考える能力、そしてそれに加えて、勇気ある行動を取るために欠かせない強靭な精神をはぐくむ能力のことである。・・・際限ない消費に終始す生活を脱却し、情熱をもってなにかを生み出す生活に転換する必要がある。これが・・・〈第三のシフト〉である。

 これら3つの「資本」の中で、さらなるテクノロジーの進展を背景にした情報化の流れという観点から、特に私が興味深く思ったのが「ビッグアイデア・クラウド」というコンセプトでした。これは、第二の資本である「人間関係資本」のなかで、「ポッセ(頼りになる同志)」と対比する形で提示されています。

(p306-308より引用) もし、あなたが解決しなくてはならない課題が大がかりで、複雑に入り組んでいて、イノベーションを必要とするのであれば、ポッセは頼りにならない。必要なのは、スケールが大きくて斬新なアイデアだ。そういうアイデアの源になりうるのは、多様性に富んでいて大規模なコミュニティ-すなわち、ビッグアイデア・クラウドである。・・・
*ビッグアイデア・クラウドは、自分の人的ネットワークの外縁部にいる人たちで構成されなくてはならない。友達の友達がそれに該当する場合が多い。自分とは違うタイプの人間とつながりをもつことが重要だ。
*ビッグアイデア・クラウドは、メンバーの数が多いほどいい。・・・

こういった集まりをリアルな世界だけで獲得するのはなかなか難しいですね。インターネットの発達を背景にしたソーシャル・ネットワーク上の繋がりが不可欠になるでしょう。

 さて、本書を読み終わっての感想ですが、評判どおり良書だと思います。
 わが身を振り返っても、いろいろと考えさせられる内容でした。私自身の今後をデザインする上でも刺激になったのですが、本書で取り上げられている「3つのシフト」を必要とする真っ只中の世代が、私の娘たちの世代であることもその一因です。

 著者がいう「今後の働き方に影響を与える『五つの要因』」は、すべて現在の労働環境をより活性化した流動的なものに導きます。この流動化は「可能性」と裏腹なのですが、その可能性の結果は必ずしもみんながHappyになるというわけではありません。「多様な選択肢からの自主的な取捨選択」により大きな振れ幅があるのです。

 自分の将来を他律的要因に委ねず、自己の決断によって規定していくという点は、より「機会の公平性」を高める方向に向かうことでもあり望ましいものだと思います。
 ただ、やはり自己責任は(当たり前ですが)すべてを自責とする「厳しい」姿勢ですから、改めて自分の娘たちのことを思うと、正直、なかなかスキッとしない心持ちになってしまうのです・・・。(これでは、ダメなのは分かっているのですが・・・)


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京都の平熱 哲学者の都市案内 (鷲田 清一)

2013-09-21 19:05:41 | 本と雑誌

Gion  「京都」というコトバには独特の響きがありますね。

 本書は、京都生まれの哲学者鷲田清一氏による「京都の町」「京都の人」をテーマにしたエッセイ風の読み物です。京都に馴染みのない私にとっては、とても興味深いくだりが満載でした。

 まず、私などは、「京都」といえば「日本の古都」というイメージをいの一番に思い浮かべますが、著者によると、それは「単層的な歴史都市」ではないという解説になります。

(p47より引用) わたしは、そんな京都の没歴史性に逆に興味をそそられる。京都人の時間感覚の欠如については、「お茶漬け」の話とならんで、たとえば京都のひとが「こないだの戦争」と言うと、それは応仁の乱のことだという、ちょっと意地の悪い話がまことしやかに流通しているけれども、むしろそういう京都人の、単純にリニアでない時間感覚には注目しておいてよい。

 こういう複雑系の時代感覚を、古いものと新しいものとが唐突に混在している「おしゃれな猥雑さ」と著者は表現しています。

 次に「祇園」
 祇園といえば「典型的な京都らしい風景」と思いきや、かつての祇園は、そういう現在のイメージとは程遠く、「混沌とした際どい雰囲気」を宿していたようです。

(p74より引用) いかがわしいものは際へ際へと押しやられる。八坂まで来るとそこはもう山の麓、この先は行き止まり。そこで行き場を失ったものが町なかにひそかに還流しかけるが、洛中はそれをふたたび際へ押し返す。そうした都と鄙のあわい、祇園という都市の隙間に、このいかがわしきものたちが、ぎらぎらと、あるいはくすんで、淀み、沈殿してゆく。

 世俗の滓が堆積し襞模様を織り成していたのが「祇園」でした。

 京都の「人」についての著者の評価も、私たちが一般的に抱いているものとは異なります。

(p144より引用) 京都が「古都」だと言うのは大嘘だ。たしかに古いものは残っている。寂れて、しっとりと。けれど、京都人ほどの「きわもの好き」「新しもん好き」はめずらしい。

 このあたりの指摘は「人」に限らず「街」についても語られています。

(p149より引用) 京都という街は、服に限らず、人間も学問も建築も、「極端」がいろんなところに設置されてきたので、そのぶん、心おきなく顰蹙もののやんちゃや冒険ができた。

 京都は、ザ・タイガース、ザ・フォーク・クルセダーズ、あのねのねといった“けったいな”グループを生んだ街でもあるのです。

 ただ、こういった「京都」も最近はかなり様変わりしてしまいました。

(p249より引用) 京都市は、「京都らしさ」のなにかをめぐって、幾度となく「審議会」を開いてきた。そして、京都らしさを明確に定義する、そういう課題が大まじめに設定されたとき、ああ、いよいよ京都の終わりが始まったとおもった。

 こう語りつつ、鷲田氏は、2000年に発表された「京都市基本構想」では京都市基本構想等審議会副会長として、取りまとめの中心役を果たされました。その中で整理された「京都の6つの得意技」は、“なるほど”と思わされるものです。

(p258より引用)
〈めきき〉-本物を見抜く批評眼
〈たくみ〉-ものづくりの精緻な技巧
〈きわめ〉-何ごとも極限にまで研ぎ澄ますこと
〈こころみ〉-冒険的な進取の精神
〈もてなし〉-来訪者を温かく迎える力
〈しまつ〉-節度と倹約を旨とするくらしの態度

 さて、このエッセイは「京都の街」「京都の人」の紹介が中心ですが、それはとりもなおさず「京文化」を紐解くものでもあります。そういうテーマ自体、とても魅力的ですが、著者独特の視点や著者一流の軽妙な語り口にも面白いものがあります。

 たとえば「うどんの佇まい」の一節。

(p98より引用) うどんはおつゆの中に漂っているが、蕎麦のように密集しているわけではない。麺はたがいに折り重なりあっても密着してはいけないのであって、おつゆのなかをそれぞれがゆったりとたゆたうというのが美しい。そして直線裁ちにされたあの同じ幅。それは衣の縞に似て、曲がりくねってもずっと平行を保つ。

 このコンテクストは、東京生まれではありますが京都帝国大学教授であった九鬼周造の「いきの構造」における「縞模様」の考察に続いていきます。

 最後に、本書を読み通しての感想です。
 鷲田氏流の京都案内の中に、これまた鷲田氏流の哲学的エスプリがトッピングされたとても面白い一冊でした。
 ここで書かれている内容について、是非とも、ほかの京都の方々の受け止め方も伺いたいですね。


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弁護士だけが知っている 反論する技術 (木山 泰嗣)

2013-09-15 09:44:35 | 本と雑誌

Saikousai  酷暑続きで、しっかりしたものを読む元気がなかったときに読んだ本です。
 How Toものはあまり好きではないのですが、気楽に読めるだろうと手に取ってみました。

 「反論する技術」とのタイトルですが、正面からのストレートな「反論」方法だけではなく、「質問で返す」「話題を変える」といった変化球も紹介されています。

 また、正しい反論の前提となる「相手の意見理解」ための方法として、「言葉の定義の明確化」「問題点の整理」「争点の設定」等の重要性にも言及しています。このあたりは、奇を衒ったものではなく至極正論ですね。

 議論はまさに自分自身が当事者である場合もありますが、他人の「代弁者」という立場で関わる場合もあります。著者の場合は「弁護士」なので、その職務においては「代弁者」との位置づけになります。

(p94より引用) 弁護士にかぎらず、立場上その意見をいわざるを得ない場合、意見としては弱い部分がたくさんあるけれど、その意見を諸事情から貫かなければならない場合が、社会ではあります。その立場もわかってあげることです。

 相手の立場も気遣うこういった作法は大切ですね。

 こういう「相手への気遣い」という点では、著者は、しばしば守旧派・抵抗勢力の姿勢として非難される「総論賛成各論反対」という手法に積極的な評価を与えています。

(p127より引用) 「総論賛成、各論反対」の表明は、相手を全否定しないという点に意味があります。・・・
 相手の意見でもよい部分はよいとしながら、より具体的な部分でのわずかな違いを問題にするのです。そうすると、相手も納得しやすくなります。・・・
 全否定ではなく、どこまでは賛成で、どこからは反対なのか。
 こういった分析的な視点は、相手に対する配慮という面だけでなく、実際に緻密な議論をするうえでも非常に重要です。

 最後に、反論に限らず、自分の主張を理解してもらえる鍵は、相手から「信頼」されるかという一点に収斂されます。
 仮に、同じ根拠を示し、同じ言いぶりをしたとしても、発言者に対して「不信感」を抱かれていると、結局その人の主張は受け入れられないのです。
 「信頼」を勝ち取るには、小手先のTipsを駆使してもだめですね。


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光圀伝 (冲方 丁)

2013-09-07 09:35:43 | 本と雑誌

Tokugawa_mitsukuni  冲方丁氏の小説を読むのは、ベストセラーになった「天地明察」に次いで2冊目です。

 今回の主人公は「水戸光圀(黄門)」
 水戸黄門といえば東野英治郎さんの姿をいの一番に思い浮かべてしまう世代ですが、本書ではどんな人物として描かれているのでしょうか。

 まだ光國が若いころ、宮本武蔵沢庵に邂逅したシーンの描写です。
 このころは、如何ともし難い大きな格の違いが明らかです。

(p112より引用) 大げさに振る舞ってみせることも傾奇者の流儀である。光國は憮然としたまま、大股で部屋に入ると、武蔵からやや離れたところに、どさりと土産を置いた。本当は相手の眼前に突き出したかったが、何をされるかわからない気がして、それ以上近づけなかった。そのせいで妙に遠回りに相手に近づくことになり、まるで若い虎が、老熟した獣を警戒してうろうろするようであった。

 「詩で天下をとる」との志を抱き、そのためには京人を唸らせろと武蔵に諭された光國は、藤原惺窩の子である細野為景と親交を結びました。そして、その力量をまざまざと見せつけられました。

(p273より引用) 光國は己の書いた和文に目を落とし、
「天下が、よもやこんなにも遠いものだとは・・・。ここまでできた、ここまで書けた、そう思ったときには、詩業の頂はさらに遠く離れたところにある。近づけば近づくほど、頂は高くなるようだ

 水戸光圀といえば、世直しの「諸国漫遊」
 当然、史実としてはその形跡はなく紛れもなく後世のフィクションですが、そのあたり、著者は光圀の「大日本史」編纂の史料蒐集の営みとして、こういう形で物語に織り込んでいます。

(p670より引用) かくして、改められた暦が世に流布するようになるのと同時期-光國は、光圀となった。
 そして、佐々をはじめとする史館の精鋭を、過去最大規模の史料蒐集へと派遣した。・・・
 家臣に全国を巡らせるなど、幕藩体制そのものを無視する行いだったが、光圀は平気なものだ。
「世のいかなる関門が、文事文芸を遮るのか。歌は涼風のように世に伝わり、書は慈雨のごとく人に恵みをもたらす。それが人の世というものだ」
 光圀は本心からそう主張し、生涯において譲ることはなかった。

 さて、本書を読んでの感想です。正直なところ「天地明察」で感じたような新鮮なインパクトはありませんでしたね。
 「天地明察」のエピソードを重ね合わせる工夫はありましたが、主人公の光國のプロットも平板、ストーリーも全体ボリュームの割には単調でかなり残念に思いました。
 こちらは、さすがに映画化はされないでしょう。


光圀伝 光圀伝
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発売日:2012-09-01


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