OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

良質の経験 (外資系トップの仕事力(ISSコンサルティング))

2007-05-30 21:19:14 | 本と雑誌

 本書に登場している方々は、留学や転職といった大きな環境の変化を経験しています。
 それは、すべて本人の決断によるものです。
 そして、新たな環境の中で、刺激的な「良質の経験」をされています。

 日本ゼネラル・エレクトリックの藤森義明氏が、カーネギーメロン大学に留学した際の話です。

(p162より引用) 日本で「こいつには負けるな」というすごさとは、明らかに別のすごさを感じたんです。
 たとえば、判断力。私は慎重に考えてから決めるタイプでした。いろんな条件をどう全部クリアして結論を導き出すか。でも、全部考えていると結論なんか出ないんですよ。では、向こうの連中はどうするのかというと、条件をカットしてしまうわけです。要するに、そもそも一番大事な条件や情報を選択する力があるんです。だから結論が出る。しかも速い。これは、全然違うと思いました。

 留学時の経験という点では、ルイ・ヴィトン ジャパン カンパニーの藤井清孝氏の話も紹介します。

(p140より引用) ハーバードに入学して、改めて来て良かったと思いました。何より良かったのは、すごいヤツがいて当たり前という環境に、慣れることができたことです。・・・そういうところに身を置くと、全面的に競争してもあまり意味がないということに気づくんですね。競うだけでなく、お互いに学び合う。そういう姿勢のほうが、学ぶことも多い。

 さて、最後にご紹介するのは、BPジャパンの若脇英治氏の言です。

(p241より引用) BPに入って何よりも良かったのは、自分の人生は自分の問題なんだ、ということがわかったことかもしれない。・・・尊敬されるのは、ファミリーを大事にする人間です。・・・
 西洋人は、食事の会話でよくわかりますが、いろんなことをよく知っています。人生は仕事だけじゃない。ましてやバリューはお金だったりはしない。豊かですよ、心が。そういうところにいると、自分というものを持てる。自分というものを大事にできるんです。

外資系トップの仕事力―経営プロフェッショナルはいかに自分を磨いたか 外資系トップの仕事力―経営プロフェッショナルはいかに自分を磨いたか
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発売日:2006-09-08

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リーダーシップ (外資系トップの仕事力(ISSコンサルティング))

2007-05-29 22:53:55 | 本と雑誌

 外資系の会社では、ともかく自己主張が強くないとやっていけないような先入観があります。強烈なトップの個性が、そこでのリーダーシップの源のように思いがちです。

 「外資系トップの仕事力―経営プロフェッショナルはいかに自分を磨いたか」に登場したマーサー・ヒューマン・リソース・コンサルティングの柴田励司氏は、リーダーについてこう語っています。

(p37より引用) 最初は、自分が率先垂範して自分の分身になるような仲間をつくっていくわけですが、これが心地良かった。でも、この求心力型のスタイルでは規模に限界がある。そこで、違う専門性を持ったプロにいかに気持ち良く働いてもらえるか、という遠心力型へとがらっと変えてみたら、これがうまくいって、また心地良かった。・・・常にまわりに気を配り、周囲の人が喜ぶようなことをする。励まし、元気づける。それを心地良く思えるなら、良きリーダーになる素質を十分に備えている。・・・そもそも人に喜ばれるために何かをする、人のために奉仕をするのがリーダーなんです。

 強烈なリーダーシップといえば、GEのジャック・ウェルチ氏はその代表格でしょう。
 日本ゼネラル・エレクトリックの藤森義明氏は、GEで出会った人々に対してこんな印象を抱いています。

(p173より引用) まわりにいる人たちは、すごいのに謙虚ときている。学ぶ精神もあって、自分にない人のすごさというものをどんどん取り入れていく。だから、ますますすごい人になる。

 さらに「人」について。

 BNPパリバの安田雄典氏が、転職してパリバに来てよかったと感じたとき思い出した言葉です。

(p191より引用) 何の仕事をやるかではなく、だれとやるかのほうが大切だ

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達人からのアドバイス (外資系トップの仕事力(ISSコンサルティング))

2007-05-28 21:42:58 | 本と雑誌

 引き続き、「外資系トップの仕事力―経営プロフェッショナルはいかに自分を磨いたか」に登場した外資系企業トップマネジメント12名の方々のインタビューからの紹介です。

 今回は、「ビジネスマンとしてチャレンジし続ける人(必ずしも年齢的に若い人ではありません)」への言葉です。

 まずは、日本コカコーラの魚谷雅彦氏のアドバイスです。

(p20より引用) 思っていることが大事。考え続けることが大事。そうやって試行錯誤を繰り返していれば、自信を持って行動に走れるようになる。

 似たようなことは、BPジャパンの若脇英治氏も語っています。

(p240より引用) 若い人に伝えておきたいのは、とにかく勉強すること。何でも興味を持ってね。くだらない仕事と思っても、必死にそれをやると、何か動きが出てきますから。

 日本エマソンの山中信義氏が、大事にして欲しいと考えているのは、「自分の思い」です。

(p216より引用) あまり余計なことは考えずに、自分は何をやりたいのか、どういう方向に進みたいのか、納得できる仕事とは何なのか。そんな思いを持ちながら一生懸命にやればいい。そうすれば成果も出る。チャンスもきっといろいろ来る。そのチャンスが来たときに、果敢に挑む。そういう思いを持ちながら頑張ることこそが、大事なことなのだ、と。

 また、山中氏は、グローバリゼーションの流れのなかで、情報発信していくための素養として「積極的な姿勢」を求めます。
 そして、氏は、その「積極性」を阻んでいるのが「答えは一つしかない」という正解信仰だと考えています。答えは一つと思ってしまうと間違いを恐れ、発言を控えるようになってしまうのです。
 「答えは無数」と思っただけで、視界は大きく開けます。

(p219より引用) 今後は日本もますますグローバル化していく。そのなかで活躍できる人間は、答えをひとつしか求めない人間ではない。答えをマルチプルに求める人間、認める人間だと思う。

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経営プロフェッショナル (外資系トップの仕事力(ISSコンサルティング))

2007-05-27 00:24:38 | 本と雑誌

 今回読んだ本のタイトルは、「外資系トップの仕事力」。
 サブタイトル-「経営プロフェッショナルはいかに自分を磨いたか」-の方が、内容をよく表しています。

 外資系企業のトップマネジメント12名の方々のインタビューをコンパクトにまとめたものです。

 私がとやかくコメントを加えるよりは、登場している方々のコメントをそのままご紹介します。

 まずは、「経営のプロフェッショナル」としての言葉です。

 最初に登場するのは、日本コカコーラの魚谷雅彦氏
 常に気をつけるべき「発想の基本」です。

(p19より引用) 今も気をつけているのは、「これはこう決まっているから」という発想に陥らないこと。これはどんな企業でも陥る危険性がある。

 日本オラクルの新宅正明氏は、「変化への対応」の重要性を話します。
(ちなみに、数年前、ORACLEの新しいミドルウェアの発表イベントで新宅氏のプレゼンテーションを聞きましたが、生粋の関西人でしたね)

(p63より引用) 新しい課題に対してきちっとプリンシプルを持って、質のいい判断をする。判断が間違ったらすぐに戻る。それが大事。僕の次のCEOも当然、過去を踏襲する必要はない。踏襲すべきなのは、変化に対応せないかん、ということだけです。
 若い人に言っておきたいのは、次に何が起こるかを想像して仕事をすることですね。

 日本エマソンの山中信義氏は、GEとオムロンとの「戦略」についての違いを、こう語ります。

(p211より引用) GEで学んだのは、事業戦略の幹をつくり、太くすることの大切さでした。オムロンで経営戦略をつくっているときは、同僚からよく言われました。「おい山中よ、実行できない計画をつくると意味ないぞ。実行できるよう枝葉を考えてつくってこい」と。しかし、これをやると、戦略的な幹はぼけてしまう。妥協してしまうからです。GEでは、それが逆でした。お前の仕事は幹をつくり、太くすることだ。なぜこれが狙いどころなのか、なぜこれで勝てるのか、なぜこれが一番いいのか、そこだけを徹底的に掘り下げろと、と。

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3秒でハッピーになる 名言セラピー (ひすい こたろう)

2007-05-26 01:01:22 | 本と雑誌

 このところ会社でのメンタルヘルスの問題が気になっているので、何かの参考になるかと思い、時折、普段なら手に取らないような本を読んでみています。
 以前このBlogでもご紹介した斎藤茂太氏の「こころのスイッチをきりかえる本」もそのうちの1冊です。

 今回読んだこの本もその流れです。

 名言といっても、偉人・聖人の格言・箴言といった重々しいものではなく、軽いノリのフレーズがサクサクと並んでいます。心の持ち様を前向きにするポジティブ・シンキングの薦めです。

 たとえば、

(p23より引用) 理由もなく、「ありがとう」って言ってみよう。

とか

(p63より引用)
 経験には2種類しかないってことです。
 成功の経験と、学びの経験の2種類です。
 「失敗」という経験はないんです。
 失敗は学びと考える。

といった感じです。

 こういった小さなヒントでメンタル的な問題が少しでも解決できるのであれば、それはとても嬉しいことです。
 ただ、「読書の対象」という点から言えば、正直、物足りなさは否めませんが・・・。

 とは言うものの、私の気に入ったフレーズもありました。

(p124より引用) 
「自分のために」では、
行けるところに限りがあるんだと思います。
「あの人の喜ぶ顔を見たいから」
そんなとき、人はありえないところまで行けます。

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21世紀の君たちへ (ガラスの地球を救え(手塚 治虫))

2007-05-24 00:53:01 | 本と雑誌

Teduka_osamu  「鉄腕アトム」を読んで感じられるのが、アトムの純粋な正義感と時折垣間見られる寂しさです。

(p28より引用) アトムも人間の中にあっては、“差別される子”なのであって、“ふつうの子”ではありません。けれども、信念を持って行動し、決してあきらめたりしない。ときには、どう考えても勝ち目のなさそうな相手にも、ぶつかっていく子として描いています。

 手塚氏は、自らが「いじめられっ子」だったと言い、小さい頃は劣等感のかたまりだったと言います。
 それだけに、未来を担う子どもに対しては、優しく温かい目を向けています。

(p59より引用) 一見、大人の目から見てダメに見える子どもの中にも、大人の眼力がないために埋もれたままになっている何かが必ずあるはずです。

 また、手塚氏は、子どもの持つ限りない可能性を心から信じています。

(p155より引用) 危険はすべて排除されるかわりに、失敗は許されない。それでは子どもは大きくはなれません。
 いろいろな挑戦をさせ、たとえ失敗しても抱きとめるゆとりのある社会、そして再度チャレンジ精神を子どもが培えるような文化状況を、ぜひともつくりたいと思います。

 本書のタイトルは、「ガラスの地球を救え」

 この本には、「なんとしてでも、地球を死の惑星にはしたくない」という手塚氏の最期の想いがこめられています。

(p135より引用) ぼくたちが子どものころに駆け回った野山、林をふきわたる風の音、小川に群れていた魚たち、どこにでもいた昆虫、そして無造作なほど咲きほこっていた草花-。いまは失われてしまったそれらは、しかし、決して取り戻せないわけではないのです。
 その気にさえなれば、いまならまだ間に合うのです。たとえ、すべては戻ってこないとしても、少なくとも今宵の月、明日の青空だけは、もう失いたくありません。

 今からでもできることは、いくらでもあります。
 そして、そのために「IFの発想」

(p168より引用) 自分以外の人の痛みを感じとるには、想像力が必要なのです。

ガラスの地球を救え―二十一世紀の君たちへ ガラスの地球を救え―二十一世紀の君たちへ
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アトムのメッセージ (ガラスの地球を救え(手塚 治虫))

2007-05-23 00:39:44 | 本と雑誌

Atom  手塚治虫(1928~89)は、言うまでもなく、戦後日本の漫画界をリードした漫画家・アニメーション作家です。

 本書は、その手塚氏が残した未来へのメッセージです。
 そこには、手塚氏がひたすら描きつづけた世界と、それに抗う切実な危機意識がつづられています。

(p13より引用) 思えば、『鉄腕アトム』を描きはじめた昭和二十六、七年ころは、ものすごい批判が教育者や父母から集中し、「日本に高速列車や高速道路なんて造れるはずがない」とか、「ロボットなんてできっこない」とか、「荒唐無稽だ」などと大いに怒られ、「手塚はデタラメを描く、子どもたちぼ敵だ」とまで言われたほどでした。
 ぼくはそれでも描きつづけたわけだけれど、批判の猛烈な嵐の中でも、我慢しながら描きつづけることができたのは、たとえロボットの激しい戦いを描いていても、ぼくは自然に根ざした“生命の尊厳”を常にテーマとしてきたからだと思います。
 生命のないところに未来はない。それなのに地球はいま、とんでもない危機に見舞われています。

 手塚氏の代表作である「鉄腕アトム」。
 漫画としての最初の連載は1952年に開始されました。その後、1963年からテレビアニメとして登場しました。

 そのアトムに託した手塚氏の想いです。

(p22より引用) これまでずいぶん未来社会をマンガに描いてきましたが、じつはたいへん迷惑していることがあります。というのはぼくの代表作と言われる『鉄腕アトム』が、未来の世界は技術革新によって繁栄し、幸福を生むというビジョンを掲げているように思われていることです。
 「アトム」は、そんなテーマで描いたわけではありません。自然や人間性を置き忘れて、ひたすら進歩のみをめざして突っ走る科学技術が、どんなに深い亀裂や歪みを社会にもたらし、差別を生み、人間や生命あるものを無残に傷つけていくかをも描いたつもりです。
 ロボット工学やバイオテクノロジーなど先端の科学技術が暴走すれば、どんなことになるか、幸せのための技術が人類滅亡の引き金ともなりかねない、いや現になりつつあることをテーマにしているのです。

 ちなみに、この本、いつも読書の参考にさせていただいている「ふとっちょパパ」さんも読まれたそうです。

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「菊と刀」の系譜 (「日本文化論」の変容(青木 保))

2007-05-20 14:15:32 | 本と雑誌

 戦後から現在にいたるまで、数多くの「日本人論」「日本文化論」が世に出ていますが、本書を読んでみると、その源流は、ルース・ベネディクトの「菊と刀」に遡るとも言えそうです。

 著者の論によると、ベネディクトが「菊と刀」において提起した「日本文化」の基調となる主要な論点は2点でした。

(p48より引用) 「日本をして日本人の国たらしめているもの」についての仮定として、『菊と刀』が日本人に提示し、その後ながく議論の対象となった問題は、二つある。第一に、日本人の社会組織の原理としての「集団主義」である。第二に、日本人の精神態度としての「恥の文化」である。

 この論点は、その後、中根千枝の「タテ社会の人間関係」において「タテ社会」の肯定に、作田啓一の「恥の文化再考」において「羞恥」の肯定に引き継がれ、さらに発展、展開されたと説いています。

(p94より引用) 中根の「集団主義」の特徴「タテ性」の強調と、作田の「恥の文化」の「二面性」の強調とは、アプローチの仕方が異なるとはいえ、ともにベネディクトの主張点を共有しながら、その展開をはかったという点、ともにその「肯定面」を主張したという点、しかも外観からみられるほどには両者の論点はちがわないという点で、この時期を代表する「日本文化論」に位置づけられる。

 また、著者は、「菊と刀」の立論においては「心理人類学」的なテーマも含まれており、1970年代以降の「日本文化論」の論考において、その観点からの継承も見られると指摘しています。

(p98より引用) 日本における「心理学」「精神医学」への関心の高まりとも呼応するように、この面での「日本文化論」も大きな関心をよぶのである。その中の代表的なものに、土居健郎『「甘え」の構造』(1971)と木村敏『人と人との間』(1972)があり、この二書は社会論的アプローチを特徴とする前二書に対して、精神分析と心理分析による「日本文化論」の提出としての特徴をもつ。

  こう概観してみると、確かに、ベネディクトの労作「菊と刀」の「日本文化論」に及ぼした影響の大きさが、まざまざと実感されます。

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文化相対主義 (「日本文化論」の変容(青木 保))

2007-05-19 15:53:59 | 本と雑誌

 本書において、著者は、ルース・ベネディクトの「菊と刀」を非常に高く評価しています。

 「菊と刀」は、戦争の終結と戦後の日本占領に役立てるという目的のため大戦中に米戦時情報局からの委嘱により書かれたものです。
 その執筆にあたっての原資料は、米国で入手可能だった種々の文献やインタビュー等が中心でした。著者本人の現地調査が一度たりとも行なわれなかったという点では、フィールドワークを重視する文化人類学の研究としては極めて異例なものと言われています。
 にもかかわらず、当時においても、その著作の完成度については一定の評価がなされていました。

 そういった評価が得られたのも、「菊と刀」の基調にある「文化相対主義」によるものと言えるでしょう。

(p34より引用) 「文化相対主義」はボアズをはじめベネディクトやハースコヴィッツといったアメリカの文化人類学者が中心となって提唱した「文化」のとらえ方である。ごく大まかにいえば、いかなる文化も独自の、その文化内で自律する価値を有するとして、一つの文化で成立した価値観で他の文化を一方的にとらえては異文化の理解ができない、とする説で、それまでの西欧文化中心主義の上に立って、その尺度でもって他の文化を、一方的に評価してきた文化理解を批判するところから出発している。

 「文化論」において「相対的」な立場を保つことは容易ではありません。
 戦時期においてはなおさらだったと思います。

 本書において、著者は、「日本文化論」の「相対性」という観点から、1955~63年を「歴史的相対性の認識」の時代と位置づけています。

 この時期の代表的な論調として紹介されているのが、加藤周一の「雑種文化論」、梅棹忠夫の「生態史観」です。

(p75より引用) 加藤の「雑種文化論」と梅棹の「生態史観」は大変異なる外観を示しているが、実際には似た主調音を鳴らしている。加藤が「日本文化の雑種性」は大衆の間では「楽しまれている」といって、知識人の「意見」ではなく一般民衆の「生活実感」を肯定的に評価しているのと同じく、梅棹も「よりよい暮らし」を尺度に「平行文化」を説くのである。
 この二人の論者はともに「日本文化」あるいは「日本文明」の積極的で肯定的な意味を「生活実感」においており、イデオロギーや思想には求めてはいない。「和洋折衷」でも何でも日本の現在が享受する「文明」生活の「よさ」を評価するのである

 この見方は、1950年代後半の日本経済の拡大期において、「日本の自信回復」を後押しするものでした。

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「自己確認」としての「日本人論」 (「日本文化論」の変容(青木 保))

2007-05-18 22:58:47 | 本と雑誌

 本書は、「日本人論」「日本文化論」の議論の変遷を、ルース・ベネディクトの「菊と刀」を皮切りに経年的に概括した著作です。

 青木氏は、その変遷を以下の大きく4つのフェーズに区分しています。

  • 「否定的特殊性の認識」(1945~54)
  • 「歴史的相対性の認識」(1955~63)
  • 「肯定的特殊性の認識」前期(1964~76)、後期(1977~83)
  • 「特殊から普遍へ」(1984~)

 この区分は、日本の経済発展の度合い、特に海外進出の状況と関連しています。
 中でも「肯定的特殊性の認識」の時代は、その関連性が顕著に見られます。

(p82より引用) 1964年から83年にいたる約20年間は「肯定的特殊性の認識」の時代であると区分したが、まさに「経済大国」の「自己確認」の追求が行われるのである。

 この「自己確認」は、多くの「日本人論」「日本文化論」に係る著作によりなされました。

(p114より引用) 70年代は、これまでみたいくつかの「日本文化論」の主張が、さながら「流行語」あるいは、「大衆消費財」として日本中に出まわった「日本文化論」の時代である。
 「タテ社会」「甘え」「間人主義」などのことばが、さながら巷に氾濫するようにマスコミを賑わした。「豊かな」社会を表徴するかのように、こうしたことばが日本人の、日本文化の、「独自性」と「卓越さ」を示すものとして使われ、外部からの「エコノミック・アニマル」「働き蜂」等とよばれながらも、日本人の心を慰撫した。その効果は、海外に進出する「ビジネスマン」の「心の支え」となって、また国内に働く「暇なし」人間の「自己確認」となって、この経済大国に生きる人々を「鼓舞」した。

 「『日本人』『日本文化』の特殊性が日本の驚異的な経済成長の原動力であった」といった論調で、そのトレンドの一つの頂点が、エズラ・ヴォーゲル氏による「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(1979)だったと言えるのではないでしょうか。

(p123より引用) ヴォーゲルの本には、「日本文化論」の主張点のほとんどが巧みに盛り込まれており、なおかつ彼自身の「日本中間層」サラリーマン社会の社会学的研究以来の「日本観」が最大の好意を込めて、そこでは展開されている。70年代末の時点において、ヴォーゲルの「日本人論」は、日本人の多くがまさに待ち望んでいたものであった。

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チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 (塩野 七生)

2007-05-16 22:28:35 | 本と雑誌

Cesar  以前、「ローマから日本が見える」という塩野氏の本を読んだ際、お世話になっている「お遍路」さんからコメントをいただきました。その際、薦められたのがこの本でした。
 塩野氏の初期の作品です。

 主人公のチェザーレ・ボルジア(1475~1507)は、ルネサンス期イタリアの政治家。教皇アレッサンドロ6世の庶子で、父が教皇となった後にバレンシア大司教、枢機卿を務めました。その後、中部イタリアに自らの公国をつくろうとして失敗、脱走後にスペイン北部のナバーラで戦死しました。権勢欲の強い陰謀家、政敵に対しては残忍な人物として悪名を馳せましたが、マキアヴェッリの著作「君主論」では高く評価されています。

 当時、かのレオナルド・ダ・ビンチもチェーザレ・ボルジアに仕え、主任建築家・軍事技師として中部イタリア教皇領の要塞建設の監督の任に就きました。

(p186より引用) レオナルドとチェーザレ。この二人は、互いの才能に、互いの欲するものを見たのである。完全な利害の一致であった。ここには、芸術家を保護するなどという、パトロン対芸術家の関係は存在しない。互いの間に、相手を通じて自分自身の理想を実現するという、冷厳な目的のみが存在するだけである。保護や援助などに比べて、また与えるという甘い思いあがりなどに比べて、どれほど誠実で美しいことか。

 さて、本書についてです。

 本作品は小説ですからストーリーについては詳しくは触れませんが、全編を通して、著者の主人公チェザーレ・ボルジアへの思い入れが強く感じられます。
 巻末の沢木耕太郎氏の解説によると、塩野氏の作品の多くにチェーザレは登場しているとのこと。本作品でのチェーザレ、その生き様は正に凄まじく、強烈な個性が光る魅力的な人物として描かれています。

 己の野望に向かって冷徹かつ攻撃的に爆走するチェーザレの姿は、(数十年時代は下りますが、)ほぼ同時代の日本の戦国武将織田信長に通じるものがあります。

 ただ、チェザーレ・ボルジアの活劇の舞台は、中世のイタリア・フランス・スペイン・・・、ちょっとスケールが違います。

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ザ・マインドマップ (トニー・ブザン)

2007-05-14 21:21:48 | 本と雑誌

 「記憶力、創造力、集中力、インスピレーション、考える技術や学習のための技術、または知性や脳のひらめきを強化したいですか?
 トニー・ブザンが発明したマインドマップは、『脳のスイスアーミーナイフ』と呼ばれ、教育分野やビジネス分野を中心に、世界中で2億5000万人以上が使っている、単なるノート術にとどまらない革命的な思考ツールです。
マインドマップは、脳のメカニズムに最も適した思考や連想の技術で、単に記憶力や集中力を高めるだけでなく、これからの時代に最も必要とされる創造的思考力が、劇的に覚醒していきます。
欧米のビジネスパーソンにとって、会議やプレゼンテーションでのマインドマップの活用はもはや常識。ビジネスパーソンから、お子さまの知育まで、脳の力を最大限に強化する方法がマインドマップなのです。」

 という、華々しい謳い文句につられて読んで見ました。

 「マインドマップとは」については、マインドマップの「日本公式ホームページ」「mindmap.jp」といった参考サイトがあるので、関心のある方はそちらも参考にしていただくとして、以下には、マインドマップ手法についての私の感想を記します。

 マインドマップは「放射思考」を可視化したものです。
 脳の連想能力・創造力を最大限に活用し、連想を広げていく思考ツールとのことです。

 他方、リスト形式の思考方法は脳の働きを妨げるといいます。

 リスト形式は、直線的な情報整理であるのに対し、マインドマップ方式は、「基本アイデア(BOI)」と「階層」という構造で情報を整理します。

 確かに、自由な連想に従ってテーマに関連する要素をすべて吐き出し、それをビジュアルに表すことは極めて有効です。
 マインドマップという一覧性のある形式は、判断や決定に必要な情報を俯瞰的に可視化させる一つの具体的提案だと思います。

 ただ、マインドマップを実際的な思考ツールとして使いこなすのは簡単ではなさそうです。

 著者は、「脳の持つ潜在能力」を強調します。

(p56より引用) 放射思考のコンセプトは、脳が持つ無限の情報処理能力と学習能力に基いたものであり、マインドマップは、放射思考を外面化したものである。

 確かに、脳の情報処理能力は知れば知るほど驚異的です。

 著者は、そういった脳の能力発揮が「マインドマップ」によりもたらされると説くのですが、どうもこの本だけでは、私としては十分な「納得感」が得られませんでした。
 面白いツールで、活用できるシーンは数多くあると思うので、もう少しロジカルな説明が欲しい気がします。

 本書の中の著者のことばで、最も納得感があったのは、以下のフレーズでした。

 悩んで決定できないとき、著者は、考えつづけるのではなく、ともかく「決定」することを薦めます。

(p125より引用) 脳が思考の悪循環に陥っていることを自覚したら、すぐに「はい」か「いいえ」かの決定をするということである。決断をし、実行することは、停滞状態よりも、より実りがあるというのが大原則である。

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役割確認 (ことばと文化(鈴木 孝夫))

2007-05-13 14:43:48 | 本と雑誌

 よく使う用法ですが、父親が自分のことを「パパは、・・・」ということがあります。(英語では、多分 ”I ・・・” で済むのでしょう。”Your father ・・・”とかいうはずもありません。)

(p187より引用) 抽象的な、話し手の役と聞き手の役しか通例明示しないで対話を進めて行くことができる西欧語と比べて、日本語ではすべての自称詞、対称詞が人間関係の上下の分極に基いた具体的な役割の確認とつながっているのだ。

 日本語では「相手から見たときの自分」を考えて自称詞を変化させるのです。
 さきの「パパは、・・・」もそうですし、学校の生徒に向かって「先生は、・・・」というようなケースもその例です。

(p197より引用) 相手が誰であろうと、相手が不在であろうと、先ず自己を話し手つまり能動的言語使用者として規定するインド・ヨーロッパ語などの、絶対的自己規定と比較して、日本人の日本語による自己規定が、相対的で対象依存的な性格を持っていると私が主張する根拠はここにある。

 こういった「対象依存性」のため、日本人は往々にして初対面の人との応対が苦手です。

(p198より引用) 日本人の自己は、特定の対象、具体的な相手が出現してその正体を話し手が決定するまでは、いわば座標未決定の開いた不安定な状態にあると考えることができる。

 このあたり、当時流行した「日本人論」の論調と軌を一にしています。

(p200より引用) 対象依存型の自己規定とは、別の言い方をすれば、観察する自己の立場と観察される対象の立場が峻別されずに、むしろ両者が同化されることを意味する。日本文化としばしば対比させられる西欧の文化が、観察者と対象の区別、つまり自他の対立を基礎とするのに対し、日本の文化、日本人の心情が自己を対象に没入させ、自他の区別の超克をはかる傾向が強いことはしばしば指摘されるところだが、日本語の構造の中に、これを裏付けする要素があるということができよう。

 著者は、日本語の構造にまで投射された「自己を原点としない」という日本人の根源的な行動特性が、対外的な交流や交渉の場において不利に働くことを危惧しています。
 ちなみに本書は、今から30年以上前、1973年初版です。

ことばと文化 ことばと文化
価格:¥ 735(税込)
発売日:1973-01

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日本語の人称代名詞 (ことばと文化(鈴木 孝夫))

2007-05-12 19:14:53 | 本と雑誌

 鈴木氏は、本書の目的を「まえがき」で以下のように表明しています。

(pⅱ) この本の目的は、ことばというものが、いかに文化であり、また文化としてのことばが、ことば以外の文化といかに関係しているかを、できるだけ平易なことばで明らかにすることにある。

 その説明の材料に取り上げたのが「人称代名詞」です。
 英語では、「I」や「you」、日本語では、「わたくし」「ぼく」「おれ」や「あなた」「きみ」「おまえ」・・・といったことばです。

(p140より引用) ヨーロッパ諸語の一人称、二人称代名詞が数千年の歴史を持っていることに比べると、日本語の人称代名詞の生命の短さはあまりに対照的である。・・・
 日本語に於ては、有史以来、自分を指す代名詞と、相手を言う代名詞は、次々と目まぐるしいほど交替している。しかも注意しなければならないことは、新しく代名詞として用いられるようになることばは、常にもとは何か具体的な意味を持っていた実質詞からの転用だという点である。

 鈴木氏は、日本語における「人称代名詞」の用例を外国語と比較することにより、日本語と日本文化のユニークさを明らかにしていきます。

 たとえば、「年齢40歳・長男・既婚・子あり・職業は教師」のケースをあげています。まわりには、家族・親族、校長・同僚・生徒、隣人等様々な関係者がいます。
 これらの関係者とコミュニケーションする場合、自称詞としては、「わたくし」「ぼく」「おれ」「おじさん」「おとうさん」「先生」「兄さん」等々、他称詞としては、「あなた」「おまえ」「きみ」「おじいさん」「おとうさん」「にいさん」「先生」「ぼうや」等々が並びます。

(p180より引用) 日本語の自称詞及び他称詞は、対話の場における話し手と相手の具体的な役割を明示し確認するという機能を強くもっている、と考えることができる。

ことばと文化 ことばと文化
価格:¥ 735(税込)
発売日:1973-01

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「もの」と「ことば」 (ことばと文化(鈴木 孝夫))

2007-05-11 00:27:11 | 本と雑誌

 著者の鈴木孝夫氏は言語社会学の専門家です。

 鈴木氏は、まず「もの」と「ことば」との対応関係を話題にします。

 「もの」に名前がついているのですから、普通に考えると「もの」があって「ことば」があるということになります。が、鈴木氏の考えはそうではありません。

(p30より引用) ものという存在が先ずあって、それにあたかもレッテルを貼るような具合に、ことばが付けられるのではなく、ことばが逆にものをあらしめているという見方である。

 鈴木氏の説明を辿りましょう。

 「机」というものを例にとると、たとえば、「人がその上で何かをするために利用できる平面を確保してくれるもの」とかと定義したとしても、その利用目的や人との相対位置といった人間側の条件を加えないと「机」を規定することはできないのです。

(p33より引用) ことばというものは、混沌とした、連続的で切れ目のない素材の世界に、人間の見地から、人間にとって有意義と思われる仕方で、虚構の文節を与え、そして分類する働きを担っている。言語とは絶えず生成し、常に流動している世界を、あたかも整然と区分された、ものやことの集合であるかのような姿の下に、人間に提示して見せる虚構性を本質的に持っているのである。

 人間の視点を離れると、(たとえば、他の動物の目で見ると)「机」も「棚」も「椅子」も区別がつかないというのです。

 また、同じ化学式でいう「水(H2O)」であっても、「氷」「水」「湯」「ぬるま湯」「熱湯」「湯気」「露」・・・と様々に違った名前が付けられています。

(p39より引用) ものにことばを与えるということは、人間が自分を取りまく世界の一側面を、他の側面や断片から切り離して扱う価値があると認めたということにすぎない。

ことばと文化 ことばと文化
価格:¥ 735(税込)
発売日:1973-01

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