OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

「筆算」の思い込み (続 直観でわかる数学 (畑村 洋太郎))

2006-02-28 00:48:21 | 本と雑誌

 先に読んだ畑村氏の「畑村式「わかる」技術」という本の中に「直感」と「直観」の話がありました。
 この本を読んで「チョッカン」で数学の難問がすいすい解けるようになるわけではありません。この本は、「解けるようになる」ことではなく「分かるようになる」ことを目指しているのです。

 「分かる」ようになるためには、「自分の頭で徹底的に考える」ことが大前提です。自分の頭を使わないで「分かろう」というのはあまりにムシの良い話です。

 自分で徹底的に考えてみると、いままで当たり前だと思っていたことが「どうして?」と改めて疑問に思えてきます。「(解くためには)こうするんだ」と理由もなく「手段」だけ覚えこまされていたことに気づくのです。

 このあたりのことの実例として、この本では、「どうして足し算・引き算・掛け算はお尻(1の位)から始めるのか?(割り算は頭からやるのに・・・)」との疑問を掲げています。そして、実際、頭(一番大きな桁)から計算する方法まで示しています。

 現実の世界では、1の位からコツコツと計算するよりも、大きな桁からザクッと計算する方が実用的な場合が多いものです。
 「有効数字」の概念を思い出すまでもなく、1000と2000の違いの方が、1001と1002の違いよりも影響が大きいのは当たり前です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

君に成功を贈る (中村 天風)

2006-02-26 13:31:12 | 本と雑誌

 10年以上前の職場の上司がものすごい読書家の方で、ミーティング等の際によく中村天風氏の言葉を引用されていました。

 多くの著名な政治家・経営者が氏の思想に共鳴しているとのこと、今回、偶々図書館で見つけたので、天風氏の本とは一体どんなものかちょっと読んでみました。

 この「君に成功を贈る」という本は、氏の講演を起こしたものなので大変読みやすいのですが、反面、内容の深堀という点では正直少々物足りなく感じました。

 語っていることは、前向きで、典型的なポジティブ・シンキングです。
 「積極的な心の態度」「人生は心ひとつの置きどころ」という言葉にあるように、「心の持ち様」を非常に大事にしています。

 「天は自ら助くる者を助く」という言葉も随所に出てきます。
(これは、サミュエル・スマイルズの「自助論(Self-Help, with Illustrations of Character and Conduct)」にある言葉(Heaven helps those who help themselves.)です。この邦訳が、明治の大ベストセラー中村正直による「西国立志編」です。)
 受動的に何かに頼るのではなく、独立独行の精神を重んじた能動的な思想と言えます。

 また、精神論的な語りかけだけでなく、日々の具体的な所作の勧めも随所に示されています。

 「今」における実践を大事にした「元気な教え」だと思います。
 各界に多くの天風氏の信奉者がいるというのも頷ける気がします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

漆の実のみのる国 (藤沢 周平)

2006-02-25 14:57:25 | 本と雑誌

Youzan  先に読んだ内村鑑三氏の「代表的日本人」で紹介されていた一人に「上杉鷹山(1751~1822)」がいます。その人となりについてほとんど知らなかったので手に取った本です。
 最近はめっきり「歴史小説」は読まなくなったのですが、最近いくつかの映画(たそがれ清兵衛・蝉しぐれ)で脚光を浴びている藤沢周平氏の作品であることも、この本を手にした理由のひとつでした。

  物語は、藩主(後に隠居)上杉治憲(鷹山)とその家臣、竹俣当綱・莅戸善政らを中心人物として、彼らが米沢藩建て直しに力を尽くす姿を綴ったものです。
 ストーリーとしては、米沢藩の再建がなったところまで描いたものでなく、なんとなくはっきりしないエンディングです。余韻を持った風情といえるのかもしれません。(このあたりは、それぞれ各人の好みですね) また、この本に登場する鷹山は(傑出した君主ではあるますが、)「完璧無比の聖人君主」とまでは美化されていません。

 ただ、1785年(天明5)35歳で家督を治広に譲った際、君主の心得として与えた「伝国の辞」は彼の抜きん出た理念を顕しています。
 封建時代真っ只中の頃を思うと、その基本思想は極めて先進的な(当時としては極めて特異な)ものでした。この辞だけでも、「名君」との評価は首肯されるものだと思います。

  •  伝国の辞
    一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
    一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
    一、国家人民の為め立てたる君にして君の為めに立ちたる国家人民にはこれ無く候
    右三条御遺念有るまじく候事

 そして、「なせばなる、なさねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という有名な歌。
 これも、壊滅的な財政状況の米沢藩にあって、長期的展望に基づき決して諦めず、粘り強く民のために精力を尽くした鷹山であるが故の重みある歌だと思いました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

課題設定の「上り」と「下り」 (畑村式「わかる」技術(畑村 洋太郎))

2006-02-23 00:11:49 | 本と雑誌

 この本でも、「課題解決」より「課題設定」が重要だとの指摘がされています。

 この本で得られた「課題設定」のヒントは、「課題設定の『上り』と『下り』」です。

 通常の場合、課題を考える場合には、すぐ目の前にある事象をストレートに対象にして考えます。何かトラブルが起こったら、そのトラブル(だけに)注目して「問題点」「課題」を考えようとするのです。

 もう一歩進むと、事象を「より分析的」に捉えるようになります。トヨタ流の「なぜ」「なぜ」・・・の繰り返しによる「真の原因の追究」もそのひとつです。
 これは、課題を掘り返すという感じですから「下り」方向の「課題設定」ということにします。

 他方、「下り」があれば「上り」もあるのが世の道理です。

(p127より引用) 多くの場合、根本的な解決をする場合は、いま目の前にある問題と同じような種類、同じような脈絡、同じような性質をもっている問題は、全部一体で解決すべき課題であると考えます。するとそうした問題を共通項で括り上位概念に登ります。・・・すると、この大きな問題を課題として解決すれば、自分の目の前にある問題だけではなく、共通点をもった問題もすべて解決できることになります。

 「上位概念」とは、たとえば、建物でいった場合の「1階」に対する「2階」、会社組織でいった場合の「課」に対する「部」というものではありません。「上位概念」とは「抽象化」ということです。すなわち、「いくつかの事象の中に共通して含まれている普遍的な事柄を抽出する」ことです。

 ここで登場した「上位概念化」というコンセプトですが、これは先に紹介した同氏の「失敗を生かす仕事術」でも書かれています。
 同書では、「失敗を生かす『気づき』」という攻め口で登場していましたが、今回は、「課題設定」のための視座の工夫といった面から紹介されています。

 そして、ともかく、最も大切なことはこれらの探究に対する姿勢です。

(p127より引用) 共通点を見て、上位の概念に登っていく場合も、問題を分析してどんな要素と構造をしているかを見る場合も、まず大事なのは、具体的な問題があった場合、その問題がどんな構造をしているのか自分で分析してみて、そのうえで、自分の課題を決めることなのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「わかる」と「感じる」 (畑村式「わかる」技術(畑村 洋太郎))

2006-02-21 00:06:44 | 本と雑誌

(p3より引用) 創造や失敗について考えるときは、まず事象をしっかりと理解することから始める必要があります。「しっかりと理解する」ためには、まずは「わかる」ということの仕組みをきちんと知っておく必要があるし、さらに「わかる」仕組みを積極的に利用することが創造したり失敗を扱う上で大きなプラスになることがわかってきたのです。

と「はじめに」で記しているように、本書の前半では「わかる」とはどういうことかを説明しています。
 畑村氏によると、「わかる」とは「自分の頭の中にあるテンプレートとの一致」だと言います。

 また、理解の度合いや「わかる」に至る過程についても触れています。
 畑村氏の最近の著作に「直観でわかる数学」がありますが、「わかる」に至る方法としての「直感」と「直観」を、次のように対比させて解説しています。

(p65より引用) 直感を使っても思考のショートカットはできますが、そこで導き出される答えには「論理的な根拠」がありません。判断に際して、対象の要素や構造を一切見ていないのが「直観」とは決定的に異なる点なのです。・・・それは「わかる」からできるのではなく、たまたまそう「感じる」からその答えに至っているだけなのです。

 確かに辞書を引いて見ると、「直感」は「推理・考察などによらず、感覚的に物事を瞬時に感じとること」とあります。また、「直観」の方は「推理を用いず、直接に対象を捉えること。一般には感性的知覚をいうが、直接的に全体および本質をつかむ認識能力としてプラトンの『イデアの直観』以来、哲学上さまざまな形で高い位置が与えられてきた。」とあり、まったく別物です。

 「直観でわかる・・・」という本のタイトルをみて、タイトルの意味するところを「わかったつもり」になって購入した人も多かったかもしれません。

 また、この本を通して言えることですが、解説に付随している「図」が、理解を進めるうえで非常に効果的なサポートをしていると思います。決して凝った図ではないのですが、シンプルにポイントを突いています。
 実際、畑村氏も、「絵を書くことの意味」という章を立て、「説明文」と互に補完しあって、「わかる」を助ける「図や絵」の活用を大いに推奨しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆境の善用・順境の警戒 (修養(新渡戸 稲造))

2006-02-19 14:21:21 | 本と雑誌

 新渡戸氏はよく「善用」という言葉を用います。
 「善用」を辞書で引くと「よい方に使うこと。うまく使うこと。」とありますが、新渡戸氏の伝えたい気持ちはそれだけの意味ではないと思います。
 あらゆることがらを「善意に応用する」という「新渡戸流ポジティブシンキングの勧め」なのです。

(p265より引用) 境遇を善用し、見るもの聞くもの、あらゆる経験を利用して、向上の道具にする心がけがあれば、境遇そのものもこれを替えることができると思う。

 他方、順境の時の戒めについても触れています。(このあたりは、最近「他山の石」とすべき事件も起こっています。)

(p370より引用) 順境の人の警戒すべき危険
 一.順境の人は傲慢になりやすい
 二.順境の人は職業を怠りやすい
 三.順境の人は恩を忘れやすい
 四.順境の人は不平家となりやすい
 五.順境の人は調子に乗りやすい

 このような「新渡戸流ポジティブシンキング」の根底には「順逆は心の持ち様次第」との考えがあります。

(p342より引用) 逆境に陥ったならば、逆境そのものを善用して、我が精神の修養に供するがよい。・・・境遇の順逆はこれを善用する人の心がけ一つで、いかようにもなる・・・

(p365より引用) 梅雨の時期は霖雨連日、洗濯業者にははなはだ不幸な、いわば逆行時代であるが、百姓には最も幸福な、いわば順境時代である。人の幸不幸とか、境遇の順逆などは、各自の立場によって違う。境遇そのものに順とか逆とかの性質が、絶対的に付随しておるものではないと思う。

 そして、逆境を善用するとは、「自らが変わる」ことでもあります。

(p366より引用) 順境は前にも述べたごとく、自分と周囲との関係である。ゆえに周囲を変えることができぬとしても、自分の立場を変えれば、逆境もこれを順境に転じ得ることがしばしばある。しかるに、我々凡人は、自分の位地を変えることを考えないで、外部の状態やら、他人を変えることのみを考える。しかして、外部を変えることができぬ時は、天がせっかく順境を与えても、それを逆境視する者が多い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真っ当 (修養(新渡戸 稲造))

2006-02-18 13:54:42 | 本と雑誌

 新渡戸氏はものすごく真っ当な人物でした。

 この本は、どこを読んでも真摯な教訓・箴言に溢れています。クエーカー教徒としての人道主義的姿勢の現われかもしれません。また、随所に、「菜根譚」からの引用も見られます。ともかく、いかにも明治の一流の人格者・知識人という印象です。
(ところどころには当時の社会常識に依った言い様が残っています。現在の私たちの感性では少々気にはなりますが、これは、当時の世相を思うと、新渡戸氏ほどの人物ですらということでしょう・・・)

(p126より引用) たとえ敵意をもって反対する者に対してでも、自分はその善と信ずるところを行うておれば、必ずその誠意が通じて、相手を動かす時機が到来するものと思う。
 末遂に海となるべき山水も しばし木の葉の下くぐるなり
の一句は形而下の身分や立身にのみ応用する歌でなく、もっと高い思想にも適用ができると思う。

 この心は、吉田松陰の名言と言われる「至誠にして動かざる者いまだこれ有らざるなり(出典:孟子(至誠而不動者未之有也))」と同じです。
(ちなみにこの松陰の言葉は、私が学生時代、日本政治思想史の講義で唯一記憶に残っている最も好きな言葉です。)

 この「修養」という本は、明治44年から昭和9年にかけて148版を重ねたと言います。
 新渡戸氏の教育者としての想いが、「青年の特性」「青年の立志」「職業の選択」「決心の継続」「勇気の修養」「克己の工夫」「貯蓄」「余が実験せる読書法」「逆境にある時の心得」等々の全17章にこめられています。

(p307より引用) 一見すると他人の利は我が害、他人の損は我の得というように見えるが、実際はそうでない。そうでないどころか、一人の利は万人の利、一人の苦は万人の苦、一人の楽は万人の楽である。かく観ずれば、世界の調和は美しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プロセスの単線化の弊害 (失敗を生かす仕事術(畑村 洋太郎))

2006-02-17 00:47:32 | 本と雑誌

 最近はIT業界を中心に多くのベンチャー企業が登場し、そのいくつかの企業は新たな業界のリーダとなりつつあります。

 従来型の企業もその新たな流れへの対応にチャレンジしていますが、他方、従前からのキャッシュカウとしての成熟市場の延命にも努めています。その代表的な取り組みが「標準化による効率化」です。

(p171より引用) どんな組織も、萌芽期から発展期、成熟期、衰退期への流れを必ず辿ります。・・・
 成熟期は、こうして残ったメインルート以外の選択肢が切り捨てられていく段階です。完成した組織は、もはやそれ以上の試行錯誤を行わなくても、運営を続けていく上でこれといった不都合もありません。・・・
 この成熟期には大きな落とし穴があります。マニュアル化が「融通の利かない管理」になりがちな点です。メインルートのみを通ることを求め、「やってはいけない」「試してはいけない」「余計なことを考えてはいけない」という制約が与えられると、作業は効率化されていく一方で、選択肢をせばめられたことによる弊害が必ず現れるのです。

 「マニュアル化」は徹底すればするほど、「自分の頭で考えることを否定」します。

(p174より引用) 仮にこの段階で予期せぬ事態が生じたとすれば、せまい知識しか持たない現場の人間、管理者が誤判断を起こしたり、思考停止状態になってうまく対応できないということが当然起こります。これが衰退期へ向かう流れで、小さな失敗が放置された結果、やがては取り返しのつかない大失敗が起こるというパターンに陥るのです。

 このような細胞硬化がおこることを防ぎ、より積極的にプロセスの進化を進める具体的アクションが、トヨタでいえば「カイゼン」であり、GEでは「ワークアウト」です。

(p178より引用) 管理強化が失敗回避の切り札になり得ないのは明らかで、失敗を生かす組織運営を実現するには、こうした手っ取り早い手法に頼るのではなく、たとえ時間や手間はかかるにしても、ひとりひとりの失敗適応能力をアップさせるような方法も並行して取り入れていくべきなのです。

 現代社会で見られる失敗の根源的背景について、著者は次のように語っています。

(p21より引用) 社会の要求がすでに別のところにあるのに、それを見ようとしないで従来型のことしかやろうとしないおかしさも、いまや日本中の組織に共通している問題です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失敗の確率・失敗の期待値 (失敗を生かす仕事術(畑村 洋太郎))

2006-02-15 00:02:42 | 本と雑誌

(p105より引用) 労働災害の世界には、災害が発生する確率を経験則から導き出した「ハインリッヒの法則」というものがあります。一件の重大災害の裏には二十九件のかすり傷程度の軽災害があり、さらにその裏にはケガまではいたらなくても三百件の「ひやっとした体験」が存在しているという考え方です。・・・
ハインリッヒの法則は、失敗がある一定の法則で起こる確率現象であることを私たちに教えています。また、表面的には成功しているように見えるときでも、その裏で失敗の準備が着々と進んでいるという恐ろしい現実があることも伝えています。その中には、一度発生すると、再起不能の状態に追い込んでしまうような、致命的なダメージを与える危険な失敗が潜んでいることもあるかもしれません。

 この点に関しては、単なる「確率」論だけではなく「期待値(生じた影響×確率)」的な発想も必要です。

 最近起こった「株式売買誤発注(東証マザーズ市場に上場したジェイコム株をみずほ証券が誤発注した件)」でも、生じた事象は簡略化して言えば、「『A』と入力すべきところを『B』と入力した」ということです。(たまたま?)その『A』が『1株61万円』で、『B』が『61万株1円』であった結果、損害はとんでもないことになったわけです。
 このケース、(こまかく言えば違いますが、)『B』を『1株60万円』としてしまう確率と理屈上は大差はないはずですが、結果は天と地ほどの差がついてしまうのです。まさに、その点だけとらえれば、運不運の部分もかなりあります。

 コンピュータシステムのトラブルも同じようなことが言えます。
 不具合の生じる確率は大差なくても(たとえば、不注意による単純なプログラムミスであっても)、そのミスのロジックの場所によっては、発生する事象は大きく異なるのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

失敗を生かす上位概念化 (失敗を生かす仕事術(畑村 洋太郎))

2006-02-12 09:41:51 | 本と雑誌

(p68より引用) ここで出てくる大切な考え方は、一般化した知識をもとに「上位概念」(メタコンセプト)に上るということです。・・・ロケットの技術者に欠けていたのは、自分たちの分野の研究ではなく、たとえば自動車という人間の生活に非常に近い、長年の高度な知識の集積が見られる分野からの「知識の移転」(水平法)だったのです。・・・

 この話は私たちに広い視野を持つことの大切さを教えると同時に、ある失敗から得た教訓は、それをしっかり知識化し、その知識を一般化することではじめて、まったく別の世界でも使える幅の広いものになるということを示しています。

 「水平法」というのは、他分野の知識を自分の分野に当てはめる(その逆も)ということです。その「当てはめる」際の具体的な工夫のひとつが「上位概念化」です。
 扱う対象が異なると、他の失敗事例がそのままの平行移動的な形で当てはめられるとは限りません。ひとつの具体的事例からの教訓を、一段階高い俯瞰できる立ち位置に持ち上げて一般化・抽象化することにより、その適用範囲を広げるのです。

(p70より引用) これを「自動車工場のある失敗」と限定的にとらえるのではなく、たとえば「熱による影響と失敗」というもうひとつ上位の概念に上ってみると、H2ロケットへの応用だけでなく、たとえば「台所でガスコンロに火をつけて作業をしているときだって、注意しなければならないことはたくさんある」という発想にもつなげることができます。

 折角の過去の教訓(失敗事例)があっても、それに気がつかないとなんともしようがありません。ただ、「気がつかなかったからしようがない」では済まされない時代です。

 「気がつきにくい」のなら「気づきやすくする」具体的な手を打たなくてはなりません。その一つが「上位概念化」による教訓の汎用化ですし、それらの教訓のデータベース化によるナレッジ共有の仕掛けも有効な道具立てにはなります。

 ただ、それらも「気づこうとする意思」がなければ豚に真珠ですし、「活かそうとする意志」がなければ宝の持ち腐れです。
 最も大事なことは、「同じ失敗は決して繰り返したくない」という強い気持ちだと思います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

乱雑≠複雑 (複雑系の意匠(中村 量空))

2006-02-11 13:01:53 | 本と雑誌

(p184より引用) 秩序と乱雑の二つの世界は、いずれも複雑なものではない。私たちにとって厄介なのは、両者の間に位置する世界である。秩序がありそうだが、なさそうでもある。乱雑なようでもあるが、乱雑でないようでもある。わかりそうでわからない。そのような世界が、私たちにとってむずかしい複雑な世界なのである。

 秩序だった世界でかつ十分な情報を得ることができれば、結果の予測の確度は高く判断には困りません。
 また、情報が全くなく完全に乱雑な対象だと、今度は、純粋に「確率論」として割り切って判断することができます。

(p184より引用) 複雑さの原因は「中途半端な情報量」にある。この程度の情報では、さまざまな憶測が可能となり、「複雑度が増大」してしまう。情報が十分にある場合とまったくない場合には、逆に「複雑度は減少」する。

 現実的には、100%十分な情報が揃うことも極めて稀ですし、また、全く情報がないということもめったにありません。
 そういった状況下では、(私などは)やはり少しでも情報が多い方がより適切な判断に近づく可能性があるのでは、と思ってしまいます。「溺れるものは藁をもすがる」との気持ちです。
 そうなると後は、集めた情報の「頼りがい」次第になります。「情報の正確性・信憑性」や「情報に含まれる揺らぎ」等をどう見極めて、少しでもマシな道を選ぶかということです。
(まあ、その判断も全体の中では「揺らぎ」の範囲内ということで程度問題に過ぎないかもしれませんが・・・)

 結局のところ、最終的には、「やばいと思ったときに素早くハンドルを切ることができるかどうか」すなわち「変化への対応能力」が最後の砦になるのでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

複雑系の意匠 (中村 量空)

2006-02-09 00:43:44 | 本と雑誌

 従来から興味があったので、図書館で目についた「複雑系」関係の本を読んでみました。

Chaos  「複雑系」とは、
 「大辞林(三省堂)」によると、「多くの要素からなり、それらが相互に干渉しあって複雑に振る舞う系。従来の要素還元による分析では捉えることが困難な生命・気象・経済などの現象に見られる。高精度の測定技術、カオス・フラクタルなどの新概念の導入、コンピュータの活用などによって新しい研究対象となりつつある。」
と説明されています。

 従来の「単純系」の世界は、対象性・調和を完全と考える前提に立っていました。そこでは、1+1は必ず2になるという「線形思考」が基本となっています。線形システムであれば、それがいくら集積していてもそれは「部分の和が全体の和」になるので結果を予測することは可能です。

 他方、「複雑系」は「非線形思考」の世界です。1+1=2とならず、その結果には何がしかの「揺らぎ」が加わるとのことです。各要素が揺らぎ幅を持ちながら関連しあっている「複雑系=非線形」の世界になると、線形思考は役に立たなくなってしまいます。
 「ガチガチの線形思考」だけだと、現代社会では「所与の前提」となっている「変化」への対応に立ち遅れることになってしまうのです。

(p98より引用) 「非線形思考」による思考回路は、一定周期で循環するのではなく、まるで「ジャパニーズ・アトラクター」のように変動しながら徐々に拡散していく。そして思考の分岐点までくると、劇的な変化に対応した思考の飛躍が生じる。これこそが「非線形思考」に特有の、思考の柔軟性なのである。

 また、変化への適応度を高めるためには、適度の「揺らぎ=遊び・ぶれ」が必要になります。

(p104より引用) 進化の歴史を見ればわかるように、生物はさまざまな環境の変化に適応しながら生きのびてきた。特定の環境のもとで最大の効率を発揮するようにつくられた組織は、環境が変われば効率が悪くなり、やがて使いものにならなくなるだろう。その意味でいえば、環境への適応度をさげたほうがよい。しかし、逆に適応度がさがりすぎると、生物は死滅してしまうのである。

 成熟した組織は、現環境に適応している分だけ、環境の変化に対しては対応不全を起しがちです。
 今、うまくいっている組織ほど変わらなくてはならないのです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナーデリの企業文化の変革 (ジャック・ウェルチ リーダーシップ4つの条件)

2006-02-07 23:43:28 | 本と雑誌

 ナーデリはウェルチの最終後継候補3名のうちの一人でした。
 後継者には選ばれませんでしたが、GEを離れホームデポ(アメリカ最大のホームセンタ)のCEOに迎えられました。

(p235より引用) 分権化がホームデポをダメにしていたわけである。第二次世界大戦後、組織上の原理として分権化を初めて採用したのは、「ゼネラルズ」(つまりゼネラルモーターズとゼネラル・エレクトリック)である。しかしこのモデルは、戦後の一時期には確かに利点もあったが、広範囲に広がったユニットや事業部を管理するために、官僚主義的な階層を増殖させるという面も持っていたのである。

 「分権化」は多くの企業で進められているガバナンス形態です。そのレベルは「カンパニー制」「事業部制」「権限委譲」等様々です。

 ナーデリが問題視したのは「分権化」そのものの否定ではないと思います。
 ナーデリがCEO就任した当時のホームデポが、「ノーコントロール状態の分権体制」であったことが病原だったのです。しかも、それが「創業以来の自由放任の企業文化」に根ざしていたことが改革の困難さを増幅させていました。

 ナーデリは、強権的にガバナンス面での「統制」を推し進めるとともに、企業文化の変革にも取り組みました。自由放任で生じていた「無駄・重複・過剰」を徹底的に排除しました。

 また、ひとつの企業体としての戦略の共有化とそれに取り組む基本的な行動指針も示しました。
 「3つのシンプルな戦略」「変化のスピード」です。

(p239より引用) ナーデリの戦略は決して複雑なものではなく、わずか三つの文で表現できた。
 我々の戦略は非常にシンプルだ。「コアの強化」「事業の拡張」「市場の拡大」である。各カテゴリーでどの企業がトップなのかを見極め、その企業に勝つ方法を見つけなければならない。

(p239より引用) 内部の変化のペースが外部の変化のペースより速くなければ、置いていかれてしまう。我々はビジネスモデルを変えなければならない。「ここ」までたどり着いた方法では、「向こう」までは行けない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウェルチの後継者イメルトの価値観 (ジャック・ウェルチ リーダーシップ4つの条件)

2006-02-05 18:47:12 | 本と雑誌

 本書は、ウェルチ氏本人の著作ではないので、かえってサクサクと概念整理がされているように思います。

 大分以前に「わが経営」は読んでいたので、ウェルチ氏時代のイニシアティブの解説よりも、むしろ、ポスト・ウェルチの後継候補者たちに係る記述の方に興味を持ちました。

 まずは、ウェルチの後継者に指名されたイメルトについてです。
 やはり、彼も企業行動の基本を「価値観の共有」に置いています。ここでイメルト流なのは、その共有すべき価値観を「シンプルな単語に凝縮」したことです。

(p182より引用) 価値観によって将来の行動を本当に左右しようというのであれば、その価値観は行動の基準になり得るものでなければならない。また、シンプルで、誰にでも適用でき、モチベーションを生み出すものでなければならない。
 驚くべきことに、イメルトを中心とするチームは、GEに共通する価値観を四つの単語に凝縮した。
 〈GEバリューズ〉
  想像する(Imagine)
  解決する(Solve)
  築く(Build)
  リードする(Lead)

 1番目の「想像する(Imagine)」というのが特徴的だと思います。(英語ではまったく別の単語ですが、)「創造する(Create)」と言いたい気もしますが、

(p183より引用) 「想像する
 大志を抱く自由、そして、夢を現実にする能力
 想像するためには、人は情熱と好奇心を大切にするという価値観を持っていなくてはならない。」

と解説されると、なるほどと思ってしまいます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

計画的撤退 (ジャック・ウェルチ リーダーシップ4つの条件)

2006-02-04 19:52:10 | 本と雑誌

(p41より引用) 組織のエネルギーが無駄遣いされたり、不適切な方向に逸らされてしまわないようにする方法の一つは、何かを「やめる」ことだ。具体的には、もはや会社に付加価値をもたらさなくなった業務、プロセス、製品から手を引くことである。ドラッカーは、計画的撤退というコンセプトを世に広めた。組織の簡素化と同じく、これがエネルギーを解放し生産性を向上させるうえで重要な役割を演じている。

 この場合、ドラッカーの提唱する「撤退の判断基準」は、
 「もし、まだその事業・市場に参入していないとして、いま持っている知識から考えて、これから参入しようと思うだろうか?」
です。

 これがまさに「選択と集中」の「選択」のメルクマールです。
 ある種結果論のようでもありますが、「将来」に向けた「今」の判断としては至極当然なことです。

 ただ実際は、基準に合致しているかどうかの判断もさることながら、その結果「撤退」の印がついた事業から本当に撤退するのが結構大変です。

 これは「判断力」の問題ではなく「実行力」の問題かといえば、必ずしもそうとは言い切れません。
 すでに実施している事業(サービス)には「お客様」がついています。このお客様へのケアをどうするかが、「実行」に至るもうひとつ前段階の「判断」になります。

 ・・・とはいえ、お客様の存在は当たり前のことですから、結局のところ、それらも含めた「実行力」の問題なのでしょう。
 実行にあたってのリスクマネジメントやコンテンジェンシープランの策定は当然のことですから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする