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決算書がスラスラわかる 財務3表一体理解法 (國貞 克則)

2007-11-25 18:06:08 | 本と雑誌

 この本も少し前のベストセラーです。

 いわゆる「財務3表」、具体的には、損益計算書(PL)・貸借対照表(BS)・キャッシュフロー計算書(CS)の仕組みを「3表の『つながり』」に着目して解説した会計の入門書です。

 私も20年ほど前、会社の資金計画部門に勤務していたこともあり、この3表をセットにした財務の見方の重要性は常々感じていました。

 当時は「資金計画(資金運用表・資金繰り表)」を中心に、貸借対照表(BS)や損益計算書(PL)とのつながりを理解していました。
 貸借対照表(BS)との連関では、「資産科目・負債科目の増減」が資金の源泉・使途として認識されること、また、損益計算書(PL)との連関では、「非現金収入」「非現金費用」といった「非現金」という概念が理解の肝でした。

 本書は、会社設立からのひとつひとつのステップ(取引)をたどって、3表の連携した動きを説明していきます。
 説明に用いている個々の取引例は、イメージの湧きやすいシンプルなものなので、会計の超初心者にも非常に分かりやすい内容になっています。

 これだけで十分というものではありませんが、財務諸表の「仕組み」を俯瞰的にザックリと理解するには、手ごろな本だと思います。

 さて、そういう「財務諸表の入門書」である本書ですが、著者は、以下のような重要な指摘もしています。

(p125より引用) 財務諸表で評価できるのは会社の経営内容だけです。それだけでは分からない会社の価値がたくさんあること、とりわけその会社の将来の成長力を診断するうえで欠かせない判断材料である、社員の価値や知的財産の価値は財務諸表の数字に表れないことは、くれぐれも肝に銘じておいてほしいと思います。

 もちろん、「人」や「知恵」も何らかの形で「財務数値」に表れます。

 例えば「人件費」。
 これを分子にして売上高を割れば「一人当たり売上高」が分かります。これで経営の良否を云々することも可能です。

 ただ、こういったいわゆる経営指標で生身の「人の努力」や「知恵の価値」が測れると考えるのは、やはり誤りです。

 「人」や「知恵」を数値化してしまうと「ひとりひとり」「ひとつひとつ」が見えなくなってしまいます。
 「ひとりひとりの人」「ひとつひとつの知恵」に真の価値があるのです。

決算書がスラスラわかる 財務3表一体理解法 (朝日新書 44) (朝日新書 44)

決算書がスラスラわかる 財務3表一体理解法 (朝日新書 44) (朝日新書 44)
価格:¥ 756(税込)
発売日:2007-05-11


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ウェーバーの歴史観 (マックス・ウェーバー入門(牧野雅彦))

2007-11-24 18:27:28 | 本と雑誌

Weber_2  ふつう私たちは、歴史の流れを過去から追っていったとき、自然に過去より現在、現在より未来の方が進歩していると思います。

 ロッシャーによる「自然経済→労働経済→資本経済」という三段階論やビュッシャーの「家計経済→都市経済→国民経済」という発展段階論がその代表的主張ですが、これらの源にはヘーゲルが「弁証法」という論理により提示した歴史哲学すなわち「啓蒙主義的進歩史観」があるといいます。

 ウェーバーは、こういった進歩史観には与みしませんでした。

(p88より引用) 世界史的進歩史観に対する批判的な意識を、ランケ以来のドイツの歴史主義的思考は一貫してもっていたのでした。ウェーバーはそれを徹底して継承したということができるでしょう。

 ウェーバーは、歴史の個性的・具体的事象の連関に重きを置きました。

(p186より引用) 諸民族の世界史的な連関の中にあって、いかなる個性的具体的な要因が、どのような因果連関をかたちづくったがゆえに-そこでは具体的な政治的事件や宗教をはじめとする文化的・個性的な要因がこれまた個性的なかたちで絡み合って働いているというのがウェーバーの見方でした-われわれのヨーロッパ近代、その第一の特徴である「世界の魔術からの解放」がもたらされたのか、というのが彼の根本的な問いであったのでした。

 ウェーバーは、「比較」、すなわち「類似」と「相違」とに着目して因果連関を解明していきます。
 「ヨーロッパ近代」との比較の対象となったのは「古典古代」でした。

(p186より引用) そこで見いだされた因果連関、古代ユダヤにおける予言の出現と捕囚という一連の連鎖は、まさにその時点の歴史的な条件ゆえに成立したのであり、つまり一回限りの個性的な条件においてはじめて成立した、その条件が一つでも違えば結果は別になりえた、そのような過程であったというのです。そうした条件は二度と繰り返されることはない、そうであるがゆえにあの一連の過程は歴史的・世界史的意義をもっているのだというのがウェーバーの基本的見方でありました。

 フランス啓蒙思想に代表されるような普遍主義的思考には批判的な態度です。

(p187より引用) その意味では近代ヨーロッパの文化と社会をもたらしたものは、誤解を恐れずにいえば、いわば偶然的な条件の符合とそれにもとづく因果の連鎖の結果であって、決してはじめから定められたごとく必然的に進行する進歩なり発展なりの結果というわけではない、というのがウェーバーの考え方でした。

マックス・ウェーバー入門 (平凡社新書) マックス・ウェーバー入門 (平凡社新書)
価格:¥ 777(税込)
発売日:2006-02-11


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ウェーバーの方法論 (マックス・ウェーバー入門(牧野雅彦))

2007-11-23 21:06:02 | 本と雑誌

Weber  マックス・ウェーバーは、現代社会科学の基礎を築いたといわれるメジャーな社会学者なので、常識的なレベルのことは知っておきたいとの気持ちがあります。

 そういう意識から、以前も、何冊かのウェーバーの著作や、「入門」と名のつく本として、山之内靖氏の「マックス・ヴェーバー入門(岩波新書)」を読んでみました。

 本書は、ウェーバーの学問・主張そのものにフォーカスした内容というよりも、ウェーバーが活躍した時代の学問的思潮や歴史的背景等の解説が相対的に充実しています。
 大きな学究の潮流の中でのウェーバーの位置づけを明らかにしようという意図は、まさに、これからウェーバー研究を深めようとする人にとっての「入門」といえるものでしょう。

 さて、著者によると、ウェーバーは歴史主義の方法論を再整理したといいます。

(p67より引用) ウェーバーによれば、経験科学には大きくいって、一般的な規則性・法則性の発見を目指す方向と、個別具体的な現象とその原因・結果の因果関係を明らかにする方向の、二つの方向があります。前者を「法則科学」、後者を「現実科学」とウェーバーは呼んでいます。両者は認識目的がまったく異なっている。たとえば法則科学のように法則性を追求して、その一般的適用可能性を拡大しようとすれば、それだけ現象の個別具体的な側面は抽象化されることになるし、他方で現実科学が現象の個別具体的な内容を探求すればするほど、そこで獲得された知識は一般性をもたなくなる。いずれの方向を認識の目的とするかによって科学のあり方は異なってこざるをえない、とウェーバーはいうのです。

 このふたつの方向の中で、ウェーバーは「現実科学」に重きを置きました。

(p69より引用) いくら法則性の知識が重要であるといっても、法則性の知識だけから具体的な現実の姿を導き出すことはできない。・・・だからわれわれの「現実科学」にとって法則性の知識は、あくまでも具体的な現象をとらえるための手段にすぎない、というのがウェーバーの立場でありました。

 こうやってとらえた現象に対して意味づけをするのが「認識する側の人間の価値観」になります。

(p71より引用) ある事象が歴史的に意義あるものであるかどうかは、ぎりぎりつきつめればわれわれ認識する側の人間がみずからの関心において選び取るという一点にかかっている。こう主張することによって、ウェーバーは歴史主義の核心、すなわち普遍的・一般的な法則を重視する自然科学的思考の優位に対して、歴史的なものの究極的なよりどころを救い出そうとしたということができるでしょう。

 研究者の研究対象の選択において、この価値観がメルクマールとなります。

(p75より引用) 研究者は、彼の問題意識から「興味ある」対象を選択しているのであって、一般的・普遍的な法則などから自動的に研究対象が出てくるわけではありません。こうした問題関心の背後には各人の価値観があり、その限りにおいてはやはり対象の選択の問題は究極的には価値判断の問題と関わってくることになります。むしろ各人の拠って立つ価値の自覚を促すところにウェーバーの方法論のいま一つの意味がありました。

 価値観といってもあくまでも「研究者各人の価値観」です。
 その意味で、ウェーバーは、経験科学の政策論的有効性に明確な限界を設定したのでした。

マックス・ウェーバー入門 (平凡社新書) マックス・ウェーバー入門 (平凡社新書)
価格:¥ 777(税込)
発売日:2006-02-11


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バカには絶対解けないナゾナゾ (白崎 博史/石黒 謙吾)

2007-11-21 23:45:28 | 本と雑誌

Louis_xiv  無節操にあれこれといろいろなジャンルの本を手にとっているのですが、この本もたまたま図書館の新刊書の棚で目にとまったものです。

 直前に読んでいた本が三木清の「人生論ノート」で、これがかなり難物だったこともあり、今度の本は思い切り逆に振ってみました。
 極端な「やわらか系」です。

 載っているなぞなぞは、世界史・日本史・地理・文学・化学・生物・物理・美術・音楽・・・といった18のジャンルから、全部で176問。

 たとえば、

(p83より引用) 二酸化硫黄が充満している、北太平洋に弧状に連なった島々はなに列島?
ANSWER アリューシャン列島(亜硫酸列島)

(p157より引用) 田原俊彦が読んで元気がなくなったという、芥川龍之介の小説とは?
ANSWER 杜子春(トシ、シュン)

といった感じです。

 どれも、正統派?のなぞなぞ、たとえば「上は洪水、下は大火事、これな~んだ?」とか、「朝は4本足、昼は2本足、夕方は3本足で歩くものは何?」といったタイプのものではありません。
 答えようと思うと、「学生時代の暗記物の知識」+「ダジャレのセンス」が必要になります。

 内容は、強いて言えば「雑学」「うんちく」系ですね。

バカには絶対解けないナゾナゾ バカには絶対解けないナゾナゾ
価格:¥ 1,050(税込)
発売日:2007-09-07


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人生論ノート (三木 清)

2007-11-18 15:58:30 | 本と雑誌

 このところ、最近の話題本を手にすることが多かったので、久しぶりに哲学系の著作を選んでみました。

 著者の三木清氏(1897~1945)は、兵庫県生まれの大正・昭和期の哲学者です。
 京都帝国大学哲学科で西田幾多郎に師事し、卒業後ドイツに留学、歴史哲学を学ぶ一方、ハイデッガーの哲学やマルクス主義の影響を受けたと言われています。

 さて、この「人生論ノート」、巻末の解説において中島健蔵氏は「このようにわかりやすく、しかも肌のぬくもりを感じさせるものは、・・・」と語っていますが、私は正直なところかなり難渋しました。

 たとえば、「感情と知性」についての記述です。

(p66より引用) 感情は主観的で知性は客観的であるという普通の見解には誤謬がある。むしろその逆が一層真理に近い。感情は多くの場合客観的なもの、社会化されたものであり、知性こそ主観的なもの、人格的なものである。真に主観的な感情は知性的である。孤独は感情ではなく知性に属するのでなければならぬ。

 感情は通り一遍のレベルでは社会通念等に晒されたものであり、それゆえ社会化されたものだという論旨は理解できるような気がしますが、知性が「主観的なもの」「人格的なもの」だという立論になると、残念ながら私の理解力がついていけません。

 そうはいっても、何となく分かったような気になったくだりもあります。

 1・2、ご紹介すると、まずは、「秩序」の本質を「心」に求めている部分

(p99より引用) 外見上極めてよく整理されているもの必ずしも秩序のあるものでなく、むしろ一見無秩序に見えるところに却って秩序が存在するのである。この場合秩序というものが、心の秩序に関係していることは明かである。どのような外的秩序も心の秩序に合致しない限り真の秩序ではない。心の秩序を度外視してどのように外面の秩序を整えたにしても空疎である。

 もうひとつ、「確実なものは不確実なものから形成される」という指摘。

(p112より引用) 仮説は或る意味で論理より根源的であり、論理はむしろそこから出てくる。論理そのものが一つの仮説であるということもできるであろう。・・・
 すべて確実なものは不確実なものから出てくるのであって、その逆でないということは、深く考うべきことである。つまり確実なものは与えられたものでなくて形成されるものであり、仮説はこの形成的な力である。認識は模写でなくて形成である。

 いずれにしても、この150ページほどの文庫本、久しぶりに刺激にはなりました。

 私自身、哲学の素養が全くないだけに、改めて、思索の専門家のその意図するところを理解する困難さを思い知らされた1冊でした。

人生論ノート (新潮文庫) 人生論ノート (新潮文庫)
価格:¥ 380(税込)
発売日:2000


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The BCG Way (戦略「脳」を鍛える(御立尚資))

2007-11-17 18:56:13 | 本と雑誌

 本書は、戦略立案能力の肝である「インサイト」を身につけるためのBCG(ボストン・コンサルティング・グループ)が培った具体的な方法を開陳したものです。

 具体的な内容は、微に入り細を穿つというものではなく、かなり大胆に割り切って、「ユニークな戦略=定石+インサイト」という極めて単純な公式に絞り込んで紹介しています。
 御立氏によると、「インサイト」とは、「戦略論の知識(定石)」と「勝てる戦略(ユニークな戦略)の構築能力」とのギャップを埋めるプラスアルファの能力のことをいいます。

 実戦対応の一種のHow To本ではありますが、この本を読んで誰でも戦略的立案ができるかといえば、絶対に無理です。
 How Toは実際に使えなくては意味がありませんし、使えるようになるためには、それこそ実戦での実践を重ねるしかありません。

 さて、本書には、How Toの本線以外の周辺系の記述にも、いくつか気になるコメントがありました。

 まずは、「思考のスピードアップ」に関する御立氏のコメントです。

(p41より引用) 新製品開発を考えてみても、全く新しいものをゼロからつくり上げるケースはほとんどない。世紀の大発明といわれるものでも、ほとんどがアレンジだ。何かをモデルにして磨き上げ、新しいアレンジを加えて精度の高いものに改良していくのが創造的作業の基本である。

 つぎは、よく言われる「平均値の弊害」について。
 この点は、常に意識して思い起こすように気をつけておかないと、ついついこの落とし穴に落ちてしまいます。

(p70より引用) 多くのデータは何らかの加工を通じて、平均化されている。平均化された情報は、必ずしも実態を表さない。良い仮説を出すためには、まず平均値情報をばらばらにし、個々のデータを鳥瞰することが第一歩となる。

 最後は、御立氏が「知的シャドウボクシング」と呼んでいる訓練法です。

(p72より引用) 現場、すなわち観察事実とコンセプトをいったりきたりすることを、自分に強いる。このクセをつけることが、ユニークかつ筋の良い戦略をつくる能力につながっていくのだ。

 この「コンセプトワーク」と「フィールドワーク」の交錯が、「本の中のThe BCG Way」を「現場で活きるThe BCG Way」に変えるのでしょう。

戦略「脳」を鍛える 戦略「脳」を鍛える
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2003-11-14


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定石+インサイト (戦略「脳」を鍛える(御立尚資))

2007-11-11 23:12:54 | 本と雑誌

Igo  著者の御立尚資氏は、BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)のヴァイスプレジデントです。

 本書は、御立氏のコンサルタントとしての経験をベースに、「戦略立案のための実践的なノウハウ」を紹介したものです。

(p155より引用) ユニークな戦略=定石+インサイト
=定石+(スピード+レンズ)
=戦略のエッセンス
 +(パターン認識+グラフ発想)×シャドウボクシング
 +(“拡散”レンズ+“フォーカス”レンズ+“ヒネリ”レンズ)

という御立流の「基本フレームワーク」の各構成要素をひとつひとつ平易な語り口で説明していきます。

 御立氏のいう「戦略」はイノベーションを求めます。

(p2より引用) 囲碁・将棋の定石と同様、経営戦略も発見・模倣・陳腐化・イノベーションを繰り返すのがその特徴であり、「定石を超えた戦い方のイノベーション」こそが、戦略の本質なのである。

 みんなと同じでは意味がない、「ユニークさ」がポイントとなるのです。

(p24より引用) 戦略とは「ありたい姿」マイナス「現状」であり、「ケンカのしかた」であると定義すると、「ユニークさ」をつくり出すことこそが、勝つための要諦だということがはっきりする。経済学においても、「超過利潤を得るためには、市場を不完全な状態にする。すなわち自社が競争相手と全く違うユニークな地位を占める必要がある」とされている。

 御立氏は「ユニークな戦略」を「定石」に「インサイト」を加えたものだと定義します。

(p27より引用) 「インサイト」とは、「勝てる戦略の構築に必要な“頭の使い方”、ならびにその結果として得られる“ユニークな視座”」のことである。

 本書では、「理論本」というよりも「実践本」です。

 この類の本としては珍しく、頭でっかちな新た理論を振り回すではなく、割り切ったシンプルな例示を多用した「とっつきやすさへの配慮」が感じられます。
 サクサクと気楽に読めるので、使い慣れていない頭が拒否反応を起こさないのはありがたい限りです。

戦略「脳」を鍛える 戦略「脳」を鍛える
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2003-11-14


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複雑系の示唆 (非線形科学(蔵本由紀))

2007-11-10 22:42:59 | 本と雑誌

Koch_kyokusen  本書は、非線形科学の入門書という位置づけですが、やはり基本的な素養のない私にはなかなか理解することは困難でした。

 その中で、「考え方」という面で参考になったところを1・2、ご紹介します。

 まずは、複雑な対象を理解するための「基本的アプローチ方法」についてです。

(p54より引用) 一般に、複雑な対象を理解するには、基軸あるいは座標軸になるものをまず確立することが非常に重要です。座標軸をもつことで、個々の現実がそこからどのようにずれているかを測ることが可能になります。現象の根幹をなす主要な情報副次的な情報を選り分けるという作業が、複雑現象の理解にとっては欠かせません。

 整理のための基軸をしっかりと持つこと、これは、物理学に限らず理解に向かう普遍的な王道です。

 参考になったもうひとつの示唆は、「単純モデル」の効用です。

(p78より引用) カオスと今日よばれているような複雑な運動が、いとも簡単にこのような単純なモデルから出てくるということを主張したかったためです。気象学との関連でいえば、長期予想が難しいのは、必ずしも現象に関係する要因が複雑雑多であるせいではないということを主張したいがためでした。カオスの存在は、今日では誰の目にもまぎれもない現実です。この現実に人々の目を開かせるために、あえて現実離れしたモデルを導入するというパラドクスがここにあります。これこそ非線形科学の特色を鮮やかに示すものです。

 私たちは、しばしば、「複雑な事象が理解しづらいのは、関連する要素が多種多様にあることが原因だ」と考えてがちです。
 著者は、そういった思い込みを否定します。
 複雑な結果は単純な条件からも生れうる。カオスは、単純なルールが生み出す複雑さだというのです。
 モデル化は、実世界を理解するための有効な手法です。単純化されたモデルは、一見複雑にみえる現象社会の理解を助けるひとつのスキームだとの指摘です。

 本書のエピローグにおいて、著者の蔵本氏は、非線形科学の特徴的なアプローチ方法を総括し、その意味づけについて説明しています。

(p246より引用) じっさい、私たちは「何がどのようにある」という基本パターンにしたがって、ものごとを理解しています。「何」と「どのように」が変数になっていて、そこに値を入れる、つまり可変部分を不変にすることで知識が確定するわけです。

 非線形科学は、この「どのように」という述語的不変性に軸足をおいて複雑な現象世界をとらえようとするもののようです。
 「何」という主語があれこれ異なっていても、同じ「述語」が使われるものに着目します。

 「主語(何)」を探究するのが従来の科学のアプローチです。

 非線形科学の方法論は、「述語」をキーにして異質なものを紐づけるのです。
 そうやって新たにまとめられたアナロジーから、(根もとにさかのぼることなく)新たな不変構造を見いだしていくのです。

非線形科学 (集英社新書 408G) 非線形科学 (集英社新書 408G)
価格:¥ 735(税込)
発売日:2007-09


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単純 vs 複雑 (非線形科学(蔵本由紀))

2007-11-04 20:09:41 | 本と雑誌

Chaos  「複雑系」に関しては、ちょっと関心があったので、以前も「複雑系の意匠」という本を読んでみたりしました。

 本書の著者の蔵本氏は「非線形科学」の第一人者です。
 氏は、「まえがき」において、デカルトにはじまる近代合理主義精神をベースにした現代科学のあり方に対して、今、「何か足りないのでは」という疑問が感じられ始めていると指摘しています。それが、現代の「複雑系」「非線形科学」への関心の高さの背景にあるとの考えです。

(p18より引用) 広く認められた見解というよりは私個人の提案に近いのですが、非線形科学というものを「生きた自然に格別の関心を寄せる数理的な科学」とみなしてはどうかと思います。

 ここでの「生きた自然」を感じる元にあるものが「創発」という現象です。
 これは、結晶化や磁化のように、構成要素間の緊密な相互作用から生れる新しい性質の発現を言います。この創発が、複雑な様相を表わす非線形現象の源なのです。

 著者は、現代に至る科学の流れを「樹木」にたとえます。
 不変構造の源を物質の構成要素の細分により求める考え方です。

(p244より引用) 「物理学がそのすべてのエネルギーを傾注すべきものはミクロの世界であり、ミクロな要素こそ扇の要であって、そこさえ押さえればこの世界は原理的に理解可能である」という信仰が生れたのも無理からぬところがあります。
 このような自然観の信者たちは、科学という知識体系を一本の樹木のようにイメージしがちです。樹木の根もとには物質と時空の根源を探究する素粒子物理学があります。・・・
 樹木のイメージでは、多様なものを統合しようとすると、根もとに向かう方向でしか考えられません。・・・

 他方、非線形科学の採る方向は、末端の現象世界に止まって考察を進めるのです。

(p246より引用) 樹木の根もとにさかのぼることなく、枝葉に分かれた末端レベルで横断的な不変構造を発見できるという事実を、非線形科学は確信させてくれました。

 視座の転換です。

非線形科学 (集英社新書 408G) 非線形科学 (集英社新書 408G)
価格:¥ 735(税込)
発売日:2007-09


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裁判官の爆笑お言葉集 (長嶺 超輝)

2007-11-03 11:26:20 | 本と雑誌

Saikosai  著者の長嶺氏は、法学部を卒業の後、弁護士を目指し司法試験に数度挑戦した経歴をもっています。

 そういう著者が、自ら傍聴した裁判や新聞報道の中で、印象に残った「裁判官の言葉」を収録しそれぞれに短いコメントを加えたものです。

 「語録集」の場合、私が気にするのは、

  • 「どういうテーマ」のことばを対象とするか
  • テーマにあった数々のことばから「どのことば」を選び出すか
  • 選び出したことばに対して「どういう評価・コメント」を加えるか

という3つの観点です。

 この3点に、選者の考え方や価値観が明瞭に表れます。

 その観点からいうと、まずは、「裁判官の法廷での発言」をテーマに取り上げた点。
 これは、今までには見られなかった視点であり、オリジナリティのある興味深い着眼だと思いました。

 ふたつめの「選ばれたことば」について。

(p9より引用) 裁判官は建前としては「法の声のみを語るべき」とされていますが、法廷ではしばしば裁判官の肉声が聞かれます。私情を抑えきれず思わず本音がこぼれてしまうこともあれば、冒頭の山室判事のように、人の心に直接響く「詩」や「名言」などをあえて借りるといったこともあります。

 この点、個人的な希望としては、もう少し収録内容が充実していればと感じました。
 法廷の中では、おそらくは、もっともっと深い言葉・重い言葉が、それこそ山のように埋もれている気がします。

 3点目の著者による解説(評価・コメント)の部分ですが、ここはどうでしょう・・・、それこそ個々人の好みでもありますから・・・

 テーマ設定においては秀逸さが感じられるだけに、収録内容やコメントについては正直なところちょっと物足りない感じが際立ってしまいます。
 残念です。

裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書 な 3-1) 裁判官の爆笑お言葉集 (幻冬舎新書 な 3-1)
価格:¥ 756(税込)
発売日:2007-03


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国富の方法 (21世紀の国富論(原 丈人))

2007-11-01 22:57:32 | 本と雑誌

Computer_2  著者の原氏は、技術主導の将来を予測します。
 技術主導といっても「機械の方が人間に合わせる」時代をイメージしています。

 そこで重要になるのはコミュニケーション機能です。

 原氏は、現在、生活の中で必要不可欠なものになりつつあるパソコンの限界を予言します。

(p102より引用) やや大袈裟に未来を予測するなら、これから十数年のあいだにパソコンは終焉の時代を迎えるでしょう。・・・情報通信の分野で人間とのインターフェースを果たしてきたパソコンの役割は、終わろうとしているのです。

 確かにパソコンは、従来の計算機としての役割から、BlogやE-mailに代表されるコミュニケーションツールとしての位置づけに変化してきています。
 そういった用途から見ると、現在のパソコンは不十分な機能しか具備していません。たとえば、起動するにも時間がかかりますし、どこでもストレスなく使える環境も未整備です。

 そこで、原氏は、新たなコンセプトとして「PCU」なるものを提唱します。

(p102より引用) コミュニケーションに基づいた次世代のアーキテクチャ。私はこれを、PCU(パーベイシブ・ユビキタス・コミュニケーションズ)と呼んでいます。つまり、使っていることを感じさせず(パーベイシブ)、どこにでも偏在し(ユビキタス)利用できるコミュニケーション機能です。

 もうひとつ、原氏の提示する興味深いコンセプトをご紹介します。
 「ローカル・プロファイリング」という考え方です。

 これは、ワン・トゥ・ワン・マーケティングと個人情報保護の営みとを両立させる方法で、企業側から流れてくる種々の情報を、エンド・ユーザ側で保持した個人情報に基づきフィルタリングするという仕掛けです。
 企業(発信)側で流通情報を制御するのではなく、個人(受信)側で選別しようという考え方で、発想の転換という点では、一つの気づきとなりました。

 こういった技術主導の新しい事業を作り出すベーシックな仕組みとして、原氏は、「リスクキャピタル」の創設を提唱しています。

(p172より引用) リスクキャピタルという仕組みは、事業会社の投資と積極的な関与によってベンチャー企業における新技術の製品化を促すというものです。

 大きなテクノロジーリスクの存在する初期段階にある技術に対して投資を行い、投資元の事業会社と連携しつつ、新たな事業として育てあげていくというスキームです。

 新たな事業は必ずしも大企業で産み出されるとは限りません。むしろ、チャレンジングな中小企業の方が期待できます。

 「知的工業製品」を生み出すためには、個人の能力を最大限に発揮させる組織構造が求められます。具体的には、目的意識を共有したフラットな組織をイメージしているのですが、それを大企業において実現するのは困難です。

(p159より引用) 個々の構成員が所属部門だけの成功報酬といった損得勘定を乗り越え、会社全体の目的意識を共有することが重要です。ポイントは、助け合いの意識を自らの仕事に対する誇りや責任感とうまく結びつけることです。

 まさにチャレンジングな中小企業に相応しい姿です。
 ただ、これは、会社の規模の大小に関わりなく、普遍的に重要な組織の基本姿勢でもあります。

21世紀の国富論 21世紀の国富論
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2007-06-21


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