OMOI-KOMI - 我流の作法 -

For Ordinary Business People

父 吉田茂 (麻生 和子)

2013-07-29 22:49:18 | 本と雑誌

Shigeru_yoshida  家の書棚にあったので手に取ってみました。

 著者の麻生和子さんは、茂氏の三女、最も近くにいた肉親しか知り得ないようなエピソードも多く、まさに政治家然とした政治家を別角度からとらえることは興味深いものです。
 そういった数々のエピソードの中から、いくつか覚えに書き留めておきます。

 まずは、戦後、マッカーサー総司令官との対応における吉田氏のスタイル

(p41より引用) 外交官時代からの習慣だったと思いますが、父がマッカーサーとの会見からもどると、かならずその日話し合った内容を秘書官に伝えていました。秘書官はそれを文面にして、マッカーサーのもとに届けます。「自分ではこういうふうに理解したけれど、それでまちがいはないか」ということを、文面で確認していたわけです。

 政治家としての発言の重さを意識した態度ですが、これは当然のプロトコルでもあります。
 昨今は、こういった確認を確信犯?で怠ることにより、後々の言い訳の泳ぎ幅を大きくしている政治家がそこここに見られますね。そういったやり様が「政治的」だと大きな勘違いをしている輩です。

 もうひとつ、これは従来からの吉田茂氏のイメージと合致している内容です。

(p98より引用) 祖父と父とは、ならべてみるとまるで白と黒ほども性格がちがっていました。
 祖父はなにごとも用心深く慎重で、石橋をたたいても渡らないほうでしたが、父は全然たたいてもみずにぴょんぴょん飛んで渡ってしまうような人でした。

 「ぴょんぴょん」というのは、なるほど彷彿とさせる表現ですね。
 ちなみにこの「祖父」というのは、大久保利通の二男であり、外務大臣をはじめとして政府の要職を歴任した昭和初期の政治家牧野伸顕氏のことです。

 さて、本書、吉田茂氏が表の主人公ではありますが、実際のところは著者麻生和子さんの自伝でもあります。
 そのあたり、本書への期待の持ち様によって読後感は大きく異なるように思います。ちなみに私の感想は・・・といえば、正直なところちょっと物足りなさが残りました。

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心を豊かにする言葉術 (松平 定知)

2013-07-24 21:55:08 | 本と雑誌

Microphone  このところ読書のペースが落ちていたので、ちょっと気楽に読める本として選んでみました。

 テーマは、「言葉」
 元NHKアナウンサーの松平定知氏と10人のゲストとの対談です。ゲストの面々も松平氏に輪をかけて一家言ある方々ですから、なかなか辛口のコメントも登場します。
 それらの中からいくつか私の興味を引いたところを書き留めておきます。

 まずは、TBSのディレクタ・演出家であった鴨下信一氏との対談の中から、「アナウンサー独特の言い回し」についてのくだりです。

(p58より引用) 松平 書き古された表現や耳にたこができるような表現を条件反射的に使いすぎることも原因だと思います。菜の花が咲くと、必ず“絨毯”だし、観光客はいつでもどこでもなぜか“どっと繰り出す”ことになっています。視聴者には次に続く言葉が予測できるから、これでは驚きも感動もない。

 この松平氏のコメントを受けて、鴨下氏は、「同じ表現を繰り返すパターン化は言葉の記号化を招く」と指摘しています。

 別の章で、数学者で作家である藤原正彦氏との対談も採録されていますが、そこでの藤原氏の主張は「人は言語で思考する」というものですから、その論旨と綜合すると、「言語の記号化は、まさに日本人の思考の劣化につながっていく」ことになりますね。

 もうひとつ、女優の壇ふみさんとの対談。ここでは「日本語の美しさ」について語り合っています。

(p122より引用) 壇 言語学者の金田一春彦先生が、昔、嘆いていらしたのですが、「近頃の若い人たちは“食べ逃げで、申し訳ありません”などと言う。そういう時は、“戴き立ちで、申し訳ありません”が正しいのだ」と。知れば知るほど、日本語の豊かさや美しさを実感しますね。

 恥ずかしながら、私は“戴き立ち”という言葉を知りませんでした。なるほど柔らかな語感で、なかなかいい表現ですね。

 最後に、対談とは直接関係ないのですが、本書の中で最も印象に残ったところ、評論家佐高信氏との対談の章で紹介されていた詩人吉野弘さんの作品「祝婚歌」からの一節です。

(p176より引用) ・・・
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
・・・
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
二人にはわかるのであってほしい

 以前は、結婚式の祝辞でよく披露されていた詩とのことですが、私も少しは実感として分かるようになりました。
 

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知の逆転 (ジャレド・ダイアモンド 他)

2013-07-18 22:05:19 | 本と雑誌

Aibo  評判になっている本ですね。
 「銃・病原菌・鉄」の著者ジャレド・ダイアモンドをはじめとした世界的知識人に対するインタビュー集です。

 さすがにどの対談も興味深い言葉が満載ですが、それらの中から特に気になったものをいくつか書き留めておきます。

 まずは、著名な言語学者ノーム・チョムスキー氏が語るインターネット社会の要諦の指摘です。

(p102より引用) 垂れ流しの情報があってもそれは情報がないのと変わりません。何を探すべきか知っている必要がある。そのためには、理解あるいは解釈の枠組みというものをしっかり持っていなければならない。これを個人で獲得するのはたいへんです。機能している教育制度や組織が必要だし、他の人たちとの交流が必要になる。視点というものが形作られ発展していくためには、構造をもった社会が必要になります。

 玉石混交の情報の氾濫の中から、有用で必要な情報をスクリーニングする重要性はひろく指摘されていますが、その方法として「構造」という言葉で「社会」の充実・深化を指摘している着眼は独創的ですね。

 そして次は、「人工知能」の専門家コンピュータ科学者のマービン・ミンスキー氏のコメントです。
 ミンスキー氏は、先の東日本大震災の伴う福島原子力発電所の修復作業に、ロボットが活躍できなかったことをとりあげ、ここ数十年間の技術進歩の停滞を憂いています。

(p173より引用) 問題は、研究者が、ロボットに人間の真似をさせることに血道をあげているということ、つまり単に「それらしく見える」だけの表面的な真似をさせることに夢中になっていることにあります。

 SONYのAIBOもHONDAのASIMOもその類です。ロボット工学はエンターテインメント面に走ってしまいました。

(p173より引用) たとえば、ソニーの可愛らしい犬ロボットは、サッカーをすることができるわけです。・・・けれども、ドアを開けることも、ましてや何かを修理することもできない。

 世界チャンピオンに勝つコンピュータも大したことではありません。そういったチェスのプログラムも、基本は、従前からのコンピュータの得意技である超高速演算パワーを背景とした統計処理に過ぎないのです。
 こういった現状に対し、ミンスキー氏は、今後の研究の方向性として、自ら知能を高めていくような自律的問題解決型のロボット開発を提唱しています。

(p175より引用) 最も重要なことは、まずコンピュータに、人間の子供にできるレベルのことができるようにする。そこから成長させていけばいい。研究テーマの選択を大きく誤ったために、過去30年が失われてしまったんです。

  「知能の成長」に関する理論研究、とても興味を惹くテーマですね。

 そして、最後に、ミンスキー氏に対して「推薦図書」を訪ねたときの答えです。

(p198より引用) いまでは、読むのはほとんどSFですね。少なくともこれらの中には、往々にしてなんらかの新しいアイディアが入っているから。人気小説と言われるものを読むと、いつも古いアイディアに新しい名前の人々を入れかえただけですから。

  応用数学の専門家でアカマイ・テクノロジーズの共同設立者でもあるトム・レイトン氏もSF好きとのこと。
 やはり理系的知性の関心の根源は「科学的未来」を構想する「想像力」にあるようです。
 

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採用基準 (伊賀 泰代)

2013-07-11 22:21:19 | 本と雑誌

Reimagining_japan  私の知人の間で結構評判になった本なので、遅ればせながらですが読んでみました。

 著者の伊賀泰代さんは世界的に有名な戦略コンサルティングファーム“マッキンゼー”の採用マネジャーを12年務めた方です。本書はその著者が語る「人材論」です。

 マッキンゼーで大切にする人材は「考えることが好きな人物」です。
 採用面談では、まずその点を確かめます。「ケース面接」はそのためのツールです。

(p38より引用) 「頭の中から、解法という知識を取り出すこと」と「考えること」がまったく異なる行為であることを、コンサルタント、すなわち面接担当者は日々、徹底的にたたき込まれています。このため、候補者が目の前で「頭の中に保存してある解法を探す」プロセスに入った瞬間に、「この人は、考えるより知識に頼る人だ」と判断してしまうのです。

 そして、この考える能力は、「分析力」に代表される“掘り下げる”方向ではなく、「仮説構築力」「構想力」といった“組み上げる”方向での発揮が期待されるのです。

 この「仮説構築力」「構想力」をもって、組織は「成果」を求めます。
 そこに必要なのが「リーダーシップ」です。この「リーダーシップ」と組織内の「役職」との関係性について、著者は重要なポイントを指摘しています。

(p99より引用) この順番が重要です。「役職が先でリーダーシップが後」なのではなく、必要なリーダーシップをもっていることが証明されて初めて役職に就くのです。

 このあたり、しばしば、「役職」がそれに相応しい人を作ると言われる日本企業の考え方とは明らかに異なるものです。目的意識と時間概念の差でもあります。

 さて、著者は、リーダーシップを発揮する人、すなわち「リーダー」のなすべきタスクを4つ示しています。シンプルですが、とても重要です。

(p133より引用) リーダーがなすべきことは①目標を掲げる、②先頭を走る、③決める、④伝える、の四つに収束します。

 この4つの中のひとつ「決める」について。
 決断は、誰もが思い浮かべるリーダーの最重要行為ですが、その決断は、必ずしも「絶対の目標」ではありません。リーダーの決断は、より大きな「成果」をもたらすための「手段」でもあります。

(p146より引用) 準備が完璧になるまで決めないという意思決定方式は、一見、責任感のある正しいやり方に見えます。しかし、準備を完璧に行うことが可能だと思っている時点で、この考えは極めて傲慢であり、非現実的です。そうではなく「常にポジションをとり、結論を明確にしながら、その結論に対して寄せられる異義やフィードバックを取り込んで、結論を継続的に改善していく」やり方のほうが、現実的な場合もあるのです。

 こういうやり方が、著者の説く「リーダーの基本動作」です。
 ただ、こういった考え方・動き方は、特殊な能力をもった人しかできないといった類のものではありません。

 大きな課題を目前にすると、多くの人は救世主を求めます。著者はそれを「スーパースターシンドローム」と呼んでいるのですが、一人の超人的リーダーが現れても、それだけでは世の中を大きく変えることはできません。

(p182より引用) 現状を変えられるのは、神でもスーパースターでもありません。必要なのは、組織のあらゆる場所で、目の前の変革を地道に主導するリーダーシップの総量が、一定以上まで増えることです。

 この「リーダーシップ・キャパシティ」を如何にして大きくするかが、変革力の大きさの最重要ポイントなのです。
 小さな問題でもいいのですが、何か問題に直面したとき、人はふたつのタイプに分かれます。

(p196より引用) 最初のタイプは、何らかの問題に気がついた時、「それを解決するのは、誰の役割(責任)か」と考えます。もう一方の人たちは、それを解くのが誰の役割であれ、「こうやったら解決できるのは?」と、自分の案を口にしてみます。この後者の人を、リーダーシップがあると言うのです。

 「私が動くべきことではない、別に動くべき人がいて、その人に任せておけばいい」、こういった考え方からは「リーダーシップ」は生まれません。如何にして「他人ごと」を「我がこと」「皆のこと」と捉えるようになれるのか、著者は、きちんとした訓練を受けることによって誰しもできるようになると考えているのです。

 本書のタイトルは「採用基準」とありますが、内容は、マッキンゼーにおける人事採用マネジャーとしての経験を踏まえた「リーダー育成論」です。
 

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日本語の教室 (大野 晋)

2013-07-03 22:14:05 | 本と雑誌

Wakamurasaki   シンプルなタイトルであるが故に、一体どんな議論がなされているのか気になって手に取ってみました。

 著者の大野晋氏は、丸谷才一氏とも親交の深かった日本を代表する国語学者です。その日本語・日本語文法の大家が、日本語にまつわる素朴な質問に答えていくという形態の本です。
 その一問一答の中から私の興味を惹いた箇所を、覚えとして書き留めておきます。

 まずは、古典文法の「係り結び」に関すると問いから、現代日本語の「ハ」と「ガ」の違いについて解説している部分です。

(p102より引用) 現在日本語では、文の主の下にガを使うか、ハを使うかのどちらかだが、それには次の原則がある。
①ガの上には、疑問のこと、未知のこと、新発見と扱うことを据えて構文の主とする。
②ハの上には、話題としてすでに知っている、知られていると扱うことを据えて構文の主とする。ハの上を分っているものと扱う。・・・

 このルールの例示として著者が挙げている例文は、次のようなものです。

  • 「本が部屋の隅にあった」、この場合は、「(未知の)気付かなかった本というものを部屋の隅に発見した」ということ。
  • 「本は部屋の隅にあった」と言えば、「前から探していた(既知の)本が部屋の隅で発見された」というニュアンスになるというのです。

 そして、この新・旧情報をつなぐ構文は、古文の時代から受け継がれた日本語の基本構造だと、著者は説いています。

 本書で印象に残ったところをもうひとつ。日本語における「漢語の効用」を語っているくだりです。

(p133より引用) 漱石や鴎外だけでなく、明治時代、大正時代の人々は、漢文ができた。漢語を多数駆使できた。それが彼らの日本語に豊富さを与え、事態の精細な理解把握に役立っていた。彼らは漢文を学んだ上でヨーロッパ語を習得し、そこで簡潔とか的確とか明晰を獲得し、その頭脳で物事を考えていた。

  「かな」では前後関係からしか判別し得ない「同音異義語」も、漢字の単語・熟語を使うと明瞭に区別し表現することができます。
 この「漢文」を通しての表現力の拡大・論理的思考能力の醸成が、明治期以降の先進諸外国からの知識吸収に大いに貢献したとの考えです。

 そして、この「漢文」は、古来からの「和文」と併存することにより、日本独特のハイブリッドな文化的潮流も作っていきました。

(p141より引用) 日本人は漢文そのもの、その訓読系の文章によって明晰、簡明、論理的な組織化の重要さを学び、和文系の表現によって優しい心、自然を感受する心、情意のはたらきを受けとる能力を養ってきた。その二つが日本人の心をはたらかせる車の両輪だった。

 さて、本書において著者は、「日本語」という切り口から日本文化・日本社会の現状や将来についても語っています。

(p180より引用) 最近の社会現象に現われた、文明の正確な、精しい理解、把握力に欠けた日本人の行動は、私の見るところでは、実は日本語を正確に、的確に読み取り、表現する力の一般的な低下と相応じていると思うのです。

 戦後の当用漢字・教育漢字の制定等に見られる「漢字教育」の弱体化が、著者がいう「日本人の言語能力の劣化」をもたらし、ひいては「事実・真実に対する誠意の欠如」や「虚偽や隠蔽の優先」にまで結びつくかといえば、少々我田引水的な立論のようにも感じますが、確かに、演繹的ではないにせよ、少なからぬ影響はあるだろうとは思いますね。

(p207より引用) 漢文訓読体という文章は文明に向き合おうとする意志によって維持されて来ました。それが敗戦後の言語政策によって壊されて行き、人間の理と情という両輪の一方が国民として脆弱になり崩れて来たと私は見ています。

 “カナモジカイ”“ROMAJIKAI”の主張はあまりに極端ですし、「当用漢字」「常用漢字」の制定における国語審議会(現在は「文化審議会国語分科会」)の答申内容も納得性には乏しいものがあります。
 それに対する、著者の主張は明確です。
 

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