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時価会計の弊害 (21世紀の国富論(原 丈人))

2007-10-28 18:19:10 | 本と雑誌

Shoken_torihiki  ベンチャーキャピタリストの原丈人氏による「これからの日本への提言」です。

 その前段で、原氏は、まずはアメリカ流のコーポレート・ガバナンスの基本である「企業は株主のもの」との考え方を否定します。

 株主のための株価に基づく企業価値の評価が「ネットバブル」のひとつの要因であったと言います。

(p20より引用) 技術が未完成であるのに、バラ色の未来を吹聴するのは詐欺に等しいでしょう。それなのに、なぜネットバブルは現実に起きてしまったのでしょうか?私には、それまでアメリカ企業の強さの源泉でもあった「何をやれば一番株主の持ち分価値を上げることができるか」という発想が、この間に本来の役割を超え目的化していったことが背景にあるように思えます。

 よく言われる近視眼的な「時価会計の弊害」です。

(p42より引用) 現在のIT産業に続く21世紀の基幹産業が世界のどこからも生れてこない。
 それは、新しい技術創造の担い手であるベンチャー企業に、中長期的なレンジで資金が供給されなくなっているからです。過剰な時価会計の浸透は短期的な利益のみを要求し、技術開発は真に革新的な技術の芽を育てられず、小さな成功ばかりを志向するようになってしまっているのです。

 原氏によると、こういった風潮は、ビジネススクール出身者による経営陣が助長したと言います。

(p49より引用) ビジネススクールの失敗は、あらゆるものをすべて数字に置き換えたことにあります。人の動機づけ、幸せといった本来は定性的なものまで、何もかも定量的な数字で分析しようとしたために、手段と目的が反対になる現象が起きるのです。

 株価という企業価値の最大化のためにROEの向上を求める、ROEの向上自体は、資本の効率的活用を目指すものですから悪いことではありません。しかし、ROE向上のために将来への投資である研究開発費を大幅に削減したり、目先のリストラに走ったりすると、それこそ本末転倒になります。

 現在の市場の状況を見るに、「会社は株主のもの」との主張の下、時価会計制度やROE重視の経営によって「実態を反映していない高い株価となった虚業」が、「実態はあるが株価の安い実業」を呑み込んでいます。

 著者は、まさに「悪貨は良貨を駆逐する」がごとくの今日の姿に警鐘を鳴らしています。
 中長期的・継続的発展を図る視点から、製造業に代表される「基幹産業としての実業の再生」を強く求めているのです。

21世紀の国富論 21世紀の国富論
価格:¥ 1,470(税込)
発売日:2007-06-21


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生物と無生物のあいだ (福岡 伸一)

2007-10-27 21:36:25 | 本と雑誌

Dna  DNAの「二重らせん」構造解明のエピソードの紹介や、細胞膜のダイナミズムの解説など、生物学者とは思えないほどの滑らかな筆致で話が進みます。

 著者は、本書で「生物とは・・・」という生物の定義を追求して行きます。

 生物の一つの定義は「自己複製するもの」というものでした。
 この点に関して著者が紹介したのは、、DNAの構造、すなわち、あの有名な「二重らせん」をめぐる物語でした。

 しかし、生命のからくりは、単純な「複製」では説明できないような不思議な現象を引き起こします。生命のからくりは、もっとダイナミックなものとしてとらえないと説明できないのです。
 著者は、ひとりの生物学者を紹介します。

(p8より引用) 私は一人のユダヤ人科学者を思い出す。・・・その名をルドルフ・シェーンハイマーという。彼は、生命が「動的な平衡状態」にあることを最初に示した科学者だった。私たちが食べた分子は、瞬く間に全身に散らばり、一時、緩くそこにとどまり、次の瞬間には身体から抜け出てゆくことを証明した。つまり私たちの生命体の身体はプラモデルのような静的なパーツから成り立っている分子機械ではなく、パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている。

 著者は、本書のいくつもの章において、いろいろな言い様でこの「動的平衡」のメカニズムや意味を説明していきます。

 メカニズムという点では、「タンパク質の相補性」がキーコンセプトのようです。
 また、意味づけという側面では、「エントロピー増大への対抗」という点を指摘しています。

(p167より引用) エントロピー増大の法則は容赦なく生命を構成する成分にも降りかかる。・・・しかし、もし、やがては崩壊する構成成分をあえて先回りして分解し、このような乱雑さが蓄積する速度よりも早く、常に再構成を行うことができれば、結果的にその仕組みは、増大するエントロピーを系の外部に捨てていることになる。
 つまり、エントロピー増大の法則に抗う唯一の方法は、システムの耐久性と構造を強化することではなく、むしろその仕組み自体を流れの中に置くことなのである。つまり流れこそが、生物の内部に必然的に発生するエントロピーを排出する機能を担っていることになるのだ。・・・

 エントロピーの増大は生命の終焉をもたらすものです。
 逆に、生命はエントロピーの増大に対抗するものということになるのです。

 こうして、生命の定義は書き換えられます。

(p168より引用) 自己複製するものとして定義された生命は、シェーンハイマーの発見に再び光を当てることによって次のように再定義されることになる。
 生命とは動的平衡にある流れである

 著者は、生命とは「効果」だというのです。

(p154より引用) 生命とは要素が集合してできた構成物ではなく、要素の流れがもたらすところの効果なのである。

 本書は、単純に分子生物学の専門書とは言い難い、ちょっと不思議な読み心地の本です。

 専門的な記述といっても初心者向けに非常に優しく書かれているので、高校生物+α程度の知識で何となくわかったような気がします。
 そういう科学書としての顔に加えて、もう一つの顔をもった本です。

 ニューヨークやボストンでの研究生活やその街の風情・佇まいの細やかな描写が、一風変わったエッセイとしての趣きも醸し出しているのです。

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891) 生物と無生物のあいだ (講談社現代新書 1891)
価格:¥ 777(税込)
発売日:2007-05-18


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松岡流 (日本という方法‐おもかげ・うつろいの文化(松岡 正剛))

2007-10-24 23:04:04 | 本と雑誌

Ukiyoe  本書のテーマである「日本的編集方法」の探究とははなれて、松岡氏の指摘のなかで印象に残ったものをご紹介します。

 まずは、松岡氏による「徳川時代の意味づけ」です。

(p155より引用) 徳川時代は実に多くのことを試した時代でした。明が倒れ、鎖国がなかったらこうはならなかったかもしれませんが、まさに国産化が試され、芝居が試され、農事が試され、染めが試され、浮世絵が試され、思想が試され、メディアが試されています。しかもそれらをいま眺めても、そのほとんどがそれぞれ究極の仕上がりに近くまで達していたのではないかと思えます。・・・
 徳川時代ほどに文化実験的な創発力が熟成していた例は、世界史上でもめずらしかったと思います。

 明の衰退によって、徳川幕府が基軸にしようとしていた中華思想・儒教思想の基盤が失われてしまいました。そこから鎖国・日本国内重視の動きが始まり、自給自足体制の充実という徳川幕藩システムが立ち上がったのです。その中で、あらゆる分野での国内実験が進んだというわけです。

 事象をシンプルな基本コンセプトで切り出し、それらの関連性の中で位置づけ、意味づける説明ぶりは、私も常々身につけたいと思いながらもまだまだ全く至りません。

 その他の興味深い指摘としては、日本の外交・渉外面でのダイナミズムの欠如の原因を「法の成り立ち」に求めている点がありました。

(p216より引用) 日本はつねに「判例法」や「慣習法」を重視してきた国で、どんなことも実態を見てから法令をくみあわせて切り抜けてきた。
 これに対してアメリカなどは、制定した法が新たな現実そのものになっている。法は理想であって、かつまた現実そのものなのです。・・・
 日本ではめったにこういうことはない。少年犯罪が多くなると少年法の対象年齢を下げ、構造設計のミスが多いとその基準を変えるわけで、現実のあとを追いかけるのが法律なのです。

 最後に、これは松岡氏の著作でよく触れられている「引き算の文化」についての指摘です。
 本書では、明治期の哲学者清沢満之の「消極主義」「二項同体」の思想の説明の流れで登場しています。

(p245より引用) 二項同体、消極主義、ミニマル・ポシブル‐。まさに「日本という方法」です。私たちの先祖たちは、水を感じたいからこそ枯山水から水を抜いたのです。墨の色を感じたいから、和紙に余白を担ってもらったのです。それはすべてを描き尽くす油絵とは異なります。油絵は白を塗って光や余白をつくるのですが、日本画は塗り残しが光や余白をつくるのです。

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス) 日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)
価格:¥ 1,218(税込)
発売日:2006-09


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「並立」の文化 (日本という方法‐おもかげ・うつろいの文化(松岡 正剛))

2007-10-21 13:51:34 | 本と雑誌

Manyosyu  松岡正剛氏の視点は、硬直した頭の私にとっては斬新に感じられ、いつも大いに刺激を受けます。

 この本は、「17歳のための世界と日本の見方」に続いて読んでみたものです。

 本書において、松岡氏は、「日本という方法=日本的編集方法」を探るべく日本の歴史を辿っていきます。その際、氏が置いたキーワードが「おもかげ」と「うつろい」です。

 本書で採り上げられているあらゆるissueは、松岡氏の立論においてはすべて時間的・空間的につながっているので、部分だけ切り出してもあまり意味はありません。
 が、そうはいっても、松岡氏の指摘の中で、特に私が関心をもったところを一部取り出してご紹介します。

 それは、「並立」という方法です。

(p52より引用) 日本人は対比や対立があっても、その一軸だけを選択しないで、両方あるいはいくつかの特色をのこそうとする傾向をもっているのでしょうか。・・・
 こうした比較は、比較文明論的な客観的比較から生まれたのではありません。そうではなくて外国を意識しつつ、それを活用してもうひとつの「和」をつくることがおもしろかったのです。

 その前工程では、外来のものをうまく取り込む編集も行われています。

(p43より引用) 私はこのような日本的編集を「外来コードをつかって、内生モードをつくりだす方法」と名付けています。外からコードを取り入れて、それを日本で工夫して日本的モードをつくっていく、そういう方法です。・・・
 私は、このような古来の口語文化を新たな漢字表記によって定着させようとしたこと、そこに日本的編集のすぐれた創発があったこと、そのこと自体が、このあとの日本文化の根本的表現に大きな基盤を与えたと考えています。

 これは、たとえば、太安万侶の「古事記」の記述に代表されるように、漢字を使って日本語(倭語)を表記したり万葉仮名と和化漢文の混淆文で文章を綴ったりする方法です。

 さて、この「並立」という方法ですが、これにさらにいくつかの編集技法が加わって、代表的な「日本的情報編集方法」へと深化していきます。

(p65より引用) アワセは合併とかマージということではなくて、二つの相対する文物や表現を、左右や東西の仕切りの両側で情報的に比べ合わせることです。そして、アワセの次に競います。これが「きそひ」です。つまりどちらがいいのか勝負や判定をつける。いまでも紅白や源平に分かれて競技するやりかたです。こうしてアワセ、キソイをへたのちの歌などの表現物を、あとでまとめて編集構成するのです。これは「そろへ」です。つまりソロエ(揃え)です。
 このアワセ・キソイ・ソロエは、このあとの日本文化の編集方法としてしょっちゅう使われた方法でした。私は、アワセ・キソイ・ソロエに、さらにカサネ(重ね)という手法を加えて、これをもって日本の情報編集の最重要な方法のひとつだと見ています。

 こういった「キーワードを核にしたコンセプトワーク」は、松岡氏の思索の真骨頂です。
 基本的な知識の蓄積がないとこれほどまで見事には繋がっていきません。

日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス) 日本という方法―おもかげ・うつろいの文化 (NHKブックス)
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失敗を活かす「逆演算」 (「変わる!」思考術(畑村洋太郎))

2007-10-20 19:38:55 | 本と雑誌

 畑村氏と言えば、「失敗学」の提唱者として有名です。

 畑村氏は、失敗の経験を活かすための準備作業として「知識化」というプロセスを重視しています。

(p157より引用) 新たにつくった問題解決のためのシナリオを本当の意味で使えるものするには、「知識化」という作業が必要になります。
 知識化というのは、ある場面でしか使えない状態の知識を一般化することで普遍的知識とすることだと考えてください。

 個別の失敗事例から独自の部分を削ぎ落とし、他の事例の際にも適用できるような「失敗原因のエッセンス」を抽出するのです。
 この作業は、失敗の原因を「なぜ、なぜ・・・」により深堀りし詰めていくというよりは、複数の事象を一段階高い俯瞰的な視座からとらえて、そこに共通に存在する根本原因を可視化して掴み出すイメージです。

 「失敗学」は、失敗を肯定的に意味づけます。

 「失敗」を薦めてはいるものの、ただ、失敗をすれば次には成功するというものではありません。「失敗」を活かすための「作業」が必要なのです。

 さて、本書では「変わる!」ということを提唱しているのですが、その「変わる」ための具体的な方法のうち、私の興味を惹いた考え方をひとつご紹介します。

 畑村氏が「逆演算の思考」と名付けているものです。

(p172より引用) 逆演算の思考というのは、見えている結果からある現象を考え、見えていない原因を探っていく能力だというふうに考えられます。これは一見すると誰にでもできる簡単なことのように見えますが、原因と結果というふたつの要素で見ているうちは難しく、なかなか真実が見えてきません。
 もともと原因には、「要因」と「からくり」(「特性」といってもいい)のふたつがあります。これはある要因をきっかけとして、それがからくり(特性)というブラックボックスの中を通ることで現象が起こっているという意味です。そうすると結果から要因を類推することができても、それを引き起こすからくりがどんなものかを理解しないことには、その人はその現象をすべて理解しているとはいえないことになるわけです。

 これは、「原因」と「結果」の間には「プロセス」があるということ、そして、その「プロセス」を解明し理解しないと次なるアクションにはつながらないのだという(当たり前ですが)非常に大事な点を指摘しています。

「変わる!」思考術 成功する人と失敗する人、その差はここだ 「変わる!」思考術 成功する人と失敗する人、その差はここだ
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2004-08-26


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マニュアルの弊害 (「変わる!」思考術(畑村洋太郎))

2007-10-14 15:05:54 | 本と雑誌

 畑村氏の著作は何冊も読んでいるので、特に目新しさはありません。畑村氏の主張の復習といったところです。

 ただ、本書は、読者に対して、どちらかというと姿勢や行動の「変化」を求めるメッセージが中心で、氏の「失敗学」「決定学」「創造学」といった著作で見られる方法論・プロセス論的な解説のウェイトは非常に軽くなっています。

 たとえば、「機能・機構・構造」に関する説明もほんのさわり程度です。

(p29より引用) 独立した個になるには、こうしたゼロの状態から新しいものをつくるときの考え方が役に立つのではないかと考えています。それは簡単にいうと、機能、機構、構造ですべての事象を見る考え方です。・・・
 まずはじめの機能ですが、これはそのものが持つ働きのことだと考えてください。この機能はいくつかの機能要素からなり、それを実現するための機構がこれに対応するようにしてあります。そして、この機構をまとめたのが構造なのです。

 もちろん、畑村氏にとっては定説となっている「マニュアルの弊害」についての記述のように、コンパクトに氏の主張のエッセンスがまとめられているところもあります。

(p155より引用) マニュアル化の目的は、複雑化した作業を誰もが容易にできるようにすることにあります。しかし、その便利さこそが失敗を招く原因にもなっていることは見逃せません。
 このように完成された定式を使うと、その問題に対する深い理解がなくてもマニュアルを踏襲することで効率的に目的を達することができます。ただし、その実態は部分的な理解しかできない状態定式が利用されているので、表面的にはうまくいっていても裏では著しい潜在能力の低下が起こっているという問題が発生しているのです。

 マニュアルが完成され機能する「成熟期」に、まさにマニュアルによりプロセスの硬直化が起こり次なる変化に対応不全を起こすという図式です。
 安定的な事業運営が、かえって変化の兆候を見逃しやすくする構造を内包しているわけです。安定は「衰退期」の入口です。

 そうであれば、常に変化へのアンテナの感度を上げておく工夫が不可欠になります。
 うまくいっている部門では気づきにくいでしょうから、あえて別の目でチェックする仕組みが必要かもしれません。

「変わる!」思考術 成功する人と失敗する人、その差はここだ 「変わる!」思考術 成功する人と失敗する人、その差はここだ
価格:¥ 1,260(税込)
発売日:2004-08-26


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さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (山田 真哉)

2007-10-13 21:18:43 | 本と雑誌

 たまたま図書館の棚を眺めていて目についたので、今ごろになって読んでみました。

 「会計」の基本的な知識を、身近な事象を材料に紹介していきます。

 「機会損失」「キャッシュ・フロー」「在庫」・・・、ちょっとでも会計関係の知識のある人にとっては、もの足りない説明です。が、それでも、「話題の取り上げ方」や「初心者への説明の仕方」という点では結構参考になります。

 もちろん、頭ではわかっていても、実際の行動がともなっていない場合もよくあることです。そういう人(私も含めて)にとっては、「反省」のきっかけにもなります。

 たとえば、「費用削減」について。

(p41より引用) 費用の削減はパーセンテージで考えるべきものではなく、絶対額で考えるべきものなのだ。・・・
 ・・・毎日100円節約して、たまにパッと5万円を使った場合、・・・残念ながら赤字である。・・・要は、節約した気になっているだけで会計を見ていないのである。

 こういうことはよくあります。
 ただ、必ずしも「絶対額」だけが絶対指標とは限りません。最終的には、確かに重要なのは「絶対額」です。
 が、ひとつひとつの施策に取り組むモチベーションを高めるような場合には、「額」が小さくても「率」を目標にすることは有効です。
 施策間の優先順位をつけたり、それらの結果を総体として評価したりする場合は「額」が重要です。
 「率」と「額」は、「結果」だけでなく「プロセス」も重視するときには、うまく使い分けなくてはなりません。

 その他、説明の仕方という点で参考になったのは、「機会損失」の会計的考え方から「目標設定のあり方」をコメントしている部分でした。

(p102より引用) どうせやるならできる限り最大限まで目標を高めに設定したほうがいいということだ。
 最初にモチベーションが湧いたこと自体がチャンスなのである。そのせっかくのやる気、せっかくのチャンスをみすみす逃す手はない。・・・
 ・・・目標の設定値が低いと、どうしても途中で「これくらいでいいか」と思ってしまう。これは、自分ではある程度やったつもりでいるからプラスだと思うかもしれないが、会計的にいうと明らかなマイナスなのである。

 著者の「会計学」の意味づけは、首肯できるものです。

(p207より引用) 「どうすれば物事を的確にとらえることができるようになるのか?」ということにチャレンジしつづけているのが「会計」という学問なのです。

 会計的な思考・手法を用いて、物事を多角的にとらえたり、その本質をシンプルに表現(数字による可視化)したりするのです。

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書) さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)
価格:¥ 735(税込)
発売日:2005-02-16


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宇宙からの帰還 (立花 隆)

2007-10-08 13:55:17 | 本と雑誌

Uchu_hikoshi  先に「宇宙開発の50年 スプートニクからはやぶさまで」という本を読んだのですが、本書もその「宇宙つながり」です。

 私が小学生のころ、「宇宙」にはかなり興味をもっていました。
 小遣いをせっせと貯めて買った初めてのものが「天体望遠鏡」で、夜な夜なベランダに持ち出しては、月や惑星、星団や二重星を見ていました。

 ちょうど、アメリカがソ連(当時)に追いつけ追い越せと「アポロ計画」を推し進めていたころでした。当時は、結構、宇宙飛行士の名前を覚えたりしていましたが、やはり、アポロ11号の3人のクルー、アームストロング・オルドリン・コリンズは別格でしたね。

 本書は、宇宙が人間に与えるインパクトを、実際に宇宙飛行を経験した数々の宇宙飛行士のインタビューからあきらかにしようとしたものです。

 当然、アポロ11号も登場します。なかでもオルドリンのエピソードはインパクトがありました。月に降り立った第2番目の人類の「宇宙飛行前」「宇宙飛行中」「帰還後」・・・。

 その他、一言で宇宙飛行といっても、「地球周回軌道」のみの経験と「月軌道」の経験とでは、質的に大きく異なるという指摘も興味深かったです。
 視野一杯に地表が見えるのと、地球がひとつの惑星として、宇宙のなかにポツリと浮かんで見えるのとでは、「地球に対する感覚」が全く違うというのです。

 そういった「宇宙飛行士の『地球』」です。

(p64より引用) (宇宙飛行を終えて帰ってきた宇宙飛行士たちは、)例外なく、地球に対する認識が驚くほどふくらんだというのである。それは単に、地球環境がいかに人間の生命維持に不可欠かがわかった、といった単純な感想ではない。地球と人間のトータルなかかわりに関する認識とでもいったらよいだろうか。具体的には、・・・全人類が現にその上に乗っており、すべての営みをそこで現に展開しつつある地球を、目の前に、一つのトータルなものとして見た経験がある人間だけが持ちうる認識とでもいったらよいだろうか。

 このあたり、もう少し具体的なものとして、アポロ7号に乗り組んだ宇宙飛行士アイズリ氏のことばを紹介します。

(p248より引用) 宇宙からは、マイナーなものは見えず、本質が見える。表面的なちがいはみんなけしとんで同じものに見える。相違は現象で、本質は同一性である。地表でちがう所を見れば、なるほどちがう所はちがうと思うのに対して、宇宙からちがう所を見ると、なるほどちがう所も同じだと思う。

 こういったことが、「理念」としてではなく、リアルな「実体」として感じられるというのです。

宇宙からの帰還 (中公文庫) 宇宙からの帰還 (中公文庫)
価格:¥ 840(税込)
発売日:1985-07


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画文集 安野光雅の「ファーブル紀行」 (安野 光雅)

2007-10-07 17:03:07 | 本と雑誌

Avignon  「昆虫記」で有名なファーブル(Jean-Henri Fabre 1823~1915)は南フランスの寒村サン・レオンに生まれました。
 プロバンス地方のセリニヤンに移り住み、困窮生活にも関わらず、独学で昆虫学の研究に専念します。終生におよぶこの地での観察が、あの「昆虫記」(全10巻1879~1910)に結実するのです。

 本書は、1988年、NHKで放送された「NHK特集『安野光雅 ファーブル昆虫記の旅』」に関連したものですが、安野光雅氏は、その数年前からフランスでファーブル昆虫記ゆかりの土地を訪ねスケッチを続けていました。

 本書は、安野光雅氏とファーブルという取り合わせがちょっと気になったので手にとってみたものです。

 私自身、絵心があるわけではなく、また、安野氏の絵が特に好きということでもないのですが、この本に載っている絵はどれもしっくりと馴染みます。南フランスの小さな町の家並みや農村風景等は、安野氏独特の淡い色調の水彩画の画題としてはぴったりのようです。

 本書は、タイトルに「画文集」とあります。

 その大半は、安野氏の画集の体裁ですが、ところどころにエッセイ風の文章が挿入されています。ファーブルの半生や人となりの紹介、訪れた町や村の描写など、軽いタッチで語られています。

 その中の一節、「ファーブル昆虫記の価値」についてのくだりです。

「ファーブル昆虫記」は昆虫の生態の記録でもあるが、その学問にたいする独学という姿勢が全体を貫いているということが、ひそかな価値なのではないかと思っている。

画文集 安野光雅の「ファーブル紀行」
価格:¥ 2,730(税込)
発売日:1988-09


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銀座の達人たち (早瀬 圭一)

2007-10-06 23:11:34 | 本と雑誌

Ginza  先日、ちょっとした買物があって昼間、久しぶりに銀座を歩きました。会社から7~8分も歩けば中央通りに出ます。

 明治初期、銀座は今の風情の礎を築くことになります。幾く筋かの通りで整形されたシンボリックな街区が誕生しました。

(p162より引用) 大火を機に政府は、海外とつながる横浜‐新橋間を当時の日本経済の中心であった日本橋と結ぶことを考えたらしい。その「渡り廊下」として銀座を位置づけていた。文明開化の象徴のような煉瓦づくりの新しい街は、そんな背景があってつくられている。

 最近の銀座の変容には目を見張るものがあります。私は、ファッション系には全く疎くまた関心もないのですが、奇抜な外観の有名ブランドショップはやはり目に入ります。

 こういった状況を、銀座の老舗の主人たちはさまざまな心持ちで観ています。

 たとえば、壹番館洋服店店主渡邊明治氏が思う「銀座のふところ」についてのくだりです。

(p105より引用) このところブランドショップの進出ラッシュが続き、街の風景が一変した。一昔前なら考えられないような店も出店している。ルール違反が多い、と「三亀」のオヤジが嘆くのも当然である。しかし、銀座はふところの深い街だ。いろんなものを抱え込むが、時間が経つと淘汰されて合わないものは出ていく。何十年も続くものはこの街に必要なものなのだ。銀座にはある種の「品格」がある。それが長年かかって築きあげた伝統だと渡邊は思っている。

 当然ではありますが、本書で紹介されている老舗には、ビシッと一本通った本物の気概が強く感じられます。
 それは、家業の重みでもあり、伝統の誇りでもあります。

 このところ外資系に圧されているホテル界の老舗「帝国ホテル」もまだまだ捨てたものではありません。
 「サービスとはなにか」「マナーとはどうあるべきか」、歴代の「ミスター帝国ホテル」が、そういうホテルマンの基本を真摯に問い続けます。

(p334より引用) 百十周年を機に「帝国ホテル行動基準」がつくられた。「挨拶」「清潔」「身だしなみ」「感謝」「気配り」「謙虚」「知識」「創意」「挑戦」の九つからなっている。
 このキーワードを折りたたみのカードに記し、全従業員が常に携帯している。基本的なことばかりだが、全て実行出来ているか、となると誰しも胸に手を当てることになる。・・・
「さすが帝国ホテル」
「帝国ホテルともあろうものが」
帝国ホテルに対する客の評価は、究極のところこのどちらかである。これ以外はない。

 本書で紹介されている老舗。一度は訪れてみたい気がします。

 ライオン銀座7丁目店なら、行く気になればすぐにでも行けますね。
 持物にも全くこだわりのない私ですら、銀座タニザワの鞄は気になります。

銀座の達人たち 銀座の達人たち
価格:¥ 1,890(税込)
発売日:2006-12


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