飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

終わりの日の預言!!②

2008-03-29 10:10:44 | 預言

『終わりの日の預言』転載!!第2弾
正覚院 義敬(本名;矢野 敬二郎氏) 著


Gpw20050129nasagpn2000001359cloudst  事件の事にほんの少しふれておこう。

 時あたかもかのオウム真理教事件の直後に起こったことである。些細な記憶しかない。要は、宗教を出汁(ダシ)にした詐欺事件という寸法である。 統一教会などよくあるカルト宗教のパターンととして摘発受けた。それくらいの認識しかない。

 今もって、事件についての認識は当時と差異がない上に、著者についても見識はなく、面識もない。情報は転載文書の内容と自分の直感だけである。もう一つ、次回以降で出てくるが、預言の内容がまるでイザヤ書等とシンクロナイズしていたためある。丁度、イザヤ書を偶然にも読み進めているときであったから、驚いたの何のって!

 著者は、かの教団のマネージャー兼教学担当の僧侶であったらしい。それぐらいしか承知していない。そうしたら、『かねてから筆を進めていた教学本』(叶う道)が運良く手に入った。古本センターで見つけた。送ってもらった。読んだ。やっぱり、高野山である。密教である。真言宗である。お大師様である。空海である。一言もイエスもヤハウェーもエホバも出てこない。純然たる真言密教の加持祈祷教学本である。これはこれで大変おもしろかった本ではあるが.....

 それが、この事件の進展とともに物語は始まる。否、物語ではない。れっきとした実話である。物語と言ってもおかしくないくらい物語然としているから、まさしく『事実は小説よりも奇なり』と言うべき感慨がある。

 釈迦に念仏となるかもしれないが『預言』について、ちょっと講釈。予言ではない。予言も含まれるが、神から預かった言葉として『預言』であるから、念のために。

【転載開始】

主は言われた 1996

 12月5日、愛知県警が高野山明覚寺に供養状況の捜査に訪れた。門主と本覚寺幹部らは下山した。 それを機に、多数の報道陣が高野山に押しかけ始めた。私は連日、報道陣の取材に応じた。
 年が明けて間もなくの1月11日、元満願寺の僧侶3名が追逮捕された。私は門主の自宅(東京都渋谷区)に呼び出された。門主はいよいよ自分が逮捕される可能性を感じていたらしく、こう言った。
  「いまさらと思うかも知れんが、わしは君を、弟か息子のように思ってきた。私の命は前から言っているように、あと半年はもたないだろう。逮捕されるような ことがあったら、間違いなく獄死すると思う。総務本部長は病気の母親を抱えていて、逮捕されるわけにはいかない身の上だ。本覚寺管長も心臓病で、逮捕され たら危ないだろう。君はまだ若い。君にこんなことを言うのは身を引き裂かれる思いだが、ここは若い君に、できれば何とかして欲しい。わしの最期のお願い だ。金も用意するから。」
 罪を犯していないならば、恐れるものなど何もないはずである。私は半ばあきれつつ、言った。
  「そんなこと言わないで下さい。言われなくても、もしもの時は、そんなこと、させませんから。」
 もちろん、金銭は拒絶した。
 1月下旬、私は高野山のアパートに戻った。本山では主管が中心となって、2月3日から行われる本山最大行事の『星供大祭』の準備が進められていた。
  2月1日、高野山は朝から記録的な大雪に見舞われ、星供大祭に参詣してくる信徒たちの足となる交通の便が心配された。明覚寺にいた私は、愛知県警が来山し たとの知らせを受け、また何かの確認だろうかと思った。愛知県警に対して反抗的な姿勢を見せる修行僧たちをいさめ、私の居場所を告げるようにさとした。
 午後3時頃、だったと思う。突然、僧坊に押し入って来た刑事たちが、座っていた私の両脇を乱暴に取り押さえた。が、無抵抗の私に安心したのか、1人の刑 事が「愛知県警捜査一課の中山だ」と名を名乗り、私の両脇を押さえていた刑事たちの手をほどかせた。中山刑事がポケットから一枚の紙を取り出して私に示 し、言った。
 「正覚院義敬はあんただな。○○時○○分、ここに書いてある容疑で逮捕する。ええな。」
 中山刑事は、別の刑事に、私に手錠をかけるように指示し、手錠がかけられた。中山刑事は言った。
「その僧侶の格好は、まずいな。顔も見えんように、なんかで隠した方がよかろう?」
 私はそれを拒否し、作務衣姿で何も隠さないまま腰縄で縛られ、僧坊の玄関を出された。
 その瞬間、いっせいにフラッシュがたかれた。目の前には数10メートルに渡る道が警官らによって作られ、左右に報道陣のカメラが整然と並べられていた。 警察の車が用意されている場所までの長い道のりを連行され、車に押し入れられる私の目の前にマイクが何本も突きつけられ、レポーターに心境を問われた。
  「真実は法廷で明らかになります。」
 私は答え、車の後部座席に押し入れられた。 車の助手席に座っていた刑事が言った。
  「わしが、中山刑事と一緒にあんたを担当させてもらう久野じゃあ。まあ、よろしゅう頼むわ。」
 運転席には池田刑事がいた。久野刑事は、車に乗り込んだ中山刑事や池田刑事から「係長」と呼ばれていた。
 車が出発した。車の時計は午後4時頃を示していた覚えである。
  午後8時頃、車はまず愛知県中署に入ったが、私の身柄は愛知県中川署の代用監獄(いわゆる留置場)に拘束されることになった。その日、門主、私、本覚寺幹部、明覚寺僧侶の併せて計8名が逮捕され、 名古屋市内の警察署内にバラバラに連行されていた。

 中川署に到着し、取調室に連行された私は、部屋に入るなり、いきなり用意された書面に署名捺印するよう強要された。
  「ちょっと待ってください。何を書いてあるか、読ませて下さい。」
 私が言うと、久野刑事は嫌な顔をして書面を見せた。「容疑を認めます」という書面であった。訳の分からないうちに署名捺印していたら、大変なことになるところであった。
 私は、僧侶たちが詐欺などするはずがないと信じていた。 霊を成仏させることについて言えば、真言宗では、それができると信じているからこそ葬儀をし、法事をしているのである。真言宗の法を修得している僧侶ら が、真言宗の法に則って修法していたのである。真言宗の法にそれができないとなれば、真言宗の僧侶が葬儀や法事で受け取る布施は、すべて詐欺となるはずで ある。
 ところが、高野山真言宗の著名な高僧が、「真言宗の成仏(即身成仏)は理想であって、実際には成仏などできない」と証言していたのである。れ は詐欺だと有名な僧侶数人が証言していたのである。刑事たちは、その僧侶らの供述調書を私に見せた。その僧侶らが供述している通りであるとすれば、高野山 真言宗は霊を成仏させられないのに成仏させることができるかのように装って、供養名目で金銭を騙取している詐欺教団ということになる。
 私は、その僧侶らが自らの著書で、供述とは全く正反対のことを書いていることを知っていたので、そのことを刑事らに話し、署名捺印を拒否した。 久野は言った。
 「こりゃ署名しといた方がええて。後で後悔しても遅かろうが。どぎゃーする? ほんとに、ええんか? 知らんぞ、どうなっても。」
 中山が言った。
 「係長、まぁまぁ・・・。なぁ、これは署名捺印しといた方が、あんたのために、ええ。ほんとに、あんたのために言うとるでのー。な、署名しときぃて。」
 私は「認めません」と答えた。久野は言った。
 「わかった。認めにゃー、と。これで裁判所に行くでな。」
 その後、中山刑事からコンビニ弁当を勧められたが、拒否した。中山刑事と久野刑事は、私に見せびらかしながら弁当を食べ始めた。
  「うまいぞ。食べんか。腹へっとろう?」
 彼らが食事を終えると、私は中川署の代用監獄に放り込まれた。私はその日から断食を始めた。

 翌日、私は車に乗せられて、裁判所に向かい、2時間程後に中川署に戻った。前日の書類を裁判所に提出した結果、私の身柄は拘留されることになった、ということであった。
 逮捕から3日目、久野刑事と中山刑事は、寺の顧問弁護士が差し入れた弁護士選任届を示した。しかし、弁護士解任届に署名捺印するよう、強要した。
  「なんで責任をお前さんに押し付けて甘い汁を吸うた上の奴らをかばうん? お前さんにとっても、それが一番ええことやに。分からんなぁ。弁護士も、お前さ んの弁護するのんとちゃう、本覚寺の顧問弁護士で。本覚寺の幹部を釈放させるために、あんたに全部、責任押し付けようとしとるんぞ。よう考えないかん。わ しらも本当に悪い奴をぶち込みてゃーからよ。」
 私は、弁護士の方針で十分であった。本覚寺の幹部がすべてを私に背負わせて釈放され、僧侶や信徒たちのために尽力してくれれば、それでよい。だから弁護士を解任しなかった。
 午前9時から午後9時までに及ぶ取調べが連日、続いた。刑事たちは、私が話す内容を捻じ曲げて供述調書を作文し、署名捺印を迫った。
  「あんたが署名せんなら、高野の僧侶たちを逮捕するしかないがや!」 「わたしが話したとおりの内容の調書なら、いつでも署名捺印します。」  翌日から検事調べが始まった。


 中川署の取調室に検事が現れた。山田英夫と名乗る若い検事は、3つ揃えのスーツ、整髪剤で固めたオールバックの髪型で、私の話を聞き、書記官にメモさせていった。
  しばらくすると、「君の話を書いた。サインしてくれるよな。」と言って、ワープロ打ちした供述調書を差し出してきた。サッと目を通すと、確かに私が話した 内容が書かれてあったように見えたので、署名した。が、捺印する前に、念のため、もう一度、ゆっくりと調書に目を通してみた。すると一見、私の話をそのま ま書いているようでありながら、所々に私が話していないことを、私が話したかのように挿入してあった。私は捺印するのを止めた。山田検事は一瞬、気づかれ たか、というような表情を見せ、あわてて調書を引っ込め、そそくさと取調室を出て行った。
 しばらく山田検事は来なくなった。
 1週間ほどした頃、顧問弁護士の1人が接見に来て、言った。
  「門主からの伝言で、断食をやめるように、それと、門主も調書に署名捺印しているので、調書に署名捺印するように、ということでした。実刑をくらっても、 せいぜい5年。外のことは万事、心配しないでいいから、ということです。本覚寺の幹部の皆さんが釈放されたら、みんなで、あなたが出てくるまで頑張って、 万全の体制で迎えるから、と伝えてくれ、ということでした。」
 この日、弁護士を介して高野山明覚寺本山主管Fから本の差し入れがあった。『あとは野となれ』(曽野綾子著)であった。誰かのため、何かのために、と 思って無理をするのではなく、「あとは野となれ」という心境で、まっさらな選択をして欲しいという、心遣いだと思った。私はひと晩でこの本を読んだ。読 後、門主や本覚寺の幹部、信徒たちのために自らを犠牲にしようとしていた心に、ふと迷いが生まれた。何が本当に人のためになるかは、人間には分からないこ とではないか。こうして事件が起ったことも、仏の意思なのではないか。もしかしたら、これこそが「大いなる存在」の「慈悲」なのではないか。・・・様々な 考えが交錯する中、不思議と透明な心境になっていた。 肩肘を張って、決死の心境で臨もうとしていた自分を、少し突き放して見るようになった。
 翌日、刑事たちに話した。
 「署名捺印しますから、私の話も少しは書いて下さい。納得すれば、署名捺印します。」
 私は早速、法務合同庁舎の山田検事の検事室に連れて行かれ、そこで検事調べが行われた。付き添いは、細江という婦警であった。山田検事は、先日の供述調 書を書き直したので、署名捺印して欲しいとのことであった。私は注意深く目を通した。先日の調書よりはマシになっていたが、私が話していないことが散りば めてあったので、山田検事にそのことを問うた。すると山田検事は言った。
  「調書というのは検察官の主観で書くものであって、君の主張を書くものではない。それに、君たちの争点は『信教の自由』だろう? 細かいことはいいじゃないか。」
 ならば、私が話したことを書いた、などと言わなければよい。
 「調書の初めに、『任意このとおり述べた』と書いてあるのは、どうしてですか」
 「任意、君が述べたじゃないか。それを私がこう聞いたと書いているんだ。」
 「検事さんの聞き方がよほどおかしいということですか。検事さんにとっては仕事かも知れませんが、多くの命がかかっているんです。いい加減なことはできません。」
 「署名捺印するまで帰さんからな。どうしてもサインしないんなら、高野山の連中を逮捕してやる。」
 もし高野山の僧侶たちを逮捕したら、私は絶対に許さない。門主や本覚寺・明覚寺幹部の釈放につながるなら署名捺印するが、そうでないなら署名捺印できな い。しかも、私が知りもしないことを、私が話したこととして書いてある調書である。その調書を証拠として、僧侶たちが逮捕されるかも知れない。私が、やっ てもいない犯罪を認めるということは、僧侶たち全員を犯罪者にしてしまうことだ。
 「こんなことは私も検事になって以来、初めてだ。君のために作っている調書なんだ。署名捺印しないということは、裁判官が見たら、犯罪を隠していると、 とらえられるんだ。そうなったら不利だろ? 君の主張は裁判で話したらいいんだ。調書と違うことも、裁判で言ったらいいんだ。」
 それでも署名捺印しない私に、山田検事は言った。
  「分かった。だったら、こうしよう。白紙をあげるから君の言い分を書け。君がこの調書にサインしてくれたら、君が書いたものも一緒に裁判所に提出してあげよう。そうしたら、君の言い分と、調書との違いがはっきりして、裁判官によく分かるだろう。」
 私は応じ、白紙に言いたいことを書いた。その上で、調書に署名捺印した。  いったん昼の休憩になり、わたしは検事室から出され、待合室に連行された。私が調書に署名捺印したせいか、細江婦警は機嫌が良かった。細江婦警は、私の隣にピッタリと体をつけて座り、言った。
  「ねえ、管長って、もてたでしょう?」
 私が黙っていると、こう続けた。
  「うちの旦那ね、同じ警察官で、柔道やってるの。でも、うまくいってないんだよね。」
 そのとき、別の容疑者が刑事に連れられて待合室に入ってきた。細江は、あわてて体を離した。午後の取調べは中止となり、留置場に戻った。

 先に逮捕されていた名古屋満願寺関係の僧侶たちは、女性住職を除く全員が罪を認め、執行猶予付きの有罪判決を受け、次々に釈放されていた。
  私の検事調べでは連日、取引が行われて、私が書いた主張文(上申書)と引き換えに、数多くの供述調書の山に署名捺印した。あまりに大量の調書の山で、十分 に目を通すことはできなかったが、あまりにもおかしい部分は修正を加えてもらった上で、署名捺印した。門主と本覚寺幹部を釈放するための趣意も、調書にし てもらい、署名捺印した。 門主は難しいかもしれないが、これで本覚寺幹部は全員、釈放されるだろう。私は満足して、22日間の取調べを終えた。
 平成8年2月23日、門主と私の2人が起訴され、他の6名全員が処分保留で釈放された。門主の釈放はならなかったが、私は満足感に満たされていた。公判で門主をお守りしていくという希望もあった。 起訴状には、公訴事実として次のようなことが書かれてあった。

 「Nは、平成4年3月23日、和歌山県海南市所在の宗教法人明覚寺の代表役員に就任(同5年3月8日辞任)するとともに同寺の管長であったも の、被告人は、同5年3月8日、同法人の代表役員に就任したものであるが、両名は、右宗教法人明覚寺所属の僧侶ら多数とともに、同法人が 愛知県名古屋市中区に系列寺院として開設した鑑定施法院『満願寺』に訪れる相談者から供養料等の名目で金員を騙取しようと企て、同法人が作成した霊能によ る治癒等を 標榜した悩み事相談の勧誘文書を頒布した上、前記明覚寺所属の僧侶らと共謀の上、前記満願寺において、金員の交付を受けるとともに、株式会社東海銀行上前 津支店の満願寺被告人名義普通預金口座に現金を振込入金させて騙取したものである。罪名及び罰条 詐欺」

 起訴状にはまた、門主と私について「3月中旬に追起訴の予定」とも記されていた。起訴した検察官は、中屋利洋検事である。
 

留置場での生活は悪くなかった。中川署の看守さんたちは全員、私にとっては善い人たちばかりであった。 愛知県内の警察署が工事のために一時は留置者が増えて、1部屋に数人が留置された際も、私は1人部屋であった。入浴も優先的に配慮してもらったし、1日に 15分ばかりの休憩時間も、日の当たる特等席に優先された。看守さんたちから掛けられる言葉も、温かいものばかりであった。
 起訴後も、取調べは毎日、続いた。何度も繰り返し同じような調書を作成し、膨大な量の調書を作った。その後、一部分だけ巧妙に言葉を変えた、似たような 調書を作成し、「同じようなもんだから、署名して」などと、さりげなく署名捺印をさせようとした。よほど神経を集中させていない限り、ふいに署名捺印して しまうような、そうしたテクニックにかけては右に出るものはないエリートが、頭脳をふりしぼって姑息な策を 弄してくる。無実の人間であっても、いとも簡単に有罪にしてしまう技術を、彼らは持っている。「日本の検察が起訴したら、99%以上は有罪」と言われるの は、実は有罪にする技術、テクニックにおいて世界一なのである。 もちろん、そんな検事ばかりではないだろうが。
 そうは言っても、毎日毎日、山ほど作成する調書の中には、つい見逃してしまって署名捺印してしまった調書も少なからず、あった。こうした調書の中の、わずか1行、わずか数文字が、裁判では証拠として決定的な力を持ってしまうのである。
 2月1日から3月25日まで取調べが続いた後、4月11日(火)、私は名古屋拘置所に移管された。


 名古屋拘置所への拘留に当たり、検査官たちの前で素っ裸にされて、尻の穴まで広げて見せるよう指示され、検査を受けた後、収容所の衣服に着替えさせられ、拘置所生活における訓示がなされる。
  「称呼番号329番」
 それが私に付けられた新しい名であった。この日から私はこの番号で呼ばれることになる。部屋はコンクリートで囲まれた3畳ほどの独居房。丸見えのトイレ と、小さな窓が1つ(但し鉄格子付き)、小さな卓袱台が食卓(兼)勉強机である。 独居房に入った後、私服を持っている者は私服に着替えることが許される。入浴は、夏期は週に3回、冬季は週に2回。運動は平日の毎日20分ほどで、この時 には独居房の外に出られる。ほとんどの収容者は合同で運動するので会話を交わすことも可能であるが、私は通称「鳥カゴ」と呼ばれる金網で囲まれた個別の狭 い運動場で、1人だけでの運動であった。会話を交わす相手もいない。 狭い独居房から出られるのは、入浴と運動の他には接見(面会)の時だけで、しかも接見は私にとって唯一の自由な会話の時間なので、接見はありがたい。ただ し、私には接見禁止処分が課されていたため、公判が始まるまで弁護士以外の接見は許されなかった。
 私の拘留生活のほとんどの時間は、公判に向けての意見陳述書や上申書の作成に費やされた。今回事件は完全に当局による、真言密教への誤解と曲解に基づく ものと信じていた私は、その誤解と曲解を解きさえすれば、容疑はおのずと解けると思っていた。それはもちろん、おめでたい思い込みでしかなかった。
 一方で私は、「もし、誤解や曲解だとしても、なぜ仏はそれを許されたのか。迫害だとしても、なぜ仏はそれを許されたのか。」という問いを、自らに問い続けていた。
 仏とは、真言密教においては仏陀=釈尊のことではない。釈尊を悟りに導き、真理に目覚ましめた大いなる存在、世の創造者にして世の一切を生かしておられる方のことである。


船の墓場のような光景!!

2008-03-29 09:50:33 | 日本

単に、この異様な光景がオモシロイので感慨と共に転載!!

 

 おそらく、解体費用を節約してのことだろう。しかし、こういう光景も永い歴史の一コマにすぎないだろうけれど、この画像を見るポイントは、廃棄した人々のもの考え方である。物を功利的にしか捉えていないと言うことだ。日本で廃車を野山に不法投棄するのと差異がない。その規模において多少の雄大さが感ぜられてオモシロイ。が、所詮は同じモノである。

 物は物でしかなく、使えなくなればご用済みというわけだ。後は野となれ山となれ。環境問題からそんなことを批判するつもりはない。考え方の問題だ。
 もう一つの考え方もある。物は物であるが、これまで長年に亘り共にしてきた愛着や感謝もある。生き物ではないかも知れないが、それと同様な思いを持つ。それは論理ではなく、情緒である。だから、粗末には扱えない。きっちりと最後を見届けてそれなりの始末をしてやりたい。と言う思いである。

 そうすれば、単なる物でも、新たないのちを吹き込まれたように生まれ変わる。そう思う。そうすれば、全てが輪廻しているように新しいいのちを得て、再び、新たな出会いが生ずる筈である。

 かのアメリカにも、自動車の墓場、飛行機の墓場、ありとあらゆる無縁仏(?)がある。その中に、狩猟を生業としてきた西洋文明の本質を垣間見る気がする。?

【転載記事】ギガジンより

巨大な船

極寒の地ですね

複数の船がみえます

かなり近くまで歩いていける

中国船でしょうか

網らしき物

地面と一体化していますね

船首部分

きれいに埋まっているタンカー

こちらのサイトに、まだまだ写真があります。

English Russia ≫ Abandoned Frozen Ships