飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

「日本とは何ですか」-ふるいちまゆみさんブログ-

2009-07-03 11:18:09 | ブログ

ふるいちまゆみさんは、不思議なお人だ!!
時には、祝詞で雨を降らし、
大祓で台風をそらしたり、小さくしたり、消したりする.......

 

 そんなことを言っても、投稿者の主観と言えば、それを否定できないが、最近では確信に至っている。勿論、それはそれぞれの感じ方、捉え方あろうから、自由無碍にお読みいただきたい。尊敬すると同時に、自然で透明な精神性にファンであることをやめられない。

 

 

 それだけではない。

 

 

 時には、はっとする示唆を与えてくれる伝言、詩が数多くちりばめられている。驚くと同時に、何がそうさせているのか、不思議である。何かがあるお人であることは間違いがない。

 

 

 さて、下記転載の詩には、はっとさせられた。詩であるから、論理的に解釈してもつまらないし、出来かねる側面がある。その代わり、頭を越えて、胸(こころ)に直接にグサッとくるものがある。これも人それぞれであろうと思うので、とやかく言うことなしに味わっていただきたいものだ。

 

 

 一つだけ、言わせていただきたい。今、日本に生まれた人々の魂において、揺り動かす何ものかがある。それを実感する。又、それが求められている。  

 

【転載開始】

「日本とは何ですか」 

最近、この国に危うさを感じるので
2007年に公開した「日本とは何ですか」を再アップすることにしました。
下の記事に書いた「ミタマ」も出てきますね。



「日本とは何ですか」

それは行方知れずになったもの
滞ったもの

全ての権利は与えられておらず
無きにしもあらず

見事なハタラキをせず
戻ってきたもの
故に後悔するであろう
つくづく後悔するであろう

幼子の手を引きながら歩いてきた道は
川のせせらぎに似て
五十鈴川の板ばさみにあいながら
とうてい戻れぬ道
とうてい帰り着かぬ道

一旦、破棄すべし
一旦、白紙に戻すべし

難解なことはわかっておる
それでも一旦、白紙にすべし
神のミタマになりゆくものは
明るいうちに戻るべし
戻ることを躊躇してはならず

かいがいしくハタラク太陽は何をか云わん
日ノ本(元)にはハタラカず

故に戻りなさい
一旦、戻りなさい

出直すことは恥ではない
出直しの切符を与えられるだけいい
恥と思うなかれ
恥は始まりでもある
何事にも意味がある
意味なきことはハタラカず
故に尊びなさい
恥を尊びなさい
そっくりそのまま打ち勝つがいい
そっくりそのままひっくり返すがいい

喜びと悲しみは同時にやってくる
転びながらもそれはやってくる
少しずつと云わず、思いっきりやるべし

何から何まで用意されたものは
楽しみを覚えられず
何から何まで与えられたものは
ただ空しいであろう
そのことをよく考えなさい

今の日本には感(勘)がハタラカず
失いかけたものにしがみつくもよし
取り戻せないものにしがみつくもよし
端々の中に見えるものは何であれ
行方知れずになったそなたたちのカケラである
カケラは何を想い
何を楽しみに生きているであろうか

ああ、何という無情(無常、無上?)であろうか
ああ、何という慈しみであろう

神々の中に持たせたものは
一旦、戻すべし
戻せぬものはない
戻すとは返すことである
預かったものを返すことである
このワケをしかと心にとめよ

ありきたりのことをしてはならず
突発的なことをしてはならず
そっくりそのまま生きるもよし
これみよがしに生きるもよし
うなだれながら生きるもよし

それらは全て記録されている
それらは全て記されている

故に尊びなさい
生きることの意味を尊びなさい

ああ
ああ

何という健気さ
何という慈しみであろうか

日本には二本の川があることを忘れてはならず
二本の川が折り重なりあいながら流れてきた意味
爆発的に生まれてきた意味
シルシをつけられた意味
そっくりそのまま持ち帰るべし

リンゴの花が咲くように
それは五月にやってくる
白き花はマカルガエシノタマである
生死の境を生き抜くタマ(魂?)である
故に尊びなさい
尊びは懐かしきあの遠き日々につながる
神々の降ろされたあの地につながる
故に尊びなさい

しかと受け止めよ
しかと受けたまわれよ
タマ(玉、魂?)を預かれよ
しかと記憶にとどめよ
決して灯は消してはならず
くれぐれも生き(息)通すこと
神の息吹を通すこと
それ以外に道がないであろう
故にしかと生き(息)通せよ

2007/08/22 (水)
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