飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

野中広務氏による、官房機密費の実体!!

2010-05-01 16:55:10 | 国際・政治

機密費というのは、何か都合が悪いことがあるから、
隠すのだ!! 
都合の悪いのは、隠密にその金をせしめた人間!!
それが、情報提供者の都合に置き換えられる.......?
それもアリかも知れないが、数%にも満たないことが明らかになった!!



 そんなことは、初めから分かっている。情報提供者にその発言権はない。あっても墨を塗れば済むことだ。斯くして、巨額の金品が国庫から袖の下に消えていく。


 機密費という名の付く公費は、すべて同じ構図の元にある。


 捜査機密費は、一部警察幹部の付け届けの別格ボーナスとなり、調査機密費は検事正のそれになっていた。外交機密費は、外務高級官僚の給付金になる。

 

 そして、今明らかになる官房機密費は、以下の通り。


 自公政権最後の消えた機密費2億5000万円は、民主党叩きの似非右翼等の活動資金に消えたものと思われる。(これは推測だが、結構、近い.....。)


【転載開始】On Thursday 22nd April 2010, said:

【2010年4月19日放送 TBS『NEWS23クロス』シリーズ追跡:官房機密費・第1夜】

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 外交の情報収集などを目的とした官房機密費予算は、年間14億6000万円が計上されている。内容が公開されることのない機密費は、国会対策等に流用さ れているのではないかという疑惑が囁かれてきた。そんな中、官房機密費を一手に扱う官房長官を務めた野中広務氏が番組の単独インタビューに応じ、その実態 を初めて証言した。

 鳩山総理が原則公開の方針を打ち出したが、手続きが進む様子が見えない官房機密費。領収書もいらない。記録も残さない。内閣官房長官が自由に使える金 だ。自民党政権は一貫して情報公開を拒んできた。厚いベールに包まれた機密費の実態。

野中「もう辞めてもうじき死んでいくから、これからの民主党が国民のためになる鑑定の機密費を含めた運用をやってくれるために実態を正確に言っておいた方 がいいと思う」

松原キャスターのインタビューに応じたのは、元官房長官野中広務氏。1998年7月から1年余り小渕内閣で官房長官を務めた政界の実力者だ。初めて証言す る官房機密費の真実――。

野中「国会対策に使うことが多かった。総理の部屋に月1000万円。それから衆議院国会対策委員長、参議院幹事長室に月500万円ずつもっていかなきゃな らなかった。」

 当時国対委員長だった古賀氏は「過去のことなので記憶にありません」とコメント。

 機密費はもともと外交の情報収集などに使用される経費とされる。
 だが、金は別の目的にも使われていた。

松原「固定費はどう使われるか?」
野中「僕は国対委員長をやってなかったから知りませんけども、国会を動かしていくのに必要だったのでは?」

 参議委員で当時過半数を割り込んでいた与党自民党。政局の運営には野党との連携が欠かせない。国対委員長に渡す金は慣例で決まっていたという。

野中「これはある程度僕も疑問を感じながらも、慣例だからと思って持っていかせた。あの当時は野党工作がいるときですからね。」
松原「機密費はどう使われたんですかね?」
野中「そりゃ知りません。国会対策委員長に渡した後の使い方は知らない。」
 官房機密費の総額は現在年間14億6000万円。会計検査院の監査を受けることはない。そのため、機密費の流用は常に囁かれてきた。

 2002年共産党志位和夫委員長(当時)「国民の税金を勝手放題なやり方で…」

 共産党が入手した、宮沢政権の時代、加藤紘一官房長官の手で作られたとされる文書(金銭出納帳のコピー)。支出先は、政治家への贈り物やパーティ件の購 入などとなっていた。

 だが、その真偽について時の政権が答えることはなく、機密費は厚いベールに包まれたままだった。
 そんなベールの裏側で渡されていた金があった。
 野中氏が初めて口を開く――

野中「これはその、盆暮れの、それぞれ総理を経験された方とか、盆暮れ年2回100万円ほど、定期的に金を送っていた。」
松原「総理経験者の方に定期的に金を送っていたと?」
野中「まあ顧問料のようなもんでね。せいぜい100万くらいですよ。」
松原「月に?」
野中「いやいやいや。盆暮れ」
松原「盆暮れの年2回。なるほど」

 定期的に機密費が渡る先の一つ。それが歴代の総理経験者だったという。盆暮れ100万円ずつ。野中氏によれば、政界を引退した歴代首相には機密費から毎 年200万円が渡されていた。支払いは自民党の元首相だけで長年行われていた可能性があるという。

 一方で機密費は、本来の目的である外交にも使われていた。話は北朝鮮外交に及ぶ――

野中「あの頃北朝鮮と何とかしたいという、90年以来のアレがありましたから。そういう面で向こうに行く人は正規の金も出ないし…」
松原「水面下でパイプを作ったり、交渉するときのために…」
野中「そうそう」
松原「直接北朝鮮に行く議員の方に」
野中「そう。渡していいか悪いか、効果があるか無いか位は見極めていた。」
 議員外交の旅費としても使われていた機密費。では、機密費はどのように使われてきたのか。

 機密費は記録が存在しないとされてきた。
 だが、野中氏は、長官就任の際、内閣官房の担当者からノートを手渡されたという。そこには、これまで金を渡してきた相手が記されていた。

野中「(内閣官房の担当者から)「過去の実績が(ノートに)記録されておりますから、それを参考にしてやって頂いたら結構です」と言われた。」
松原「それも慣例になっていたということですか?」
野中「そうですね。(引き継ぎ帳に)書いてあることをそのまま引き継いで。」

 過去に機密費を渡した先が詳しく記録されていたという引き継ぎ帳。支払うべき相手と金額が具体的に書かれていたという。

 記録はないとされていた機密費。
 だが、野中証言によって、自民党政権ではこの引き継ぎ帳が代々受け継がれていた可能性が出てきた。

野中「これだけは従来から持っていってましたから、"これはきちっと引き継いでやってください"ということで引き継ぐわけですから」
松原「代々そうなっているということ?」
野中「じゃないですかねえ。私は1回しか官邸に入ったことはないから分かりませんけども」

 引き継ぎ帳に記された定期的に支払われる機密費。いわば固定費だが、野中氏によるとそれは総額で月5000万円に上っていた。それ以外に、その時々の判 断で支出される金もあった。その額は――

野中「(固定費以外で)一番多いときで7000万円。」
松原「月にですか?」
野中「うん。それは覚えている」
松原「そのときは、なぜ他の月より多かったんでしょうか?」
野中「片づけていたら、それだけになっとったというだけの話」
松原「特に何かがあったというわけではなく?」
野中「ええ」
松原「機密費のあり方はどうあるべきだと思われますか?」
野中「やはり外交的にはある程度公開できないものもあるのではないかと思います。ただ、その他のものについては公開していく、透明化していくそういうやり 方がいいと思いますね。」

 野中氏の証言はこの後官房機密費、その”核心”へと及んでいく――。

【2010年4月19日放送 TBS『NEWS23クロス』特集:官房機密費の真実・第2夜】

 昨日に引き続き、シリーズ追跡官房機密費。機密というベールの影でその一部が流用されている実態を夕べの野中元長官が初めて証言しました。今夜はその第 2弾「機密費に群がった人々 その実態」です。

野中「もう辞めてもうじき死んでいくから、(実態を)正確に言っておいた方がいいと私は思うもんですから。」

 小渕内閣で内閣官房長官を務めた野中広務氏。外交の情報収集に当てる予算官房機密費が国会対策などに流用されている実態を「23クロス」で初めて語っ た。

野中「野党工作がいるときですからね。我々のときは」

 官房機密費は情報公開もされず、会計検査院のチェックを受けることもない。野中証言で分かった一部が流用されていた実態。機密費は歴代の元総理に顧問料 のような形で定期的に(年2回100万円)渡されていたという。永田町では――

平野博文・官房長官「野中元長官がどういう風に言われたかというのは、私は承知してませんし、それは自民党時代の話でしょうから、私は全く承知を致してお りません。」

大島理森幹事長「官房機密費というのは機密費でありますし、私からお答えするものではないと思っております」

 官房機密費は内閣官房長官がその時々の判断で自由に使える金とされる。野中氏の時代は、最高で1億2000万円に上った。当時はそれに群がる政界関係者 がいたという。

松原「変な話、それにたかってくる議員さんもいらっしゃるということですか?」
野中「ないとは言えませんね」

 ある時野中氏は、時の総理小渕氏からこんな相談を持ちかけられ、驚いたという。小渕首相からの相談とは――?

野中「「最近家を建てたから3000万円ほど祝いをくれ」と電話がかかってきたんだけども、官房長官、どうしたらいいと思う?と」
松原「総理から相談が?」
野中「そう」

 「家の新築祝いに3000万くれ」。総理に電話をかけてきたのは、引退した政治家で、その時政治評論家をしていた人物だったという――

野中「何を言うんですかと。”そんな人は政治家も、何もかも去った人じゃないですかと。総理に親しいからといって、そんな安易な電話をかけてきて、そんな ことに金を出したらおかしくて笑い者になりますよ、ここからは一切出ませんよ。総理あんたは人がいいから、自分の金からも出しなさんなよ”と言ったら ね、”分かった分かった”と総理は言ってましたけどもね。結果的にはね、1000万円やそこらは出したのではないかと思ってますよ。」

 今回野中氏が証言したのは、「引き継ぎ帳」の存在。機密費の支払い先は、その一部が引き継ぎ帳に記録され、金額も決まっていた。それは代々自民党政権で 引き継がれていた可能性が出ている。
 引き継ぎ帳に書かれていたのは、月々総理(小渕首相)に1000万円、国対委員長に500万円等々。中にはこんな顔ぶれも――

野中「(政治)評論をしておられる方々に、盆暮れにお届けするというのは額までみんな書いてありました」

 機密費は当時複数の政治評論家に盆暮れに配っていたという野中氏。内心割り切れない思いを抱えていたという。

野中「まあ、あいさつ程度のことですけども、盆暮れやってるのを見て、ああ、こんなことをせなならんのかなと。あんだけテレビで正義の先頭を切るようなこ とを言っている人が、こんな金を平気で受け取るのかなと思いましたね。」

 さらに、国会議員のなかにも、機密費をもらいにくる人々がいた。外遊、海外視察に向かう餞別として。それは長年続く慣例だったと言う。

野中「まあね、野党問わずに外遊するので、癖であそこに行ったらもらえるというのを知っている人がおりましたね、ある程度。そういう人が来たことはありま す。私は人を見て、お渡しする人と、しないで話のままで帰ってもらった人がおります。」
松原「外遊する議員にいくら位渡していました?」
野中「せいぜい、50万~100万円。」
松原「使われた官房機密費の中で、この使い方は良かったなと思うものはありますか?」
野中「北朝鮮の情報を調べるのは良かったと思うし、ロシアの政変を察知するのにも良かった、そう思います。」

 その当時、(エリツィン大統領が辞任し)ロシアでプーチン氏が大統領代行に就任するのを小渕内閣はいち早く察知したという。そうした情報収集にも機密費 は使われていた。今後のあり方について野中氏に尋ねた。

松原「今後の機密費のあり方を個人的にはどうお考えですか?」
野中「個人的にはある程度明確にして、不透明な、あるいは私的な官邸機密費の使い方ができないような状況を、きちっと仕組み的にしておくべきだと思います ね。」

 機密というベールの影でその使い方が問われている官房機密費。年間予算は今年も年間14億6000万円が計上されている。(終)【転載終了】


暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!38

2010-05-01 14:36:08 | 123

謎が多い日本航空123機墜落事故
しかし、信憑性にイマイチ欠け る追求情報!!
それが一変するかも知れない.......。
渾身の情報が発信されつつある!! 第38弾

 

  誠に想像を超えた展開。事実は小説よりも奇なり、という言葉を地でいっている。予断を排して、事実の積み重ねを待つ以外にない。事実こそ真実の断片であるから、その事実を積み重ねる以外、余人の推量は無意味であろう。


 最近、Sさんの動向が案じられていたが、無事であることはうすうす察しされていた。そういうことだったのかとの思いはある。その根拠はあえて言及しまい。


 旧ソ連軍の装甲車らしきものがあったとして、別に驚くことはない。かのオウム事件でも旧ソ連製のヘリコプターが隠匿されていたのではなかっか。その後、それはどうなったか、マスコミは報道を全くしない。


 その時の軍用自動小銃(AK-74)は、今はどうなっているのか?ダムの底に沈められたとまでは報道されたが、その後捜索すらされていない。報道もない。隠されていることに間違いはない。


 隠している正体は何者か? あんなもの個人や民間で隠しきれるはずがないではないか? ヘリコプターだぞ。銃刀法違反の拳銃ではない、軍用自動小銃及び弾薬だ。ヘリコプターが上九一色村(旧名)に存在したことは、多くの国民は知っている。しかし、その後、どうなったか、蓉として知れない。


 これを見ても、日本国内に表から窺い知れない勢力が、大手を振って徘徊している事実が見受けられる。


【転載開始】

JAL123 便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(14)

2010-04-30 21:11:16 | 日記
前回「そして ミサイルは発射された(13)」で、米国の戦略偵察機 U-2 が飛来し、他の軍機と同じように日航機事故現場近くに墜落していたことをお伝えしました。そして、それが日米関係を考察する上で非常に大きな意味をもつこ とも合わせて説明しました。

単なる偽装事故への疑惑が、実は大きな国際問題を含んでいた事実に、私の頭の中は目いっぱいといったところですが、そんな最中、この4月23日、現地調査 のエキスパート、S氏(*1)から新たな情報が飛び込んできました。もうこれ以上、驚くような情報は出てくるまいと思っていたところなので、その情報の意 味を知ったときの衝撃はなおさら身に堪(こた)えました。


以下、S氏の報告内容です。


ア ントヌッチ証言の中で123便の墜落地点とされた場所の近くに、妙なものを見つけました。映像を撮ったので見てもらえませんか? だいたい 1m×2m位の大きさで、おそらく鉄鋼でできたものです。表面は赤くさびており、鋼板の半分くらいは砂利に埋まっています。飛行機の翼か何かだと思ったの ですが、そうとも言い切れない。これはいったい何なのでしょうか?」

そして、以下はその映像です。



写真1:沢に落ちていた鋼板(遠景)


写真2:沢に落ちていた鋼板(近景)


写真3:沢に落ちていた鋼板(破断面)

アントヌッチ氏が証言した墜落地点は、実際の事故現場中心からは3kmほど離れた山林地帯です。S氏は何も偶然そこを通りかかった訳でなく、その証言内容 の信憑性は別にして、米国軍が事故から10年近く経ってから、わざわざ当時の情報を出してきたことに何か深い意味があるのではないかと疑い、そこを訪ねて みたということです。


この物体については私もわからず、いつもの通り、国際軍事評論家 B氏の元へ向かい鑑定をお願いしました。


*1 S氏:しばらく現地を離れていたので、急性放射線症に関しては症状が消えています。年内には本格的な治療に専念してもらう予定でいます。



■北国からの訪問者


以下、上記の写真をB氏に鑑定してもらった時のコメントです。


「これは航空機の部品ではありません。鋼板を何重にも重ねたこの構造では、重過ぎて航空機の外板には使えないからです。これは装甲車の装甲板です。おそら く航空機から降下させたものでしょうから、軽装甲車であったと考えられます。


装甲板にも特徴があります。重ねた鋼板に隙間があるのは、この空間がショックアブソーバーの役割を果たすからです。見たところ、50mm 弾までは耐えられるようですが、100mm弾までは無理なようですね。この鋼板を重ねただけのシンプルな装甲は、明らかに
ロシア(旧ソ 連)製装甲車のものです。

なぜなら、当時、西側の装甲車は緩衝材としてプラスチックを使用しているからです。一方、ロシア(旧ソ連)ではプラスチックの開発・生産能力が著しく遅れ ていたため、金属だけのこのような無骨な設計になりがちです。


これが存在しているということは、ロシア(旧ソ連)の空挺部隊もこの付近に降下したことを物語っています。おそらく、墜落したMig-25のブラックボッ クスを回収しにきたのでしょう。あの戦闘機は秘密の固まりですからね。そして、このような特殊任務を遂行するのは、ロシア(旧ソ連)の中でもKGB(ソビ エト国家保安委員会)と決まっています。また、このような山間部にまで機械化部隊を送り込んでくる戦術様式にも、いかにもロシア(旧ソ連)らしさが滲み出 ています。


しかし、この装甲板の放置された状況からすると、おそらく全隊が殲滅させられたのでしょうね。」



写真4:旧ソ連軍の軽装甲車 (本記事とは直接関係ありません、参考用です)
写真引用:http://combat1.sakura.ne.jp/BRDM-2.htm (戦車研究室)

何と・・・米ソ冷戦が最も深刻だった1985年当時に、ソ連の空挺部隊が日本の首都東京の100km圏内に堂々と降下していたというのだから驚きです。 Mig-25が墜落していた事実だけでも充分衝撃的でしたが、空挺部隊までが潜入していたとは・・・当時の日本の防衛線はいったいどうなっていたのでしょ うか!? 潜入方法についてもB氏に伺ってみました。



「Mig-25のような高速戦闘機とは違い、空挺部隊を乗せた輸送機が日本本土の上空に飛来すればほぼ100%撃墜されてしまうでしょう。それでも降下を 実行できたのですから、この場合、2つの可能性が考えられます。


 1) 自衛隊と内通していた。

 2) 民間機を装って上空を通過した。

1)はもうお分かりでしょう。自衛隊関係者と話が出来ていて、侵入するためのゲートを開けてもらっていたということです。2)については、アエロフロート (ロシアの航空会社)の東京行き便に偽装して、御巣鷹上空を通過したときに作戦を実行させたというものです。旧ソ連において、アエロフロートは事実上のソ 連空軍外郭部隊とみなせる存在でした。当時、アエロフロートは新潟空港に就航しており、新潟-東京間の航空路も同地の近くを通るので、不定期便として羽田 に飛ばすことができれば、それも可能だったはずです。


撤収するときは、装備を分解し、民間を装ったトラックなどで人員・装備を回収してから、海路で本国に運び出すことが考えられます。これらは以前から日本国 内に潜入した工作員がサポートします。」


なお、1)についてはB氏から次のような注意がありました。


「くれぐれも自衛隊を『組織』だと思わないでください。」


これは非常に重要な示唆です。このブログでも何度か報告しているように、私たちの調査を激しく妨害する自衛隊系組織もあれば、中立的また協力的な自衛隊系 組織もあるのです。正直なところ私もさっぱり訳がわからない。これらの経験から、「自衛隊」が、もはやその名前で象徴される一つの組織集団だとは、私自身 も思っていません(*2)。そして、よくわからないながらも、私が「国営テロ集団」と呼んでいる、旧帝国陸軍系の軍事グループが、政・官・財(裏社会やマ スコミも)を横断して今でも強大な影響力を保ち続けていることだけは経験的事実として認めていいでしょう。読者の皆様にも、その点をご理解いただけるとあ りがたいし、そのように読んでいただけると、このブログで紹介する事実関係の理解が一層深まると思います。


話を戻します。2)の民間機偽装については、私はかなり難しかったのでないかと考えています。なぜなら、Mig-25のブラックボックス回収が目的なら、 墜落の事実を知ったら即時に行動しなければなりません、果たして短時間で偽装部隊の編成が可能だったのか?当時の緊張した状況下ではもしかしたらそのよう な部隊が配備されていたのかもしれません。しかし、このブログでお伝えしている通り、御巣鷹事変発生当夜は上空に米軍・自衛隊の戦闘機やヘリコプターが飛 び交っている状況です。123便の墜落地点中心より数キロ離れた地点とはいえ、民間機が怪しまれず近づけるものでしょうか?


もっとも、B氏の指摘にはありませんでしたが、偽装のあるなしにかかわらず、降下を強行して機体ごと撃墜されてしまったという考え方もあります。しかし、 B氏いわく「軍事力投入に極めて慎重な国」であり、当時、軍事力で米国と対峙していた旧ソ連の部隊が、何の保障もなしにそんな無謀な作戦を強行したとは ちょっと考えられません。


そうなると、自衛隊内の旧ソ連に内通した一派(仮に「ロシア派」と呼びます)があり、それが空挺部隊の降下を手引きした可能性のほうがはるかに高いとみな せます。それ以前に、Mig-25が日本の領空を易々と侵犯している事実から、Mig侵入の時からすでにロシア派の手引きが始まっていたと考えるのが自然 です。そして、Mig-25を手引きした最大の理由、それこそが
JAL123便の撃墜であったと私は推察します (*3)。もしかしたら、米国政府はその情報を事前に掴んでいたのではないでしょうか?


*2 自衛隊は組織でない:自衛隊の乱脈を非難することは簡単ですが、第2次大戦後長らく、日本の国防や、自衛隊のあり方についてまともな議論を怠ってきた国民 側にもそれを助長した責任の一端があるのではないでしょうか。日航機事故の真相解明を機に、国際関係や未来を見据えた、正しい意味での防衛論議が高まるこ とを期待します。


*3 Migによる撃墜計画:日本が軍事物資を輸送する側なら撃墜の手引きはおかしくないか?その疑問については、「自衛隊は組織でない」という答を幾つか考え られる理由の一つとして提示しておきます。



* * *



米国国家安全保障局(NSA)のU-2による戦略的偵察行為とは、123便に積まれた軍事物資、日本国内の軍事グループ(あえて'自衛隊'とは表現しませ ん)、そして、それに軍事介入する旧ソ連軍の動き全てを視野に入れたものであったでしょう。米国政府の思惑、旧ソ連軍の参戦理由、そして中国、ドイツ、フ ランスなど、直接・間接に日航機事故に関わった各国政府についての考察は、日航機事故の全体像を理解する上で欠かせない手続きです。日航機事故の真相追求 は、単なる偽装事故疑惑の解明から、日本と国際社会の関係史理解へとその注目点が移りつつあります。



MERCENNARIUS ET QUI NON EST PASTOR CUIUS NON SUNT OVES PROPRIAE VIDET LUPUM VENIENTEM ET DIMITTIT OVES ET FUGIT

羊飼いではなく、羊が自分のものでない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊を捨てて逃げ去る。

管理者

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