今日は、「昭和の日」
昭和天皇の誕生日を祝日とした日である!
みどりの日→昭和の日と変遷した・・・
とにかく、
日本の日本たる所以は、
良くも悪くも天皇制にある!
諸説あるが、昭和天皇がマッカーサーに、
「日本国天皇は、この私であります。
戦争に関する一切の責任は私に有ります。
私の命において全てが行われました限り、
日本には、ただ一人の戦犯もおりません。
絞首刑はもちろんのこと、
いかなる極刑に処されても、
いつでも応ずるだけの覚悟は有ります」
「しかしながら国民が、住むに家なく、
着るに衣なく、食べるに食なき姿において、
まさに深慮に耐えんものが有ります。
温かき閣下のご配慮を持ちまして国民達の
衣食住の点のみに、ご高配を賜ります様に」
と静かに語った。否そんなことはないと、言う人も居るであろう。真偽は確認しようがないが、その事を、そのままに受け入れてきた一人である。
又、
昭和天皇は防空壕で暮らしていた
1945年5月、米軍の完全に国際法違反の
非人道的爆撃により、
東京は焼け野原となり多くの一般市民が
犠牲となった。
皇居も明治宮殿他27棟が全焼。
陛下は
「そっか焼けたか。
これでやっと皆と同じになった」
とつぶやいたそうです。
住まいを失った陛下は
防空壕で暮らす様になった。
陛下が暮らしていた防空壕は
地下深く掘られた御文庫付属室。
水が染み出しポタポタ落ちる。
スーツを吊るして置くと、
一両日で絞れる程の水を含む
酷い湿気だったと言います。
侍従の者が
「こんな場所に住まわせては置けない」
と御所の新造を提言するも
「世の中には住む家の無い人も居るのに、
私はこれだけの物が有るのだから」
とアッサリと却下。
何と、その防空壕からお出になられたのは、吹上御所が新造されてからで、昭和36年とある。知るよしもない話である。
真偽は、自ずから明らかになるであろうから、この事を胆に置いて生きてきたことが無に帰することがないように願うばかりである。
あまりにも、我が日本を貶めることがないようにしたい。し、又、台湾の老夫婦の言葉を改めて、噛みしめる必要があるだろう。
私は、天皇制に心酔する者ではないが、救われる思いと、天皇を戴く赤子としては、斯くあれと思う真情を大切にしたいと思う一人でもある。
さて、南京進駐の2万人の日本軍が、30万人を虐殺したとは、到底思えないのである。
又、
同じく、600万人のユダヤ人を虐殺したとは、到底思えない。ほとんど一年間に置いて、そうすることは物理的に不可能と思っている。
「日本は強くあってください」~台湾から日本へのメッセージ~
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