遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

田山花袋「田舎教師」つづき

2010-07-31 07:02:38 | 日本の本

なかなか本が読めなくなってきて

まだ三分の一

この話は主人公の切ない思いが田舎の風景と描かれていて

私は色々思い出す

主人公は中学校を出た後

その先の進学どころではない

何しろ夜逃げだからね

友人たちは高等学校に挑戦したり

師範に行ったりするものが大部分の中

働かなければならないから

先生になる

もともと

文学を志していた青年なのです

下宿先の寺の住職は早稲田を出て

文壇とはいくらかつながりのある人で

その話も

主人公の思いや境遇を浮かび上がらせる

 

そういう話

 

それが周りの風物の描写の中から

主人公の思いが浮かび上がって

なかなか味わい深い

 

パラパラと巻末の辺りを見たら

田山花袋がこの話のモデルになった青年の日記を読む件がある

その日記を書いて青年は死んでしまうんだけれど

 

心理を外物で顕すといふ気になったのは此の頃からである。

あらあ、私田山先生の思惑通り読み取ってるジャン。

 

此の青年は世代的には

わたしの祖父ぐらいの時代だ

 

この田舎で

武蔵のおじいさんは  田舎の向学心に燃えた農村の若者として

新聞に紹介されたことがある

本ばかり読んで働かず  俳句ばかり詠んで

俳人仲間と自分の趣味に没頭したひとだ

そのせいで私の姑は大変な苦労をした

 

私の周りには一世代上のひとが

向学心に燃えてたって

貧しさのせいでかなわなかった人ばかりだ

 

うちのおばさんもどう見ても賢い少女だったに違いなく

さぞ優等生だったろう

女学校とか  行きたかったんじゃないかと思ったが

全然そんなことはなく

勉強も好きじゃなかったよという

ふうん

大器晩成型なのね

おばあさんになってすごい記憶力を保持してるもんね

 

私の母は保護者を失って

伯父さんの家で育ったから結構優秀な少女だったらしいが

女学校には行かれなかった

そのときの充たされない希望があって

私が高校受験したのはみな名門女学校だよ

自分が通いたかった学校を私に薦めたのだわ

 

それで柄にもなく女学校出身なのよ

 

私の世代ではまだ  女の子に高等教育を施すのは

ちょっとな・・という風潮が残っていた

私の父もわたしの進路を勝手に

「専門学校ぐらいにやって  生きていけるように腕に職をつけて」

って言っていた

(いつの時代の考えだよ  古いんだよ  おやじい!)

と思ったが  勿論  逆らえません。

 

あるとき友達がわいわい集まっているとき

そこの女主が

突然

「此の中で  私だけ大学出てない!  」と文句をいいだした。

その人は弟と二人姉弟で  男女差別のある育てられ方をしたことを

何時も怒っていた

 

実際はその人の出身専門学校は今は大学になっている

その人のお母様は今の女子美の出身だ

我々の親の世代だからね  そんな教育を受ける機会があった人なのね

私から見れば  いいところのお嬢だよ。

でも

女は専門学校でいい  というような育て方をされた。

 

私たちの世代ぐらいまでは

勉強したかったけれど諸般の事情であきらめた

という辛いくすぶる思いがわかる世代だ。

 

でもな

わが子たちの場合

勉強を強制されていやがったり

大学に行くことが脅迫だったりする世代かも。

 

わが娘も

通った高校は色々な挫折を味わった子が多い学校で

子供の自主性を大事に育てようという学校だったが

その学校に通わせるのは

親のほうにちょっとした勇気がいる変な学校だったが

進路選択の時期になると

親たちが

「何!?結局大学だけは行ってくれ?!」みたいよ

変だよお母さん

どういう環境でどんなことを勉強したいかが大事でしょう?

と 娘は

偉そうにほざいていた

親の私は

内心(そんなこといっても  ともかくおまえさんは基礎学力が欠如してるよ)

と思ってた。

彼女なりに基礎学力の不足は語学だ!

と思って一年NOVAに入りびたり

そのあと

彼女は自分に向いていると思った学校(三年制の専門学校)をえらんで

それなりに有意義な学びの期間を経て

世の中に出て行った。

 

わが子らの世代は

たまたまかどうか分からないけれど

引きこもりの結果 そこから自分の進路を見出すのに

苦労した子が多い

 

見回すと  本当に多い

 

田山花袋「田舎教師」そういう子が読んだら

どんな風に読むんだろうか?

 

 

 

コメント
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