どうよ アンフォルメルでしょって
そんなことないね
でもこれで一枚描けるな
だんだん消化できて来たので
(観念的には)
小さいアンフォルメルな絵
セッセと描いてみよう
しかし 今日はなんかとても気持ち悪く
吐きそう
胃薬飲んだ
もう寝よ
どうよ アンフォルメルでしょって
そんなことないね
でもこれで一枚描けるな
だんだん消化できて来たので
(観念的には)
小さいアンフォルメルな絵
セッセと描いてみよう
しかし 今日はなんかとても気持ち悪く
吐きそう
胃薬飲んだ
もう寝よ
この間 展覧会のボランティア当番やったとき
相棒だった人が かつて 仏像を油絵で描いたら
その絵の指導者の先生
人間と仏像の違い わかっとらんな と
お叱りになったそうだ
そのおっしゃったことを理解するのは難しいぞ
改めて
私の先生は バロックはだめよ という口癖も思い出し
改めて 考えると
これまた深すぎて
アンフォルメルで混乱している頭がまた混乱
↓のは赤のフーガね 私はこれがポリフォニーだと思ってた
ポリフォニー ↓ こっちだ
え!?? これがポリフォニー?
私田んぼこんな風に描こうと思ってたけど
ポリフォニー じゃないのだよな
あれ 田んぼってポリフォニーかも・・・
ああ 悩ましい
おばさん受け取りのため
パラソル下に出た
紙と本と墨もって
なんか久しぶりだな
でも阿弥陀さまがなかったわ
薬師如来
奈良博の
あああ
奈良博 何年行ってないだろうか
もう行けないのかなあ
上のは 平安前期の
顔が変わっていて
この作者(誰かはわからないけれど)のものは描いたことがない
なんで 阿弥陀様描こうかと思ったかというと
参院特別委員会の採決の異様ぶりを見て
しかも あの 人間かまくら 髭の佐藤のリーダ-シップで
シミュレーション訓練までしたと聞いて仰天
その罪深さに 恐れおののいた
これは もう 阿弥陀様の本願にすがるしか 救われません!
と思って
この間の 民主主義殺戮の罪悪を犯した人のために
もう 阿弥陀様でしょ というわけ
大仏建立だなこりゃ
という声もあったな
ま この犯罪はほとんど病気
だから 薬師如来でもいいや
環境センターに行ってきた
ここのごみ焼却の熱利用のプールが隣にあるから
今日は
行こうと思ったのに
今日は休館日だ
ところで持ち込んだ廃棄物はいつもより重い
だから出てきて500円玉握って会計窓口に行ったのだ
(だいたいいつも料金は100円 地震の後
書籍流が起きて頭にきて本を大量に捨てたときは
いっぱいかかった)
今日は おじさん曰く
??無料です
って
??なんで?
と聞いたら 車が10キロ?何やらが6キロ測れませんから
無料です
って
測れないほどゴミがすくなかったということらしい
(料金システムは入る前に 秤になっているところで車を 測る
帰りに料金所前また秤になっているから差で
処理したゴミの重さを測るのよね)
そお? どうもありがとう!
と言って帰ってきたが
あれ 秤壊れてるんだよたぶん
し~~~らないっと!
おじさんがいじめられなきゃ まいいさ
アンフォルメル つながりで
この二つのことを なんか寝ながら考えてた
impressionism 中へ押す・・
外のものをどう取り込むか ということだし
expressionism は反対のこと
これって 相対立するものではなく
相互のものだよなあ
と思った
美術教育 私は 子供の認識の仕方の発達に
偏っていたなあと今は思う
こどもの通った学校が表現を通しての教育
という理念の学校で そのことを考えたのだった
この頃の 戦争法のこともそうだ
どうして自民党や日本会議の人々は
あのように考えるのか
そもそも 認識の違いからきて いるのだよね
impressionの違いだ
なんでこうなるのか
まだよくわからない
共産党が廃止の国民連合政府ってのを提案して
どのくらい大同団結できるか
気になるけれど
政策 というのは express だけれど
細かいことはまず置いといて まず 一致して廃案に
という提案は素晴らしいと思うけれど
うじゃうじゃ出てくるのは
これまでのもろもろとかそもそも認識の違いとか
裏を読みたい冷笑派とか
実際に この戦争法を廃絶する という作品を作り上げるには大変だな
SEALD’sの活動を見ると
表現を通して考える若者たちのしたたかさというのが頼もしいな
という風に思った
自分たちは 個なのだ 孤独に訴えるのだ
などというようなことも言ってた
民主主義ってなんだ これだ
って 何かに賛同することというのではなく
個々の express これだ!
ということよね
表現主義について考えるって 面白いかも!