アハハ駄目ねえ
家出と来たら 駆け落ちなんて
家出された親父さんもそう思ったらしく
当時のボーフレンドに追及したようです
(このボーイフレンドも頭が固く
じゃないか
迷惑かけたからか
落ち着いてから連絡したら
お父さんが心配してる
家に帰れ
というので
何?それ
ちっとも私のことわかんないのね!
と絶交しちゃった)
進路に悩んでたのに父が半狂乱で付き合いきれなくて
自分で考える!
と
出たのよ
私も父も一人っ子で自分勝手で相手を尊重することを知らずに育って
似たもの親子
ぶつかってばかりでした
若いときは
順調にいかなかったので父の干渉の外で自分のことを決めたかったのです
東京を離れて働き口を探そうと西へ西へと生まれて初めて
関西より西に行きました
でもね
若い女の子が そうやって働き口を探せないということが
よくわかりました
それで舞い戻って
友人のご両親に助けられて下宿を見つけてもらって
生まれて初めて自炊というのをしたのでした
働き始めたものの不安定で
不安でしたので
その友人のお母さまにずいぶん助けられました
一人で生きていくのは大変だから
しっかり進路を考えなくちゃと
大学を受けることにして
(でももうすっかり勉強も離れて久しくて自信もなくて
そのお母さまの友人の経営する幼稚園で働きながら
夜間の幼稚園教諭養成所に通うといいというアドバイスもいただいたりしたのです)
おばさんになってから
大学生になったのです
友人たちはもう先生になってるような人もいて
そこから家庭教師の口を世話してもらって
学生生活送ったって
どこかに書かなかったっけ?
当時笠間に芸術村が出来たころで
その話を家でもしてたから
笠間にも私を探しに来たみたいでした
これ笠間の工芸の丘からの風景
母の腎臓病が悪くなったので
病人食を作るために家に舞い戻ったのでした
多摩川の近くから
環七を歩いてリアカーで荷物運んで家に帰ったのです