遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

おばさん無事病院へ

2020-03-10 11:10:11 | 日記

さて 件の子供たち

来るのか来ないのかわかりません

コロナは そう簡単には終息しない感じ

学校どうするの?

ずっと休校?

学童のほうが学校より危ないだろうという意見もちらほら見えるし

どうするんだろう?

 

仕事に行くのに満員電車 これまた大変だし

コロナで病気になるより

生きていくのも大変に大変なことになりそうだ

そう考えると

田舎はいいのかもしれない

原始生活してればいいか

と思うが税金と電気代と

下らんNHKにも金はとられる

でも

みんな田舎に疎開してくるといいかもしれない

 

そもそも武蔵がここが故郷になったのは

空襲の激しくなった東京を離れて

母親の故郷のここに疎開してきたからだ

武蔵も 同じころ父上をなくしている。

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桜満開だそうだ

2020-03-10 07:31:06 | 日記

これは里山のじゃない

積善院のだ

今日はおばさん通院

帰りに 桜見せに行くと武蔵は言うが

雨かな?

雨だって車から見りゃいいが

あそこの畔道がやばいものな

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今日は 掃除デー

2020-03-10 05:07:21 | 日記

明日は また休校で 障害児デイサービスの休日で

わが家にあの子供たち来る

瓢箪に絵を描こう と誘おうと思ったが

瓢箪は二個しかない

農協にも売ってなかった

ガラス瓶に絵を描こうと やるかな?

Img_9204

子供用の

アクリル絵の具買って来よう

今日はおばさんが 通院だ

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今日は3.10

2020-03-10 04:26:55 | 日記

今から75年前の3月10日

私は 高田馬場にいた

生まれたのは深川住吉だったが

空襲が激しくなってきて

母と私は 戦死した父の恩師の勧めで

そのおうちの近くに呼ばれて

間借りして住んでた

赤子だった私は

空襲警報!空襲警報!という音をねんねして耳にし

眼には井戸の先に

白い袋がかぶせてあって

それが茶色くなってるのを見てた

それが空襲 というものだと思っちゃってた

一番古い記憶だ

下町は大空襲で恐ろしい事態になり

その恩師は

もう危ない

こっちに来て一緒に住もうと

先生のお宅に呼んでくださった

あと

間借りしてた家も 空襲で燃えちゃった

危機一髪だったのだ

これが当時の私

これがその恩師の家のところ

おむつしてるのかな

膨らんでないな

こっちゃんくらいの年だ

画像に含まれている可能性があるもの:1人以上

もうちょっと 小さいかな?

やがてオホーツク海で父は戦死し

戦後 母は

私を抱いて 歯科医療器具の行商をして

暮らしを立ててた

戦後の大変な時期の 飢えに脅かされてきた時代

戦争未亡人の母が

かわいい私を抱っこして働いてたので

このたった二人の口だったのが ラッキーで

食べ物もいただくことが多く

飢えずにこの時期を乗り切った

と聞かされた

戦争は 膨大な人々を殺した

これで成り上がったやつらの裔が

いつでも国民を食い物にしているだろう

糞!もとい ウンチ!

今のパンデミックかという事態を利用して

緊急事態条項 だの緊急事態法だの 緊急事態宣言だの

発令して

平和憲法 超越しようという動きのほうが

緊急事態だ

人間という動物は こうやって

滅亡していくのだろうか

そういう動物なのだろうか

鬱になりそう

 

 

 

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