ここ数年90歳の義母を見ている訳ですが
まあまあうまく行っていますが、時折問題が起こります。
それは、普段の外出は車いすでよろよろしているので
自宅の2階への上がり降りは危険だということで一応禁止となっています。
・・・・が、ばーちゃん上がっております。もちろん下がっても来てます。
これをとーちゃんが怒るんですわ。
危険を回避するということで約束したのに守らないという理由ですね。
そして、ばーちゃが誤っておさまり、なぜかまた繰り返すので
とーちゃんがまた怒るの繰り返しを何度も見てきました。
私としてもこの不毛な繰り返しを見るに堪えなくなり
アドラー心理学を適用するとどうなるのかということを考えてみました。
ここはひとつ「課題の分離」を適用するのがいいのではないか。
「課題の分離」とは、今の行動の結果を最終的に引き受けるのは誰かということです。
最終的に引き受ける人をはっきりさせて、誰の課題なのかを明確にします。
そして、他の人の課題には介入することはしません。
家の2階問題の場合は結果を最終的に引き受けるのは、ばーちゃんです。
階段から落ちて骨折する、あるいは捻挫くらいで済むかもしれませんが
痛い目に合うのはばーちゃんです。
では、なぜ止められても2階に上がったり下りたりしているのか
それは「できるから」ですね。危険と隣り合わせではありますが。
アドラーはなにごとも強制することはできないと言っています。
すべては自ら決めると。
そこでばーちゃんへの対応ですが、足が思うように動かないので
階段を上り下りする危険性は伝え、それを踏まえての判断はばーちゃんに委ねるのが
いいのではないだろうか。
どんなに禁止しても、やりたいと思ったら隠れてやるでしょう。
そんなことしなくても、それがばーちゃんの判断であれば認めるということにしたら
もう、これで「2階問題」は解決ではないでしょうか。
ばーちゃんも「禁止」など子供扱いではなく、自分の判断で行動するということになれば
「けがしても構わない」と思うか「心配させないようにしよう」と思うか
判断の基準が明確になると思います。
ほんとに怪我したらこちらにも覚悟が必要ですが、そこはしかたないです。
アドラー心理学は、年齢に関係なく
「自分の人生は自分で決めて、結果も引き受ける」という潔さがあります。
たぶん、人生ってそういうものだと思います。
(↑ その点で認知症は悲しいです)
おばあさんは2階に上がりたい。お父さんは危険回避のために2回に上がってほしくない。
心配する気持ちもわかります。
おばあさんは2階に上がって何をしていらっしゃるのでしょうか?
そこを知ることが解決の糸口になるのかもしれませんね。
それは雨戸の開け閉めです。
義母の年代はご近所さんが気になるようで、きちんと時間に開け閉めしないといけないと思っているみたいです。
ヘルパーさんにお願いすることになっているのですが、さっさとやりたい気持ちが抑えられないようです。
禁止しないで、自分の判断でやるとした方がいいのではないかと私は思っています。
人って、人から注意されても、それを素直に聞けないということが多いですよね。
子ども世代が覚悟を持てばいいのでしょうか。
馬を水飲み場へ連れて行っても、馬に水を飲ませることはできないと、本に書かれていましたね。
いろいろ禁止されているのですが、すべて隠れてやっています(笑)
口うるさく言うと誰の課題なのかわからなくなりますね。
出来ることは自分でやりたいという気持ちはよく分かるのですが・・・
2年前、ワタシより早起きな母は縁側のカーテンを開けに行きこけました。
結果、圧迫骨折です
50日の入院で。毎日私も病院通いでした。そのことがあってから、私の言うことはよく聞いてくれるようになりました。
うちの義母は一度骨折しているし、手術もしているのです。
でも、忘れてしまったのか・・・・。
できれば自重してほしいのですが。