アドラー心理学は一見普通ですが、よく読むとと目から鱗の理論です。
必ず最後に問題を解決するのは自分自身しかいないと思い知らされます。
まあ、当たり前なんですけどね。アドラーさんが出てきて仲裁してくれるわけではないので。
一つの事例として私のアドラー体験を記録しておきたいと思います。
まったくすっきりしていませんのでそこのところは期待しないでくださいね。
今も続けているボランティアの介護予防体操のグループでの出来事です。
メンバーに私より一回り以上年上の人がいて知り合いの人でした。
軽口で「○○さんにはサポートされたくないよね~」と言ったところ(年齢のことです)
言葉通りに受け止められて アガサさんに嫌われていると思われてしまいました。
これは私の失敗でした。ある程度の軽口が通用する段階にあると思っていました。
直接会って 「嫌いという感情はありません。不快な気持ちにさせてごめんなさい」と
謝りましたが、許してもらえませんでした。
これをアドラーはどう解説しているのか。
「困ったときのアドラー心理学」に同じケースがあります。
失言したら「 謝ること、しかし許してくれるかはわからない」
さっぱりしてます。
つまり、誠実に謝るところまでが私のできることで、それをどうするかは相手の考えることなのです。
課題の分離ですね。
今回は 許してもらえなかったという結論があったわけです。
受け入れるしかありません。
ボランティアなので、やめてしまってもよかったのですが、せっかく自治会で軌道に乗ってきたところで
私事でもめごともどうかなと思い、表面上は何事もなく、内心はびくびくしながら活動していました
そうこうするうちに、隣の自治会で人手不足になり応援を頼まれまして
お隣の自治会で活動することになりました。
会うことがなくなりお互いにいろいろ解決したと思います (たぶん)
他人も未来もコントロールできない ・・・・ とアドラーの本に書いてあったような気がしますが
しみじみ真理だなと思います。
失言して不快感を与えてしまい、あやまったけど許してもらえなかった。
受け入れて行動していたら別の道が開けて、なんとなく解決した。
こんな感じです。
最初は落ち込みましたがだんだんばかばかしくなってきました。
中学生か! (← 開き直った!)
もう一つ問題解決の秘訣になることがあります
それは
「もう、限られた時間しかないのにつまらないことにかかわっている暇はない」ということです。
実際、このことを自覚すると、高齢者は幸福になり生活の質が上がるそうです。
出来事を「時間のふるい」にかけて自分にとって「価値のあるもの」を
自然に見分けていくということがあるらしいです。
これは歳をとってよかったことのひとつです。
これは、若くても同じだと思うのですが、若い時は先のことを考えて
あれもこれもと抱え込むので、悩みも不安も多くなってしまいます。
「時間のふるい」があれば、もしかするとアドラー心理学さえも必要ないのかも。
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今は、自分の自治会で別のグループが出来たのでそちらでに戻りました。
いくつになっても失敗があります。
調子に乗りすぎました。
大問題に発展するとはおもいませんでした。
謝るってことも勇気が要りますね。
謝る勇気、これは私も大切だと思います。
タイムリミットが迫っています!?
謝ったら、普通は分かってくれると思いますが…。謝る勇気も大切なのですね。