今年4月に実施された全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)の結果が昨日公表された。
今朝の北國新聞の一面トップは「石川3科目過去最高」。
さらに社会面を開くと予想通り「『学びの指針』効果 関係者自信」と続く。
ただ、今年はこの社会面の記事の横に「子ども不在の競争懸念」の記事(下の記事)が目を引く。おそらく共同通信の配信だと思うが、私も含め学力テストの弊害を懸念してきた人の主張の一端がまとめられている。
冒頭の段落にある「学力テストは、どこに向かうのか」という問いかけこそ、忘れてならない視点だ。
これまでも全国学力テストについて批判的な視点で取り上げてきた北陸中日新聞は今朝の新聞でもこのような社説を掲載している。
最後の段落はこのように締めくくられている。
「毎年調査のために使われる数十億円の巨費を、きめ細かな授業を行うための少人数学級や教員の加配などに回す。子どもの立場に立てば、その方が学習に役立ち、伸ばす近道にもなるだろう」
まさにその通りで、上の北國新聞の「子ども不在」にも通じるものだ。
さらに過熱の方向に向かおうとする全国学力テスト。「テスト学力」偏重や序列化、子ども不在の競争激化と問題が深刻化する中で、さらにその先「どこに向かうのか」。
哲学者の高橋哲也さんは共著「とめよう!戦争への教育」(学習の友社)の中で、
「競争は新自由主義という思想に基づくものですし、管理は新国家主義といえると思います。競争と管理は、いまの権力者たち、為政者たちが「国家戦略」として採用している思想-新自由主義と新国家主義-を教育現場に持ち込んだものです」
と指摘する。
都道府県別正答率一覧表に象徴されるように、子どもたちが一つの尺度で一括りにされるのが全国学力テスト。
「尺度が一つ」の最大の利点は最も管理しやすいということだ。
子どたちだけでなく教職員も教育行政も含め「競争と管理」の下に置く全国学力テストの先には、自民党改憲草案にも示された自民党・安倍政権が目指す国家戦略があることを見落としてはならない。集団的自衛権の容認やTPP、秘密保全法などの動きとも決して無関係ではない。
全くの税金の無駄遣いと思える全国学力テストに巨額の税金を投入し続けるのには、当然彼らなりに大きな狙いがあるのである。
「トップ水準維持」の見出しに浮かれていては、気づいたときには戦争国家である。
今朝の北國新聞の一面トップは「石川3科目過去最高」。
さらに社会面を開くと予想通り「『学びの指針』効果 関係者自信」と続く。
ただ、今年はこの社会面の記事の横に「子ども不在の競争懸念」の記事(下の記事)が目を引く。おそらく共同通信の配信だと思うが、私も含め学力テストの弊害を懸念してきた人の主張の一端がまとめられている。
冒頭の段落にある「学力テストは、どこに向かうのか」という問いかけこそ、忘れてならない視点だ。
これまでも全国学力テストについて批判的な視点で取り上げてきた北陸中日新聞は今朝の新聞でもこのような社説を掲載している。
最後の段落はこのように締めくくられている。
「毎年調査のために使われる数十億円の巨費を、きめ細かな授業を行うための少人数学級や教員の加配などに回す。子どもの立場に立てば、その方が学習に役立ち、伸ばす近道にもなるだろう」
まさにその通りで、上の北國新聞の「子ども不在」にも通じるものだ。
さらに過熱の方向に向かおうとする全国学力テスト。「テスト学力」偏重や序列化、子ども不在の競争激化と問題が深刻化する中で、さらにその先「どこに向かうのか」。
哲学者の高橋哲也さんは共著「とめよう!戦争への教育」(学習の友社)の中で、
「競争は新自由主義という思想に基づくものですし、管理は新国家主義といえると思います。競争と管理は、いまの権力者たち、為政者たちが「国家戦略」として採用している思想-新自由主義と新国家主義-を教育現場に持ち込んだものです」
と指摘する。
都道府県別正答率一覧表に象徴されるように、子どもたちが一つの尺度で一括りにされるのが全国学力テスト。
「尺度が一つ」の最大の利点は最も管理しやすいということだ。
子どたちだけでなく教職員も教育行政も含め「競争と管理」の下に置く全国学力テストの先には、自民党改憲草案にも示された自民党・安倍政権が目指す国家戦略があることを見落としてはならない。集団的自衛権の容認やTPP、秘密保全法などの動きとも決して無関係ではない。
全くの税金の無駄遣いと思える全国学力テストに巨額の税金を投入し続けるのには、当然彼らなりに大きな狙いがあるのである。
「トップ水準維持」の見出しに浮かれていては、気づいたときには戦争国家である。
「毎年調査のために使われる数十億円の巨費を、きめ細かな授業を行うための少人数学級や教員の加配などに回す。子どもの立場に立てば、その方が学習に役立ち、伸ばす近道にもなるだろう」
とありますが、「少人数学習」、「加配」という言葉の意味がわかりません;;
けれど、小人数学習ということは少ない人数と思うのですが、私も含め身近の保護者は大きい学校へ行ったほうが良いとの話もあるので・・・・なんだか矛盾してますね;;
何が正しいのか分かりませんが、勉強は大事だと思いますが、それより私のころと違って「いじめ」は本当に今は大変なことです。昔と違うな~と違和感を感じます。陰湿です。
それが原因で命を落とすこともニュースに流れるので・・・やっぱり命の大事さを訴えて欲しいです
北野さんのブログや議会中継を拝見させていただいていますが、先生の多忙化と言う言葉を良く聞きます。
北野さんは先生が大事なのですか?それとも子供が大事なのですか?
私は、親なので、やっぱり子供になってしまいます。
さっきの命をなくしては何もならないので、ニュースに出てくる子供の命を優先させて欲しいです。ただ、学校に行くという事は成績も必要なので上がって欲しいです。
ひとつはっきりしたいのは、北野さんは、子供と先生どっちが大切なのかわかりません。はっきりさせて欲しいのが本音です。
いま問題となっている先生の多忙化は、両者にとって不幸な状態だと思っています。
この間、議会でしつこいくらい何回も取り上げていますが、聞いていただいているのならばお分かりだと思いますが、最近の先生の多忙化は子どもたちと接する時間、向き合う時間が増えて忙しいのではありません。会議や教育委員会へ提出する報告書の作成、金沢などでの研修のための出張などがかなり増えて、多忙を極めています。夜8時、9時の帰宅が当たり前のようになっています。
こういう多忙化の解消は、先生の心身の健康にも大きく関係しますが、まさに子どもたちのためでもあります。
いじめの問題でも、もちろん研修が無駄とは言いませんが、学校をしょっちゅう空けて子どもたちに自習させているようでは本末転倒でしょう。
なお、大きい学校の方が友だちもたくさんできるかもしれない(必ずできるとはかぎりませんが)、部活も複数から選べるということはありますが、学力については小さい学校だから劣るということは、これまでの数多くの小規模校の卒業生の実績からみても全く根拠はありません。
むしろ、試験点数だけでいえば、大人数の塾より、少人数、家計に余裕があればマンツーマンの家庭教師を選ぶことからもわかるように、きめ細かい指導を受けやすい少人数の方に期待するのが普通ではないでしょうか。
いわゆる切磋琢磨で子どもたちが成長するという考え方です。
そこは発想や視点を変えられた方がいいと私は思っていますが。