朝日新聞(9月11日)
安倍内閣の官房長官を務める菅義偉。
政治家の中では苦労人として知られているそうだ。
秋田の田舎の農家に育ち、高卒後、集団就職で東京へ。
町工場で働いてお金を貯めて、当時、私学で一番学費が安かった法政大学に入学。
学費はすべてアルバイトで稼いだそうだ。
「菅義偉」「苦労人」で検索するといろんなエピソードが紹介されている。
二世三世の政治家が幅を利かせる世界にあって、弱者の気持ちがわかる善人風に語られている。
ところが彼のコメントを聞いていると、なぜか弱者や苦労人の立場にわずかなりとも思いを馳せるような発言を聞いたことがない。
自分こそ権力者だと言わんばかりの冷淡な発言ばかりである。
川内原発この記事もそう。
再稼働への不安や批判にはまったく耳をかさず「粛々と再稼働」だという。
こんなところで「粛々」を使うか?
朝日新聞(9月14日)
那覇市長の翁長氏の沖縄知事選出馬表明に対して「(移設問題は)終わっていること」だと。
現地の抗議行動や沖縄の県民世論はまったく意に介さない。
菅義偉について、佐高信は首相のイエスマンだと指摘し、このように述べている(日刊ゲンダイ8月26日、週刊金曜日9月12日)。
「(小学校から付属上がりのようなボンボン政治家には、貧乏のつらさや苦しみ、格差などは絶対にわからない。その苦労がわかる人は、弱者の気持ちに寄り添うようになるか、自分が這い上がろうとするか、どちらかです。菅さんは確実の後者で、ボンボン政治家よりさらにタチが悪い。権力志向の成りあがり特有のあくどさを感じます」
まったく同感である。
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