今日は若山小学校の「人と地域を生かした道徳教育講座」研究発表会に参加。
今年度から小学校では「特別の教科 道徳」がスタート。
来年度からは中学校でも始まる。
私の小学校時代の道徳の時間と言えば、副教材に基づいて「児童生徒に望ましいと思われる分かりきったことを言わせたり書かせたりする授業」(2014年中教審答申より)で、今にして思えばそんな授業はおかしいという先生の考えがあったのだろうと思うが、低学年の頃は天気がいい日は外に出遊ぶ時間になったり、算数や国語の授業が遅れていればそっちの教科に変わったりと、なんともゆるくていい時代だった。
そんな「道徳の時間」がいつの間にかきな臭くなり、文科大臣が「教育勅語にもいいところがある」と言ってみたり、愛国心や郷土愛といった「愛」の押し付けの動きが出てきたり、安保法制や改憲の動きとも相まって、国家主義的な価値観を押し付ける教育の再来を警戒しなければならない時代となった。
その一方で、いま学校で行われている道徳の授業は、あからさまな「価値観の押し付け」は後ろに下がって「考え、議論する道徳」となった。
今日の若山小の研究主題も「自分の考えを持ち、学び合う子の育成」である。
キーワードは「多様性」で、一面的な考え方から、多面的、多角的な考え方ができるようになったか、自分とは違う価値観を受けとめることができるようになったか、そんなところが注目される「特別の教科 道徳」である。
道徳教育のどこが問題か、道徳の授業はどうあるべきかといった議論は様々あるが、そんな中、「そもそもの目の前で起こっているのは、何より道徳の肥大化だ」と指摘し「<道徳化>する学校」という特集を組んだのが「世界」の今月号(11月号)だ。
なるほど、今日の若山小のパンフ(上の写真)にも「道徳科を柱にしたカリキュラムマネジメント」とある。
学校の中で道徳が関わる領域は膨れ上がり、ある意味、学校は「生き方教育」の場に移行しつつある。
昨年の三崎中学校の研究発表で記念講演をおこなった金沢工大の白木みどり教授はアクティブモラルラーニングを提案し、学校教育の中で道徳がますます重要になると指摘したが、裏を返せば「道徳の肥大化」を積極的に推し進める内容だった。
「世界」に寄稿した法政大の児美川孝一郎教授は、これが子どもたちの「生き方選択」なのか、国家や教師による「生き方コントロール」なのかと問う。
児美川教授は、新学習指導要領は一方で「特別の教科 道徳」で「規範の内面化」を徹底させており、「生き方コントロール」の危険性が高いと捉えている。
今後の動きに警戒していかなければならない。
ところで、今年度の珠洲市内の小中学校の研究発表は、今日の若山小と来月22日の緑丘中の2校。
数年前までは、市内ほぼ全校が毎年研究発表をおこない、現場の多忙感は半端なかった。
数的にはようやく他の市町並みになってきたが、それでも研究発表をおこなう学校の先生らの負担は大変なもの。
学校ごとに研究テーマを決めて、取り組みを進めること自体に反対はしないが、県教委や教育事務所、市教委が絡む学校行事は毎度のことながら仰々しく、しかも形式ばっている。
もう少し肩の力を抜いた研究発表にできないものかといつも思う。
加えて、この日の「成果」発表のため、若山小は多忙化解消の蚊帳の外でした。