北野進の活動日記

志賀原発の廃炉に向けた取り組みや珠洲の情報、ときにはうちの庭の様子も紹介。

金沢大学はどこへ行く・・・

2016-01-15 | 教育
北國新聞の連載記事「知の拠点はいま」が、今月9日から6回に分けて金沢大学を取り上げた。
全国全ての大学同様、金沢大学も様々な改革に取り組み、1昨年就任した山崎光悦学長は「YAMAZAKIプラン2014」を掲げ、さらに改革を推し進めている。
改革と言えば聞こえはいいが、金沢大学が果たしてどこへ向かうのか、金沢大学を中心とした大学との連携を「地域創生」の柱の一つに据えている珠洲市としても決して無関心ではいられないテーマだ。
1回目は「学域・学類制」
2回目は「学長権限」
3回目は「理高文低」
4回目は「法科大学院」
いずれも改革とはいえ決して順風満帆、自信満々の改革ではなく、危うさと背中合わせの改革であることが伺われる連載記事だった。

そして下記は5回目の記事。



最終回は下記の記事。



危うさというよりも批判的なニュアンスがさらに濃くなっている。
「英語狂騒曲」では2023年までに学士過程の50%、大学院の授業で100%の授業を英語でおこなうという計画に対して、金沢大学の研究レベルが低下する懸念が示されている。仲正昌樹教授の指摘も的を射ている。

さらに追い打ちをかけるように4学期制は「知の細切れ」だといういう厳しい指摘。
いったい金沢大学はどこへ向かうのか。

近年、死語になってしまったのかなと思える「学問の自由」や「大学の自治」。
いつの間にやら「自由」や「自治」どころか軍事予算でも獲得しなければやっていけないような大学へと変貌してしまっている。

経済界の意向を全面的に受け止めた政府の大学改革の方針自体が間違っていると思うが、それに対抗する議論が決定的に不足しているのではないか。
かつて「市民科学」の確立に尽力した高木仁三郎さんが生きていたらどんな提言をしたことだろう。






コメントを投稿